言霊
本日祖父の法要がありました。
祖父とは余り交流が無かったのですが、亡くなった日のことは未だ事ある毎に思い出します。
その日は朝から烏鳴きが悪く鬱々とした気分でした。
ご飯の途中で箸が折れ、髪をとかせば櫛が折れ、不吉なことが立て続けに起こった為、
私は観念して母に「今日、私は死んでしまうと思う」と告げました。
当然「何言ってんの」と、とりあってくれません。
私にとっては“死”は既に避けられない確定した事実であったので、本気にされなくてもどうでも良いことでした。
余りに淡々とした私を見かねて
「あんたが死ぬくらいなら、その前におじいちゃんが死ぬわよ」と母は言い捨て、私を学校へ送り出しました。
授業を受けながらいつの間にか死に対する圧迫感は薄れていました。
死を前提にしていると感情が薄れてしまうものなのだと当時の私は漠然と思ったものです。
四時間目の授業中、学年主任が扉を開け私の名前を呼んだ時、
《あ、おじいちゃんが身代わりになってくれた》と直感しました。
歳からすれば順当で、誰もそう思わなかったでしょうが、自分が死ぬと確信していた私にしてみれば、祖父の死は身代わり以外の何ものでもありません。
母の言霊が私を救ったとすら考えました。
言霊に縛られたのは母の方で、「あの時、お見舞いに顔を出せば良かった」と
『おじいちゃんの方が先に死ぬ』発言を気に病んでいたように思います。
祖父の思い出を語ることも無く法要は無事終了しました。
2012/10/04に関心空間に投稿したものです