剣士と魔女
――帝国がとある大陸の統治を宣言して十二年余り。
帝国と、帝国の支配に異を唱える国々との争いが尚も続いていた時代。
その煽りを受けて廃村にて、ふたりの人物は戦っていた。
ひとりは女、そしてもうひとりは男であった。
「【爆発】!」
外套をはためかせ、女は力ある言葉を強く念じ、紡ぐ。
魔術、と呼ばれる神秘である。
轟、と音を立て、指向性を持った力が大地を穿つ。
その威力は凄まじく、朽ちて放置されていた家具を粉々に粉砕し、形を保っていた廃屋の天井もろとも吹き飛ばしてゆく。
だが、次の瞬間には土煙を斬って中から男が飛び出した。
鎧を構成する数多の真鍮で出来た小札がじゃら、と鳴る。
男は右手に持った飾り気のない長剣で鋭く斬り込む。
爆発の余波で砕け散った天井から光が射す。
光に照らされた剣は銀線を真っ直ぐに煌めかせるも、女はひらりと身をかわして剣を避ける。
そのまま魔女は距離を取り、お互いに身構える。
「流石は『雷撃』と呼ばれた剣士。強いのね」
「……その出で立ち、その技、『光輝の魔女』とお見受けする」
雷撃と呼ばれる剣士のぶっきらぼうな声に、光輝の魔女は艶やかな笑みを見せる。
「あら、私をご存じかしら」
「小耳に挟んだ程度だが」
「そう。正直、その呼び名は好きじゃないけれど……」
魔女は剣士へと向き直ると、ばさりと音を立てて外套を翻す。
表れたのは古ぼけた硬質の革鎧に貫頭衣、長ズボンを脚絆で止めた姿。
服装だけ見れば、魔女と呼ぶよりは放浪する異国の旅人といった方がしっくりくる装いをしている。
しかし、魔女の美貌が旅人の装いを見事に昇華させていた。
白い透き通るような肌の色。硝子の彫刻の如く整った顔立ち。極めつけは金糸の如く輝き、腰まで届く長い髪。
それぞれが陽光を浴びて、女性らしい艶やかさを見せている。
彼女を見る人々は、まるで世を忍ぶ貴人か舞台役者のような印象を受けるだろう。
「何故、このおれの前に立ちはだかる」
魔女は剣士の黒い眼をじっと見据えている。
長い時間、あるいは一瞬か。剣士はただ、答えを待つ。
無造作に伸びた黒髪が風に靡く。良く焼けた褐色の額に張り付く事も能わない。
やがて魔女は槍にも使えそうな樫の杖を地面へと向け、こつ、こつ、と地面を叩く。
「貴方に用事がある、といったら?」
「残念だがおれには無い」
剣士は魔女の言葉に眉を寄せた。
「……なによりこの剣、本来なら女子供に向けるものではない」
「あら、そんな前時代的な考えは聞きたくないわ。それに、こっちにも引けない理由があるの」
剣士は構えた剣を握り直す。
「聞こう」
「貴方を倒して、莫大な賞金を手に入れる事よ――【燃焼】!」
魔女は杖でもう一度地面を叩いた。
すると杖の先から蔦が蔓延るように炎が燃え広がり、あたりは真っ赤に染まる。
突然の出来事に、剣士は燃える海の中で身構えた。
わずかに挙動が固くなった剣士へと魔女は追撃をかける。杖の先端に氷の破片を生み出し、剣士へと何十発も打ち出していく。
第一階梯の魔術、【雹】である。
飛び出した氷の矢とも言うべきそれは、霧を発生させながら剣士を狙う。
霧に熔け、雹の軌道は見辛くなっている、不可視の礫を、常人には見切る事は難しい。
しかし、剣士は礫を難なく避け、あるいは見切って剣で切り払う。
剣士の動きを見るや、魔女は形勢を建て直すべく建物の外へと駆け出した。剣士も魔女を逃がすまいと動く。
炎が廻り切る前に、剣士は一足を強く踏み込む。そのまま炎を抜けて、魔女の元へ一気に飛び出した。
剣士の目の前には魔女の背中が見える。剣士は流れに逆らわずに前傾姿勢をとり、そのまま魔女へとぶつかりにかかる。
魔女が出口にたどり着く直前、剣士はその身を捉える事が出来た。
ところが魔女の身体は霧散し、剣士の身体に衝撃は来ない。
剣士はこれが氷が溶けた水蒸気と火の熱を利用した、彼女の幻影であると悟った。
剣士はそのまま速度を殺さずに、転がるように出口より飛び出す。
続けざま地面へと長剣を穿ち、梃子の作用で右方向へ飛ぶ。
無茶な動きに身体は軋むが、歯を食い縛り耐える。
すぐさま剣士が元いた大地を、尋常ではない音を立てて数多の礫が劈いてゆく。無論、魔女の攻撃である。
魔女が放っている【雹】は、魔術の階梯が最も低い。故に容易に産み出すことが出来、他の魔術よりも連射力に長ける特徴を持つ。
ただし恐ろしいまでの連射速度と、大地を穿つほどの威力。これは稀代の才能を持つ『光輝の魔女』だからこそ出来る芸当なのである。
同じ事を只の人が行えば、すぐさま内包する力が枯渇するだろう。
故に、人々より『雷撃』と呼ばれるほどの実力を持つ剣士なれども、相手が女だからと侮り、油断はしない。
雹はなおも剣士を食い破らんと猛犬の如く吠え立て、地面を穿ちながら追いかけてゆく。
剣士は足を動かして礫をかわしながら、首を小刻みに動かす。
礫の発生源、魔女を探しているのである。
すると剣士が先程出てきた建物とは別、真向かいにある二階建ての家屋の上より狙われている事がわかった。元は商店だったのか、石造りで高さもあり、遮蔽物もない。剣士を狙う魔女にとっては絶好の狙撃点である。
剣士は中には入っても魔女には逃げられると判断し、次の手を模索する。
あたりを見渡せば建物の横、雑に積まれている木箱を見つけた。
剣士はこれを使って屋根へと登る算段をつける。礫を切って払うと、走り出した。
剣士は鎧を着ているにも関わらず、凄まじい速度でと身のこなしで木箱を台にかけ上がる。黄金色の小札が動きに合わせてじゃらりと音を立てる。
剣士の目の前に魔女の姿が見えた。
瞬間、剣士の背中がぞくりと粟立つ。
魔女は剣士の姿を予測し、既に行動していた。
魔女が解き放つは風と水を用いた魔術における第三階梯。
「【水の槍】!」
甲高い悲鳴のような音を置き去りにして、魔女の杖より真っ直ぐに、鋭い水流が瞬きよりも速く放たれる。
知覚できない程の速さを持つ水は、常人ならば防ぐ事は出来ない。
魔女の予測であれば飛び上がった直後、身動きがとれない剣士の胸を確実に貫通し、息の根を止めるはずであった。
だが、剣士は突然の悪寒に逆らわず、飛び上がる直前になって動きを変えていた。
今にも慣性によって屋根へと飛び上がらんとしていた身体を抑えるべく、無理矢理に剣を木箱へと突き刺したのである。
土台が壊れた事で身体の支えが無くなり、剣士は地面へと落ちる。
元々の軌道から外れ、水の槍は男の髪を何本かを引きちぎってゆく。
そのまま男は左手を伸ばし縁を掴むと、石壁を蹴って転がるように屋根へと登る。
「化物なの!?」
戸惑う彼女の声が聞こえる。
剣士はにやりと笑みを浮かべ、姿勢を正すや魔女へ向かって踏み込んだ。
その瞬間である。ふと剣士は気配を感じた。
恐ろしく巨大な何かが、凄まじい速度でここにやってくる。びりびりとした感覚が伝わってくる。
下手をすれば建物ごと押し潰され、ふたりそろって肉片になる。
魔女は未だ気づいていない。
最悪の事態だけは避けなければいけないと、剣士は目の前に向かって手を伸ばした。
魔女の元へ剣士が迫ってくる。
身につけた鎧は光に照らされ、真鍮の小札が金色の複雑な輝きを放つ。
剣士の黒い瞳は真っ直ぐに魔女を見つめている。
剣士は引き絞られた弓のように、鋭く、魔女の元へと向かってきている。
魔女は重く引き伸ばされた時間の中で最善を模索する。
間違えれば雷の如き一撃で身を焼かれるだろう。
剣士は魔女と同じくらいの年齢ではあるようだが、そういう力を持っている。
剣士はその力を用いて多くの戦場で、冒険で、死地で。
数多の猛威を奮い、人々を護り、命を狩り、数々の誉れと幾多の怨みを背負う。その姿はまさしく、天の如き力を持つ勇士。
故に剣士は人災として恐れられている。
故に剣士には金貨五万枚の賞金が懸かっている。
故に剣士を人々は尊敬と畏怖を込めて『雷撃』と呼ぶ。
しかし魔女はその剣士に立ち向かわなければならない理由がある。
莫大な賞金を手にしなければならない理由がある。
魔女は改めて目の前の剣士を注視する。
すると思考に集中していた魔女は、不思議な事に気がついた。
相対する剣士は何故か剣を向けておらず、魔女に対して手を伸ばしていた。魔女は剣士の行動を不思議に思う。
まるで剣士は何かから、魔女を護ろうとしているようではないか。
魔女は引き伸ばされた時間の中、ふと周囲に意識を飛ばす。
何かが。
何かが眼に映る。
凄まじい速度で何かが、この建物に突っ込んでくる。
大きな力が飛び込んでくる――。
引き伸ばされた思考の中、ほんの一瞬でこの速度である。
何かはわからないが、このままだと確実に建物ごと吹き飛ばされ、目の前の男共々死ぬかもしれない。魔女は思考を切り換え、必死に最善を模索する。
(考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ――――!)
焦る彼女の脳裏に複数の案が浮かんでは消える。
そうして最後に脳裏に映ったモノは、眼前に迫る剣士の姿であった。
瞬間、魔女の脳裏に電流が走る。
先程この男はどうやって攻撃を避けた?
自身の位置をずらす事で命を繋いだのではないか?
全く同じ事が出来るのではないか?
すぐさま魔女は脳裏に術式を展開する。
命を繋ぐは風と火の第二階梯――。
止まっていた時間が動き出す。
まるで止まっていた分を取り戻そうとするように。
何倍もの速度で。
(間に合えぇ――――ッッ!)
剣士が手を伸ばす。
その腕が。
この身に届くより速く。
言葉を――。
「――【爆発】ッッ!」
がくん、と地面が揺れる。
足元が崩れる感覚のあと、ぶわり、と風が噴き上がる。
予想以上の威力に辺りは崩れ、爆炎がすべてを飲み込んでゆく。
魔女の身体を貫いた凄まじい衝撃に、彼女の意識は暗闇に向かって急速に落ちていった。
噴煙と土が焼ける臭いが漂う中、剣士は辛うじて立ち上がる。
落下はしたものの、幸いにして大怪我はない。身体のあちこちに擦過傷を負ったくらいである。
手早く自身の状態を確認して、剣士は周囲に目を向ける。
見回せば、横たわる魔女の姿が見える。こちらも幸いなことに怪我を負っている様子はない。
良くも悪くもあそこで魔女が術を使ってくれなければ、突っ込んできた何かに吹き飛ばされて肉片になっていた。良くても衝撃で倒壊した建物の下敷きになっていただろう。
剣士はそうならないように行動していたが、数手は遅れていたに違いない。
剣士は自身の装備を見る。状態に問題はない。
そしてゆっくり噴煙の先を見据える。
「さて、鬼が出るか――それとも蛇が出るか」
男の言葉に煙は揺らめき、一陣の風と共に周囲は明るくなってゆく。
煙の向こうから姿を表したもの、それは――。
「大蛇竜……!」
長細い身体と鋭い牙。そして禍々しい翼、強靭な鱗をもつ存在であった。
災厄の象徴、竜種である。
叫びは全てを震わせ。
翼は全てを吹き飛ばし。
牙は全てを砕き。
息吹は全てを灰塵に還す。
力の化身。国落とし。さまざまな謂れを持つもの。それが竜種である。
竜や飛竜とは違い、見た目は蛇に近い存在だが、紛れもない竜種である。
針葉樹の巨木と見まごう、蛇のような長い体躯と二翼を持ち、鱗は深い翡翠の如く。ひとたび暴れようものなら、とても人間には太刀打ちできない。
それでも普段は山奥に潜み、縄張りを出ない性質を持っている。
故に滅多に人里には降りない為、基本的にはその力が人の身に降りかかる事は稀である。
それでも棄てられた村とはいえ、地上へと降りてきたという事は――。
「やはり狂っているか」
剣士はひとり悪態をついた。
恒常でも恐ろしい大蛇竜であるが、厄介なことにの鋭い目は開ききり、恐ろしいまでの狂気を帯びていた。
とどのつまり、通常よりも強化されている竜種を倒さない限り、生還の道はないという事である。
「生憎、『竜を殺す者』の称号は持ち合わせがないな」
皮肉を言いたくなるほどには目の前の存在は脅威だ。
大蛇竜は鋭い眼をぎょろりと向けて、目の前の獲物を逃がすまいと睨み付けている。
まずは生き残ることを考えなければなるまいが――。
剣士の背後には、今だ目を覚まさない魔女がいる。
女子供を見捨てるという選択肢は剣士の頭には無い。ましてや弱っている人々を助けないなど言語道断。
これは彼の剣士、ひいては人としての矜持であった。
だが相手は竜であり、恐ろしく強大である。如何に『雷撃』と呼ばれる剣士なれど、人を護りながら倒しきるにはかなり厳しい。
「楽しい戦いになりそうだ」
剣士は呟くと、しっかりと剣を構える。そして、楽しくてしようがないとばかりに、にやりと口許を歪めるのであった。
(姉さん――)
どこからか魔女を呼ぶ声がする。
夜闇に溶け込んでいくような、どこか懐かしくて優しい声。魔女はこの声に心当たりがあった。
不思議な浮遊感の中、記憶の海に身を委ねる。
魔女には妹がいた。歳はひとつ離れていた。
ふたりはとある山村にて母と共に暮らしていた。
父は姉妹の物心がついた時には既にいなかった。
ふたりは母の手ひとつで育てられ、すくすくと成長していった。
姉妹はとても仲が良く、いつも一緒だった。
生真面目な姉と好奇心旺盛で活発な妹のふたりは、いつも騒動を起こしていた。
正確に言えば、妹の突拍子の無い行動に、姉である魔女はいつも振り回され、最後には必ず大事となって揃って母に怒られていた。
母は薬草に詳しく、村の畑でとれた様々な薬草を調合しては、傷に効く軟膏を作り、麓の街で売って収入を得ていた。
当時は戦時中という事もあり、売れ行きはそれなりに良かった。
それでも娘ふたりを抱える身では、軟膏の収入だけでは難しい。
彼女達一家を取り巻く環境は厳しく、生活は常に苦しかった。
とはいえ、裕福でなくとも家族仲は良好であったし、魔女は家族の一員として毎日に幸せを感じていた。
魔女は今でも陽だまりのような母の笑顔を覚えている。
しかし、彼女達の日常は突如として終わりを告げる。
大陸全土を襲った流行り病で母が亡くなったのだ。姉妹の生活は一変した。
やがて姉妹は『魔法派』と呼ばれる者達に引き取られる事となった。どうやら母と知古であったらしい。
魔法派は大陸における宗派のひとつ、『護法会』より異端とされ、分派した者達である。
魔法派の彼らは優しかったが、生活や修行は過酷であった。
当時の魔法派に世間は冷たく、属するものは悉く迫害されていた。
特に護法会は魔法派に容赦がなく、国々の権力を巻き込んでは様々なところで魔法派を弾圧していた。
更に魔法派の用いる術は当時の人々には斬新過ぎた。
故に彼らが使う理は魔法、彼らが使う術は魔術と呼ばれ、人々は彼らを魔法派と呼び、ひどく危険視した。
世の中は大陸全土を巻き込んだ戦乱の真っ只中。多くの人々が苦しんでいた、そんな時代である。生きていくためには強くなるしかなかった。
だが幸運な事に、姉妹には素晴らしい魔術の才能があった。
お互いに励まし合い、切磋琢磨しながらも厳しい修業も乗り越えて、メキメキと術を修得していく。
そして魔女と妹はそれぞれ一人前として認められ、独立が許されるようになった頃、突如として悲劇は起きた。
突然、魔女の妹が流行り病に倒れたのである。憎らしくも母を奪った流行り病であった。
魔女は文字通り必死に治す手立てを探し、今まで以上に研鑽を重ね、ありとあらゆるものを試した。
それでもなお、魔女はこの病を治す方法をついぞ見つける事は叶わなかった。
魔女はひどく心を病み――妹と共に命を捨てることを考えた。
自分の半身が無くなる事に、魔女は耐えられなかった。
だが、その心を救ってくれたのもまた彼女の妹であった。
彼女は魔女に生きろと言った。
(姉さんが命を投げ捨てるなんてこと、私は死んでも許さない――)
妹の言葉は魔女の心を正気に戻し、光を与えた。しかし、その言葉は呪いの棘としても残り、魔女を苦しめた。
そして、悩み抜き、絶望を越えた果てに魔女はとある決断をした。
魔術で妹の身体と精神を封印するという決断である。
その魔術とは四元素の複合、奇蹟の具現である第五階梯。
【永き世の眠り】。
時空に作用する結界を用いて、対象者の時間を周囲と切り離し、凍らせるという魔術である。
故に被術者の精神は深い眠りにつき、身体は石の如く固くなり、氷の如く冷たくなる。
魔術というよりも呪縛、と言った方が正しい。
握った妹の手が、自分の魔術によってゆっくり冷たくなっていく。その恐ろしさを、魔女は今でもはっきり思い出す。
そして、妹の身体が朽ちることがないよう、自身の持てる力を注ぎ込み、丁重な結界で封印した。妹に誰も触れることが無いように、魔女に万が一の事があった時のために。
生涯で妹にもう会う事はないかもしれない、と魔女は思う。
それでも魔女は、たったひとりの肉親を諦める事は出来ず、望みを捨てる事も出来なかった。
やがて妹の命を助けるため、魔女は魔法派の反対を押しきってひとり旅立った。何処にもあては無い、孤独な旅路である。
魔女は旅をしながらも薬の開発、新魔術の確立をし、妹と同じような病人へ試す。
薬も魔術の確立も費用がかかる。故に彼女は莫大な金を得る必要があった。
やがてある人々は彼女を『光輝』と称えた。
やがてある人々は彼女を『魔女』と呪った。
やがて人々は彼女を『光輝の魔女』と呼ぶようになる。
自身の行動が偽善である事も、いずれ業火に焼かれようとも、妹とまた笑って再会する為なら構わないと魔女は思う。
魔女の道程はひどく険しい。未だ光明もない。
そうだ、こんなところで寝ている場合ではない。
魔女はここから抜け出すべく、強く強く祈った。
火花が弾けるような音で魔女は目を覚ます。
覚めきらない意識の中であたりを見れば、何者かが大きな影と戦っている。
大きな背中はまるで魔女を護る壁のようである。
魔女はその背中をぼんやりと見つめる。とても暖かい、大きな背中であると魔女は思う。
しかし、その背中に黄金色を見いだした瞬間、魔女の意識は覚醒する。
何をしていた? 剣士と戦っていた。
何のために? 妹を助けるためだ。そのためには莫大な金がいる。
何があった? 正体不明の影により建物の崩壊に巻き込まれた。
どうするべきだ? 立ち上がれ。状況を把握しろ。
そうして杖を支えにし、立ち上がった時に魔女が見たもの。
それはかの剣士がひとり、傷つきながらも大蛇竜と戦っている姿だった。
鎧は熱であちこちが焼け焦げているものの、輝きを失ってはいない。
紅く焼けはじめた陽の光をなおも反射し、眩しいくらいに煌めきを放っている。
剣士が大蛇竜と対峙し、戦闘へと転じてからしばらく経っていたようである。
剣士は致命こそ負ってはいないものの、剣士の身体は所々傷つき、流れた血で真っ赤に染まっていた。
大蛇竜の攻撃を避け、剣で受け流しながらも、大蛇竜が魔女に気づかないように動いた結果である。
竜種という強大な存在に、しばし呆然としていた魔女であったが、突如として凄まじい悪寒が彼女を襲う。
大蛇竜の目がぎょろりと魔女を捉えていたのである。魔女の全身がひどく粟立つ。
大蛇竜は咆哮をあげるや、すぐさま魔女のもとへと突進してくる。
魔女は咄嗟に動こうとするも、左足に鋭い痛みが走る。どうやら落下した際に捻ったらしい。
気絶から覚醒して間もないが、魔女は完全に油断していた。
目が覚めた瞬間、すぐに状態を確認し、行動をとるべきであった。
無論、本来の彼女であればそうしただろうが既に遅い。
迫り来る大蛇竜を目の前に魔女は眺めることしか出来ない。大蛇竜の大きな牙が魔女を捉える。
剣士が何か叫んでいたようだが、魔女には何も聞こえない。
音が消える。
景色が白くなる。
魔女は咄嗟に目を瞑る。
その瞬間である。
魔女の眼前に凄まじい風が吹いた。
まるで何か巨大な壁が通りすぎたような、全てを吹き飛ばす暴風であった。
直後、大きな岩が割れるような破砕音が魔女の耳に突き刺さる。
バチバチという音と、肉の焼けるような嫌な臭いに、恐る恐る目を開く。すると、魔女を噛み砕かんとしていた大蛇竜は建物だったらしい瓦礫に遠く埋もれていた。
そして、大蛇竜に代わって目の前には剣士の背中があった。身体は何故か焼け焦げている。
「目が覚めたな。怪我はないか?」
剣士の言葉を聞いた直後、魔女の耳に音が宿り、色彩が甦った。
「どうして」
魔女の口から出たその問いは何を表していたのだろう。
どうして助けてくれたのか。
どうして逃げなかったのか。
どうして護ってくれたのか。
どうして――。
彼女の言葉に剣士は口を開く。
「恐らく、巻き込んでしまったのかもしれない」
剣士にかかる賞金は莫大である。
即ち、命を狙うものは後を絶たない。
「すまないと思っている」
剣士の言葉に魔女はしばらく呆けていた。
先程まで命を狙っていた相手にこうも言えるものだろうか。
ふと、魔女はある考えに行きついた。
「何かあるのね? 私にやってほしい事が」
魔女の言葉に剣士は何も言わなかった。魔女はそれを肯定と捉えた。
魔女が再び口を開こうとした時、咆哮があたりに響いた。
「……こいつの相手を手伝ってくれないか。流石に身が持たん」
剣士の視線に合わせて魔女は辺りを見る。吹き飛んでいた大蛇竜が復活し、起き上がろうとしていた。
「随分と冷静なのね」
「生憎とこういう荒事には慣れているからな」
剣士の言葉に魔女は頷く。
「ええ、いいわ。借りもあるし……任せて頂戴。それに――」
魔女は自信を持って剣士に告げる。
「――私ひとりで倒しちゃうかもしれないわよ?」
「ふっ、それは力強いな」
剣士と魔女はお互いに口角を上げ、また笑みを見せた。
強がりだとわかっている。それほどに相手は強大だ。それでも恐れの気持ちを押さえ込み、二人の戦士は恐るべき敵と相対する。
生きて目的を為し遂げる理由がある。故に絶対に負けられない。
ぎぃん、と硬質な音があたりに響く。
剣士が大蛇竜の噛みつきを剣でいなした音である。強靭な鱗は鋼をも容易く砕く。
剣が折れないのはそれだけの業物か、凄まじい技術の冴えか、あるいは両方か。
剣士が前衛として大蛇竜を惹き付け、その間に魔女が魔術を放つ。
「【鎌の剣!】」
魔女が唱えるは風の第二階梯。
風が大鎌の如き指向性を以て対象を切る魔術である。風の刃は人など簡単に引き裂いてしまうだろう。
力ある言葉は現象を起こし、大蛇竜を襲う。だが、大蛇竜は身動ぎするだけで、効かないとばかりに進みを止めない。
大蛇竜の咆哮が響き渡る。衝撃で朽ちた建物がびりびりと揺れている。
「くっ……ならっ……!」
止まれば的となり潰される。
魔女は足の痛みを気力で押さえ込み、走りながら次の魔術を模索し、集中、構成する。
魔術の合成は複数の力を混ぜ込み、ひとつの力とする。魔女は難なくやってのけるが、実際はかなり難易度が高い技術である。
もし水滴ひとつ、髪の毛一本程の配合を間違えれば、たちまち力は暴走するか、霧散してしまう。
例えるなら複数の糸を、目も眩むような凄まじい速度で、同時に一度で針の穴へ入れる様な荒業である。
しかも今の魔女は手負いである。状況は最悪だ。
彼女の額に脂汗が滲むが、必死で集中する。
違えれば、暴発で吹き飛ぶか、潰されて肉片になるか、どちらにせよ無惨に死ぬことになる。
大蛇竜の口が開くや、すぐさま火球が飛んでくる。
魔女は全力で射線を予測して、ひたすら走って避けていく。
火球に貫かれた建物――恐らく村の集会所だったのだろう――が燃え盛り、一瞬で倒壊していく。
魔女はその威力に胆が冷えるのを感じながらも、術式の構築を続けていく。
そうして構成を終えた魔女は杖を大蛇竜へと向けて言葉を紡ぐ。
解き放つは水と土と風の第四階梯。
「【乱れ穿つ石の槍】!」
魔女は水と砂を練り上げ、大蛇竜の足下に強固な石槍を生み出してゆく。
しかし石それは槍というにはあまりに太く、大雑把でまるで柱のようであった。
魔女はそれを、練り込んだ風の力を用いて恐ろしいまでの速度で次々と射出していく。余波を受けて圏内にあった廃屋は巻き込まれ、粉微塵になってゆく。
そうして槍ぶすまの罠の如く、現れた石柱は大蛇竜の腹を胴を次々と穿つ。ひとつひとつが噴火した山の如く、恐ろしい威力である。
通常であれば大蛇竜にとって石柱など木屑同然、簡単に打ち破れるものであった。
しかし、矢継ぎ早に襲いかかられてはどうしようもない。
何度も衝撃を受けた大蛇竜は、これはたまらないとばかりに身をよじる。地を這っていた下顎が露になる。
そして、その隙を見逃す剣士ではない。
「今だッ!」
剣士の声に答えて魔女は石壁を生み出す。
魔女のつくる石壁を射出台として、大蛇竜の顎へ飛ぶ。
天へと向かう身体を地面へ引き倒そうとする力をものともせず、剣士は右手の剣を翻し一気に突き込んだ。
見事にその一撃は大蛇竜の顎へ突き刺さり、剣士は返り血を浴びる。
だが、大蛇竜もさるもの。深い傷を負いながらも暴れに暴れ、もがく。
振り落とされまいと剣士もとにかく食らいつく。しかし状況は芳しくない。
このままでは刺した剣が抜ける。そうなれば剣士は空中に投げ出され、地面へと叩きつけられる。
必死で抵抗する剣士だが、相手は竜種である。種族としてはるかに劣る人間には、どうあがいても膂力で勝てる訳がない。
暴れながらも大蛇竜は全身を大きくしならせ、地面へと振りかぶった。
剣士は何とか剣は手放さなかったものの、剣ごと空中に放り出される。
幾ばくかの浮遊感から、全身を粉々にされたような強い衝撃。途端に襲いかかる地面への落下。
大蛇竜は振りかぶった勢いで、剣士へ向けて身体をぶつけたのである。
剣士の身体へと巨大な質量と強靭な鱗が、まるで鞭のように鋭い速度で襲いかかる。先程の射出とは比べようもない衝撃に、剣士の着ていた鎧は粉々に砕かれ、傷口より血は吹き出し、息が止まる。
高速で流れていく景色。そしてぐんぐんと近づいてくる地面。
死の予兆を感じ、剣士の脳裏に様々な記憶が蘇っては過ぎて行く。
剣士は嫌に引き延ばされた時間の中、幼少の記憶を思い出していた。
かつて剣士が少年だった頃、とある旅人に救われたことがある。
少年は不思議な力を持っていた。
きっかけは幼少の頃に雷に撃たれ、酷い怪我をしてからである。
何故か死なずに生き長らえた少年は、不思議な力を得る。
のちに死ななかった事も、不思議な力も、身に宿った精霊による恩恵という事が解るのだが、当時は不気味な力を持つ者として家族以外の者に気味悪がられ、周囲より孤立していた。
そんな時、冒険の旅をしているという旅人に出会った。
冒険をしに来たと言う彼は、少年の住む村にしばらく滞在していた。
自分を省みずに弱気を助ける、誰にでも心優しい太陽みたいな人であった旅人は、滞在中に誰からも一目おかれる人となっていた。
勿論、旅人は少年にも優しかった。
気がつけば少年は旅人と良く話すようになり、仲良くなっていた。
そんなある日の事。
村外れで少年と旅人は話をしていた。きっかけは他愛の無い話であった。
(良いかい坊や。人は皆、何かを持って何かを為すために生きるんだ。だから君が嫌っている自分の力も、上手く使えるようになれば、何かを為す事が出来るようになるよ)
(おじさんも、何かを為すために旅をしてるの?)
(そうだね。僕は神秘を探して冒険をしている)
(神秘?)
(たとえば伝説に吟われた国、神話に語られる武具。英雄の遺した軌跡。隠された宝。皆はお伽噺と笑うけれど、僕はそれでもあると信じてるんだ。一目見てみたいんだ)
自らをただの冒険好きのお節介と謳う彼を少年は英雄と思った。
故に少年は自らも旅人のような旅をして、何かを為す英雄になりたいと思った。
やがて旅人は去り、少年は真っ直ぐに成長し青年となる。やがて村を出て、旅を始める。
かつての旅人から貰った言葉を胸に抱き、青年は人を助けながら旅をする。
様々な出会いと別れを繰り返し、いつしか『雷撃』と呼ばれる剣士になった。
過去から甦った剣士の目前に、いよいよ地面が迫る。
ここまでか、と剣士が覚悟を決めた瞬間である。身が浮くほどの突風が剣士を襲い、剣士に浮遊感を与えた。
すぐに地面の固さを背中に感じる。安堵した剣士の身体は、命を繋ぐべく呼吸を再開するも、うまく吸えずに大きくむせる。
剣士は何とか呼吸を整え、上体を起こせば、杖を構え、真っ直ぐに立った魔女の後ろ姿が見える。
どうやら魔女のお陰で無事に地面に降りられたらしい。
「これで貸しがひとつ――かしら?」
振り返った魔女の微笑みに、剣士もつられて笑う。
「そうだな。暫く預かろうか」
「さあ、さっさと起きて。相手取るにはひとりだと厳しいわ」
魔女の言葉を受けて剣士は自身の身体を手早く確認する。
鎧は砕け、血は足りない。骨は何本か折れたろう。
だが、幸いにして内蔵は傷ついていない。鉛のように重く、ふらふらするが、剣は無事。
――まあ何とかなるだろう、と剣士は結論付けた。
そうして剣士は周囲を見る。
どうやら先程の攻撃で大分飛ばされたらしく大蛇竜との距離は開いている。大蛇竜に最初に襲われたと思わしき、建物の瓦礫が掌に隠れるくらい小さく見える。
しかし、大蛇竜の姿が巨大故にそこまでの遠さは感じない。
視界に映る大蛇竜の姿は、先程のように火球こそ撃てないものの、未だ壮健であり、とても手負いには見えない。
剣で貫いた顎からは血が流れているものの、意に介さずこちらをじっと見据えている。
逆鱗に触れるどころか貫いたのだ。狂気の中に憎悪を燃やし、大蛇竜は剣士を睨み続けている。
剣士は魔女に問いかける。少しでも状況を整理する為である。
「そちらの状態はどうだ?」
「術はあと一発でおしまい。それ以上は水の一滴すら出せないわ」
「おれも全身にガタが来ている。剣は無事。手足はまだ動くから何とかなるが――限界は近いな」
二人とも既に満身創痍だ。
「ねぇ、私に考えがあるのだけど」
「聞こう」
「貴方があの大蛇竜を引き付けつつ、合図したら空高く吹き飛ばす事って出来る?」
魔女の言葉に剣士はしばし固まった。
「無茶を言う」
「それじゃあ」
「……出来ないとは言ってない」
口をへの字に曲げてぶっきらぼうに告げる剣士に、魔女は目を丸くした。
あまり表情が豊かとは言えない、仏頂面の剣士がそんな表情をした事が意外だった。
そして、剣士は拗ねるようにじろりと魔女を睨む。その態度に魔女はつい吹き出してしまった。
更に剣士の眼光が鋭くなったので、慌てて咳払いをして話を戻す。
「結論、出来るってことでいいのね?」
剣士は頷く。そうして口許をにやりと歪める。
「やられっぱなしではな。とっておきがある。やってみせよう」
「それを聞いて安心した。私もありったけをぶち込むわ」
話は極りお互いに再び頷くと、大蛇竜へと向き直った。
身体は限界、敵は強大。まさに絶体絶命である。
しかし、剣士と魔女は不思議と何とかなる気がしていた。
大蛇竜が周囲の廃屋を崩しながら、剣士達のもとへ一直線に向かってくる。
距離はだいぶ近づいており、すぐにでも間合いに入るだろう。
剣士は大蛇竜を迎え撃つように前に出る。
自らを囮として、注目させる事が第一歩である。
最も始めから狂っていた大蛇竜は、目の前にいる憎い敵へ憎悪し、更に狂気を深めている。注意を引く事など造作もない。
突っ込んでくる大蛇竜を見て、剣士はやはりあの顎の傷からすれば、先程のような火球や息吹も撃てないだろうと結論付ける。下手をすれば傷口から炎が漏れ、自身が燃えてしまうからだ。
問題はこの身体でどのようにチャンスまでの間にどのように捌き、耐えるかである。
大蛇竜と衝突する前に剣士は攻勢に出ることにした。無理矢理に動かしている身体が悲鳴をあげるが知った事ではない。
剣士は大蛇竜を掠めるように走る。相手に先手を与えない。
大蛇竜が首をもたげ、噛み砕かんとする攻撃をいなし、時には身をかわす。
大蛇竜の巻き起こす風圧が剣士の髪を揺らす。少しでも気を抜けば死ぬのは剣士である。感覚の糸を張り巡らせ、ひたすらに集中する。
剣を用いても人の力では鱗に阻まれて通らない。鱗を突き通す技もあるが、この場面で使うには早すぎる。
勿論、この世に生きるものである大蛇竜にも目や口等の急所はある。そのうえ剣士が大蛇竜の鱗を貫いた、顎と左首付近の場所が脆くなっている。そこならば剣の攻撃でもしっかり通るだろう。
とはいえども、先程の一撃で警戒されているようで大蛇竜は中々隙を見せてくれない。しかし、これでいいと剣士は思う。
剣士は大蛇竜の攻撃範囲に魔女が入らないよう、意識して剣を振るう。
切りつけてはかわし、いなしては突き込む。時に走り、避ける。
薄氷を踏むような時間をひたすら過ごしていた剣士に、待ちに待った魔女の声がかかった。
「準備万端!」
その言葉を聞いて剣士は身体の制限を外す、力ある言葉を高らかに叫ぶ。
「疾走れ――【雷霆】!」
剣士の言葉を切っ掛けに身体が光を放つ。バチバチと肉が爆ぜ、焦げた臭いがあたりに漂う。
内なる雷の精霊に働きかけて身体に雷を纏う、剣士が『雷撃』と呼ばれる由縁となった奥義である。
常人では耐えられない激しい痛みを伴うが、その速度と破壊力は人の力を優に越える。無論、先程大蛇竜を吹き飛ばした技である。
剣士が一歩、左足をすり出した瞬間。まるで天の星が落ちてきたような衝撃音が響き、大地を揺らした。
その直後、大蛇竜が弾けるように真横に吹き飛んだ。剣士が雷の化身となって蛇にぶつかったのである。剥がれた鱗が花弁の如く散る。
「ひとつ――」
雷の威力は恐ろしい。稲光を見れば誰もが目を瞑る。
落ちた雷は鋭く叫びをあげる。一度聴けば誰もが耳を塞ぎたくなる。
無論、直撃すればひとたまりもない。一瞬にして巨木は塵となる。
だが、雷の最も恐ろしいものは他にもある。すなわち、落下によって起こる衝撃波である。
対象物に落下した雷は対象物だけではなく、周囲を吹き飛ばす。
その衝撃は堅牢な城壁を吹き飛ばしたという例も存在する。
その威力は強靭な鱗を持つ竜とて例外ではない。
なれば更に雷を横から掬い上げるよう、直接その身に受ければどうなるのか。
答えは明白だ。
「ふたつ――!」
剣士が更に一歩踏み込むと、一瞬で大蛇竜に追い付く。
纏っていた雷が剣へと収束してゆく。閃光を発する剣をそのまま振り抜くと、大蛇竜は直角に大きく空へと吹き飛んだ。
激しい痛みの中で大蛇竜は大きく混乱していた。
自らの翼で飛ぶことはあれど、飛ばされることは経験していない。
こんなことは知らない。
本能が警鐘をならしている。
このままでは確実に良くない。
蛇はこの状況をどうにかしようと必死にもがくが時は既に遅く。
「いけえええええぇ――――――ッッ!」
剣士の叫びがあたりに響く。瞬間、魔女は力を全解放した。
唱えるは彼女のありったけ。
火魔術の粋を集めた彼女の第零階梯――。
「【光輝く一条】――――――ッ!」
虹色の輝きが唸りをあげて大蛇竜を狙う。
それは螺旋の光となって大蛇竜へと向かっていく。
目が眩むほどの眩しさに剣士は目を細めた。
波動が空中の大蛇竜を貫いたのは直後である。その威力たるや凄まじく、大蛇竜は光に包まれた瞬間に燃え弾け、灰塵となり、跡形もなく消え去った。
陽は紅に輝き、地平の向こうへと旅立って行く。やがて闇があたりを覆い隠し、夜が来る。
魔女は朽ちた壁にもたれ掛かりながら、その風景をじっと見ていた。体力、精神力の殆どを使い果たしており、立つことも難しくあった。
魔女は少し物悲しくもある、この瞬間が好きであった。
「終わったな」
「終わったわ」
硬質な声に魔女は視線を移す。魔女に声をかけたのは勿論、剣士であった。
「凄い姿をしてるわ、あなた」
身体のあちこちが焼け焦げ、鎧も砕けている。更に下に来ていた綿の衣服は血で真っ赤に染まっている。どう見ても満身創痍であった。
さりとて魔女もあちこちが砂にまみれ、どろどろになっており、人の事は言えないが。
「こういうのには慣れてる。とはいえ――」
そう言うが早いか、魔女のとなりにどっかりと腰を落とす。
「――流石に疲れたな」
魔女は剣士の様子を訝しみ、眉を潜める。
「今襲えば、楽に遊んで暮らせるだけの賞金が手に入るかしら?」
「水の一滴も出ないんだろう? 負ける気はしない」
「……貴方も同じようなものじゃない?」
剣士の皮肉めいた台詞に、魔女が目を白黒させている様子を見て、剣士はにっと笑みを見せる。
「それでもおれが勝つ」
「呆れた……」
「よく言われる」
剣士の言葉についぞ魔女も破顔し、お互い大いに笑いあった。
ひとしきり笑い会うと、剣士がおもむろに何かを魔女へ渡す。
魔女が慌てて受けとると、それはじゃらじゃらと音を立てた。鈍く輝きを放つ、翡翠のような欠片であった。
しかし金属のように良く響き、ひびはなく、異常に軽い。
「これ、竜の鱗? 沢山あるけれど」
「そうだ。大蛇竜から剥がれ落ちたものだが、これで金の足しにはなるんじゃあないか?」
竜の素材は誰もが欲しがる。ひとつひとつが力の塊である為、武具にも薬にもなる。
無論、狩られることは滅多に無いために素材が稀少という事もある。
魔女の手元にある素材を金額に換算すれば、恐らく金貨数千から数万は下らないだろう。
剣士の計らいに魔女は少しだけ報われたような気がした。そうして妹の事を想い、微笑む。彼女の金髪が朱子の如くふわりと揺れた。
「――感謝するわ。本当に」
愛しそうに鱗を胸に抱く魔女に、剣士は照れたように頭を掻く。彼女のしぐさは絵になりすぎ、剣士には直視ができなかった。
「良い笑顔だな」
「あら、口説いているのかしら?」
「違う……だが、出会った時よりとてもすっきりした顔をしている」
「ふふ、そうかしら」
笑顔で真っ直ぐに剣士を見つめる魔女。
ついに剣士は耐えられなくなった。ごほん、と咳払いをして誤魔化す事にした。
「……さて、いい加減火を起こすか。流石に眠らないと厳しい」
「私も手伝うわ」
「助かる」
ふたりは戦禍を免れた、雨風が防げそうな適当な建物を探す。
すると、石壁が残っている少しはましな廃屋を見つけ、寝床に決めた。
疲れた身体に鞭を打ちながら、周囲に散らばっていた廃材を集めて片付け、何とか火を起こす。
幸いにも枯れていた廃材にはすぐに火が灯り、やがて篝火となってあたりを暖めてゆく。
すると疲れのせいだろう。ふたりはまるで沈んだ岩のように、深い眠りに落ちていった。
地平の向こうから陽光が顔を出す。
新しい一日が始まる。
ふたりは陽が昇る前に目を覚まして仕度を済ませた後、村を抜けた先の平原を歩いていた。
行き先は違えど途中まで同じであるらしく、同じ道を歩くが言葉は無い。
陽は透き通る空に燦々と輝き、柔らかな光を伸ばしている。
風が青々と繁った穂を靡かせ、薫りを運ぶ。
あたりは何の出来事もなかったかのように穏やかである。
やがて、どのくらい歩いたか、剣士と魔女の目の前には二俣に分かれた道が見えてきた。
剣士と魔女はここからそれぞれの道を行くのだ。
改めて魔女は剣士に向き直って声をかけた。
「改めて、色々とありがとう」
「気にするな。お互い様だ」
剣士の言葉に魔女は苦笑する。一日しか会っていないが、剣士のぶっきらぼうな言葉遣いに魔女は好感を持つようになった。別れるとなればこの物言いも聞けなくなる。
「……貴方とはまた逢う気がする」
「どうだかな。敵同士かもしれん」
「その時には貸したものを返して頂こうかしら」
「善処しよう」
ふと、剣士は自分の名前を告げていない事に気付いた。
魔女も同じ事に気づいたようで、苦笑する。
「お互いに良い旅になるよう祈っているわ」
「達者で」
戦友として軽く抱擁を交わし、ふたりはそれぞれの道へ旅立った。
夢と希望と再会の約束を胸に抱き、あてなき道を進んでゆく。
数多の英雄と幾多の伝説が生まれた時代。
未だ先が見えず、混迷の続く時代。
それでも陽は昇り、星は輝く。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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