ヒーローの夢を経て(短編版)
※フリガナの表記がおかしい場合があります。ご了承ください(発見したものは修正しました)。
※構想段階では13話分を想定していましたが、時間の都合上(あと面倒なので)、3話分をまとめて短編作品として構成しました。
妻子が死んだ。今まで色んな不幸や挫折を味わい、そのつど立ち上がってきたつもりだったが、今回ばかりは何もかもが真っ暗になった。
土曜日の夜中である。オレが運転する軽自動車の助手席に二つ年上の妻が座り、後部座席には今年で四歳になった息子の佳秋が疲れ果てて眠っていた。それでもお気に入りの特撮ヒーローの人形は両手にしっかりと握り締めている。本人いわくお守りだそうだ。
道路は混んでいて、前方の大型トラックは、ある時は止まり、ある時はチンタラと動いては、それを繰り返す。オレの車は、無数の車で出来た行列の最後尾らしかった。虫の知らせと言っては大袈裟だが、渋滞で苛立つのとは異なる焦燥を感じてはいた。オレが指でハンドルを何度も叩くと、妻の千春は年上という事もあってか「こら!」とあやすように注意する。
突然、どこからかクラクションの音が響き渡った。背後にある十字路の角から暴走して来た大型トラックが出てきたと思うと、選りに選ってこちらに向かって突撃して来るのを、オレはバックミラーで確認した。
オレは慌てた。すぐに逃げようとしたが、前方には大型トラックが通せん坊、右側の対向車線も渋滞で入れる余裕がない。左側に至っていた二メートル程の段差があり、その下は田んぼである。オレが妻に目をやった刹那、バックミラーが、暴走する大型トラックのヘッドライトを反射し強い光を放った。その瞬間、背後から爆発のような音と、今まで味わったことのない強い衝撃を受けた。眼前の大型トラックが迫ってくる。否、オレの車が衝撃で押し出されたのだ。もちろん、その時はそんなこと分からない。妻の悲鳴が聞こえた。オレは思わず目を閉じた。
小さい頃、オレは特撮ヒーローになりたかった。銀河の彼方からやって来た光の巨人、華麗な飛び蹴りを決めるベルトの戦士。彼らの活躍に幼き日のオレは胸を躍らせ、テレビに齧りついた。成長するに連れ、ほかの子供と同じように、オレも彼らの存在が幻だと誰から教わることもなく自然と悟る。だが、ヒーロー達は実際に存在していなくても、テレビの中で活躍するその姿は間違いなく本物である。運動神経にはそれなりの自信があったオレが、スーツアクターの道を目指すことは不思議なことではなかった。
大学卒業後、オレはスーツアクターを抱える俳優事務所に入ったが、当然それだけでヒーローを演じられる訳ではない。長い下積みの中で、出番など殆どない小物や、大勢いる内の雑魚の一人という、誰が演じても変わらないような端役を全力でこなした。スタントもやったし、時代劇では登場と同時に主役に斬り殺される小悪党もやった。要は仕事が来たらなんでもやったのだ。仕事や練習によって常に体のどこかには擦り傷や青痣があった。
だが、現実は厳しかった。二十八歳での結婚を機に、オレはスーツアクターをやめたのだが、結局は憧れのヒーローを演じる機会がないどころか、スーツアクターや役者としての仕事だけでは生計を立てることが出来ずにアルバイトをしていた。
早い話が、オレにはヒーローになれるだけの才能が無かったのだ。
気付けば事故から六ヶ月も経っていた。
どうやら大惨事だったそうだ。手元には、それを伝える新聞記事がある。茫然としていたせいか、誰から聞いたのかも、事故の具体的な内容もまるで覚えてはいないが、正直、そんな事など頭に入って来れる訳がなかった。オレにとって重要なのは、この事故によって妻と子が死んだということなのだ。
誰かが言った。
「あの事故で後遺症らしい後遺症がないなんて、奇跡ですよ」
オレはそう思えなかった。
妻と子が死んでしまったのなら、いっそ一緒に死にたかったとすら思う。
これから一緒に生きていこうと誓った妻も、人生を懸けて立派に育てなければならない息子も、もう自分の傍には居ないどころか、この世界のどこにも存在しない。
弔ってやることすら出来なかった。
夢であって欲しかった。だが、夢は覚めなかった。
もう、なんのために生きて来たのかすら、分からなくなっていた。
不幸にしてオレは生き延びた。だが、妻と子はほぼ即死の状態だったそうだ。それはそうだろう。二台の大型トラックに挟まれて潰されたのだ。自分のように生きているほうが不思議だ。
妻と子はオレの親の実家近くにある墓地に埋葬されたそうだ。親の実家といえば、すでに他界しているオレの祖父母の家である。成人して十四年になるが、大人になって祖父母の実家に訪れたのは、オレが結婚する以前に死んだ祖母の葬儀以来である。
集落から少し離れた小高い丘を、オレは一人供花と線香を持って上る。日は西に傾いて、墓地は薄暗い橙色を帯びていた。高い場所にあるせいか墓地の空気は冷たく、そして狭いこともあって物悲しい。オレの親戚たちの眠る区域に、見慣れない新しい墓石が二つ増えていた。
酒井千春。酒井佳秋。
妻と子の名前がそれぞれ刻まれている。
正直、これを見るまでは、実は生きてましたなんて下らないオチが、実際には有り得ないのに少しばかり期待していた。
「笑えない冗談するな」と、涙を流して笑いながら怒れるんじゃないかと思っていた。
オレは静かに花束を捧げ、線香に火を点けるとそれを供える。手を合わせて目を瞑る。途端に涙が止めどなく溢れてきた。
「千春、佳秋……ごめんな、ごめんな」
目を覆い、嗚咽しながら赦しを乞うた。そしてそのまま泣き崩れた。
どれだけの時間が経ったのか分からない。気が付くとすでに日は沈み、西の彼方からの頼りない残光が、墓地に闇を落とすのを僅かに阻んでいた。
丘を下り、麓に止めておいた知り合いの自動車に乗る。墓地から自宅に帰るには、途中で十キロ程を電灯のない山道を進まなければならない。妻も子もいない自宅に戻ったところで……とも思ったが、その日は何故だか親の実家に泊まろうという気持ちになれなかった。
山道をしばらく走り続ける。自動車一台分しか通れないほど狭い車道の左右には、鬱蒼木々が生い茂っており、オレはその枝葉のトンネルを抜け、穏やかだが長めの曲がり道に来る。片側は崖になっていて、その下には川が流れている。田舎の山道なのでガードレールなんてものはない。オレは意識せずとも慎重に車を走らせた。と、突然なにかの物音が下の河原から響き渡った。それだけじゃない。前方の山から川に向かって土砂が滑り落ちた。オレは急いでブレーキを掛けたが間に合わない。
「わああああ!!」
オレは土砂崩れに巻き込まれて河原へ転げ落ちた。その途中、視界に入った川が段々と大きくなっていったのは覚えているが、そこで意識が途切れた。気付いた時には顔面が血塗れだった。車は転倒して上下逆になり、オレはシートベルトで椅子からぶら下がった状態だと気付くまで少し時間が掛った。まったく運が悪い。半年前に大事故から生還してしまったと思えば、また事故に遭った挙げ句に、今度もまたもしぶとく生き延びた。
「……最悪」
シートベルトを外して天井に落ちる。幸いなのか窓ガラスが割れていて脱出は容易そうだったが、そこで脚が動かない事に気付いた。痛みを感じないのは不思議だったが、恐らくは骨折か何かだろうと、妙に冷静だったのは覚えている。ただ、脚ではなく全身が言うことを聞いてくれず、全身が凍り付いたのか、それとも錘でも付けられているのかと疑いたくなるほどに動けない。どうにか匍匐して自動車から抜け出して、オレは携帯電話で救助を呼ぼうとしたが、さすがはド田舎、圏外である。電池の残量も僅かだ。
「まあいいか」
絶望は無かった。無理に助かる気もなかったし、死んだら死んだで構わない。むしろ、そのほうがいい。
そう思うと気が楽になった。オレは仰向けになり空を見た。河原の周囲には木々もなく、枝葉から解き放たれた星空をオレは全身で受け止めることが出来た。
このままオレは死ぬのだろうか。死んだらどうなるのか。あの世はあるのか。あるとすれば天国・極楽のような所へ逝けるのだろうか。それとも地獄に堕ちるのだろうか。いや、黄泉の国のように別の世界に逝くだけだろうか。家族と……妻と息子と再会できるのだろうか。それとも、やはりあの世は幻想で、オレの意識は消えて無くなるだけなのか。オレの体はここで腐り果てるのか。獣か虫か何かに喰われるのだろうか。ぼんやりとそんなこと考えていると、腹の虫が鳴った。そういえば、今日は何も食べていない。家族の死で食欲なんか湧かなかった。今でもそんなものは無いが、腹の虫は素直らしい。
ふと、頭を向けていた方向に目をやる。手を伸ばして届きそうない距離に、見慣れないキノコを見つけた。笠の地がピンク色で、そこに赤・青・黄色の斑点があり、輪郭は緑色である。形そのものは子供が絵に描きそうなくらい普通のキノコであるが、明らかに色が怪しい。オレは匍匐してそのキノコに近付いた。と、また腹の虫が鳴いた。
「そんなに腹が減っているのか」
オレは苦笑する。オレはキノコを掴み、そして食べた。毒キノコだとしても構わなかった。キノコの味は旨くはないが不味くもないので、口が拒絶する事はなかった。食べ終えて一息吐いた瞬間、神経と五臓六腑が握り潰されるような痛みと不快感がオレを襲った。全身を圧迫されるような感覚だ。全身が震え出す。脂汗も出て来た。オレは思わず口を強く塞いだ。口からゆっくりと手を離して何度も深呼吸を繰り返す。そうしている内に、オレは貧血にでもなったかのように視界が真っ暗になっていき、そのまま意識を失った。
自宅のリビングで、息子の佳秋が両手に掴んだ特撮ヒーローを戦わせて遊んでいる。光の巨人とベルトの戦士、夢の共演である。ただ、自分が親しんだ古いヒーローではなく、二〇〇〇年以降に登場した比較的新しいヒーローである。なんとか光線、なんとかキック。どういう技かは分からないが、その息子の姿に幼き日の自分が重なって見えた。
「なんで正義のヒーロー同士が戦っているんだ?」
「だってカッコイイから」
真面目に返す息子の姿に思わず微笑んだ。息子が振り回しているヒーローの一体を見て、オレはふと思い出した事がある。
「お父さん、そのヒーローの友達のヒーローと友達だったんだぞ」
「え?! ホント!」
「ああ。昔、一緒に仕事をした事がある」
「え! すごーい! ねえ、その人だれ?! どんな感じだった!? カッコよかった?」
「お父さんは、悪い奴と会うことが無かったから、ヒーローになった姿では会わなかったけど。えっと、変身した時は……なんて名前だっけ?」
「ホントに会ったの?」
「本当だって」
もちろん嘘ではない。実際にオレの先輩がスーツアクターとして、ヒーローを演じていた。残念ながら主役のヒーローではなく、主役を補佐する脇役のヒーローではあったが。ただ、いわゆる『中の人』と知り合いだったとは、小さな子供に言うわけにもいかなかったので、結局は息子に嘘っぽいと不審がられた。
意識が戻る。最初に目に映ったのは純白の天井だった。病院だろうか。オレは上体を起こして、ぼんやりと辺りを見る。自分が載っているベッド以外は何もない。殺風景な白い部屋だ。病棟でも棚とかテレビとか、そのくらいは有りそうなものだが、本当に何も無い。窓すら無いのだ。と、天井に目を向けると、監視カメラらしきドーム型の物が付いている。
病院、なのだろうか。まるで見当が付かなかった。
妙な事だが、別に怖いとか不気味とか、そういう感情は持たなかった。ただ、状況に流されているだけといった感じである。
次に自分の姿を見た。浴衣のような病衣を着せられていた。
扉からノックの音がする。オレは黙って扉のほうに顔をやると扉が開いた。スーツ姿の優男が立っている。年は二十代の半ばから後半らしかった。
「初めまして、酒井佳春さん。早速ですが、一緒に来て下さい」
どう対応していいのか分からず、オレは素直に彼に付いて行った。
やはり白い廊下を歩き、途中エレベーターに乗って、オレは研究室のような所に連れて来られた。SF映画などで見るような、妙な実験用の装置が並び、やけに大きなコンピューターが置かれている部屋である。ガラス越しに見える隣の部屋では、白衣を着た研究者らしき人達が、何かの研究をしている。オレが入った研究室では、スーツ姿の女性と傍には白衣を着た六十から七十歳ほどの老人が立ってオレを待っていた。
「芹沢博士、連れて参りました」
オレを連れて来た男が言った。
「うむ。君が、酒井佳春くんだね」
芹沢とかいう老人が、そう訊いて来た。
「ええ。はあ」
状況が読めず、どうしていいのか分からない。
「あの、なんで私の名を?」
「君のことは調べた」
優男だ。
「酒井佳春、三十四歳。体育大学卒。元は売れないアクション俳優で、現在は実家の酒屋を手伝っている。半年前に交通事故に遭い、半年間意識不明に陥るが奇跡的に復活し、しかも後遺症らしき症状もない。だが、その事故が原因で三十六歳になる妻・酒井千春と、四歳の息子である酒井佳秋を亡くす。違うか?」
すべて当たっている。
「なんなら、もっと細かなお前の学歴・病歴、かつての友達連中の名前も言おうか?」
オレは戸惑った。
一体こいつらは、なんなんだ。そう思っていると今度は芹沢だ。
「まあ、混乱するのは当然だ。だが、今から君が知る現実は、常識を逸脱した摩訶不思議なものなのだ。しっかり聞いてくれ」
一息吐いて芹沢は続ける。
「君は、山で事故に遭い、その後に奇妙な色をしたキノコを食べたね?」
「ええ。はい……。それが何か?」
「それが大問題なのだよ」
「や、やっぱり毒キノコでしたか?」
「それならまだマシだった」
またあの優男だ。
「ダンくん。……まあいい」
オレはダンとやらを見た。芹沢はまだ話し続ける。
「彼は一文字ダン。おっと、失礼。紹介が遅れたな。私は芹沢悟郎。そして、私の隣いる彼女は岬涼子。私を含めた三人は、公安の機密組織である『公安機密特殊科学捜査課』の職員だ」
「公安? 機密捜査?」
「公安とは、警察の中でも機密性が高い職務を行う部署であり、ほかの警察官は公安が何をしているのかすら知らない」
「ええ。ドラマとかで見た事あります」
「うむ。その公安の中でも、一般の科学力や未知の存在・現象に関わる事件を対象に捜査するのが、我々・公安機密特殊科学捜査課という訳だ」
「つまり、幽霊とか宇宙人とか?」
「まあ、多少意味合いや理解に差はあるかも知れないが、基本的にそう思ってくれて構わない」
再び芹沢は一息吐く。
「それで、君について何処まで話したかな?」
「キノコを食べた所です、博士」と、ミサキだ。
「そうだそうだ。ここから奇想天外な話になるから、覚悟して聞いてくれ」
すでに十分、奇想天外なのだが。
「君が食べた、あのキノコ……。あれは休眠状態に入った『夢幻亜人』なる生物だ」
「イリュージョノイド?」
「最近発見された知的生物だ。彼らの生態は極めて特殊で、人間でいう死の状態になると、休眠しキノコのような形態になる。そして再生するだけの力を蓄えるのだ」
オレは自分が食べたキノコを思い出す。
「あの変なキノコが、その夢幻亜人とかいう奴なんですか?」
「そうだ。ミサキ君、例の映像を」
「分かりました、博士」
ミサキと芹沢が振り返るのに釣られ、オレも彼女らの背後にあった巨大モニターに向いた。ミサキがリモコンを操作すると、モニターに映ったのはピンクの笠に、赤・青・黄色の斑点、そして緑色の輪郭をしたキノコ。間違いない。オレが食べた変なキノコだ。
「これは……」と、オレは尋ねた。
「これがお前が食べた、夢幻亜人の休眠の姿。……早い話が連中の脳味噌だ」
「脳味噌?!」
一文字の言葉にオレは吐き気を催した。
「ベニクラゲというクラゲは、有名だから名前くらいは知っているだろ? クラゲは幼生期にポリプという植物のような形態になり、そこから一般的な認識されるクラゲの姿になる。だが、ベニクラゲは成長した段階からポリプの状態に戻ることが出来る。早い話が、蝶々が蛹の状態に戻るようなものだと思ってくれればいい。ポリプからクラゲに、またポリプにと繰り返して不死同然の生態を獲得したわけだ」
「ああ。何かで聞いた事がある。キノコも、その蛹なんですか?」
芹沢に尋ねたのだが、一文字が続けて答える。
「そうだ。夢幻亜人の生態が分からないから、キノコが緊急事態を乗り越えるための形態なのか、成長過程の一形態なのかは不明だが、奴らは瀕死になるとキノコの形態になり、恐らくだが元の形態に戻る」
「恐らく?」
「キノコから元の状態に戻った夢幻亜人は、まだ確認されていないんです」
ミサキだ。
「ですが、我々はすでに三体の夢幻亜人を駆除し、そのキノコのサンプルを使って研究した結果、元の……人間に近い形態に戻ることが科学的に推測できたんです」
「人間に近い姿……」
今度は芹沢博士だ。
「まあ、ベニクラゲはポリプからクラゲの姿になる時に、無性生殖で大量に個体が発生するが、幸いな事に夢幻亜人ではその可能性は無い」
「あの、私が食べたキノコが奴らの脳味噌だというのは?」
ミサキが答える。
「キノコを構成する細胞の構造や反応が、人間の脳と近く、恐らくは脳と同様の働きをしているものと推測できます」
「という事は、意識は?」
「恐らくあるだろう」
芹沢だ。
「研究の過程で、キノコの状態の夢幻亜人は別個体……特に人間との融合が示唆されていたが、細胞の構成素材などから拒絶反応などの危険性があった。なので、仮に夢幻亜人と別生物が融合した時、どのような反応や現象が発生するのかを調べようとした矢先、君が夢幻亜人を食べて、しかも融合を果たしてしまったのだ」
「そうだ。お前が夢幻亜人の脳味噌を食べたから、そいつと一体化したわけだ」
一文字が結んだ。オレは顔を歪ませて顔を背ける。
「確かに脳味噌を食べるなんて、狂気的で異常だが気にするな。特にフランス料理だが、欧米では牛や豚の脳味噌を旨い旨い言いながら食べるらしいぞ」
「もうやめてくれ」
思わず呟いた。
「おっと、失礼」
一文字はそう吐かしやがった。芹沢が咳払いをする。
「ここで問題が発生する訳だが、酒井佳春くん……君には二つの選択肢がある」
「え?」
「貴方は夢幻亜人と融合したため、我々公安の駆除対象となりました」
ミサキは淡々と言うが、オレは驚いた。
「当然だろう。お前はもう夢幻亜人、化け物なんだから」と一文字。
「だからって!」
「無事に治療して逃がすなら、わざわざ親切丁寧に説明する訳がないだろう」
「まあ、待て」
芹沢博士だ。彼は再び咳払いをする。
「酒井くん。君の選択肢なんだが、一つは『夢幻亜人として研究対象になるのと同時に、ほかの夢幻亜人の駆除に協力する』ことと、『今この場で駆除されること』の二つだ。当然ながら後者は勧めないが、選んだ際は安楽死させるつもりだ」
安楽死。心地のいい言葉だった。オレの心は死に傾いた。
「先の説明でも分かるように、今は夢幻亜人と融合した個体がどのようになるのか不明だし、当然ながら分離……君と夢幻亜人の融合を解く手段も不明だ。故に我々の管理下に入らなければ、後の憂いを絶つためにも駆除しなければならない。だが、それは我々の本意ではない。融合した君でもまだ望みはある。それに夢幻亜人の特殊な生態を駆使すれば、君の家族を生き返らせる事も出来るかも知れない」
「え!?」
オレは目を丸くした。ミサキが続きを話す。
「現在では虫などの下等生物に限られますが、夢幻亜人の細胞を利用する事で、死体の一部から生命個体を復元することが可能なのです」
「でも、妻と子はすでに火葬されてしまっています」
今度は一文字が言う。
「無論、まだ研究の過程であり、人間のような複雑な臓器や高度な知能を持った生き物にも応用が可能かどうかは不明であり、あくまでも可能性の話だ。だが、現に下等生物では、まあ……原理こそは不明だが、体の一部から記憶の復元にも成功している。それにお前の家族がすでに火葬されていると言っても、骨自体も体の一部に過ぎない。よって復元……つまり、お前の家族の蘇生は『可能だと思われる』、というのが我々の現在の見解だ」
話を聞いている内に、オレの死の欲求が綺麗に消えて無くなっていった。
「勿論、我々としてもお前という格好な研究素材を見つけたんだ。夢幻亜人と融合による現象や、融合分離についても研究し、特に分離は技術の確立さえ出来ればお前を元の姿に戻してやる。お前が我々公安に協力する代わりに、我々はお前もお前の家族も助ける……いい話だろ? どうする?」
一文字の言葉にオレは覚悟を決める。
再度、芹沢が訊いて来る。
「では、酒井くん。我々に協力してはくれないだろうか? そうすれば、我々は君も、君の家族も救い出せるのだ」
妻と子が、千春と佳秋が生き返るかも知れない。その望みがあるだけで、オレは何も悩むことはなかった。
「はい! 宜しくお願いします」と、頭を下げた。
芹沢博士とミサキの顔が綻んだが、一文字は無機質だった。
「では、早速だが、君は我々公安機密特殊科学捜査課の臨時職員になってもらう訳だが、それに際して君の酒井佳春という名前を捨ててもらう」
「え?」
「当然だろう。我々の仲間になるのなら、本名は捨ててもらうし、社会的に酒井佳春という人間には消えてもらう。我々は機密性の高い組織だから、名乗る名前も本名ではなく暗号呼称だ」
「え、そんな」
「安心しろ。お前と夢幻亜人との分離が成功し、お前の妻子の蘇生に成功すれば元に戻す」
芹沢博士が言う。
「それでは酒井くん。我々が君に用意した名前だが……これから君の名は『早田猛』だ」
早田猛。その名を貰ったオレは、妻と息子を生き返らせるため、夢幻亜人という意味不明な生物との戦うことになるのだった。
* * *
荒唐無稽で訳が分からない。半年前に交通事故で妻と子を亡くしたオレは、彼女らの墓参りの帰りに土砂崩れに巻き込まれてしまった。偶然にもしぶとく生き延びたオレは、その場で奇妙なキノコを食べてしまう。だが、実はその奇妙なキノコというのが『夢幻亜人』なる意味不明の化け物だったらしく、それを食べたオレはその夢幻亜人とかいう化け物と融合してしまったそうだ。
安っぽい三流“空想科学(SF)”のような流れであるが、その不可解な流れによって公安の『機密特殊科学捜査課』という長くて面倒くさい名前の組織の管理下に置かれた訳だ。無論、ただ管理下に置かれた訳ではなく、オレがその夢幻亜人とかいう化け物の駆除に協力するハメになる。
オレは少し回想する。
研究室で芹沢悟郎、一文字ダン、岬涼子と名乗る三人と一緒にいた時のことだ。
芹沢博士が言う。
「では、早田くん。なぜ君が夢幻亜人と戦わねば為らぬかという点なんだが――」
早田というのは、オレ……つまり、酒井佳春が彼らから貰った暗号呼称である。
「――我々は夢幻亜人をすでに三体駆除し、その休眠状態である、君の食べたキノコの状態で保管しているのは先も述べた通りだ。だが、夢幻亜人と融合してしまった君を元に戻すには、まだ研究が圧倒的に足らない」
「だから、その実験代わりに、私に戦えと仰るんですか?」
「話が早くて助かる。正にその通りなのだ。夢幻亜人は、我々人類からすれば全く未知の生物であり、超能力と言えるような特殊能力を持っている」
「特殊能力?」
「我々ではそれを『特殊効果』と呼んでいる」
一文字だ。
「そもそも、夢幻亜人という呼称は、連中を発見した当初、奴らの特殊効果を超能力ではなく、手品や特殊な機材を使った現象だと思っていたからだ」
「だから錯覚」
「然様」と芹沢だ。
「夢幻亜人はそれぞれに、発見した順番に沿った番号と、特殊効果に合った暗号呼称を付けている。例えば、君が融合した夢幻亜人は№(ナンバー)4・ビーストだ」
「ビースト……」
「その名の通り、獣の特殊効果を持つ夢幻亜人です」
今度はミサキだ。彼女の視線が大きなコンピューターのモニターに移るのに釣られて、オレもモニターに目をやった。
「これを御覧下さい」
獣の写真がモニターに映る。沼のように汚らしい緑色の液体で濡れた化け物である。頭は熊だが耳は狼。体格は筋骨隆々でゴリラのようにも見える。胸から腹・掌以外は全てに体毛が生えている。肌が露出している部分は青色である。
「これが、ビースト……」
オレは思わず呟いた。
「そうだ。それが、お前の食べた化け物だ」
一文字だ。
「ちなみに、その濃い青緑の液体は奴の血液だ」
言われなくても察しは付く。オレは一瞬だけ奴を睨み、すぐにモニターに視線を戻した。そして気付いた。
「この写真、土砂崩れがあった川の近くじゃ?」
「そうだ。ミサキくん……」
芹沢が促す。
「昨夜、貴方が山道を移動しているのとほぼ同時刻・同じ場所で、我々はビーストの駆除を行っていました」
「つまり、私はその駆除作業にたまたま巻き込まれたと?」
「そうだ」
次は一文字だ。
「駆除の途中に、ビーストが馬鹿力で土砂崩れなんて起こしてくれたもんだから、お前は無駄に巻き込まれるわ、我々は無事にビーストの回収は出来なかったわ、散々な結果になったんだ」
よく憎まれ口を叩く奴だ。さらに「なんでわざわざ、気味の悪いキノコなんて食べようと思ったのか。全く理解に苦しむ」と付け加えた。確かに、自分でもそうだと小さく苦笑した。
とにもかくにも、オレはその捜査課の研究対象として管理下に置かれた訳だが、唯一の希望は、その夢幻亜人の生態や能力を利用すれば、死んだ妻と息子を生き返らせることが出来るかも知れないということだ。このたった一つの事柄だけで、オレの心に空いていた大きな穴が、少しだけ塞がったような気がしたし、捜査課の実験台でも化け物退治でもやってやろうという気持ちになっていた。
オレは今、最初に連れて来られたあの部屋にいる。真っ白で殺風景な部屋だ。最初は気付かなかったが、ベッドの脇に小戸棚が置かれている。ほかにも壁には受話器が付いていた。ボタンが一つしかなく、どうやら此方とオレの世話係を繋ぐ専用回線なのだろう。ただ、それ以外は天井に監視カメラが付いているだけで、窓すらない殺風景な部屋である。やることのないオレは、ベッドに横になってボンヤリとする。それからどれだけの時間が経ったのか分からない。なにせ時計すらないのだ。
突然、警報が鳴った。
何事かとオレは上体を起こして、受話器に手を掛けようとした瞬間、扉からノックがした。
「僕だ。一文字だ。開けるぞ」
一文字の声がした思えば扉が開いた。オレは扉の前へ移動する。奴はさっきまでしていなかった眼鏡をしている。
「夢幻亜人の出現情報があった。今のサイレンがその合図だ、覚えておけ。それと……」
奴がオレに何かを投げ渡した。
「それに着替えろ。急げ」
見ると落ち着いた色をした着流しのような上着と、ズボン状の袴である。
言われるがままオレは着替える。そして一文字に導かれるまま建物の中を小走りで移動する。ガレージにあった一見普通の自動車の助手席に乗り、運転席には一文字が乗る。後部座席にはミサキが座っていた。案の定、一文字が掛けている眼鏡を彼女も付けていた。車が発進し、長いトンネルを走り続ける。
「あの、このトンネルは?」
オレは一文字に尋ねた。
「公安の特殊施設から出るんだ。簡単に居場所が知られるような仕組みにしている訳がないだろ」
「はあ」
川の支流が本流と合流するかのように、オレを乗せた車は恐らく別のトンネルに入る。このトンネルは一般のトンネルなのだろうか。
「そうだ。現場に着く前に、お前に言っておく事がある」
「なんですか?」
「まず、うちの捜査課だが、夢幻亜人に対しては調査班・研究班・駆除班の三班に分かれて行動している。僕らはその駆除班になる」
「はあ……」
「次に、前も言ったが、お前は酒井佳春ではなく、今はもう早田 猛だという架空の人間だ。それを忘れるな」
こいつ、ちゃんと分かってんのか。そう思ったのだろう。一文字が小さく舌打ちをした。
「ミサキ、続きを頼む」
一文字がサジを投げたので、ミサキが説明を始める。
「今回出現した夢幻亜人について説明します。夢幻亜人はオモチャ会社の倉庫付近で確認されました。現在はその倉庫に潜伏していると思われます。夢幻亜人の特殊効果についても現在は不明です」
「分からないんですか?」
「夢幻亜人を発見した捜査員と連絡が取れません。現在は生死不明の状態にあります」
「そいつの携帯電話はどうなっているんだ?」と一文字だ。
「調べたところ倉庫付近で使用されていますが、使用者が捜査員かどうかは不明です」
「電源が入っているだけか? それとも誰かと通信しているのか?」
「一応、通信はしているようですが……」
「ですが?」とオレ。
「現在、その携帯電話はオンライン・ゲームをしているそうです」
「オンライン・ゲーム?」
「インターネットに繋げて遊ぶゲームだ」と一文字。
「そのくらい知っている」
オレは吐き捨てた。一文字が喋り続ける。
「普通、仕事中にゲームなんてしないし、ましてや夢幻亜人が居るかも知れないところでゲームをする馬鹿はいないだろうから……つまり、そういう事なんだろう」
殺害されたという意味である。恐らくだが、その夢幻亜人は捜査員を殺害後に携帯電話を奪ったのだろう。
車はトンネルを抜けて一般道を走る。すでに空は真っ暗だ。さらにそこから車は走り続けて、例のオモチャ会社の倉庫に到着する。オレ達は適当な場所に車を止めて、車から降りた。
倉庫は郊外に建っていた。大手のオモチャ会社の倉庫だけあって思っていた以上に大きな建物だった。周囲には明かり一つない郊外に建っているせいか、闇に浮かぶ倉庫は薄気味悪い気配を漂わせている。一旦、各地の工場で生産された玩具がこの工場に集められて全国のオモチャ屋へと運ばれるそうだ。
「手分けして捜しましょう」
ミサキの提案に「よし。僕は早田と一緒に行動する」と一文字が乗った。ミサキは「わかりました」と言い残し、闇に消えていく。オレと一文字の二人がその場に残された。
「なんでオレがお前と一緒に行動しないといけないんだ?」
オレはぼやいた。
「仮にお前一人で行動するとして、夢幻亜人と遭遇した時どう戦うつもりだ?」と、一文字が吐き捨てる。
「それに、お前が急に発狂して暴れ出したときは、お前を駆除する必要がある。駆除予定の夢幻亜人と遭遇したときに発狂されたら目も当てられなからな」と続けた。
「そうかい」
「じゃあ、行くぞ」
オレ達は倉庫の敷地に無断で入り込み、倉庫に侵入する。倉庫内には誰もおらず、当然ながら明かりも点いていない。一文字が持参した懐中電灯の灯りを頼りに辺りを窺いながら先へ進む。
普通のオフィス、ベルトコンベアーが張り巡らされたフロア、段ボール箱が積み重ねられた部屋。モニターがたくさん並ぶ部屋。
オレ達は四階の渡り廊下に行きつく。一文字が先頭を歩く。ちょうど真ん中辺りに差し掛かったとき、突然渡り廊下の下部で爆発が起こった。一文字は前方へ、オレは後方へと逃げた。
「一文字!」
オレは叫んだ。
「騒ぐな。ケガでもしたのか」
一文字の冷めた声が煙の向こうからした。煙が風に流れて消えていき、奴が見えた。
「オレは大丈夫だ。お前は無事か」
「問題ない。この爆発が、爆弾などではなければ、恐らくは№(ナンバー)3のハナビの仕業だろう」
「ハナビ?」
「そう。名前の通り、爆発を起こす特殊効果だ。前向きに考えると、まあ、標的と遭遇する前に特殊効果が分かって好都合だ。僕からミサキにも伝えておく。まあ、たぶん今の爆音は聞こえただろうがな」
「そうか……」
「ただ! 特殊効果はあくまでも可能性の話だ。爆弾なんてその気になれば作れるからな。ハナビと思わせておいて……というのが、奴らの狙いかも知れない。油断するな」
「ああ。で、どうする? 合流するか?」
「そうだな。お前一人じゃ、なんの役にも立たないからな」
ムカつく。
一文字が周囲を見渡すと、東側に広い駐車場がある。一文字がそっちを指差して「あそこで落ち合おう。可能な限り、早く来い。迷子になるなよ」
「お前もな!」
オレは駐車場へと向かう。この倉庫は西側から入ったから、オレは進んできた道を引き返さずに、走りながら東側にあるであろう階段を探す。と、一瞬だけ歩く人影が見えた。
この倉庫のスタッフだろうか。子供ほどではないが小柄だった。
スタッフが倉庫に残っていたのか。
いや、違う。恐らくは、夢幻亜人だ。
さっきの爆音を聞いて、かつ懐中電灯を持って走っている不審者であるオレを見つけて、あんな悠長というか能天気に歩いている訳がない。
オレは足を止めて、人影が入って行った部屋を恐る恐る覗いた。
部屋の机には玩具が並んでいる。ぬいぐるみ、乗り物の模型、特撮やアニメのキャラクターにロボット。なんの部屋だ?
一文字と合流してから、再びここに来るか。それともオレだけで行動するか。
悩んでいると手を叩く音が聞こえてきた。
「♪オーニさん、こーちら、手ーの鳴るほうへ」
女の声だ。夢幻亜人か。不審者には間違いはなさそうだ。
オレが持っているものといえば懐中電灯くらいである。武器なんて持ってないし、通信手段すらない。この部屋から階段は近い。やはり、いったん一文字たちと合流すべきだと、階段のほうに目を向けた瞬間、階段の天井で爆発が起こって、落ちた瓦礫によって階段が塞がれた。
別の所からも爆音がする。オレが上って来た階段の方角である。ほかにも幾つかの爆音が轟いた。恐らくは全ての階段が塞がれたのだろうと悟った。
「おじさん、かくれんぼしよ。おじさんが鬼ね」
足音がしたと思えば、すぐに周囲は静まり返る。
かくれんぼ? 奴はオレをからかっているのだろうか。とにかく、奴が見逃してくれるのであれば、オレは降りられる場所を探しつつ、爆音を聞きつけた一文字ないしはミサキが来るのを信じる事にする。あの不審者がオレと戦う気がないのなら、オレも単独で勝ち目のない戦いをするつもりはない。
現在オレがいる階は四階である。さすがに飛び降りるのは危険だ。オレは廊下を走ってめぼしいものを探したが、気の利いたものはなかった。と、外に続く非常階段を見つけて、オレはその扉を開けた。が、すでに非常階段は破壊されていた。
「クソッ!」
思わず零れた。
「置いてけ堀はイジメだよ」
後ろから声する。背後を取られたと慌てて振り返るが誰もいない。嫌な汗が出る。
「誰だ! どこにいる!」
「ここだよー」
女の間抜けた声だ。遊んでいるとしか思えない。
「どこだ!」
「…………」
「返事をしろ!」
「♪オーニさん、こーちら、手ーの鳴るほうへ」
また廊下に手を叩く音が響き渡る。
――クソガキ。
廊下の向こうで影が動いた。
「そこか! 化け物」
オレは身構えつつ懐中電灯を影に向けた。
「早田さん! 私です!」
影の主を凝視する。顔に光を当てるとミサキがそこに立っていた。
「ミサキさん」
「爆発の音を聞いて、やって来ました。早田さん、何があったんですか?」
オレは彼女に事情を話した。ミサキも恐らくはその不審者が夢幻亜人と判断し、一文字に連絡すると、どうやら一文字も爆発音を聞いてこちらに向かっているそうだ。
「早田さん。ほかにその不審者についての手掛かりか何かはありませんか?」
携帯電話を切ったミサキが、オレに訊いて来た。
「そうそう。奴はオレに、かくれんぼしよう、みたいなことを言ってました」
「かくれんぼ?」
「ええ。それに人のことを『おじさん』呼ばわりしやがって」
「………………。その不審者が見えたとき、小柄だったんですよね? なら、子供に擬態した夢幻亜人かしら?」
ミサキが考え込む。オレは暗い周囲を警戒する。奴の影はない。
どこからともなく手を叩く音がした。
「またか」
「♪オーニさん、こーちら、手ーの鳴るほうへ」
不審者の声だ。
「女の子の声。……子供っていうほど、幼い声ではありませんね」とミサキ。
「そうですね。どうします?」
「決まっています。音のするほうへ行きましょう」
銃を構えたミサキが先頭に立って声と音のするほうへ歩を進める。
「当たり前ですが、これは罠かも知れません。十分に注意して下さい」
「はい」
ある扉の前でオレ達は立ち止った。扉には『執務室』とだけ書かれた札がついている。
「♪オーニさん、こーちら、手ーの鳴るほうへ」
オレ達は扉の左右の壁に背をつけた。
「早田さん。すみませんが、扉を開けて下さい。その瞬間に私が部屋に入ります」
「大丈夫ですか?」
「丸腰の貴方を、危険な目に遭わせられませんから」
そう言ってミサキが笑った。オレはドアノブを掴み、ミサキと目を合わせる。彼女が頷いた瞬間に、オレは扉を開けた。ミサキが素早く部屋に流れ込む。オレも後に続いた。
オレ達に背を向けている小柄の女がいた。学生ほどの年齢と思われるその女の髪は、茶色く肩に届くか届かないかというほどの長さで、癖毛なのかパーマなのか分からないが波打っている。左腕で彼女の上半身ほどの大きさをした、青い首輪をして立派な角をもった鹿のぬいぐるみを抱きながら、右手で携帯電話をいじっている。入った当初は無音だった部屋に、携帯電話の音が流れ出す。なにかの“背景音(BGM)”の中に効果音らしき音もあるから、恐らくはゲームの音だと思われる。
「間違いありません。夢幻亜人です」
彼女に銃を向けるミサキが断言した。
「分かるんですか?」とオレだ。
「この眼鏡越しに見れば、特殊効果こそ分かりませんが、夢幻亜人かどうかは識別できます」
そう説明したミサキが声を張る。
「手を挙げて大人しくしなさい! こっちを向いて、持っているものを放しなさい!」
彼女はミサキを無視してゲームを続ける。携帯電話の画面に女性キャラクターらしき影が映ったと思うと、彼女は唇を画面に押し付けた。
「もう一度言います。こっちを向きなさい!」
彼女はゆっくりと振り返る。その女の子は中学生か高校生ほどの年齢に思われるが、どちらの表現もしっくりこない。幼い感じの大学生とも、大人びた中学生とも取れる容姿なのだ。
謎の女の子は、余裕でもあるのか微笑んでいる。
「遅かったね。待ちくたびれたよ」
また視線を携帯電話の画面に戻すと、ピコピコ何かやっている。
「爆発を起こしたのは貴方ね! それをやめて、床に置きなさい!」
女の子は、呆れたのか鼻から大きく息を吐いた。
「僕ね、ゲームとかぬいぐるみとか大好きなの。だから放さない」
ミサキの銃から光弾が発射される。それは女の子から大きく逸れた威嚇射撃だったが、女の子の目は嫌悪に満ちてミサキを睨んだ。
「言うことを聞きなさい!」
女の子が再び携帯電話を口元に寄せる。そして誰もいない方向に携帯電話を軽く投げたと思えば、それが爆発を起こった。オレは思わず呆然としてしまう。
「間違いない。貴方はハナビね」
ミサキは気丈だった。
「自棄でも起こしたか?」
オレがそう言うと、なぜかハナビは微笑んだ。
「大切なものは、案外少ない。遊びは遊び。オモチャは所詮オモチャ。大きくなってお飯事をする女の子なんていないし、ヒーローごっこをする男の子もいない。居たらただの子供」
ハナビは抱いていたぬいぐるみの首を掴むと、やはり爆発が起こって胴体が床に落ちた。頭部はどこかへ吹っ飛び、周囲にはぬいぐるみに入っていた綿が舞い散る。
彼女は続けた。
「大切なオモチャが壊れると辛くて悲しい。けど、嬉しい。だって、オモチャに縛られていた時間から解放される。自由になる」
「ここに来た目的はなに!?」
「…………」
「答えなさい!」
「遊ぼっか」
ハナビはそう言うと、普通だった肌の色が淡い黄色に変わる。目の下には影のような模様と、額から鼻筋にかけてピンク色の筋が浮かび上がる。手の中指の先から腕にかけてもピンク色の筋が見えた。
「爆発が来ます。気を付けて下さい」
ミサキが言った。先手必勝と言わんばかりに、ミサキがハナビに向かって光弾を放つ。ハナビは机の上にあった置時計を投げて爆発を起こした。オレは両腕を前に出して防御するが、ミサキは構わず光弾を撃ち続ける。爆発が消えた時にはハナビは居なくなっていた。
「消えた。逃げたか?」
「恐らくは机の後ろに隠れただけです。気を付けて下さい」
ミサキが机に向かって光弾を撃ち続ける。余程威力があるのか、机の板が薄いのかは分からないが、光弾によって机にはいくつもの穴が開く。と、突然、机の後ろにあった本棚で大きな爆発が起こる。オレはもちろん、さすがのミサキも一瞬だが防御の姿勢に入った。と、ミサキの足に丸いカプセルが当たる。
「早田さん! 逃げて下さい!」
ミサキが身を退けながら叫んだ。思わずオレも部屋から出ようとする。その瞬間にカプセルが爆発を起こす。
「うわあ!」
オレとミサキは部屋から吹き飛ばされ、オレが彼女のクッションになるような形で、向かいの壁に体を叩きつけられる。
「うう……」
「ああ、痛ってえ」
ミサキがオレに倒れ込む形になっていた。
「あ! すみません! 大丈夫ですか?」
「オレは大丈夫です……」
ミサキが先に立ち上がり、オレは彼女に引き上げられる形で立ち上がる。部屋に目を向ける。
爆煙が消えていくと、ハナビが笑みを浮かべながらこちらを見ている。ミサキが急いでハナビに銃口を向ける。ハナビがオレ達のほうに向けて指を差す。オレ達の背後にあったガラスが一斉に爆発した。小規模であったが、ガラス片がオレ達に降り注ぎ、オレもミサキも自分の頭を庇いながら身を低くした。その状態でハナビを見ると、やはり微笑んでいる。
「じゃ、もういいや」
ハナビが言った。彼女から笑みが消えている。オレ達は急いで立ち上がる。
「なにがもういいんだ!」
オレは怒鳴った。
「ゲームばかりしていると目が悪くなる。そこまでするのは愚かなこと。たかだが、一瞬の娯楽のために、後々まで目を悪くしていつまでも祟られるなんて、心からバカバカしい」
「オレ達は、お前と遊ぶために来たわけじゃないぞ!」
ハナビが呆れた様子で小さく息をつく。
「ゲームの主人公は、命懸けで頑張っているんだろうけど、プレイヤーからしたら単なるお遊び。主人公もほかの登場人物も単なるお人形。お人形遊びに命を懸ける必要も、無理に時間を割く必要もない。単なる暇潰し。その一瞬が楽しければそれでいいの。だから、オモチャは未来に要らない」
「オレ達はオモチャだと言うのか!」
「そうだよ。だから君達も、もう要らない」
ハナビがミサキに向かって指を差した。数秒後にミサキが持つ拳銃が爆発し「きゃ!」と思わず手を離した。
「バイバイ」
ハナビがミサキに向けて指を差そうとしたとき、廊下の闇から声がした。
「ミサキ! 受け取れ」
ミサキが声のほうを見る。なにかこちらに飛んできた。ミサキはそれを掴んで見た瞬間、オレの首元を掴んで引き寄せると、掴んだものをオレに刺した。
「上着を脱いで下さい」
ミサキに言われるがまま、オレは浴衣のような袖を脱ぐ。上着がスカートのように垂れ下がった。
不意を衝かれて注射らしきものを打たれたが、それ自体の痛みは大したことがない。それよりも少しずつだが脈拍が早くなるのが分かった。全身の筋肉が、素早く激しく呼吸する肺のように膨張と収縮を繰り返す。
「うわああああ!」
遠吠えの如く叫んだ。気づくと全身から黒い毛が湧きたち、爪が鷹のように鋭くなる。オレは顔を触ると、揉み上げと顎鬚が生える箇所と、額から鼻先にかけても毛が生えている。口元が犬や熊のように長くなっていた。
「№(ナンバー)5とそっくり……」
ミサキが零した。№(ナンバー)5のビーストと瓜二つということは、あの醜い獣と同じ姿なのだろう。なるほど、胸や腹といった肌が露出したところは青色だった。それにしても、いきなり変な注射を打ってオレを化け物にしやがって。
「さっさと行け!」
一文字の声に、オレは仕方なしにハナビに突撃する。もちろん捨て身という訳ではなく、奴の特殊効果が爆発なら、接近戦に持ち込めば自分を巻き込まないためにも、爆発は控えるはずだと考えたのだ。
「君は最後に取っておくつもりだったのに」
そう言うハナビにオレは飛び掛かり、鋭い爪を振り下ろすが、さっと避けられる。休まず殴ろうとするが、やはりヒラリとかわされる。オレが攻撃して、ハナビがかわすという動作を何度か繰り返したとき、オレの右手の拳が壁を強く殴りつけた。無論ハナビはそれをよけたが、左手の攻撃範囲に留まっている。奴に背後はない。左右にも動けず、下に行こうなら会心の蹴りを食らわせてやる。
――勝った。
オレはそう思い、左手を横に払って攻撃しようとした瞬間、ハナビがオレの右腕に触る。
――しまった!
そう思った時には遅かった。オレは爆発で吹き飛ばされて机に強打しただけではなく、右腕も千切れてどこかへ飛んだ。
「ぐわああああ!」
思わず叫んだ。赤い血が腕から溢れる。痛いだけではなく胸までも悪くなる。
「早田! 僕に考えがある! もう一度、奴に飛び込め!」
一文字が叫んだ。少し意識が朦朧としたが、オレはその声を信じてハナビに飛び掛かった。ハナビの視線がオレではなく部屋の入り口に向く。それと同時に、白い煙らしきものがハナビに向かって噴射された。オレの爪の攻撃を、再びハナビがかわす。ハナビを目で追ったとき、偶然だが消火器をハナビに向けて噴射している一文字が見えた。その消火剤でハナビの顔が隠れる。だが、首から下はなんとなく見えた。奴からすれば視界を消されたようなものだ。オレはハナビに抱きつくような形で襲い掛かり、左手が彼女の首を掴んだ。オレは野性を顕した獣のように奴の肩に噛みついた。顔いっぱいに汚い緑色の血がついた。
オレの視界は光で真っ白になった。奴は自爆するつもりだ。そう悟ったが、回避行動は取れなかった。高熱と爆音は覚えている。だが、そこから意識が途切れてしまった。
オレは意識を取り戻したときには、以前に見た白い天井があった。捜査課の研究室の天井である。どうやら、オレはまだ生きていたらしい。
「気付きましたか」
ミサキの声だ。まだ視界がぼんやりして、人影だとは分かるが、誰かまでは分からない。ジッと人影を見つめていると、次第に形がハッキリとしてくる。
「あのあと、どうなったんですか? ハナビは?」
「爆発後、ハナビはキノコの形態となり、無事に回収しました。ハナビが自爆したとき、周囲に消火剤が充満していたお陰で、大した爆発にはならず、致命傷にはなりませんでした」
「そうですか……。あの倉庫はどうなりましたか?」
視界に一文字が入る。
「全焼させた」
「全焼?」
「ああ。どこかの放火魔によって倉庫が全焼。中途半端に爆発の痕があるよりは、そのほうがこちらとしても都合がいい。その捜査も、こっちの息の掛った連中がする。夢幻亜人や僕らに関わるものは何も出ない。しばらく、管轄の連中には幻の犯人を追ってもらうことになるがな」
そのほうがいいのかも知れないが、本当にここの連中はえげつないことを平気でする。
「オモチャ会社は大迷惑だ」
オレは右手で自分の目を覆った。すでにヒトの形に戻っている。ふと気付いた。
「なんで腕が?」
「お前を回収後、この研究所で縫合手術をしたからだ」
だからってすぐに器用に動くものだろうか? なにかで自分の腕の縫合とはいえ、長い期間はリハビリをしないといけない、といった感じの話は聞いたことがあった。
オレは不思議そうに自分の右手を見た。グー、パー、グー、パーと動かしても全く問題はない。チョキも勿論問題ない。千切れた箇所を見て、表情にこそ表れなかったが驚いた。縫合の痕も千切れた跡も、一切ないのである。千切れていたのが嘘のようだ。
「驚異的な回復力だな」
一文字が呆れた様子で言った。
「お前が取り込んだビーストの力で、まさかここまで回復するとは、僕達も芹沢博士も思わなかった」
「ビースト、夢幻亜人の力……」
「じゃあ、今はゆっくり休め」
そう言って一文字が部屋から出ようとする。
「では、失礼します」と、ミサキは一文字について一緒に部屋から出て行った。
静まり返った部屋で、オレはふと考える。
腕が飛んだとき、確かに見たオレの血は赤かった。奴らの、夢幻亜人の血は緑色である。オレが死ななかったのは、腕が無事に治ったのは夢幻亜人の力である。
オレはいつまで、人間でいられるのだろうか。
いや、違う。
オレはいつまで、人間に近い存在として居られるのだろうか。
仮に本当に夢幻亜人になってしまったら、オレはどうなるのか。
ぼんやりと考えていたのだが、疲れているのか途中から意識が薄れていった。
* * *
オレは公安の研究所で採血だのレントゲン検査だの、名称の分からない検査だの、なんなのかサッパリな検査だの、いろんな検査を延々と受けさせられた。芹沢博士いわく「一流の病院でやる高額な人間ドックより精度がいい」らしい。
それが終わると自分の部屋に帰される。監視カメラと棚、ベッド、壁に取り付けられている受話器以外はなにもない殺風景な部屋である。特にすることもなく、ただ時間が過ぎるのを待つだけで、暇で死にそうになる。独房に閉じ込められた囚人だと、当初は自分を嘲笑っていたが、今はそんな気持ちすら起きない。ハナビとの戦いで自分でも十分に承知したが、夢幻亜人のチカラを得てしまったから、危険人物として隔離するのは仕方がないとしても、せめてテレビでも漫画でもゲームでもなんでもいいから、暇潰しの道具くらいは欲しいものだ。
目に焼きつくほどに、白い天井を見つめている。よく見ると所々に黒い点がある。汚れだろうか。まあ、天井なんてせいぜい極たまに埃を払う程度で、普段は掃除するような場所でもない。そんな、なんの意味もないことを延々と考えたり、眠気なのか何かすら分からないが、時たま意識が途切れさせている。夢幻亜人は何者なのか、オレの今後はどうなるのか、そんな難しいは考える気力すら起きない。こうやって洗脳されていくのか、なんてことも当然考える力はない。
警報が鳴る。夢幻亜人駆除のための出動の合図である。命懸けの戦いが待っており、本来なら避けたいはずなのに、これほど退屈ならありがたくすら思える。
ベッドに寝転んでいたオレは、上体を起こす。すぐに一文字が来るだろうと思っていると、本当にすぐにやって来た。扉を開けて「さあ、行くぞ」と偉そうに言ってくる。オレも「よし、行くか」と軽く答えて部屋から出た。
自動車に乗り出動する。前と同様に運転は一文字、オレは助手席に座っている。
「ミサキさんは?」
オレは尋ねた。
「彼女はすでに現場にいる」と、一文字は答える。
「別行動なのか?」
「応援要請があったから、ミサキが先に行ったというだけだ」
「応援? 危険なのか?」
「そういう訳じゃない。たまたま要員が足りなくなったから、追加を呼んだだけ。そして向かったのが、たまたまミサキだったというだけだ」
一文字は淡々と答えた。
「今回の化け物はどんな奴なんだ?」
「間抜け面をしたクソガキだそうだ」
「ガキ? 子供か?」
オレは一文字のほうを見る。
「ああ。だが、見た目が子供というだけで、中味はお前が戦ってきたほかの夢幻亜人共と同じだ」
「まさか、子供にも擬態できるのか……」
「そもそも奴らに性別があるのかどうか分からないのに、個体ごとに男だったり女だったりするからなら。子供にくらいなれるだろう」
「その内、犬や猫に化ける奴も――」
「当然その可能性を考慮して我々は行動している。犬や猫だけではなく、鳥・蛇・蛙・魚といった脊椎動物全般に擬態できるという危機感の下に行動している。虫やナメクジ、クラゲといった無脊椎動物や植物、キノコといった動物以外の生物に擬態するのは、ほぼ不可能だろうと思っていいだろう」
「それは研究結果なのか?」
「いや、研究結果を基準にすると、今は人間にしか擬態できないという見解だが、警戒するに越したことはない。可能性はない、なんて幻想や信仰にしがみついた結果が、目も当てられない大惨事……なんてことになった最悪だ」
そう一文字は言った。まあ、危険をいい加減に処理されるよりは、こんな風に対処してもらうほうが、一般人としては安心できるかも知れない。
「ところで、夢幻亜人とかいう化け物どもは、一体何者なんだ?」
「芹沢博士から聞いていないのか?」
「ああ。聞いていない」
「そうか……」
一文字は少し黙った。
「お前が交通事故で意識不明だった時期に、小笠原諸島の火山に隕石が落ちたというのは知っているか?」
「いや、知らない」
「そうか。まあ、とにかく隕石が火山に落下したときに、どういう訳かこの世界と異次元世界を繋ぐワームホールが発生したらしく、奴ら……夢幻亜人はそこからこの世界に侵入して来たらしい」
「ホントか、それ?」
「僕だって最初聞いたときは信じられなかった。その隕石は火山の奥深く、恐らくはマグマの中に沈んだが、衝突の際に砕け散ったと思われる隕石の欠片は、一応我々が回収済み。ワームホールはこちらの技術で塞いである」
「そんなこと出来るのか!」
オレは少し驚いた。
「民間に公表していない技術を使ったんだ。それ以上は僕も知らない」
「へえ。それで、夢幻亜人はなんでこっちに来たんだ?」
「明確な理由は不明だ。だが、遭遇当初から奴らは我々人類に強い敵意があるのは分かっている」
「そうなのか? なぜ?」
「さあな。侵略目的だというのを匂わせる奴もいたが、やはり不明だ。一応、キノコの形態では回収出来ているが、通常の姿での捕獲は出来ていないからな。動機は本人たちから聞くしかないが、キノコだと訊きようもないな」
「次に駆除するときは、駆除する前に訊いておくべきだな」
「余裕があればな。まあ、嘘を答えられる恐れもあるが……」
車はとある丘の下に止まった。
「この上には神社がある。今回の標的はそこで確認された」
車から降りた一文字がそう言った。
石段を上がる。左右の林は鬱蒼としていて、夕暮れが近いというのもあって暗い。丘の上には小さな神社があった。神主もいない、常に留守になっているような神社。いや、それ以前にすでに管理者が居なくなっているか廃れている。
「ここに居るのか?」
「恐らくは。まだ捜査班が調べているはずだ」
「それまでここで待機か?」
「バカなことを言うな。僕らも捜すぞ」
一文字がオレに筒のようなものを渡した。よく見ると筒には蓋のようなものが付いている。
「なんだこれは? まさか注射器か?」
「そうだ。それを自分に打てばビースト化する。僕とお前は分かれて捜すんだから、先に夢幻亜人を見つけたらこれを自分の手首の血管に刺して打て。戦うときに一発吠えてくれれば、すぐにそっちに向かう。いいな」
「手首にか?」
「そうだ。手首に手を当てて脈拍を測ったことくらいあるだろう。そこを刺せばいいんだ」
「痛そうだな」
「出来ないのか?」
「いや」
オレは注射器を袖に入れた。
「失くすなよ」
そう言うと一文字は去って行った。オレは一文字とは違う方向へ進む。
小さくてボロい神社だから分かれて捜す必要もないと思っていたが、神社の後ろに祭神の祠があるので、奥に長い形になっていた。さらにそれを囲うように神主の住居跡らしき民家や倉庫らしき建物がある。倉庫も民家も扉は開いており、民家に至ってはガラス窓が割れている。とても住める状態ではなかった。
オレは倉庫に入る。懐中電灯を使って周囲を見るが、段ボール箱や木箱が埃に被り、その周囲をクモの巣が結界を張るように囲っている。奥には鍬かノコギリか分からないが、なにかの柄がある。が、肝心の先の部分が積み上げられた箱に隠れていた。いや、その手前に木の臼がある。なら杵だろうか。
まあ、なんでもいい。捜索対象の夢幻亜人が居ないし、クモの巣の様子からして忍び込んで隠れたということもないだろう。それに、あまりにも汚すぎて、とてもじゃないが入ろうという気にはならなかった。
次にオレは民家に玄関から入る。倉庫と同様に、民家の中も埃塗れであり、床には雪が積もったかのように埃が溜まっていた。オレは土足で家に上がる。居間に入る。大きな机に、その周囲には、一台のソファーと、向かい合うように木の椅子が置かれている。部屋の隅にある本棚の上には空の水槽が置かれている。その本棚にはオレが少年時代に好きだった、一九八〇年代の終わりから九〇年代半ばに人気があった少年漫画が何作、その年代に放送されていてオレも観たことのある映画やアニメのビデオテープがある。ソファーの向かいに置かれているテレビもブラウン管の箱のような型のテレビである。テレビ台にはビデオデッキが設置されていて、それだけではなく、九十年代の初めごろに発売された旧式の据置型ゲーム機もあった。その隣には数作の懐かしいゲームソフトが置かれている。
察するに住人が居なくなって十年は経過しているのではないか。
次に台所に入った。冷蔵庫を開けてみるとさすがに空であったが、隣の棚に置かれているスナック菓子の袋の賞味期限を確認すると、一九九三年と書かれていた。オレが今年(二〇一七年)で三十四歳だから、オレが十歳のころに期限が切れた年代物ということか。
ほかの部屋も確認する。個室、和室、トイレ、洗面所に風呂。ここには特にめぼしいものはなかった。二階に上がる。部屋は三つある。箪笥が数棹置かれているだけの和室、誰かの居室。最後の部屋は、どうやら子供部屋のようだ。ベッドはないがランドセルが掛けられた勉強机がある。その本棚には漫画本やゲームの攻略本が置かれている。机にはかつて人気のあった特撮ヒーローの本が置かれている。ふと窓枠に目をやる。ガラスは割れているが、特撮作品で活躍したヒーローや怪獣、ロボットの人形が置かれていた。
この部屋にも特にめぼしいものはない。
オレはそう思い階段を下りて民家から出る。と、そこには十歳くらいだろうか、青い風船を持ち俯いた少年の姿があった。こちらを向いているのではなく、体は横を向いている。
――なんだ、この子供は?
こんな古ぼけた神社に人が、ましてや子供が来るとは思えなかった。肝試しだとしても、一人で来ることはまずないだろう。
オレは警戒して袖に手を入れて注射器を握った。オレはこの子が夢幻亜人である可能性を十分に承知しながらも、万一普通の子供だったときに備えて話しかける。
「おい君。ここで何をしてるんだ?」
「おじさん。僕、悪いことしちゃったの」
少年は暗い声で返した。
「おじ……」
オレは小さく息を吐いた。
「なにをしたんだ?」
「お祭りで金魚掬いをしたことがあるんだ」
「金魚掬いか。懐かしい、『お兄さん』も小さい頃は金魚掬いが好きだったぞ。白の混じった金魚がどうしても捕まえられなくて何度もやったっけ」
「『その金魚』を、帰り道で転んで全滅させちゃったんだ」
「…………。なるほど。奇遇だな、お兄さんも似たような経験をしたことが――」
「倒れた僕の目の前で、苦しそうに金魚がピクピク動いていたんだ。跳ねることも出来ずにもがき苦しんでいたんだ。僕はね、それを拾って金魚が入っていた袋に入れ直したんだけどね、こけて水がなくなってたから、家についた頃にはみんな死んでたんだ」
「…………ぼうず?」
「普通なら可哀想だとか、赦してだとか、そういう風に思うんだろうけど、そのとき、僕はオモチャが壊れた程度の気持ちしかなかったんだ。だから、すぐにゴミ箱に捨てたの」
「君?」
「だって、僕は捕まえるのが楽しいから金魚を掬っていただけで、捕まえたあとは興味がなかったんだ。普通の赤い金魚も、黒い出目金も、白の混じった珍しい感じの金魚も、家に何匹も『あった』から」
「ぼうず、お兄さんの話を――」
「ほかにも蟻地獄を見つけたときも、僕はその辺にいた蟻を捕まえてその蟻地獄に落としたの。蟻は必死にもがいて蟻地獄から抜け出そうとするんだけど、蟻はどんどん窪んだ穴に落ちていくの。その姿を見るのが面白くて、何匹も何匹も蟻を捕まえては蟻地獄に落としたの。その内、蟻地獄が蟻を引き込まないようになって飽きたんだけど、これって凄く残酷じゃないかな?」
「…………」
「夏休みに裏山の神社で三匹のカブトムシを捕まえたんだけど、僕はそれを友達に見せていたんだ。僕はね、お父さんにカブトムシを掴むときは、後ろの小さな角を掴むように言われてたんだけど、そのときの僕はカブトムシの頭から生えている角を掴んだの。それを友達に見せびらかしたりして振り回しているうちに、カブトムシの首が千切れちゃったの。僕はね、これを見て友達と笑ったの。うわあ、最悪だって。でもね、まだ二匹もいるから、別に可哀想とは思わなかったの」
「おい、お前……」
「大きなカマキリを捕まえたとき、餌がバッタだって聞いて捕まえてカマキリの入っている籠に入れたの。バッタは怯えたようにカマキリから距離を取っていたんだけど、カマキリはすぐにバッタを捕まえたて食べだしたんだ。バッタは力尽きるまで足をバタバタさせて、カマキリに背中を食い千切られていく姿を、僕は面白がって見ていたんだ。どれもさ、鬼のように残酷だよね」
「お前、さっきから!」
オレはその子供の肩を押して顔を見て驚いた。息子の佳秋……いや、小さい頃のオレと同じ姿だった。気がつけばその子の髪は白く、目は黒く瞳は赤い。さらに頬からは涙の跡のような赤い線がある。
――夢幻亜人か!
オレは急いで袖から注射器を出そうとするが、その前にその子が言う。
「そんなアンタが、幸せになる資格があると思ってんの?」
その言葉はオレの魂を突き刺した。奴はまだ続ける。
「自分のためなら虫でも子供でも妻でも平気で殺す。それがアンタの本性だ」
「あんたは不幸な事故で奥さんと子供を亡くしたんじゃない。実際は自分が助かるために妻も子供も犠牲にしたんだ。二人のためなら自分を犠牲する気なんて元から無かった」
「今は悲劇のヒーローぶって、カッコをつけて、意味不明な化け物と戦う連中の犬に成り下がったのも、奥さんや子供に対する懺悔でもなければ生き返らせるためでもない。可哀想な自分を演じて、自分の人生や運命に酔い痴れたいだけ」
「生き残って御免なさい。代わりに死んでやりたかった……。心にもない嘘を平気でしゃあしゃあと言って退ける。恥ずかしい、情けない」
オレは何も言い返せなかった。
「惨めなもんだな。だからヒーローになれなかったんだ。薄っぺらい覚悟の真似事。ヒーローどころか、使い捨ての化け物以下だ。売れないヒーロー」
涙が溢れてきたオレは、鬼の形相で夢幻亜人の首を両手で掴んだ。奴は両手をオレの手に掛けて一応の抵抗を見せるが、オレの心を見透かすように少し笑っている。
ボキッと鈍い音がした。夢幻亜人の顔は後ろに垂れている。力尽きた奴の両手が垂れた。奴の体から泡が吹いて溶け出したので、オレは奴を放した。すると、噴き出した泡が奴の体全体を包み込み、泡が消えたと思えば例のキノコだけが残った。
オレの目からはまだ涙が溢れている。オレは赤く染まっていた空に向かって叫んだ。青い風船が天高く昇っていく。
オレはいつもの白い部屋にいる。ベッドの中でボンヤリと項垂れていた。
事故の瞬間を思い出す。前方に大型トラック、後方から暴走した大型トラックが突撃してきた。左側は段差があり、その下は田んぼだったし、それ以前にガードレールがあって、そちらの方向に逃げるのは不可能だった。右側、つまり対向車線も渋滞していて、とても入り込める隙間はなかった。
後ろから迫って来る大型トラックの音。最後に見た、血の気が失せていた妻の表情。
――オレは何も仕様がなかったんだ。悪いのは突撃してきた大型トラックじゃないか。
何度も心の中でそう自分の言った。
だが、どうして自分だけが偶然にも助かったのかと言われれば何も答えられなかった。
――これは『奇跡』の名を借りた不幸だ。
オレは悪くない。悪くないんだ。
何度も自分に言っている内に、空虚な気持ちに苛まれた。オレに過失が無かったとしても、仮に妻の千春と息子の佳秋を犠牲に助かったとしても、現状は何も変わらない。オレも被害者であることには変わらない。無論、罪に問われることもない。妻以外の女性と再婚し、新たに子供が生まれようとも、オレは誰からも咎められることはない。そう、妻と子の死は『運命』だったんだ。
突然、夢幻亜人出没の警報が部屋に響き渡る。これだけならいつものことだが、今回は様子が違った。
「夢幻亜人侵入! 繰り返す! 夢幻亜人侵入! これは訓練ではない!」
その放送を聞いたオレは上体を起こすと、一文字が部屋にやって来て扉を開けた。
「早田! 放送を聞いただろうが、この基地内に夢幻亜人が侵入してきた! 急げ」
「侵入って、いったい……」
「細かい説明はあとだ! 急げ!」
オレと一文字は廊下を走った。階段を上り、研究室へと入る。
研究室は荒らされており、至る所で出火している。すでに研究室に入っていたスタッフが消火に当たっていた。
「キノコは無事か!」
一文字がスタッフに尋ねた。キノコとは当然ながら、駆除した夢幻亜人である。
「化け物に奪われました! 今は屋上に居るそうです!」
「クソッ!」
一文字が舌打ちする。「早田! 屋上だ! 行くぞ!」
オレ達は再び階段を上って屋上に出る。かなり時間が経過していたらしく、夜を経て東の空がわずかに白味を帯びていた。ミサキや他の駆除班の職員が、キノコのケースを持った芹沢博士を囲んでいた。
「あいつか!」
一文字だ。
「芹沢博士……」
オレは戸惑った。
「あれは芹沢悟郎じゃない。芹沢博士に化けた夢幻亜人だ」
「博士じゃない? でも、お前らの眼鏡は化けた夢幻亜人を識別できるんじゃ?」
オレがそう一文字に尋ねると、鼻で笑った芹沢博士が言う。
「早田くん。彼らが識別できるのは、『普通に擬態した場合』だけだよ。今の君たちの技術では、君たちのいう特殊効果によって擬態した夢幻亜人は識別できない」
「なに?」
「盲点だったな。擬態を見抜く力が、自分たちにあると過信してしまったがために、より質の高い擬態には一切気付けなかったどころか、その可能性すら疑わなかった。気にするのは、虫だと鳥だのに化けるといった杞憂に近い妄想だけなんだからな」
そう芹沢博士は嘲笑った。
銃を構えているミサキが尋ねる。
「博士! いや、夢幻亜人! 貴方はいつからこの基地に潜伏していたの!」
芹沢博士に化けた夢幻亜人は、持っていたケースを無造作に床に落とす。その衝撃でケースが開いた。
「君たちがハナビを倒すときに、君たちについて調べさせてもらった。こちらがどう動けば、君たちがどう対応するのか。まあ、組織単位での行動だから、使い捨ての手足程度の君たちじゃ、分からんだろうがね。
そして、君たちが『ナイトメア』……さっき倒した子供を駆除している隙を狙って、芹沢を殺害してこの基地に芹沢博士として入らせてもらった」
いくら見た目をそっくりに出来るといっても、それだけなら博士の性格や知識までは真似できないはずである。最初は騙せても途中からボロが出るはずだ。
「ということは、化けるだけではなく、対象の知能や能力すらコピー出来るということか!」と一文字。
「御名答。話が早くて助かるよ。君たちは私が思っていた以上に賢いようだな。もっと愚かだと思っていたよ。そういえば、私の正式な暗号呼称はまだ付いていないはずだったな」
「そうなのか?」
オレがミサキに訪ねた。
「七体いる内の一体だけが、どうしても能力が分からなかったんです。なので我々は『不明』と呼んでいました」と教えてくれた。
「私に暗号呼称をつけるとすれば……『ミラー』というべきかな? 君たちが我々につける名前はどれも単調で愚かしいから、こんな感じだろう」
芹沢、いやミラーが薄笑いを浮かべながら足元のキノコを見る。太陽の白光を浴びて、五つのキノコがワサワサと震え出した。
「なんだ?」
「早田くん。君も知っているだろう? これは夢幻亜人が復活するまでの仮の姿だ。栄養を十分に摂取したキノコは、日光を浴びて蛹になる。そして再び夢幻亜人として羽化するのだ」
「なんだと!」
「けどまあ、すぐにではない。今日の明け方から夕方まで十分に日差しを浴びなければならない」
公安職員が銃をキノコに向けた瞬間、ミラーが公安たちの足元を指さす。と同時に、職員たちの足元で爆発が起きた。一文字やミサキ、ほかの職員はもちろんオレも爆風に巻き込まれて吹き飛んだ。それぞれが体やフェンスに体を強くぶつける。オレ、一文字、ミサキはすぐに顔を上げたがほかの職員は死んだのか気絶したのか、ピクリとも動かなかった。
「なんで、ハナビの力が使えるんだ……」
「恐らく、奴の特殊効果で、キノコの状態になっているハナビの力をコピーしたんでしょう」
近くに飛ばされていたミサキが解説してくれた。つまり、さっきの子供ナイトメアやオレの力は勿論、ほかの夢幻亜人の力も使えるということか。
「一文字!」
オレが叫ぶと、一文字は注射器をオレに投げた。それをミラーが鼻で笑うと、宙にあった注射器が爆発した。
「早田くん。私は君に勝つ確乎たる自信がある。だが、万が一に備えなければならないんだ。ほかの連中ならともかく、君の中に私の仲間がいる以上、爆殺して殺すわけにはいかないからね。万が一にも、君の中にいる仲間の復活に悪影響があってはいけない」
芹沢が一文字を一瞥する。その瞬間、一文字の右腕が爆発で吹っ飛んだ。一文字の悲鳴が響き渡る。
「一文字!」
「次は、お前だ」
芹沢がミサキを見る。やはり彼女の右腕が吹き飛んだ。ミサキも悲鳴を上げる
「貴様!」
オレは立ち上がってミラーに殴りかかるが、さっと避けられたと思うと、後ろから膝の後ろを蹴られて転んでしまった。そして頭を踏みつけられた。
「普通の老人なら、恐らく普段の君にも敵わないだろうが、私のこの姿は仮のものだということを、この頭は理解できないのか?」
ミラーは何度も何度もオレの頭を踏みつけた。オレは目の前に、キノコのケースがあるのに気付き、ミラーの一瞬の隙を突いて、ケースを奪いミラーから距離を取った。
「それを盗んでどうするのかね? すでに日光を取り込んで復活の兆しに震えている以上、それを海に捨てようがどうしようが、夢幻亜人は復活する。少し時間が掛かってしまうが、一切問題はない」
オレはミラーを睨みつけた。奴は十分に余裕があるのか、平然と笑っている。
「なんなら燃やすか? 焼却しても核の部分は残る。そこからやはり復活は可能だ。君たち人間に我々夢幻亜人は殺せないのだよ。さあ、返したまえ」
「早田! ここはオレ達が食い止める! 早く逃げろ!」
一文字が叫んだ。ミラーが少し考える。
「さすがにそれは面倒だな。どうだ? 君の命は助けてやろう。もちろん、ビーストとの分離も手伝うし、君の家族も生き返らせてやろう。だから、そのキノコを、私の仲間を返すんだ」
「…………」
「いい交換条件だと思うんだ。君も君の家族も無事に助かる。私の仲間も無事に助かる。いい互恵関係ではないか? 少なくとも、ここにいる君を実験台のネズミにした連中とは偉い違いだ」
ミラーは続ける。
「公安連中の付け焼刃の技術だと、いつまで経っても君は自由のない番犬だし、家族が生き返ることもない。死ぬまで扱き使われるのがオチだ。だが、私は夢幻亜人であり、その生物的特性を十分に把握している。それに、そもそも人間以上の技術を持つ生物だ。どちらが技術的に頼りになるのか、考えるまでもないだろう?」
オレはゆっくりと膝まずいてケースを床に置いた。
「早田!」
「早田さん!」
二人の声が、距離以上に遠くから声が聞こえたような気がした。ミラーは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。オレは震える五つのキノコを……食べた。三人が呆気に取られる。全身が拒絶反応を引き起こす。体が寒いのか熱いのか分からない。吐き気で思わず両手を塞ぎつつも、まだ食べきれていないキノコを口に運び、噛み砕き、飲み込んだ。
ミラーが小さく舌打ちをする。だが、まあいいとすぐに平常の顔に戻る。
「無意味だよ、早田くん。もし君がそれを噛み砕いたところで意味はない。吐き出せばキノコの状態と変わらず復活する。まあ、時間は掛かるだろうがな。それにちゃんと食べ切れたとしても、君は拒絶反応で死んでしまい、その死体を養分にやはり問題なく復活する。第一、キノコ一つでも人間の致死量に達するのに、いくらビーストの生命力があったところで六つなんて耐えられるわけがない」
オレは必死にキノコを食べ続けた。
「まさか、私のようにほかの夢幻亜人の特殊効果を使おうという魂胆なら、残念ながら無理だ。人間と夢幻亜人の融合を経ないと使えない。つまり、君は服毒しただけということだ」
オレは両手で口を塞ぎながら、最後の一口を飲み込んだ。どうも形容しがたい苦しみや嘔吐感、頭痛、胸の苦しみ、体の痺れ、発熱と悪寒、自分で説明していて訳が分からなくなる苦しみをどうにか堪えようと、オレは咆哮を上げる。と、薬を使っていないのにも関わらず、オレの体がビーストに変身する。オレの体からは光の欠片のようなものが降り落ちていく。ミラーのさっきまでの笑みが消え、こちらを睨みつける。
「どうやら、面倒なことになったようだ。早田くん、私がなにをしなくても君は死ぬ。君の体から溢れるその光のような粉は、君の体が風化しているんだ」
「風化?」
「そうだ。夢幻亜人を取り込みすぎたために、君の体が限界に達したわけだ。私は二つめのキノコを食べた段階で、拒絶反応で風化が起こる前に死ぬと思っていたが、君はゴキブリのような奴だな。君が風化で死ぬのはそれでいい。問題は、君の中にいる私の仲間だ。君の巻き添えで死なせるわけにはいかないんでね。悪いが風化し切る前に死んでもらう」
芹沢博士に化けていたミラーの姿が変わる。髪は青で肌の色は真っ白、目元の模様は赤であるが、白目部分が黒である。そして何より、体の形状そのものは人間時のオレの姿と全く同じだった。
オレはミラーに突撃した。ミラーの顔面めがけて殴り掛かったが、ミラーはその腕をさっと叩き落としてオレの顔面を殴り飛ばす。牙が抜けて血を吐いた。すぐにオレは体勢を整えて攻撃する。元スーツアクターだという仕事柄から、柔道などの武術の基本は叩き込まれていた。その技を掛けようとしたのだが、どう攻めてもアッサリかわされ首に肘鉄を食らわせられた。倒れるのと同時にミラーの足を狙って回し蹴りをするが、跳んでかわされた上に、そのまま腹を蹴られてしまう。ミラーが右手でオレの首を掴んで持ち上げた。足が床に届かない。
ミラーが言う。
「馬鹿だな、君は。君が私に勝てる道理など無いんだよ」
首を絞める力が強く息が出来ない。
「私は君の力も知能も、全てをコピー出来る。つまり、私が君をコピーした瞬間には、君と同程度の力は持っているということだ。それだけではなく、私自身の力や今までコピーしてきた者の力が合わさって、今の私の強さがある。そんな私に、偶然夢幻亜人の力を手に入れた程度の人間風情が、どうやったら勝てるというんだ?」
オレはミラーを何度も全力で蹴ったが、ビクともしていない。
「君は本当に愚かだよ。キノコを食べずに素直に取引に応じていれば、君は無事に人間に戻り、家族とも再会できた。君はそれを自分自身で棒に振ったわけだ。あの判断の由来はなんだ? 安っぽい正義感か? それか陳腐な自尊心か? もしかしてお前を実験台にしたお友達への信頼か? やはり私達に対する不信感か? どっちにしろ、君は誤った判断をしたんだ。可哀想だが、同情の余地はない。死ね」
ミラーがオレの首を絞める力を強くする。オレは思わず吐血した。その色はすでに赤ではなく汚らしい緑色をしていた。
「ほう。血は緑か。とうとう人間ではなくなったか。可哀想に。こんな惨めな君を見ていると、少し甚振ってやりたくなってくる」
そういうと、ミラーの力が少しだけ緩んだ。オレは精一杯息をした。すると、再びミラーが右手に力を入れた。オレの苦しむ姿を見ては、少し息をさせて、再び首を絞めるのを何度か繰り返す。その間にもオレの体は少しずつ光を放つように風化していく。
「では、名残惜しいがそろそろお別れだ。さようなら、早田 猛……いや、酒井佳春。この世から永遠に消えてなくなれ」
ミラーが右手に力を入れようとした瞬間、オレは奴の右手の人差指と中指の間に爪を立てて、全力で引き裂いた。そんな馬鹿な、と言いたげにミラーが呆気に取られて右手は力を失う。オレはミラーの頭と肩を掴み、獣のごとく首元に噛み付いた。ミラーは抵抗を見せてオレを押し払うが、オレは全ての力を顎に込めて奴の首元から肩にかけてを噛み千切ってやった。床に叩き付けられたオレは、奴の肉片を吐き出すのと同時に、変身が解けてしまう。
「貴様!」
怒りに震えるミラーが、肩に手を押し付けながら怒鳴った。オレは奴のほうを見る。奴はすでに体から泡を吹いて絶命寸前だった。
「悲劇のヒーローぶった偽善者の分際で、のうのうと生きて行けると思うなよ! お前は必ず……必ず……」
そう言うとミラーは泡に包まれてしまい、最後はキノコだけが残った。ぼんやりとミラーを見ていたオレは、ふと一文字たちを見た。一文字もミサキも右腕こそ失ったが、生きていた。
「早田……」
二人が心配そうにオレを見ている。オレは自分の体を見る。体はすでに光に包まれ、両手の指はほとんど消えていた。もう一度、ミラーを見る。キノコの姿になった奴は、今まで駆除した夢幻亜人同様に、ただ生えている。安心した。
「一文字……、ミサキさん……、頼みがある」
「……なんだ?」
「オレはもうダメみたいだが、さっき倒した奴のキノコを使って、妻と子は生き返らせてくれ」
「早田……」
「最初からその約束だったんだからな。頼んだぞ」
オレは笑顔だった。もうすぐ死ぬのが分かっていたオレの心は妙に安らかだった。ふと、眩しい東の方角を見る。白い太陽の半分がすでに顔を出していた。オレの体の光が、あたかも風に巻き上げられる花びらのように吹雪いた。と、白い日差しの中から、白い女性の影が見えた。誰だろう。一瞬思ったが、すぐに妻の影だと分かった。オレは肘まで失っていた腕を彼女に伸ばした。
妻の手がオレの腕を触れた瞬間、オレは白い光の中で目を閉じた。ふと、涙が漏れた。
………………。
「あなた。あなた」
オレは闇の中にいた。どこからともなく妻の声がする。とうとう死んだのか。
「あなた」
右手に何かが触れている。いや、握られている。
なんだろう。
「起きて。あなた」
――?
オレは目を開けた。白い天井。いつもの白い牢獄か? いや、少し黄ばんで汚れているようだった。
「あなた」
オレは声のほうを見た。妻だ。妻の千春がいた。鉢巻をするように額に包帯を巻き、ガーゼを左頬に付けているが、間違いなく妻だった。
「やっと起きた。よかった」
涙目になった妻がそう微笑んだ。オレは当初、訳が分からなかった。
「どうしたの?」
「一文字は? ミサキさん達はどうなった?」
「誰のこと?」
「誰って? 一体あの後……」
妻がクスっと笑った。
「どうせ悪い夢でも見てたんでしょ?」
「夢?」
まだ理解できない。
「そうだ。佳秋は?」
妻の視線が佳秋に向く。ノートパソコンを前に眠っている息子の姿があった。息子の右腕はギプスと包帯で固定されていた。息子の手前にあるパソコンから声が聞こえる。
「とうとう追い詰めたぞ! イリュージョノイドのボス! ミラー・ザ・プリズム!」
「フッ。貴様ごとき情けない弱虫ヒーローが、この異次元世界の魔王たる私に勝てるとでも思っていたのか!」
「なんだと! ん? な、なんだ?!」
「私が貴様ごときに怯えて逃げるわけがないだろう」
「しまった! 罠か!」
「孤立無援! 疲労困憊! 四面楚歌に絶体絶命! 私の完全勝利だ! 私に逆らったことを未来永劫、地獄で後悔するんだな! わはははは! さあ死ね! 裏切り者のビースト!」
「ぬわああ!」
オレはきょとんとパソコンを見つめた。妻は笑って言う。
「あの子、ずっとあの特撮観てたのよ。あなたが起きるまでずっと起きておくんだって。結局、途中で寝ちゃったけどね」
「…………夢だったのか?」
「やっぱり怖い夢、見てたんだ」
そう妻は笑った。妻は慈愛に満ちた笑顔でオレの頭を撫でてくれる。
「子供みたいに情けない。佳秋に見られたら笑われるぞ」
そう言って妻はオレの涙を手で優しく拭いてくれた。オレは気恥ずかしくなって、一瞬妻から目を逸らす。だが、すぐに笑って彼女の目を見て言う。
「ただいま」
見苦しい駄文、失礼致しました。
下書きの段階では、あと2体の化け物が登場する予定でしたが、まとめるのが面倒なので除外しました。
……この作品の分類は『ローファンタジー』になるのか『アクション』になるのか、よく分からない。
もしかしたら『SF』かも知れない。
ただ、どれを取っても中途半端な感じがする。
一応、『異能力バトル』をキーワードに設定したけど、合ってるのか……。