㉑早春の海へ
コンクールの翌週の日曜日、竹本先生の都合(友人の結婚式とのこと、竹本先生本人は独身で34歳)で拓斗の英語の特訓が無かったので、三人は朝から自転車に乗って、かつてここから鬼ヶ島が見えていたはずの海岸へ行った。
空は青く晴れ、波は穏やかだった。海は、ゆったりと、だが、力強い規則性をもって、その大きな生命のはぐくみを繰り返していた。
もう季節は冬から春に変わろうとしている。海風の優しさや、日差しの暖かさがそれを物語っていた。
海面に反射する朝の日差しのきらめきは、何か、未来への希望を予感させてくれるようにも思えた。
麻理恵と拓斗は自転車を砂浜に放りだし、横倒しにしてとめた。
そしていつもだったらそんなことはしない司も同じことをした。
麻理恵は先日のコンクールの数日後、学校で司と拓斗に、向こうの世界から持ってきてしまった、鬼に借りていた鬼の子供時代の着物のことを相談していた。
二人は、わあ、懐かしいねえ、と言い、拓斗が、「もう、何年も前のような気がする」といった。司は、「実際、何百年か前だろうしね」と言い、三人で少し笑った。
正確には、どのくらい前なの時代なのか判らなかった。向こうにいる時、レンラに、年号を聞いてみたが、そのことはレンラにも不明だったから。
今日は、その着物を、麻理恵は持って来ていた。
司の意見で、万が一にも、いつか人に見られ、年代測定でもされないとも限らないし、もう、彼らに返すこともできないのだから、燃やしてしまうことが一番いいのではないか、ということになった。
誰かに見られないように、間違っても、火が燃え広がることのないようにと、三人で、着物を細かく刻み、砂浜に打ち捨てられていたドラム缶の中で、少しづつ、火にくべた。煙は空に上って行った。
燃やし終わって、三人で波打ち際を歩いた。
歩きながら、拓斗は小石を拾っては海面を滑らせるように投げ入れ、司は、それ海でもあり?とツッコミながらときどき自分もやった。麻理恵は長い棒きれを見つけて砂浜に、歩きながら線をひいたり、絵をかいたりした。
麻理恵ははじめて中山蓮羅の存在を二人に明かした。司と拓斗は、なんで教えてくれなかったの、すぐにそいつを見に行くよ、と言った。
そして、「俺らの孫みたいなもんじゃん」「ちがうって」「やしゃご? 」「それもちが―う、第一俺らには他人だし」と二人で掛け合い漫才のようになっていた。
二人には悪かったが、なかなか言い出せなかったのは、花も恥じらう乙女としては、青鬼と祐奈の子孫という存在は、なんだか、妙にナマナマしていて、口にするのが、ちょっと気恥かしかったからだ。…………それに、少しの間だけ、祐奈と自分だけの秘密を持ちたい気持ちもあった。
嬉しいニュースに拓斗と一緒にしばらくはしゃいだ後、司が言った。
「祐奈は、手先が器用で、蚕から糸を作り、機を織っていた。きっとレンラには…………それにガナヤとテナイにも、自分たちの母親の再来のようで安心できる存在だっただろうね」
麻理恵は、ああそうだ、本当にそうだ、と思った。そして、レンラだけでなくガナヤとテナイも最後に自分たちを逃がそうと闘ってくれたのだと。
どうか無事で、と祈ろうとして、麻理恵はふっと自分がおかしく、そして悲しくなった。だって、もう、祐奈も、レンラも…………ガナヤとテナイも、この世にいるはずもない。そのことを思うと、とても寂しく、悲しかった。そして、祐奈の寂しさがしのばれた。
麻理恵はやはり、祈らずにはいられなかった、どうか彼らが幸せでありました、ようにと。
麻理恵は、さっき着物を燃やした煙が昇って行った、空を見上げた。
「マリ」麻理恵の様子が気になったのか、司が話しかけてきた。
「どうかした?」
麻理恵はこぼれそうになった涙をこらえ笑って言った。「別に、なにも」
そして、麻理恵は砂浜に絵をかきながら、ふと思いつき、
「ねえ、お互いの悪いところ、教えあおう! 」と言い出した。
「悪いところ? けんかになるじゃん! やめとこう! 」拓斗が言ったが麻理恵はお構いなしに始めた。
「拓斗の悪いところは、あ、できねえ、と思ったらすぐに投げ出すところ。英語で躓いたのもそのせいだ! 」と麻理恵は言った。
痛いところを突かれて拓斗はぐっと詰まった。麻理恵はその様子を見ながら、
「でも、その飽きっぽさは、今、目の前の問題に集中する力に代わってきている! 」と続けた。
「目の前の問題? 」拓斗が訊いた。麻理恵はクスッと笑って、
「英語! 」と言った。三人とも大笑いだった。
笑いながら麻理恵は砂浜に『拓斗』と棒で名前を書いた。
次は司だ。「司の悪いところはね…………」麻理恵が考えこむと、代わりに「俺は卑怯者だ」と司が言った。




