① 始まり
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10月6日午前7時半。
武田麻理恵はその時通学途中だった。
麻理恵の住む、この地方は、もう10月と言っても、今日はまだまだ残暑と言っても良いほどの暑さだった。この地域では制服の衣替えも10月1日から、と厳しく決められるわけでなく、一応の線引きはあるものの、各自の判断にゆだねられるところも大きかった。ここのところ、秋らしい涼しい日が続いていたが、今日は一転してこの暑さ…………気候の変わる時期の、その日々の天候の不安定さも、それに拍車をかけていた。学校の制服も、今の時期は、夏服冬服、そして冬服のジャケットだけをとった合服の生徒が入り混じっていた。
麻理恵は、美少女だった。身長は高いほうではなかったがバランスの良い体形で、輪郭のきれいな小顔はつややかな色白で、鼻筋の通った形の良い鼻、引き締まった口元を持ち、特に茶色がかった大きな瞳が印象的だった。
今日、麻理恵は合服で登校していた。麻理恵の母親は『衣替えは10月1日』の意識が捨てきれず、麻理恵は、今月初めから合服を着せられていた。仕方がない、と麻理恵はあきらめていた。私服はともかく、制服の管理は、母親に任せているのだから。
いつも登校するのはギリギリだが今日は違った。昨日同じクラスの川本良太に「明日、話したいことがある。授業の始まる前に教室で」と呼び出されていたので、そういうことには律義に答えると決めている麻理恵は早起きをして、今この道を歩いていた。
たぶん告白されるのだ。誠心誠意、友達でいたいと伝えるつもりだった、いつものように。
頻繫に告白されることについて麻理恵は、ありがたいことかもしれないが、正直言うと、めんどくさいことだなあ、と思う気持ちが強かった。自慢でも、ひけらかしでもなく。
告白してくる男子は、麻理恵の容姿しか見ていない人ばかりで、付き合っても長続きしないことは目に見えていた。
いつもの道だった。だが、少し眠かった。早起きのせいもあるが、昨夜はまるで夏が戻ったような暑さで、よく眠れなかったからだろう。加えて、この時刻ですでに、長袖のブラウスの上に重ねたニットのベストが暑苦しく、不快で、集中力を欠いていた。学校についたらベスト脱ごう…………、麻理恵はそう考えながら ボブの髪をかき上げ小さなあくびをした。時間を確かめるため、スマホを手にしたときに眠さと暑苦しさののせいか少し手元が狂って地面に落としてしまった。道路の真ん中近くに転がったそれを拾おうとしてかがんだ麻理恵に、右の角を曲がってきたトラックが、麻理恵に気づかず迫ってきた…………。
新藤司はその時、学校の屋上にいた。
司はこの理文館でもトップクラスの成績を常に保ち、そこそこ高身長で、細面の中高い顔立ちで、知的な涼しい瞳を持ち、見た目も悪くなかった。部活こそしていなかったが、毎日、早朝ランニングを自分に課し、体格も引き締まっていた。
司も、ここ2、3日続く早朝の涼しさに合服を着用していたが、今日はベストはいらないな、とこの時刻から思われた。
司は朝のこの時間、一人で屋上から遠くに見える海を眺めるのが好きだ。心がしん、と静かになり、進路の悩みもその時だけは忘れられるようだった。
司はいつものように、屋上の外側への出入り口である、鍵のかけられた扉の前に立っていた。たぶん、清掃の際にだけ使用されるその扉の所だけフェンスが低く、金網越しで無い、外の景色を自分のものにできるのだった。
だがその日はいつもと違い、一年生らしい女子の集団がバレーボールを輪になって打ち合っていた。いつもの静けさは今日はなかった。それで、司は場所を移そうと、フェンスの下のほうにかけていた右足を外した。一瞬体が不安定になった。
ちょうどその時「アターック! 」という声がしたかと思うと大きな衝撃が司の頭に起こり司はフェンスを越えて前のめりに倒れることとなった。女子生徒たちの悲鳴を聞きながら…………。
池辺拓斗はサッカー部員の中でも小柄なほうだったが、その技術力でチームを勝利につなげる重要なメンバーだった。
拓斗はその日、他県で開催されるサッカーの遠征試合で前日よりその地のホテルに宿泊していた。学校は公欠扱いとなる。堂々と今日は英語の授業がさぼれる、と拓斗はひそかに喜んでいた。拓斗は英語が苦手だったのだ。
遠征先でも朝練は欠かさない。学校指定のジャージ姿で朝食前にサッカー部のメンバー全員でホテル近くの川沿いをランニングしていた。その時「誰か、誰か、助けてください! 」女の人の悲鳴に近い声がした。見ると、川に小さな男の子が落ちて、おぼれかけていた。拓斗は迷わず、飛込み、男の子を岸へ押し上げたが、そこで強い胸の痛みに襲われ、這いあがることができなくなり、ずぶずぶと、川に沈んでいった…………。
中山祐奈は自分の部屋にいた。祐奈は、小柄で細く、色白で、おとなしい子だった。いつも肩の下まである髪を自分で編み込みにしていた。今朝はその色白の顔がいつもより、一層白く、むしろ青ざめていた。
祐奈は迷っていた。
…………昨日、足のギプスが外れてしまった。母親は早起きして弁当を作ってくれていた。階下からただようにおいでそれはわかった。きっと、ひさしぶりの学校だからと、張り切って可愛く作ってくれただろう。制服には着替えた。母親は前日から「季節が変わっちゃったわね」と言って合服の用意をしてくれていた。
学校へ行くなら、もう、部屋を出て一階へ降り、顔を洗って朝食を食べなければならない。いつまでも降りていかなければ母親が不審に思って、二階のこの部屋へ上がってくるだろう。もう時間がない。
祐奈は覚悟を決めた。椅子の上に立ち、ロフトの手すりにかけたロープの輪へと頭を通し、体重を預け、椅子をけった…………。