畦道勇者
今日も勇者は畦道を、一人でてくてく歩いてく。
陽に照らされてキラキラと、水面が光を反射する。
まぶしい。
畦道は好きだ。辺りがずっと見渡せるし、なにより、人があまりいない。
上機嫌で、鼻歌を歌っていると、嫌いなアイツが現れた。
「よう、どこにいくんだ?」
「どこだっていいだろ」
「なんだって?」
アイツに凄まれて、思わず言ってしまった。
「……あの山の上だよ」
アイツは少し、目を見開いた。
言わなければよかったと後悔したが、もう遅い。
「あんな場所にか? 今すぐやめろ!」
ああ、やっぱりこうなる。
なおもグチグチ言うアイツが、ふと注意を逸らした瞬間、全速力で駆け出した。
「――あっ! おい、待て!」
後ろの方で、そう聞こえてきたのを無視して、走り続けた。
山の入口にある、赤色の目印が見えると、足を緩めた。
それに寄りかかり、息を吐く。
息が整うのを待ったあと、山を見上げた。
「次の難所だ……」
呟くと、少しだけ足が震える。
おびえてはだめだ。進まなければならない。
「――よしっ!」
勢いよく脚を叩いて、山を登り始めた。
登り始めると、なんてことはない。大変なのは最初の一歩だ。あとは、自然と足が動いてくれる。
一歩一歩、周りを見ながら進んでいく。
不吉な鳥の声や、ザワザワと揺れる風の声。
それらが聞こえてくるたびに、耳をすました。
しばらく登ると、また赤色が見えてきた。
そこまで行くと、この長い階段は終わりを告げる。
最後の一段を登ると、開けた場所に出た。奥に小さな建物があって、うっすらと、そこまで道が続いている。
縁側に積もった埃を払って、そこに座り、お昼にすることにした。
肩掛け鞄を開けると、ひしゃげたおにぎりが出てきた。
おにぎりを、モグモグと、あっという間に食べ終える。まだ食べたりないが、仕方ない。
包んでいた紙を鞄に放り込み、水筒を取り出す。
冷えた飲み物を、一口、二口と飲むと、喉がスーッとして気持ちいい。
充分休んだあと、建物裏手の、細い獣道に足を踏み入れた。
ここからが本番だ。
森の中を、ズンズンと下っていく。
休んだからか、足どりは軽い。
日差しは強いが、木々がそれを遮ってくれる。森の匂いを、胸いっぱいに吸い込むと、ますます力が湧いてきた。
だんだんと、水の音が聞こえてきた。川が近づいてくる。
暑い中、この音を聞くと、少し涼しくなる気がする。
川に出ると、思わず手を突っ込んだ。冷たくて、気持ちいい。
しばらく水の感触をあじわってから、上流に向け、歩き出した。
ザアザアと、滝が唸っている。
決して大きくはないが、かと言って小さくもない。
そして、その後ろに、ポッカリと暗闇が空いている。まるで、地獄へ続く門のようだ。
怖い。
そう思ってしまった。もう帰ろう、と頭の中で声がする。危険な目には遭いたくないだろう、とか。引き返しても文句は言われない、とか。
その声に従って、後ろを向いた。
「……いや、ここまできたんだ! ……きっともう少しだ」
アイツを振り切って走ったこと。長く、険しい階段を登りきったこと。
乗り越えた困難を思い出し、自分を勇気づけた。
「ボクは勇者だ」
頭をブンブンと振り、頭の中の声を振り払い、もう一度滝を睨む。
息を大きく吸い、滝の中へと飛び込んだ。
洞窟の中は真っ暗だった。
入口から光が入ってくるが、奥の方は、ほとんど見えない。
滝の音が反響し、頭がグラグラ揺らされる。
灯を持ってきたのを思い出し、鞄から取り出した。
濡れて、駄目になっていないことを祈りながら点灯させると、無事に点いた。
短い息を吐き、洞窟の奥を照らすと、上へと登る急斜面が目に入った。
「……また登りか……」
ため息をつき、斜面へと向う。
見上げると、微かに光が見えた。
「よし……」
気合いを入れて足を掛けた岩は、少し湿っていた。滑ったら大変だ。
慎重に登っていく。アイツに教わった、梯子の登り方と同じだ。
そう思っていた矢先、足を踏み外してしまった。
慌ててしがみつき、なんとか落下せずにすんだが、思い切り顎をぶつけてしまった。
口に鉄の味が広がる。
「おこってるだろうなぁ……」
呟いた声が、小さく響いた。
洞窟を抜けると、絶景が広がっていた。
気づけばもう夕方だった。真っ赤な夕陽が、ギラギラと光っている。
まぶしい。
なんだか急に疲れた。
その場に座り込み、沈んでいく太陽を眺めていた。
そのうち陽は沈み、辺りが暗くなってきた。
眼下に広がる一面の田畑。その中に、ポツリポツリとある家に、明かりが灯っていく。
だんだん冷えてきて、思わずぶるりと震えた。
服が濡れたままだったことを忘れていた。
「……帰らなくちゃ」
声が闇に吸い込まれていく。
勢いをつけて立ち上がり、景色を目に焼き付け、踵を返した。
きた道を、苦労して引き返した。
いきよりは幾分か楽だが、何しろ、もうすっかり真っ暗だ。
もとから電池が切れそうだったのか、懐中電灯は、うんともすんとも言わなくなっていた。
ヘトヘトになりながらも、なんとか山の入口まで戻ると、チラチラと明かりが近づいてきた。
暗くて、よく顔が見えない。
「馬鹿野郎っ!」
いきなり視界がぐらついた。
アイツだった。
どうやら、顔をぶたれたらしい。ジンジンと痛みがでてくる。
そのあとも、アイツは怒鳴り続けたが、疲れのせいか、あまり頭に入ってこない。
しばらくして、アイツもそれに気づいたのか、
「……まぁ、今日はもういい」
と、深いため息をついた。
「……帰るぞ」
そう言われたが、なんだか足が地面に縫い付けられたようになって、動けずにいた。
「……歩けない」
小さく呟くと、また深いため息をついた。
アイツは、背を向けてしゃがむと、掴まれ、と呟いた。
父親に背負われて、畦道を歩くのはいつ以来か。
まどろむ意識の中、そんなことを考えていた。
今日も勇者は畦道を、父に背負われ歩いてく。
月に照らされキラキラと、光が水面を光らせる。
まぶしい。