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『透明な王女のための通信教育講座』

作者: 石川零

「それでは第一回授業を始めます。まず出席を取りますので、わたくしの姿がとどいた方はお返事をお願い致します。メヘディ侯爵家アレクサンデル・サンド。トレヴィル伯爵家ガルシア・ルティ。ハックルベル伯爵家メイサン・イザン……」

 ユースティ・レラ・エキュリアン王女は手元の名簿に目を落とし、連ねられた名前を朗々と読み上げていった。教師らしく飾り気を抑えた薄紫色のドレスをまとい、南国産ワニ革の教鞭を手に持つ。造りのいい樫木の小さなデスクに端然と座すユースティ王女の目の前には、上半身をすっぽりとおさめて映す金ぶちの大きな鏡がひとつ。

 いずれ劣らぬ名門貴族の貴公子の名前を呼ばわるたびに、鏡は見目麗しい男たちを代わるがわる映し出していく。

「はい。ユースティ姫、ご機嫌麗しゅう」

「はい。ユースティ姫、噂に違わぬ可憐なお姿……」

「はい。ユースティ姫、儚い淡雪のごときその姿。いますぐにも馳せ参じてお守り申し上げられたらなあ」

 手ずから施した通信魔法に支障なし。鏡は次から次へと似たり寄ったりな青年たちの甘ったるい微笑みをあますところなく映し、カビた果物のような台詞の数々を響かせた。

「──バーミルトン公爵家シーモズ・エキュリアン」

 しばしの沈黙がででんと横たわった。

「シーモズ・エキュリアン」

 最後の一人だけいっこうに返事がなく、ユースティ王女はその名をくりかえす。

「シーモズさん、いらっしゃいませんの?」

 怪訝に思って名簿から顔を上げた。

 目の前にある鏡を覗く。

「……」

 その鏡の中から、真っ黒な塊がユースティをやぶにらみの眼でにらんでいた。

 真っ黒な犬のぬいぐるみが。

「ぬいぐるみ?」

 どたばたと騒々しい音が鏡の向こうから聞こえてきた。

「ももももも申し訳ございません──!!」

 叫びながら両手で縄をひく、髭面の人間が画面上を横切っていく。

「こやつめが、こやつめが少々、支度に手間取りましてッ、ただいま急いで席に着かせますのでねッ!」

(……)

 ぎりぎりと引かれる縄の先には、輪っかの中に人間の首がかかっている。喉仏を潰されて瀕死の顔つきをした黒髪の青年が、ずるずると紺色の絨毯の上を引き回されていた。

 網にかかった魚みたいだ。

「座れ、座るのだシーモズ! とっくに殿下のご講義が始まっているのだぞッ!!」

 見事な手綱さばきで獲物を椅子に投げ落とすと、素早く剣を抜いてその首筋に突きつける。バーミルトン公爵家嫡男エミリオの神技にユースティは目を瞬いた。

「ふごっ…… わかった、わーかった、もう座ってるだろ。いってえ、いってえなあ、やめて剣はやめて、俺、先端恐怖症なんだから」

 脅しつけられる剣先から身をよじって逃げながら、黒髪の青年の瞳が鏡をにらむ。

「そっちは見えてんの? こっちからは見えてないぜ。一方的だなー。ずるくねえ……」

 すとんとだらしなく(あご)づえをつき、

「こっちは旅から帰ってきたばかりで疲れてんのに」

 などとぶつぶつ言っている。

 バーミルトン公爵家次男、シーモズ・エキュリアン。

 その瞳の色を見れば、出席を取る必要もなく本人とわかった。北の湖水の青碧色をもらってきたような虹彩は、ユースティの瞳と同じ色だ。同じエキュリアンの名字を持つ両家は、遡れば祖を一つにする遠戚の関係だった。

「そちらからもわたくしの姿が、一応は見えているはずだけれど……」

「私にはあますところなく見えておりますとも。貴女の愛らしくも気高いかんばせを見つめるだに、胸が高鳴ってやみません!」

「ああ、貴女のつぶらな瞳、やさしく摘まんで差し上げたくなるような頬!」

「その苺の香りの吐息さえも、つぶさに想像できますよ……!」

「いや全然どこにも顔なんてないけど。空っぽの服が宙に浮いてるだけなんだけど」

「バカを言いたまえ。君には見えないのか? 私には見える。光を通して見えなくとも私の心の眼がユースティ姫という光を見るのだ!」

「はー、そうやって国一番の大魔女だかに誑かされてろよー。ツラ付き合わせる必要がないんなら俺は耳だけ開けとくからあ」

 そう言ってシーモズ・エキュリアンは机につっぷす。

「いえあの、申し上げておきますが皆さん、わたくしの顔が透明にすけていますのは」

 ユースティは「こほん」と、ためらいを乗り越えるための咳をした。

 そう。

 ユースティの顔は、ただいま諸事情により透明である。

 すけすけに可視光線を素通りさせるかたちで、事実上この世から消失してしまっている。

「つまりこれは、呪いです」


                  ☆


 ユースティ・レラ・エキュリアン王女は至高の宝珠を三つ抱えて生まれてきた、と桂冠詩人たちは謳う。エキュリラ王国の〈世継ぎ〉となる権利、王国一の〈魔法〉の実力、そして天使の落とし子と称しても疑われはしないだろう無二の〈美貌〉──ユースティを彩る三つの宝珠である。

 だが三つ目の〈美貌〉について、少なくとも二年以上のあいだ王女のかんばせを直視した者はいない。

「輪郭が薄れはじめてからは、日差しにとても弱いからという言い訳をして、ベールで覆うようにしていましたけれど」

 少女がもっとも輝きをます年頃に差しかかって、ユースティの顔は日毎夜毎に少しずつ、少しずつ、薄れはじめた。輪郭が消え、色が失せ、父や母の眼差しの焦点がユースティを素通りして彷徨うようになり、そしてつい最近、完全にユースティの顔は見えなくなった。レースのベールで誤魔化してきたやり方も、こうなってはもうだめだ。うっすらぼんやりした形すら、捉えることができないのだから。

 お抱えの魔法学者を総動員し、〈魔法読み魔法〉を用いて解析が行なわれた結果は、呪い。

 かなり力のある者の、強力な呪いだということだった。

 王国一の魔法の実力を誇るユースティ王女は何度も自分でこの呪いを解こうとしたけれど、無理だった。知恵ある老学者たちが読み解いたところによれば、この手の呪いは解除に〈真の愛の力〉を必要とするという。

 つまり、第三者に救われるかたちでしか王女は呪いから逃れられない。

 国一番の魔法の実力を持つユースティ王女にとって、はがゆいことこの上ない制約だ。

「これがどういうことかと申しますと、強い呪いを解くにはかなりの魔法力が必要で、かつ、その方はわたくしを愛してくださらなければならない。立場上、あの……あまり無責任でうわついた関係を増やすことはできませんので、その方は、わたくしの夫となっていただかなければなりません」

「おいたわしい……!」

「必ずや私が貴女の呪いを解いて差し上げる!」

「尽きることない愛の力がすでに私のこの胸のなかに!」

「以下同文」

「そこの一人、真面目にやってくださる……?」

 物騒な剣先と脅し手の姿は画面上からしりぞいたが、首から垂れる縄が時折ぴんと張りつめて弟に「(他家に負けずに何かお返事申し上げろ)」と脅迫している。しかし口をひらいてもシーモズはやる気がまったくない。

 嫡男エミリオがすでに既婚者であるために、バーミルトン公爵家はこの場に次男を推挙してきた。ほかの面々が宮廷社交界で活躍する綺羅星であるのに比べて、シーモズ・エキュリアンという人物を見るのはこれが初めてだ。見たところ、そうとうの怠け者、家族にも持て余される放蕩息子のようだ。王配候補としては論外な人物であるが、公爵家がその権力でねじ込んだ、ということだろう。

「まず、お送りしてある教材に目を通してください。皆さんに同じ大きさのアメシスト魔法石と、あらかじめ呪文を書き込んだ正方形の紙をお配りしました。魔法石の力を使って、紙に手を触れずに鳥の翼の形を作り、石の力が尽きるまで永遠に飛行させてください」

 エキュリラの地で発達した宝石魔法は貴石をエネルギーとして発動する。より美しい石、より希少な石ほど強力な魔法を可能にする。強い魔法の力を得た者が王となり、王の元には財宝が集う。財宝は王の力をさらに増大させる。それが、王族=(イコール)大魔法使いであるエキュリラ王国の歴史だ。

「一連の魔法式は紙に書いてあるので、皆さんのすることはそれを発動させるだけです。では、はじめてください」

 それぞれに試行錯誤をはじめる様子が、小さく分割されて映し出される。

 隅の一ヶ所で何やらぴっかぴっかした光が煌めいているのは、画面外から恫喝して迫る剣の刃の乱反射だ。

(脅して上手くいくことでもないのですけれど、ね……こればっかりは)

 魔法は素質が一。一にして全て。努力でどうにかなるものではない。ユースティの呪いを解くためにはおそらくユースティと同程度の才能をもつ人間が必要で、それは絶望的な条件だ。でも、とにかく探してみないことには始まらない。エキュリラ王国は魔法使いを国家資格制度によって管理しているが、貴族の多くは力の程度を隠すため、よほど明らかな才能を持つ者でない限りは、能力を自覚していても申告を避ける傾向があった。

 問題は、ユースティに必要なのは明らかな才能を持つ者だという事実だが……。

 いずれにせよ、魔法力とは〈ある〉か、〈なし〉かに尽きるもの。

 この試験は最初のふるいだ。

「できました」

 物思いに沈んでいたユースティは、はっと顔をあげた。

(うそでしょ、まだ早い──)

 ぱっと目に入ってきたのは、ぷかぷかと宙に浮かぶ、やぶにらみの眼だった。

「犬……?」

 だが、ぷかぷかと浮かぶぬいぐるみの犬の肉球は四つとも、ちょこんと翼の上に乗っている。ふわふわと翼が羽ばたく。ひと羽ひと羽が光沢を持つほど精緻な、白鷲の翼が――。

「帰ってもいいすか。ってここ俺の家か」

 鷲は舞い上がり、バーミルトン公爵邸の豪奢な高天井すれすれを悠々と旋回しつづけた。

「ちょっと……って、え……?」

 予想外だった。

 他の貴公子たちが魔法式を読んだり叩いたり狂ったように節をつけて歌ったりしている横で、

「せんせい、じゃあ他の人が終わるまで寝ててもいいすか」

 ユースティが口をひらくまえに、すでに背もたれに寄りかかって腕組みの体勢となり、シーモズはかくんと首を落とした。


                  ☆


「呪いのきっかけは何だったのでしょう? にっくき邪悪な魔法使いの目星はついているのですか? 居場所さえわかれば私がこの腕でそやつめを捻り殺してやりたい……」

 朱金の髪の優男、メヘディ侯爵家アレクサンデルの瞳は真摯に正面を見つめてきた。二分割された画面のもう半分には、あくびを噛み殺す黒髪の怠け者が並んで映っている。

 ふるいの試験のあとには、最有力候補とダークホースの二人が残った。

「そうですね……貴重なお力をお見せくださったあなた方には、特別にお話し致します。原因は確かに、どこかの誰かのせいなのです。でも実のところ、この呪いをわたくしにかけてしまったのは、わたくしなのです……」

「それはどういう……?」

「わたくしにかけられた呪いは、この守り珠によるものです」

 鏡の向こうの相手によく見えるよう、両手をひらいて掲げた。ユースティが披露した銀色の珠に、シーモズが眼をほそめた。それは限りなく球に近い、多面体のパズルである。

「十年前、夏の離宮の〈ざわめきの森〉のなかで、わたくしはわたくしの守り珠を落としてしまって」

 守り珠はエキュレラ王国の古い習慣のひとつだ。魔力を込めた多面体の球はあらゆる災厄を跳ね返す、といういわれがある。

「代わりにこれを拾ったのです。つくりかけの守り珠……その仕組みは複雑で、強力な魔力の波動を放っていて、わたくしは、いつしか夢中になっていました。この守り珠の細工はどうやったら完成するのだろう。一枚一枚の面に刻まれている一つ一つの術式は簡単なものなのに、どれをどう組み合わせてもちゃんとした守りの魔法にならない──魔法の恰好をつけようとすると球体が完成しないし、球体を完成させようとすると魔法がめちゃくちゃになる。よっぽど捻くれた魔法使いが作ったんだわ」

 面をひっくりかえしたり、溝にそってずらしたりすることで、面が移動し、珠はいびつにもなれば球に近づきもする。さわればさわるほど難解な仕組みであることがわかって、いつしか、ユースティはそのパズルを解くことに夢中になっていた。

 肌身離さず持っていて、暇さえあれば睨めっこして。

 ずっとずっとずっと、さわりつづけた。

 完成形なんてないのかもしれない。そこには飽くなき実験精神と、魔法の可能性への挑戦が込められていた。こんなものを作ろうとした人は、どんな魔術師だろう……。

「ついに完成させられたのが三年前のこと」

 ──そして呪いが発動したのだ。

「何という卑劣な罠か!」

「卑劣っつーか、間抜けな姫だなあ。大丈夫なのエキュレラ王国」

 こほん、とユースティは恥をごまかす咳をする。

 それから本題に立ち戻り、教師然と小難しい顔をつくってみせた。どうせ誰にも見ることのできない表情だったが。

「最終試験は、この守り珠と同じものをつくっていただくことです」

 ユースティはあらかじめ用意しておいた術式魔法を発動させ、材料を鏡の向こうに送りつけた。

「はじめてください」

 無理難題だ。

 けれど、呪いの守り珠をつくった魔法使いと同等の能力を持つ者でなければ、ユースティにかけられた呪いを解くことはできない。

「時間はかかると思います。午後いっぱい、ご質問があれば受け付けます。あとは各自で……数ヶ月くらいかかってしまってもしょうがありません。完成したら連絡をください。ただし、必ずご自分の力だけで完成を目指すということを守っていただきたいのです」

 アレクサンデルは目の前に出現した純銀の塊を落ち着きはらった表情で見つめ、そして、意を決して手を伸ばした。

 一方シーモズ・エキュリアンは、自信が湧かないのか、なぜか頭を抱えていた。


                  ☆


 夏の離宮の北に広がる〈ざわめきの森〉には、魔物の封じられた湖がある。

 エキュリアン王家の始祖が封じた魔物だ。いまは魔物と呼ばれているが、エキュリアンの始祖によって湖の底に沈められるまでは、それは王と呼ばれるものだった。旧時代の支配者を眠らせる湖は、青碧の水面をいつでも不思議に静止させていた。

 王家の直系のみが知ることだが、湖の魔物は、エキュリアン王家にとって、旧敵という以上に特別な存在であった。滅びた王は、生ける王にとって得がたい教師だ。湖の底から語りかけてくる怨念、悔恨、嘲笑、栄光の記憶、虚ろな孤独。それらは王となるべき者を恐怖させ、その身を竦ませる。魔物の揺さぶりに耐え、魔法と心を鍛える試練を経て、エキュリアン家の嫡子は玉座の権利を手にする。

「マケズギライノヒメヨ、オウトナルジシンガアルナラ、ワレヲココカラダシテミセヨ」

 十に満たないユースティ王女に、魔物との対話はまだ許されていなかったのだけれど。

「わたしが女王になるために、どうしてあなたを起こしてあげなきゃいけないの」

「オマエノソセンハ、ワレヲタオシテオウノザヲウバッタノダ。オマエモオウニナルナラワタシヲタオスヒツヨウガアル」

「その手にはのらないわ」

「デハコノテニノルガイイ」

 静かだった湖面が突然に、むっくりと盛り上がった。

「え……」

 ユースティは急に怖くなって後ずさる。

 吹き上がった水が太陽を隠し、まるで生き物のようにうねった。ひっと息をのんだ瞬間、空気を切り裂き、しなる水柱がユースティめがけて叩きつけられる──!

 森の中へ逃げようと身体を返したユースティは足をもつれさせ、頭からばたんと転んでしまった。その背中に大量の湖水が降り注ぐ。とっさに護身呪文を唱えようとして、声が出ない。魔物の力だ。水は魔物の哄笑を耳元まで届けた。ユースティは自分の力ではとうてい敵いそうにない巨大な魔力の気配にぎゅっと眼を閉じた。

(まだここに来てはいけなかったんだわ!)

 鞭のごとく練り上げられた水のかたまりが腹の下にもぐりこみ、胴に巻きついた。

 怨念の毒に当てられてユースティの意識が朦朧と霞んでいく。

(お父様、お母様、ごめんなさい、ユースティはもう……)

「痛っ」

 額にこつんと固いものがぶつかった。その痛みにユースティは眼をひらく。

 濡れた草の上にころんと何かが転がった。

「守り珠……?」

 いびつな出来損ないの守り珠のように見えた。転がる銀の珠の周りから、草地に光がわきたち、文様が浮かび上がった。

「始祖さまの描いた結界術式だわ……」

 地に刻まれた魔法式の光が、獣の走り抜ける速さで湖の周縁をめぐってゆく。

 ふっと水の拘束がゆるみ、そのすきにユースティは腹ばいのまま必死で結界の外へと抜け出した。木立の合間に駆け込んで、杉の幹を盾に結界を振り返った。

 光のドームの内側で水の竜が暴れている。魔物の力の鎌首は、光壁の一点を激しくたたきつづけた。何度めかで光にめりこむ。眩しい光輝をはらんだ霧が結界の外に散った。

「ひび、が……」

 あれは自分が空けてしまったものだ、とユースティは悟っていた。幼く未熟なユースティの呼びかけは、対等な問答にならず、なかば諦念にまどろんでいたはずの魔物をその気にさせてしまった。

「だめ、出てきちゃ……」

 とっさにユースティはドレスの襟首へ手を突っ込んだ。銀鎖につるした絹のきんちゃくから、守り珠をとりだす。

 大事なユースティの守り珠を、一度だけ、ぎゅっと両手で握りしめた。

(お父様とお母様からいただいた、守り珠)

 肌身離さず身につけてきた、ユースティの魂そのものにも思えるようなそれを。

「出てこないで──!」

 ドーム状の光の壁はまるで、いまでもエキュリアンの始祖の呪文詠唱がその場に響きつづけているかのように、いきいきと明滅し、伸縮をくりかえしながら魔物の力に抗している。

 ユースティの投げた守り珠は壁に埋まって暴れる水竜のあたまにみごと命中した。


                  ☆


「アレクサンデル様、これ無理です~」

「しっ。声をひそめろ! 無理とはなんだまだ手を付けてもいないのに!」

「でも、無理だってことだけは最初からわかるんですよ~これは王立魔法学院首席卒業の私にも無理です~」

 鏡の向こうから聞こえてきたひそひそ話で、ユースティは遠い思い出から引き剥がされた。

「?!」

 まさか、と思って透明な唇から呪文を紡ぐ。

 メヘディ侯爵家の鏡の角度が動き、アレクサンデルの右側を狙って映し出す。

 そこにはローブ姿の認定魔術師たちがずらりと並んでいた。

「失格です!」

 ユースティは顔面に泥をぬられた心地で叫んでいた。

 おおげさな釈明の仕草で腕を広げた優男の言い訳など聞かず、通信をぶったぎる。

「なんてこと…………っ………………」

 ほんの僅かにでも期待を抱きかけていたらしい自分の浅はかさに、ユースティは激しくがっかりして肩を落とした。

 わかっていたことだ。

(だってそう簡単に見つかるような力だったら、わたくしはこの守り珠にあれほど夢中になったりはしなかったわ)

 エキュリアン王家は比類のない魔法力を始祖から受け継ぎ、エキュレラ王国に君臨してきた。だが、圧倒的なその力の裏には、才能の大きさと同じほどに積み重ねられてきた努力の歴史がある。厳しい魔法力修行はエキュリアン家の伝統だが、それにくわえてユースティは負けず嫌いだ。ドレスの数より、暗記した魔法式の数に喜びと誇りを見出す性格なのだ。誰にも負けない才能と努力で手にした力を、そう簡単に凌ぐものがいたら、むしろそのときこそ崖から身投げでもするべきだ。

「呪いと思うから辛いのであって、もういっそ魔法と結婚したのだと思って諦めるっていう手もあるわ……」

 ユースティは深く頭を垂れて深呼吸をした。(――とりあえず授業、〆(シ)めなきゃ)

「もうお一方からも質問など出ないようなので、いったんここで授業を終わりたいと思います。今日はお疲れさまでした……」

 動揺をみせないために深呼吸からお辞儀につなげて、

「……?」

 そのまま頭をあげると鏡の中からやぶにらみの眼がにらんでいる。

 ぬいぐるみの黒い犬が。

「シーモズ・エキュリアン……?」

 終わる前にさっさと逃げられた?! 「さてはとっくにフケて──!」

「生徒を信頼しないのよくないですよ、先生」

 突然、ありえない方向から聴こえてきたその声にユースティは耳を疑う。

 部屋の反対側を振り返った。

 ドレッサーの鏡の中から足が生えていた。

 すとんと着地した黒い影が、黒髪を掻き上げる、青碧色の眼をした生身の人間がいた。

「ぎゃあああああああ」

 おいおい、とシーモズが罪悪感を口から突っ込まれたような顔をする。

「こっちがぎゃあああだろ。顔なし姫。ほんとに顔がない」

 無遠慮に近付いてきて、シーモズ・エキュリアンはユースティの顔を下から見上げた。徐々に姿勢を伸ばしていき、青碧の眼がユースティの鼻先を通って、そして少しだけこちらが見上げる位置で止まった。そのままじっと、見つめてくる。まっすぐに。ユースティの両瞳をとらえて。分け隔てる時空間もない、ゼロ距離から。

(──見えてないからって、近づきすぎッ)

「どっどっどどうやってここまで……」

 椅子にぶつかりながら後ずさったユースティの腕をとっさにシーモズは掴んで支えながら、もう片方の手の親指でデスクの鏡と後ろの鏡台(ドレッサー)を交互に指差す。

「鏡に映った鏡の中からこんにちわ」

 そしてシーモズが上着のポケットから無造作に取り出したのは、銀色の光がさんざめく多面体の球だった。

「課題、出来たので」

「え」

 ユースティは言葉を失う。ただただシーモズの手の上の守り珠を見つめた。

 呆然と心をまっしろにしたユースティの前で、シーモズは守り珠を宙へ投げ上げ――。

 銀色の軌跡を描いてそれが落ちてきたときには珠は二つになっていた。

「でも用事はもうひとつ。こっちのほうが重要かな。これ、顔なし姫の父さん母さんが作ったものだろ? 寝ぼけた魔物なんかに簡単に盗られてんじゃねえよー」

「え? え? ……これは、だって」

 渡されたそれをユースティはまじまじと見た。

 忘れもしない懐かしいユースティの守り珠だった。

「あなた……」

 彼を仰いだユースティの顔に、シーモズの指が触れる。

「っ」

(さわ)れるじゃん」

 反射的にユースティはかぶりを振った。

()れられはしますけれど、見えないんです。あなただって、眼を合わせるふりなんてなさってるけれど、見えてはいないでしょう?」

「目のふち赤いけど、さっきちょっと泣いた?」

 はっとしてひらいたユースティの瞳のきわに、彼の親指の先が届いた。

「べつに泣いてなんかいないわ──」

「泣きたくて泣くタイプじゃないのはわかるけどね。あのときも半べそかきながらやることやって逃げていったしさ」

「あのとき、って……」

 シーモズの顔にばつの悪そうな表情が現れる。

「さっき姫の話を聞いてて思い出したんだけどさ。〈ざわめきの森〉の湖でのこと、姫に謝んなきゃいけなかったんだよな、俺。……あの日、姫がひょこひょこ現れる前に、俺あそこにいたんだよ。封印の結界を調べがてら、魔物をからかって遊んでたんだわ」

「なんで、すって……」

「王家しか入っちゃいけないとこなのは知ってたんで、姫がきたから急いで隠れたんだよな。そしたら小っさい姫が無謀にも魔物としゃべりはじめちゃってさー。結界わざと緩くしてあんのにやべえやべえと思いましたね」

「あなた年いくつ……」

「十八」

「一つしか変わらないわよ。小っさいって」

「案の定、魔物が急に生き生きしちゃってー。さすがにあそこまで暴れられると俺も青くなったけど、その守り珠の一撃をついてなんとか封じれたから、礼も言っておかないとな」

「じゃあ、あのとき、朦朧としたわたくしに未完成だった守り珠を投げたのは」

「あれは未完成っていうか、盗まれたとしても悪用されないための罠だよ」

「これが罠……?」

 ユースティは自分の顔を指差す。

「そ」

 あっさり頷き、シーモズは不敵に笑った。

「俺にしか解けないけど、どうする」

「と、解いてくだらないこと」

「いいけど、代わりに一つ条件が」

 と言って、シーモズは前髪を揺らして首を傾げた。

 何かをもったいぶっている。

「何でしょう」

「合格くれる?」

 意表をつかれて、ユースティは口をぱくぱくと動かした。

「ええ、差し上げる、わ……」

 その、とたんに。

 囁くような呪文。

 かすめるようなキスが、半開きの唇にふった。

 そしてユースティは、北の湖水の色の(かがみ)に、頬を染める自分の顔を見つけた。

「よっし。じゃ、さよなら」

「えっ、えっ、ちょっと待って。だって、合格って」

「俺、負けず嫌いだから。でもべつに名誉とか地位とかいらないから。次の旅が俺を待っているのだからして」

 すたすたとシーモズは教卓の鏡に向かい、やわらかな鏡面へと片足をつっこんだ。不敵の表情で振り返り、ひらりと片手を挙げる。

 ユースティは二の句も継げずにドレスのひだをつかんで握りしめた。

(…………こ、この不良学生ー!)

 ふいに気を取り直し、鏡の向こうに叫んだ。

「第二回授業までには――、ちゃんと鏡のまえの席に着いてくださいね!」

「――。了解」

 声とともに飛んできた守り珠を、ユースティは胸に受けとめる。

 多面の球がかたちを変えて花ひらいた。

 アメシストの芯が輝く銀色の花鏡の中で、だいぶ大人びた娘のかんばせに再会し、ユースティは少しはにかみながら微笑んだ。



                         おわり☆

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