#02 一人
どうして、見ず知らずのこいつを拾ってしまったのだろう。
他人と関わることなんて、いや、人と関わることなんて二度とないと思っていたのに。
関わらないと、あいつに誓っていたのに。
それなのに、どうして俺は、こいつを……
――……助けたい、だなんて思ったのだろうか。
キッチンで一人、二杯分の紅茶を淹れながら考える。どうしてなんて、本当はわかっている。こいつを拾った理由なんて。
単純明解な理由だ。
こいつを、自分と……あいつに重ねていたから。俺は、こいつを放っておくことができなかった。こいつを見捨ててしまえば、俺はまた、あいつを亡くすように思えたから。
だから、俺はこいつを放っておくことができなかった。
「……か」
はぁ……と、小さく息を漏らす。
紅茶の入ったティーカップを手に、つい先ほどまで自分が眠っていた寝室へと足を進めた。
ガチャリと音を立てて寝室の扉を両手に持っている紅茶がこぼれないように気をつけながら肩で押し開ける。
部屋に入って室内を見渡せば、先刻まで眠っていた青年が上半身を起こし、窓の外を眺めている姿が見えた。
ふと、彼の手元に目をやれば布団を握り締めた手がわずかに震えている。
「窓の外に、何かあるのか?」
近くにあるテーブルの上に淹れてきた紅茶の入ったカップを置く。
窓の外から、未だに目をそらさず銀狼が入ってきたことにすら気付いていないだろう彼に問いかける。
「……」
そんな銀狼の言葉にも応えず、いや、それ以前に言葉すら耳に届いていないのかもしれない。一切反応を示さない彼に銀狼は近づいた。
「おい」
声をかけながら肩に触れた。その瞬間。
「――……っ」
青年が振り返り、同時にパシン、と乾いた音が部屋に響く。
漸く合わされた彼の瞳は、酷くおびえているように見えた。
振り払われた手を元の高さに戻し、膝を折ってベッドに座っている彼の視線と合せる。震えている手を握っても今度は振り払われなかった。
「おちつけ、大丈夫。俺はお前に危害は加えない」
「……ぁ」
そう言ってやれば、漸く正気に戻ったのか、揺れていた瞳も、震えていた手も落ち着きを取り戻した。そんな彼の様子を確認して、立ち上がる。
机の上に置いて、少し冷めてしまった紅茶を手に取り、彼に差し出した。彼は少し戸惑ったが、やがてゆっくりとカップを手に取る。それを見て、手を離す。もう一つ、机の上に置いている自分用のカップを持った。一口喉に流し込む。同じ様に、目の前にいる彼もゆっくりと口をつけた。
無言の時がしばらく続く。
その沈黙を破ったのは、意外にも彼の方からだった。
「あの……すみませんでした。取り乱してしまって……」
落ち着いた声色で言葉が紡がれる。
ことん、と音を立ててカップを机の上に再び置いて、気にするな、と応えた。
彼は、有難うございます。と微笑む。
「あの……オレ、銀華って言います。えっと……」
「銀狼、だ」
「銀狼……さん。助けていただいて有難う御座いました」
互いに名乗れば、銀華は飲み終えたカップを机の上に置いて銀狼に向かって礼の言葉を紡ぐ。
「ただの気まぐれだ。気にする必要はない。あと、敬語もさん付けも苦手だ」
だから、普通に接してくれれば良い。そんな意味を込めて言葉を紡げば、銀華は立ち上がり、がしっと銀狼の手を握った。
突然のことに、銀狼の瞳に一瞬焦りの色が燈る。そんな銀狼の僅かな変化に、銀華が気付くはずもなく、握り繋がれた手を上下にぶんぶんと揺らした。
「ありがとうっ! 銀狼っ」
「わ、わかった。わかったから手を離せ」
ぶんぶんと手を揺らしながら言う銀華に銀狼は表情を一切変えず。しかし、少し焦ったような声色で言葉を発する。
そんな銀狼の言葉に気付いた銀華はあわてて手を離し、ゴメンと頭を下げた。その拍子にぐぅぅぅと、間抜けな音が二人のお腹辺りから聞こえてくる。
「……」
「……」
しばらく無言の時間が続きやがて、銀華が照れたように笑う。
「アハハ。お腹、すいたね」
「そうだな。とりあえず買い物に行くか……」
言って頷き、銀狼は銀華から離れ部屋の隅にかけてあった自分のコートと銀華のコートを手に取った。手に持ったそれを持ち主に投げる。投げられたコートを銀華は難無くキャッチし、袖を通した。銀狼も同様にコートを身に纏う。机の上に置いていた財布を手に取り、コートについているポケットの中にそれを入れる。
「行くぞ」
首だけ振り返り銀華に語りかける。その言葉に銀華は瞳を輝かせ、大きく頷いて銀狼の後に続いた。
*********
「ふー。いっぱい買ったねぇ」
「そうだな。コレでしばらくは買い物に行かなくてすむ」
二人とも両手にパンパンの買い物袋を手に街の中を歩く。
袋の中身は、今日の朝食兼昼食。それに、しばらくの間の食料に、新しい紅茶の葉だ。
「あ、あのさ。銀狼……実は、一つ頼みたいことがあるんだけど……」
「なんだ?」
銀華がどこか申し訳なさそうに言葉を紡ぎ、銀狼がその内容を聞き出そうとした。
その時――
「やぁ、もう代わりのパートナーを見つけたのかい?」
いつの間にか誰もいなくなった道の真ん中。二人の目前に、赤から緑へと変わるグラデーションの長髪を持った一人の青年が現れる。ズボンのポケットに片方の手を入れ、もう片方の手を顎に添えてくすり、と微笑しながら言葉を紡ぐ。うっすらと開けられた瞳は、間違いなく銀狼と銀華を捕らえていた。
「――……っ」
「銀狼?」
訳がわからないといった風に首をかしげる銀華を庇うようにして前へ出て、買い物袋を置く。耳につけているイヤリングに手を添えた。
――……こい。氷雨。
心の中でそう呟けば、イヤリングが光りみるみるうちに形を変えていく。光が消え去った頃には、銀狼の手に一本の長刀が握られていた。
それを目の前にいる人物に向けて構える。
「まったく、君は相変わらず学ばないね。私には及ばないのだといい加減気付いたらどうだい?」
目前にいた彼の存在が消え、気が付けば青年は銀狼の目前まで迫り、構えている長刀の背を撫でる。銀狼の耳元で、楽しそうに言葉を紡いだ。
「――……っ、なっ」
すぐさま、銀狼は腰をひねり離れようとする。しかし、体が強張ってピクリとも動いてくれない。
「ふふ、そんなに怖がらなくても、まだ手を出したりしないよ」
刀を撫でていた人差し指を銀狼の首もとへと持っていき、ピッとはねる。長く伸びた彼の爪は、一瞬にして銀狼の首筋に赤い線を作った。
しかし、彼を見る銀狼の表情は一切変わらず、無表情のままだ。そんな銀狼の様子を見て、彼は酷く楽しそうに笑った。すっと、銀狼から離れる。
「パートナーと共に、感情までも亡くしたか……。ふふ、楽しみだな。次はお前から何を奪おうか」
そう言葉を紡いだかと思うと、彼はパチンと指を鳴らす。その音と同時に風景に溶け込むようにその姿を消した。
妖艶な笑みだけを、二人の脳内に刻み付けて……
「銀、狼……今の人」
「……っ」
銀華が銀狼の肩に触れた瞬間銀狼の体が揺らぐ。そのまま道路へと倒れこんだ。
――……なぁ、銀星……
おれ、は……
どうすればいい……――
遠ざかる意識の中。
銀狼は、今はもう遠くなってしまった人物へ向けて、応えを求めた。