視線 Long ver.
――視線、だった。
痛いほど突き刺さるそれ。実体化したならば間違いなく俺は今頃死んでいるだろう、と馬鹿げたことを考えてみる。
だがそう考えてしまうのも不思議じゃないくらい熱い視線が、今この俺に注がれているのだ。
<●><●>
4月14日の学級の時間のことだった。
担任は教室に入ってくるなり黒板に6×6の表を作って1から36までの番号を書き入れた。察しのいい奴らはすでに『席替えじゃね?』などとざわついている。
担任はくるっと振り返ると真っ白な歯をキラリと輝かせて笑い、教卓の上に茶葉用らしい筒状の缶を置いた。中に入っているのは割り箸のようだ。
「さあ、これから席替えをするぞ!」
案の定だった。エー、だのヤッター、だの教室内で様々な声が飛び交う。
ちなみに俺は断然“エー”派だ。せっかく窓際の一番後ろというベストポジションにいるというのにたった数日で移動したいわけがない。
まあ我が1年A組は毎月一回席替えをする方針だから、今日を入れてあと11回もチャンスがある。またここへ戻ってくる機会もあるだろうから潔く諦めよう。さらば俺のエデン。また会おう。ところで俺の周りに座っている奴が全員“ヤッター”派なのは偶然だよな?
まずくじをひく順番を決める……のだが、角に座っている他の3人とじゃんけんをした結果、俺は最後にくじをひくことになってしまった。ま、まあこんなこともあるさ。残り物には福があるって言うしな。問題ない。
「うっわ、マジありえないんだけど」
俺が負けたおかげで最後から2番目にくじをひくことになってしまった隣の女子がぼやく。金髪にガングロ、ルーズソックスと今時まだこんなやついたのかよってくらいのギャルっぷりだ。なんなの?高校デビューでも狙ったの?明らかに方向性間違えてますよぷふふー、なんて思っていたらギャル子 (仮) にギロっと睨まれた。
「ぁに見てんだよ?てかテメーのせいで最後になったじゃねーか」
「す、すんません……」
俺はただでさえ並より若干小柄な身体をさらに小さくして平謝りだ。正確には最後ではないが、まあケツから一番目も二番目も似たようなもんだろう。っていうかじゃんけんなんだから仕方ないじゃないですかいえ何でもないです。
正直この女は苦手だった。というか俺はまだこのクラスに馴染めていない。唯一友達と言えなくはないような男がいなくもないが、ヤツも俺と同じような境遇だからなんとなく一緒にいるだけだ。
あ、そうか。よく考えたら席替えするってことはこの女と離れられるってことじゃないか。席替えマジ最高。いつもは暑苦しいだけの熱血教師が今日は仏のように見えるぜ。
そんなことを考えていたら気付いたときには既に黒板の表の半分以上が埋まっていた。最前列は教卓目の前の2席を残すのみとなっている。嫌なとこ残しやがって……まあでも俺は最後だしな。それまでに誰かが埋めるだろう。
と、思ったが甘かった。その2席を残したまま最後の列まで順番がまわってきてしまったのだ。ひとり、またひとりと表を埋めていってギャル子までまわり――
「チッ」
やめてください舌打ちしないでください俺だってお前の隣なんて嫌なんだからいえなんでもないです。
――かくして俺とギャル子には、教卓の目の前というベストガリ勉ポジションが与えられたのだった。
<●><●>
くそっ、最悪だ。
俺の席は教卓前2席のうち窓側にある方だ。この席になってからというもの毎日ギャル子に意味もなく舌打ちされるわ授業中教師に突然話しかけられるわでいいことなんかない。
まあちょうど教卓で死角になる位置でもあるから内職はし放題だが、俺はそんな暇があったら寝ていたい男なのだ。幸いウチの高校は居眠りに対して無干渉を貫いているが、席替えの翌日に午前中ずっと机に突っ伏して寝てたら起きたときには飛散したチョークの粉で、まあなんということでしょう、男子高校生が立派なおじいさんに変身していたではありませんか。
トイレで鏡を見た瞬間顔面が赤信号のようになったことは苦い思い出だ。何で誰も教えてくれないんだ薄情者!いや、まあ指摘されたらされたでめっちゃ恥ずかしいけどさ!
もうあんな思いは二度とごめんなので俺はその後居眠りをしなくなった。もちろんだからといって授業がちゃんと頭に入るわけではないのだが。
――視線に気付いたのは、俺が居眠りしなくなってすぐのことだった。
一時限目。
子守唄のような古文の講義に教室中がしんと静まり返る中、左後方から突然笑い声が上がった。振り返って様子をうかがってみるとどうやら消しゴムを落とした、らしい。なんだそりゃ、箸が転がっても笑うお年頃ってか?
まあそんなことはどうでもいい。とにかく後ろを振り返った直後、そのさらに後方に位置する、かつて俺のエデンだったあの席に座っていた彼女と目が合ったんだ。
少し地味な印象の女の子だった。
色白でややふっくらとした輪郭、肩にかかるくらいの黒髪、くるんと丸いが決して大きくはない瞳。並より可愛いのは認めるが何かが決定的に足りない感じだ。俺的には“中の上”といったところか……。
はっとして俺は慌てて目を逸らした。見つめ合っていたのはほんの2秒ほどだったと思うが、向こうが訝るには十分な秒数だ。変なヤツとか思われてなきゃいいけど……。
それにしても、あの子は何で目を逸らさなかったんだろう。……まさか俺が好き、とか。
いやいや、ないない。どうせ“目が合った”ってのは俺の気のせいで、実は先生を見ていただけとかそういうオチだろ。期待するだけ無駄だ。モテ期なんてものは実際には存在しないんだからな。あんなもん二次元限定の夢物語だ。それは中学のとき嫌ってほど学習したんだよ……ふっふっふ。
俺はズキズキ疼く古傷を心の奥底にしまいこみ、またぼーっと授業に耳を傾け始めた。
<●><●>
二時限目。
数学のプリントが配られ、それを後方へやる。が、後ろの女子が一向に受け取ってくれないので体をひねって振り返ると、案の定突っ伏して寝ていた。
「あの~、ちょっと」
声を掛けてみるとそいつはムーだかンーだかよく分からない呻き声とともに顔を上げた。
ひっ、と声を上げてしまった俺をどうか責めないでほしい。
だって色黒の頬にはばっちりノートの跡がついているし、口元はよだれでベトベトだし、そもそも顔面そのものが何というかすごく……デカい。そして寝起きだというのにこの眼光の鋭さはなんだ。
「えーと、これ後ろに……」
「チッ」
強烈なデジャヴ。あなたもですかクマ美 (仮) さん。俺がいったい何をしたって言うんですか。
震える手でなんとかプリントを渡し、俺は油ぎれの人形のようにギリギリと前を向こうとして――目が合った。
またあの子だ。微動だにせずこちらをじっと見つめている。
俺は慌てて前を向いた。危ない危ない、また変質者扱いを受けるところだった。しかしあのぼーっとした視線は……恋する乙女のそれに見えないこともなかった、ような。
「いやいやいやいや」
思わず口に出してしまった。うるせーよ、とばかりに右隣からチッと舌打ちが響く。ギャル子だ。
いい加減やめてくれないだろうか。聞き慣れたとはいえ嫌なもんは嫌なんだが。
「チッ」
……サーセン。
<●><●>
3時限目。
うーん……見られている、気がする。
多分また例の女の子だ。九割方気のせいだと思うが、残り一割の可能性が俺を揺さぶる。どうしよう、すっごく確認したい。
さっきから目の前のじいちゃん先生に向かって『プリント配れ……プリント配れ……』と念を送っているのだが、一向に配る気配がない。教卓の上に置いてあるのは見えるからそのうち配るとは思うが……くそっ、待ちきれない。
いっそ今さりげなく振り返ってしまおうか。いやダメだ。絶対挙動不審になる。
畜生、早く配れよ……!と激しく歯軋りしていたら左隣から舌打ちが聞こえた。はいはい、どうせギャル子だろ――って、左?
そちらを見るといかにもガリ勉ですといった風のひょろりとした女子が鬱陶しそうにこちらを睨んでいた。やたらフレームのデカい銀縁メガネと逆三角形の青白い顔がキツい印象を与えている。
だがこんなやつに屈するものか。なおもじいちゃん先生に向かって歯軋りしているとカマ・キリ花 (仮) はおもむろに筆箱を探り、カッターナイフを取り出した。
キチキチキチキチ。
刃が限界まで飛び出す。ぶわっ、と冷や汗が湧き出た。自然と歯軋りがやむ。
キチキチキチキチ。
カッターの刃が仕舞われる。
……怖ぇよ。何なのこの席。呪われてるの?
「はい、じゃあプリントを配ります」
「来た!」
キチキチキチキチ。
「……すんません」
<●><●>
4時限目。
さっき確認したが、やはりあの子は俺の方を見ていた。それもものすごく真剣な表情で。
あれはもう恋しちゃってるとしか……!いやいや、だめだだめだ!そういう思い込みが身を滅ぼすんだぞ。
俺は忌まわしき中二時代に思いを馳せる。
隣の席の女の子だった。クラスで少し浮いていた俺にも優しくて、消しゴムを落としたら必ず拾ってくれたし、教科書を忘れたら笑顔で見せてくれた。いつしか俺は、彼女は俺のことが好きに違いないと信じて疑わないようになっていた。
いつもクラスの中心にいるような可愛い子だったけれど、それを鼻にかけない良い子だ。クラスのイケメンどもに目もくれず俺を選ぶような確かな目も持っている。そう思っていた――あの時までは。
「はあ?あんなのポーズに決まってるじゃん。『私は可愛くて優しい完璧女子です』ってさ。君なんか好きになるわけないでしょ?」
告白したらそう返ってきた。ツンデレかな?と思いその後もアタックを続けた俺に対し、彼女は怖いくらいの笑顔で言った。
「あのさ、はっきり言わないとわかんないかな?眼中にないって言ってんの。それでもあたしは優しいから構ってやってたの。分かったらもう消えろ。いい夢見られて良かったね、バイバイ」
そう、これが現実。可愛い子が俺みたいな冴えない男子を好きになるなんてオカルトだ。もちろん金持ちを除く。
大丈夫、俺は過去から学ぶ男だ。同じ失敗はしない。あの子も俺のことなんか眼中にないに決まっている。きっと後ろ髪に寝癖があるとか背中にゴミが付いてるとかそんなんだよ、うん。
プリントが配られる。それをクマ美へ回しつつ、俺はまたさり気なく後ろを確認した。
また目が合う。愛おしげに細められた目と微かに笑みをたたえた唇、窓からそよぐ風になびくセミロングの髪。俺はそれに目を奪われた。
……畜生、何でだよ。好みのタイプには少し足りないのに、そんなに見つめられたら――気になっちゃうじゃないか。また同じ失敗を繰り返せというのか、俺に?
がばっと頭を抱えると両隣と背後から舌打ちが聞こえてきたが、ブサイクに構っている暇はないので無視した。
<●><●>
「――見られてる気がする?」
「ああ、そうなんだよ」
昼休み。クラスで唯一の友人に相談すると、奴は残念なニキビ面を歪ませて笑った。
「そりゃお前、好かれてるとしか考えられないだろ。告っちまえよ」
「やっぱそうなのかな……でも告白して勘違いだったらめちゃくちゃハズいじゃん」
過去と同じ思いはしたくない。
「どんな勘違いだよ?」
「いや、ほら……ただボーッとしてただけとか」
「毎時間か?」
「黒板見てただけとか」
「ノートもとらずにか?」
「寝癖がついてたとか虫が飛んでたとか」
「そんなことは全くないし虫も飛んでなかったぞ」
「俺の近くの別の男子を見てた、とか」
「お前の周り女子だらけじゃん」
そうでした。まさかのハーレム席でした。全員ブサイクだけどな。
「なあ、いい加減認めろって。絶対お前のこと気になってるよ、その子」
「そうかなぁ…………ふふふ、そうかもぉ」
にやける俺の肩を奴が叩いてみせた。
「そうだって。告白してみろよ」
「うへへぇ、そうしちゃおっかなぁ」
「おう、そうしろそうしろ。そんで玉砕してこい」
「おいてめぇそっちが本音だな!?」
にやけ顔をさっと引き締めると、奴はものすごく冷たい目で俺を見下ろした。
「当たり前だろ。抜け駆けなんて許さねえからな」
「なんて薄情な……!だからお前友達出来ないんだよ」
「お前もな」
「…………」
それを言ってくれるなよ。
数秒の沈黙ののち、俺は不敵に笑った。
「……ふっ、あとでを吠え面かくがいいさ」
せいぜいこの時背中を押してしまったことを後悔するんだな。
「安心しろ。そんな未来は99%ありえない」
「1%残して保険をかけたな。ほらみろ、自信ないんじゃないか」
「バッカだなぁ。100%ダメだなんて言って諦められたりしたら、玉砕するお前が見られなくなるだろ?」
どこまでも薄情な奴だが、まあそういうことにしといてやろう。すべてが終わった後、存分に高笑いしてやろうじゃないか。
<●><●>
そしてやってきた五時限目。
背中が燃えるように熱い。ああ、またあの子からの視線が俺に降り注いでいるんだな……ということが振り返らずとも分かる。これであの子の成績が落ちたりでもしたら全面的に俺の責任と言っていいだろう。ああ、なんて罪な男。
しかし、だ。あまり呑気なことも言っていられない。
ずっと見つめているのに全く気付いてくれない鈍さに、彼女はさぞやきもきしていたにちがいないのだ。俺は一刻も早くその切ない想いに応えてやらねばならない。いや、最早答えてやらなくちゃという義務感ではなく俺自身の望みだ。
だって、あの熱烈なアプローチから逃れられる男がいると思うか?いるとすりゃそいつはホモだね。断言出来る。ちなみに俺はホモではない。
だがしかし――待てよ。
もしあの子が『見つめているだけでいいの。いつか終わってしまうくらいならいっそ始まらないままで……』とか思っていたらどうしよう。あとは、漫画とかでたまに見る『想いが伝わればそれでいいの』系女子とか。主人公がほかの子を好きだと勘違いしたまま告白するヒロイン的なあれだ。
だがそういう子を見るたび、俺は『そんなことってあるのか?』と思う。告白した以上はあわよくば付き合いたいと思うもんじゃないのか?返事も求めずに想いを伝えるなんて、その子も告白された方も辛くなるだけじゃないか。
……よし、決めた。
俺は彼女にそんな悲しい思いはさせない。彼女の切ない片想いに終止符を打ってやれるのはこの俺しかいないんだ!躊躇っていてどうする!
「うおおおおおおおおおおおッ!」
「チッ」
ん、今前から何か舌打ちが聞こえたような。どうせギャル子とかカマキリだろ、無視無視……って、前?
冷や汗を垂らしながら顔を上げると、額に青筋を立てた担任と目が合い――俺は無言で教室からつまみだされた。
<●><●>
六時限目になって教室に戻ると、クラスメイト全員の視線が俺に突き刺さる――かと思えばそうでもなかった。俺が授業中に突然奇声を発するなんて日常茶飯事……というわけではないはずだが。おかしいな。
しかしチャイムとともに席に着いた瞬間、ひとつの強烈な視線が俺に突き刺さった。間違いない、あの子だ。
さて、どうやってこの想いを伝えようか。
シチュエーション、というのはとても大事な要素だ。これひとつで成功するはずだった告白が失敗に終わることもありうる。逆もまた然り、だ。
まあ今回に関しては、彼女はすでに俺のことが好きなわけだから失敗する確率はほぼないに等しい。だがこの勝負一発で嫌われてしまう可能性もあるから油断は禁物だ。なにせ俺と彼女は一度も会話を交わしたことがないからな。『まさかこんな人だったなんて……幻滅』なんて言われてしまったら立ち直れない。
俺は字があまり上手くないので、ラブレターという手段もあまり使いたくない。練りに練った最高のセリフが殺されてしまう。電話やメールは連絡先を知らないので却下。LINEもクラスのやつに参加してないから却下。と、なるとやはり直接伝えることになるわけだが……。
中学の時は早朝の教室で、だった。二人で日直だったからな、いいタイミングだと思ったんだ。だがまあ知っての通りその結果は惨敗。もうあんな思いはしたくない。と、すると同じようなシチュエーションは避けるべきだろう。
俺は背中に刺さる視線の元に意識を集中させた。彼女が求めているシチュエーションは何だ?考えるな、感じるんだ――!
六限目が終わった直後、俺はロッカーに向かうふりをして彼女の耳元でそっと囁いた――話があるんだ、放課後ちょっと付き合ってくれない?――と。
<●><●>
そして、放課後。
「――ねえ、俺と付き合ってみない?」
夕日に染まる屋上で、俺は白い歯をキラリと光らせて前髪をかき上げてみせた。
どうだ、この練りに練った完璧なシチュエーションは。ずっと見つめるだけだった憧れの人にこんなセリフを言われたら、どんな女子でもくらりと眩暈を覚えるに違いない。
実際彼女は小さな目で穴が開くかというほど俺の顔をじっと見つめている。それはもう、愛おしげに眼を細めて。
――そしてそのまま、1分ほどの時間が流れた。
……あれ、おかしいな。いくらジーンときて言葉にならないからって長すぎやしないか?せっかくカッコよくキメたのにこれじゃちょっと間抜けになってしまう。
「……あの」
俺が戸惑っているのを感じ取ったのか、彼女はようやく口を開いた。
「な、なに?」
「どうしてキミと私が付き合うって話になっているのかな?」
「えっ?」
「普通こういうのって告白の後にするものじゃない?」
……俺としたことが迂闊だった。先走り過ぎて一番大事なことがすっぽりと抜け落ちていたようだ。
「ごめん、じゃあ今さらだけど言わせてくれ。俺は君のことが……好きだよ」
あらかじめ用意していたわけじゃないから随分とストレートな言い回しになってしまった。
「…………そっか」
これじゃカッコつかないな、と思っていたが彼女の方はまんざらでもなさそうだ。僅かに頬を赤らめ、くるんとした瞳をふるりと揺らした。
「その……一応、聞いてもいいかな?」
「何を?」
彼女は少しうつむいて、やや長い前髪で目を隠すようにしながら尋ねる。
「私とキミってさ、多分一回も話したことないでしょ?なのになんでその……私なのかなって」
そんなの、簡単だ。また少し余裕を取り戻した俺は微笑みを浮かべてみせる。
「ずっと俺を見つめていただろ?それで俺も君が好きになってしまったんだ」
うーむ、我ながら完璧な切り返し。さりげなく『ずっと気づいていたんだよ』アピールも入れてある。『あなたも私のことを見ていてくれたのね、嬉しい……!』的な反応が目に見えるようだ。
だがまあ、なかなか恥ずかしいなこれは。彼女がなかなか告白に踏み切れなかったのも頷ける。
「……何のこと?」
しかし彼女の方はきょとん、とした顔で俺のことを見上げていた。さっきまで僅かに紅潮していた頬はすっかり元通りになっている。
……なんだろう、ものすごく嫌な予感がするぞ。
「いやだってほら、授業中ずっと俺の方を見て……」
すると彼女は合点がいったようにああ!と両手を叩いてみせた。
「最近目が悪くなってきちゃったみたいで一番後ろからだとぼんやりとしか前が見えなくてね、授業が終わってから友達にノート見せてもらってるの。でも授業中何もしないわけにもいかないし、とりあえず先生の方を向いとけば真面目に聞いてるように見えるかなーって」
「へ、へぇ……」
彼女の席から教卓の方を向けば、当然その間には俺が入るわけで。
「なんかこう、愛おしげに目を細めていたりもしたような……」
「なんとか黒板見えないかなぁって。でもピントが合いそうで合わないんだよねぇ」
あー、はいはい。なるへそ。
「だから、別にキミのことを見てたつもりはなかったんだよ。ごめんね?」
いやにこにこ笑ってるけどさ、正直可愛いけどさ、それってあんまりじゃあないか?
「……ごめん、ひとつだけいいかな」
「なぁに?」
可愛らしく小首を傾げた彼女に、俺はありったけの息を吸い込んで叫んだ。
「――眼鏡買えよおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!!!!!」
人生最大の叫びだった。
「はぁ……はぁ……」
荒い息をつく俺に彼女は微笑んだ。
「ありがとう、今度眼科に行ってみるね」
「是非そうしてください……」
切実に願うよ、本当に。
「ねえ、それでさ」
「なに?」
「キミも一緒に来てくれない?」
「……は?」
顔を上げると、彼女はまた小首を傾げてみせる。
「私と付き合ってくれるんじゃないの?」
えっと……どういう状況だ、これは。
『付き合ってくれ!』
↓
『どうして私なの?』
↓
『君が好きだからさ!』
↓
イマココ
あー、なるほど。俺が交際を申し込んだって事実は変わっていないわけか。
「えっと……いいの?」
「うん、だって私彼氏とかいないもん。キミ面白いから付き合ったら楽しそうだなーって」
彼女はにこにこ笑う。これはうん、あれだな。
「これがモテ期か……ッ!」
「違うと思うよー。おーい、聞いてる?」
「大好きです!」
「あ、ありがとう……」
――かくして眼科デートの末、俺は可愛い眼鏡っ子の彼女を得たのだった。
おわり。