黄金の秘密と、予言者の影
村人たちが嵐のように去っていった後、社には以前にも増して深い静寂が訪れていた。 琥珀様が降らせてくれた雨は、乾ききっていた山を潤し、庭の草木をいっそう鮮やかに輝かせている。 けれど、私の心には、あの日村人たちが口にした不気味な言葉が、澱のように沈んでいた。
「黄金を生む、器……」
縁側に座り、私は自分の掌を見つめる。 継母にこき使われ、あかぎれだらけだった私の手。 琥珀様に慈しまれ、毎日温かいお湯で清められるようになった今では、驚くほど白く、柔らかくなっている。 でも、この手が黄金を生み出すなんて、どう考えても信じられなかった。
「紗良。また、そんな難しい顔をして何を考えている」
背後から響いたのは、凛としていながらも、私にだけは甘い響きを帯びる琥珀様の声だった。 彼は音もなく私の隣に腰を下ろすと、長い脚を縁側から投げ出した。 銀色の髪がさらりと肩からこぼれ、太陽の光を反射して眩しい。
「あ、琥珀様。……あの、村の人たちが言っていたことが、少し気になってしまって。私が黄金の器だなんて、そんなことあるはずないのに」
「ふん、欲に目が眩んだ人間どもの妄言だ。気にする価値もない」
彼は鼻で笑い、私の肩を引き寄せて自分の胸元に閉じ込めた。 逞しい腕の感触。彼の体温が薄い着物越しに伝わってきて、ドクドクと早まる心臓の音が自分でもうるさいくらいだ。 あなたは、どうしてそんなに平然と私を抱き寄せるのですか⁉
「でも、琥珀様。あの預言者という人は、どうして私の居場所を知っていたんでしょう。それに、私のことをそんな風に呼ぶなんて……」
私の問いかけに、琥珀様の金色の瞳が、一瞬だけ鋭く細められた。 彼は私の髪を愛おしそうに指で弄りながら、低く、重厚な声で語り始める。
「……紗良。この世には、稀に『神の欠片』を持って生まれてくる人間がいる。本人は気づかずとも、その身に流れる血が、周囲に富や恵みをもたらす特異な存在だ。あやつらが言っていたことは、あながち間違いではないのかもしれん」
「え……⁉ じゃあ、本当に私が……?」
「だがな、それは同時に、欲深い連中にとっての獲物になるということだ。あの村人どもが戻ってきたのも、お前という人間を愛しているからではない。お前がもたらす『富』が欲しかっただけだ。……それが、私には我慢ならん」
琥珀様の腕に、ぐっと力がこもる。 彼がどれほど私を大切に思い、守ろうとしてくれているか。 その強い抱擁が、言葉以上に私の心に響いた。
「私、私ね……黄金なんて、一粒もいらない。ここで琥珀様と一緒にいられるなら、それだけで一生分の幸せを使い果たしているもの。だから、私を離さないで……」
「当たり前だ。お前は私の番であり、私が唯一愛でると決めた伴侶だ。黄金が欲しければ、私がいくらでも山から掘り出してやる。お前が誰かの道具にされることなど、私が、この龍神としての誇りにかけて許しはしない」
彼は私の額に優しく唇を落とすと、そのまま耳元で熱く囁いた。
「紗良、お前はただ、私の側で笑っていればいい。お前の笑顔こそが、私にとっての真の黄金なのだから」
その言葉に、胸の奥が熱く、苦しくなるほどの喜びで満たされる。 けれど、幸せを感じれば感じるほど、私を狙う不穏な気配が強まっていくような、そんなざわめきを肌で感じていた。
翌日、私は社の奥にある古い書庫で、何か自分に関する記述がないか調べてみることにした。 琥珀様は「休んでいろ」と言ってくださったが、私も彼の負担になりたくなかったのだ。 埃を被った古い巻物を手にとり、一つ一つ紐解いていく。 龍神の歴史、山の成り立ち、そして……。
「……あ。これ……」
見つけたのは、墨の色も褪せた一冊の古い日誌だった。 そこには、かつてこの社を訪れた「黄金の乙女」についての伝承が記されていた。 乙女が涙を流せば、それは真珠になり。 乙女が心から笑えば、その足元には黄金の花が咲く。 けれど、その乙女は最後、欲に駆られた人間に捕らえられ――。
「……ダメ、これ以上は読みたくない」
私は日誌を閉じ、震える手で胸を押さえた。 もし私が本当にその乙女と同じ運命を辿るのだとしたら。 琥珀様まで、私のせいで争いに巻き込まれてしまうのではないだろうか。
「何をしている、紗良」
冷ややかな声が書庫に響き、私は飛び上がった。 入り口に立っていたのは、琥珀様ではなかった。
黒い法衣を纏い、顔を深いフードで隠した見知らぬ男。 彼の手には、禍々しい気配を放つ錫杖が握られていた。
「お前が……黄金の器か。ようやく見つけたぞ」
男の口角が、暗闇の中で歪な形に吊り上がる。 私は恐怖で声も出せず、ただその場に立ち尽くすしかなかった。 琥珀様、助けて――‼ 心の中で彼の名前を叫んだ瞬間、男が杖を突き立て、社を激しい衝撃が襲った。




