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偽りの生贄として捧げられた先で、孤独な龍神様に「愛しい人」と甘やかされています  作者: 夏野みず


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穢れた欲と、神の怒り

 社の門前に集まった村人たちの叫び声が、静かな山に響き渡る。


 私は琥珀様の背中の後ろに隠れながら、震える手で彼の衣を握りしめた。  結界の向こう側に見える村人たちの顔は、どれも欲にまみれ、浅ましく歪んでいる。


「お返しください! その娘は、奇跡を呼ぶ聖女だったのです! 預言者が申しておりました!」


 村長の叫び声に、後ろにいた継母も必死な形相で同調する。


「そうよ! 紗良は私の自慢の娘なの! あんな無礼な形で捧げてしまって、申し訳ございませんでした! さあ、紗良、こっちへ戻ってきなさい!」


 ……自慢の娘⁉  今まで一度も私を名前で呼ぶことさえしなかった彼女が、どの口でそんなことを言うのだろう。  あまりの身勝手さに、悲しみよりも先に、冷めた感情が胸を支配する。


 琥珀様は、低く唸るような声で吐き捨てた。


「……消え失せろ、羽虫ども。この娘を『不要だ』と捨てたのはお前たちだろう」


「それは誤解でございます! その娘がいなければ、村に金が降らぬのです! 預言者が、その娘こそが黄金を生む器だと……!」


 彼らの目的は、私自身ではなかった。  どこかの預言者が言ったという、根も葉もない「黄金」の噂。  彼らはただ、私を便利な道具として、再び手元に置きたいだけなのだ。


 私は琥珀様の背中から、一歩前へ出た。  震える足を踏みしめ、結界の向こう側の村人たちを真っ直ぐに見つめる。


「私は……戻りません! 私はもう、あなたたちの家族でも、村人でもありません!」


「何を言うか、紗良! 親に向かってその態度は何だ⁉ さっさと戻って、村のために働きなさい!」


 継母の怒号が飛ぶ。  けれど、今の私には琥珀様がついている。  彼がくれた簪を指で触れ、私ははっきりと告げた。


「私は、琥珀様のものなんです! ここで彼と一緒に、生きていくんです!」


 その瞬間、琥珀様の気配が劇的に変わった。  周囲の空気が凍りつき、凄まじい雷鳴が轟く。  彼は私の肩を片手で抱き寄せ、もう一方の手を村人たちの方へ向けた。


「――聞いたか。この娘は、自らの意志でお前の元を去った。これ以上、我が愛しい人に穢れた声を浴びせるというのなら……」


 琥珀様の金色の瞳が、殺意を孕んで細められる。  彼の背後に、巨大な龍の幻影が浮かび上がった。


「貴様らの村ごと、永遠の渇きの中に沈めてやろうか⁉」


 神の怒りに触れた村人たちは、悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。  村長も継母も、腰を抜かして震え上がっている。  彼らは蜘蛛の子を散らすように、山を下って逃げ出していった。


 ◇ ◇ ◇


 嵐のような騒がしさが去り、社に再び静寂が戻る。  琥珀様は私を抱いたまま、深いため息をついた。


「……怖かったか。紗良」


「……少しだけ。でも、あなたが守ってくれるって分かっていたから。……ありがとう、琥珀様」


 私は彼の胸に顔を埋め、力を抜いた。  すると、彼は私の体をさらに強く抱きしめ、耳元で低く囁いた。


「……あいつらは、お前を『黄金を生む器』と言ったな。ふん、浅ましい。お前の価値は、そんな安っぽい金などではないというのに」


「琥珀様……?」


「お前は、私に『独りではない』ということを教えてくれた、唯一の光だ。誰にも渡さん。例え、天界が引き裂こうとしてもな」


 彼の独占欲の強い言葉に、私の心臓はまた激しく波打つ。  でも、それは嫌な感覚ではなかった。  誰かに必要とされ、誰かに執着されること。  それがこんなにも、心を震わせるものだなんて知らなかった。


 琥珀様は私の顔を持ち上げると、愛おしそうに眉間を寄せた。


「紗良。私、私ね……お前がいない世界なんて、もう考えられぬ。だから、約束しろ。何があっても、私の側を離れないと」


「……はい。約束します。私、私ね……琥珀様の隣が、一番好きなんです」


 そう答えると、琥珀様はようやく安心したように微笑んだ。  彼は私の簪を直し、そのままそっと唇を重ねてきた。  それは、春の雨のように優しく、けれど一度触れたら離れられないほど深い口づけだった。


 あなたは、どうしてこんなに甘く私を呼ぶのですか⁉  私は彼に身を預け、神様の情愛に溺れていく。


 けれど、村人たちが言っていた「預言者」の存在が、私の胸に小さな刺を刺した。  あの預言者とは、一体誰なのだろう。  そして、どうして私のことを「黄金の器」などと呼んだのだろうか。


 幸福の裏側に、新たな波乱の予感が渦巻いていた。  それでも、繋がれたこの手だけは、決して離さないと心に誓った。

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