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過去に導かれて

 翌日、白雅と紫闇は手分けして町の医術師たちから話を聞き、『声の出ない旅人』たちの情報を集めることにした。


 その結果──。


「まさか、こんなことになっていたとは……」

「これは……さすがのアタシも予想外だわ」


 昔から『声の出ない旅人』はときどき存在したらしい。彼らは一様に、喉の渇きと声が出ないことを筆談で訴えてきたそうだ。


 そして驚くべきは、その『声の出ない旅人』のほとんどが、この国を出ることなくその生涯を終えていた、という事実だった。


「最初は、喉の渇き。次に声が出なくなる。やがて呼吸が浅くなり、手足に痺れが出始めて……」


 紫闇が指折り、その特徴を挙げていく。


「それから意識が途切れ、最後は苦しみながら死に至る……これってどういうことだと思う?」


 白雅は昔に学んだ医術の知識を総動員しながら、顎に手を当てて考え込んだ。


「……初期段階で声が出なくなることを除けば、典型的な呼吸筋麻痺の症状だな」


 白雅の背筋に、薄い嫌な冷たさが走った。胸の前で指を組み、わずかに眉根を寄せた。


「手足の痺れは、おそらく過呼吸によるものだ。呼吸が浅く速くなると出やすいんだ」


 一度息を吸い、慎重に言葉を選ぶ。


「ただ……進行が妙に遅い。もし砂毒が実在するなら、遅効性──つまり『じわじわ効く』型の毒だと思う」


 昔学んだ医術書の一節が、脳裏で一人でにめくれた。ゆっくり蝕む毒ほど、発見は遅れ、被害は深い──。


 その説明に、紫闇は深いため息をついた。


「問題は、いつ、どこで、どうやって、どんな毒物を摂取したか、よね。でも、みんな口を揃えて答えるのよ。わからない、って」


 思わず白雅は目を丸くした。


「紫闇でも聞き出せなかったのか?」

「アタシの直感だと、みんな本当に心当たりがなさそうだったわ。この分じゃ、あとは闇市くらいしか情報は出てこなさそうねぇ」

「闇市か……」


 言葉にした途端、胸の奥で古傷がかすかに疼き、喉の奥がひりつくように乾いた。


 闇市とは、夜にだけ開かれる違法市場のことである。そこではどんなものでも取引される。物も、情報も、そして、人間さえも。


 その表情の変化を目の当たりにした紫闇は、なにかに気づいたように声の調子を落とした。


「……ごめん、アンタの前でする話じゃなかったね」

「いいんだ。昔のことだし、私は赤鴉に救われたから」

『……なにかあったのか?』


 竜神の声がする。白雅は事情を知らない竜神のために、少し昔話をすることにした。


「今から十三年前……」


 胸の奥で、あのときの砂埃の匂いがふっと甦った。そのときの光景は、今思い返しても胸がざわつく。


 当時六歳だった私は、その珍しい容姿ゆえに闇市で売られかけていた。人買いたちの隙を突いて逃げ出したものの、複雑な路地で迷い、追っ手に追い詰められた。


 足が竦み、声も出なかった──そのとき、砂を裂くように、ひと筋の影が飛び込んできた。


 十八歳にして名を馳せていた武人・赤鴉だった。ヤツらを薙ぎ払う赤鴉の背は、幼い私にはまるで夜を裂く炎のように眩しかった。


 赤鴉の剣技は豪快にして華麗。鮮やかに追っ手を倒してみせた彼に、私は思わず目が釘付けになっていた。


 そうして白雅は赤鴉の弟子となった。紫闇と出会ったのは、そのあとだ。


『……そうだったのか』


 竜神はどこか気まずそうに呟く。一方で紫闇は当時を懐かしむように目を細めた。


「……そうだったねぇ。あの頃のアンタは本当に可愛くてさ」


 紫闇がクスクスと笑うと、白雅は渋い顔をした。


「またそれだ……」

「今回はやめておくかい? 無理に人助けをする必要はないさ」


 紫闇の気遣いにも、白雅は首を横に振った。


「いや……こうしている間にも、王太子の症状は進んでいるかもしれない。闇市で情報を得よう」


 その紅い瞳には決然とした意志が宿っていた。



──そして、深夜


 宿を抜け出した白雅たちの周囲には、昼間の熱が嘘のように引き、刺すように冷たい空気が路地の隅々に張りついていた。


「では、情報屋を探すとするか」


 荷物から地図と振り子を取り出そうとした白雅を、紫闇が制した。


「お待ち、白雅……情報屋の居場所なら、アタシが知ってるわ」

「詳しいのか? 紫闇」

「昔、ちょいとね……アイツはいつも同じ場所にいるから、今回も間違いないはずよ」


 紫闇の案内で複雑に入り組んだ路地を歩き回り、やがて一軒の酒場に辿り着いた。油灯の匂いと、荒っぽい笑い声が奥から漏れていた。


 注意してよく見なければ、うっかり見過ごしてしまいそうになるその酒場は、中に入ると意外なほどに広かった。


 紫闇の足がピタリと止まる。その視線の先で、ひとりの男が杯を傾けていた。


 短い黒髪。褐色の肌。精悍な輪郭に、漆黒の瞳。その瞳の奥に、油断すると喰われそうな獣の匂いがある。砂漠の闇市には不釣り合いなほど整った顔立ちなのに、纏う空気はどこか粗野だった。


 杯を傾けていた男が、わずかな空気の揺れを捉えたかのように振り向き、目を見開いた。


「よう。久しぶりじゃねぇか、サリナ」


 『サリナ』と呼びかけられた紫闇は、眦を吊りあげた。


「その名で呼ぶんじゃないよ、ガルハーン」


 男──ガルハーンは悪びれずに小さく肩を竦めただけだった。その軽口の奥に、砂漠育ちの獣のような鋭さが一瞬覗いたのを、白雅は見逃さなかった。


「おっと、悪ぃな。改名したんだっけか?」

「そうよ。今は紫闇と名乗ってるんだから、そっちでお呼び!」


 不機嫌そうに吐き捨てる紫闇に、男は不思議そうに首をかしげた。


「そうかい。シアンねぇ……俺からすると大して変わり映えしねぇんだが」

「字面で意味が大きく変わるんだよ、このトンチキ!」


 紫闇の言葉は容赦がない。ガルハーンは肩を竦め、フンと鼻を鳴らした。


「そんなもんかねぇ……それで? 六年ぶりに帰ってきて、この俺になんの用だ? シアンさんよぉ」


 ガルハーンの漆黒の瞳に鋭い光が生まれた。ここから先は旧知のやりとりではなく、闇市の領域ということだろう。


 紫闇もそれを察したのか、口調を整えた。


「アンタに客を連れてきたのさ、ガルハーン」

「……客?」


 そこでようやく、ガルハーンの視線が紫闇の背後にいた白雅に向けられる。白雅は彼の前に進み出た。


「私だ。白雅という。アンタが情報屋か?」


 確認する白雅を、ガルハーンは小馬鹿にでもするように鼻を鳴らした。


「シアンの紹介だろうが、顔すら見せねぇヤツに教える義理はねぇなぁ。この闇市は売り手と買い手の相互の信用で成り立ってんだよ。顔洗って出直してきな」

「ちょいと、ガルハーンったら! こっちにも事情ってもんが……!」


 慌てて補足しようとする紫闇を、白雅はそっと止めた。


「いいんだ、紫闇。顔を見せればいいんだろ? ……後悔するなよな」


 白雅が指先を頭巾にかけた瞬間、空気が張りつめ、酒場の喧噪がゆっくり遠のいていった。店内の視線が、知らず集まる。


──静かに、外套の頭巾を外す


 現れた白い髪と紅い瞳に、ガルハーンが思わず目を瞠る。周囲の人々からもどよめきが起きた。


「……こいつは面白い。『白い子供』か。それなら容姿を隠すのも頷ける話だが……あいにくと決まりでね。悪く思うなよ?」


 白雅は静かに頷きを返した。


「もちろんだ。まずは非礼を詫びるよ。それで……欲しい情報があるんだ」

「なんの情報だ?」


 興味深そうに白雅を見るガルハーンに、白雅は端的に本題を口にした。


「砂毒について」


 白雅の口からその名が出た途端、ガルハーンが目を大きく見開き、酒場のざわめきが嘘のように消えた。空気そのものが凍りついたかのようだった。


 ガルハーンが沈黙を破る。その瞳から好奇心の色は消えていた。


「……そいつは生半可な対価じゃ語れねぇ話題だ。お前……消えるか?」


 パチン! とガルハーンの指が鳴る。その瞬間、なんと酒場で飲んでいた男たちが一斉に白雅目がけて襲いかかってきたではないか。


 白雅は腰に穿いたふた振りの剣を鞘ごと抜くと、滑るように床を蹴る。踏み込みの瞬間、世界の輪郭がひと息に細くなる──白雅はその感覚を、嫌というほど覚えていた。

 一歩踏み込むと同時に、白雅の身体が影のように揺れた。一歩で三人の懐に入り込み、鞘ごとのひと薙ぎで、三つの身体が同時に沈む。


 ガルハーンは思わず目を瞠った。白雅の動きは、砂を蹴る音すら残さず、ただ風だけが抜けていくかのようだった。


 あっという間に男たちが気を失って床に転がった。白雅は剣を抜くことすらしなかったというのに。


「……見事なもんだ。俺の手下どもをこうも鮮やかにのしちまうとは──気に入った。いいだろう。情報はくれてやる。だが、対価はきっちり払ってもらうからな」

「ありがたい」


 白雅とガルハーンはさっそく商談に入った。


「結論から言うと、砂毒は実在する」

「!」


 ガルハーンは闇市の事情を語り始めた。もともと砂毒は昔からこの地方に存在したもので、『沈黙の呪い』と地元民から恐れられてきた。だが、毒に冒される者は年に一人、二人いるかどうか。だからこそ、ここ一ヶ月で『声の出ない旅人』が急速に増えているのが異常事態なのだ、と。


 白雅の胸に、説明し難いざわつきが広がった。


「砂毒を扱ってるのは『アズラの民』って連中だ。毒に関しちゃ蛇よりタチが悪い一族さ。ヤツらについて詳しいことは俺でも知らねぇ。だが、最近になって、この闇市に介入しようとしているヤツらがいやがるのさ。それも個人じゃねぇ。組織的なもんだ」

「根拠はあるのか?」


 白雅の問いに、ガルハーンは頷いた。


「お前、この国の政治形態は知ってるか?」

「あぁ。王族と長老たちが対立しながらも政治の要を担う、通称『双月評議』。特に長老会の力が強く、王政は形骸化して久しいと聞いている」


 その淀みのない返答に、ガルハーンは驚きつつも笑みを浮かべた。


「ずいぶんと詳しいじゃねぇか。それなら話は早い。介入しようとしているのは、その長老会だ」

「!」


 思わぬ情報に、今度は白雅が驚く番だった。その名が出た瞬間、酒場の床下を、冷たいものがゆっくり這いあがってくるような錯覚を白雅は覚えた。


「ヤツらは砂毒を手に入れて、なにかをしでかそうとしてやがる。これはあくまで俺の勘だが、『声の出ない旅人』の件は、ヤツらの実験じゃねぇかと思うんだ」

「実験……」


 白雅は呆然とガルハーンの言葉を繰り返す。


「そうだ。本当の狙いはおそらく……」

「……王族か」

「だろうな。だが。あくまで推測だ。根拠はねぇよ」


 一瞬の沈黙が降り、双方、なにも口を利かなかった。白雅は小さなため息をつく。聞くべきことは聞いた。


「それで? 対価はなんだ」

「今それを訊くのかよ……まぁいい。俺の求める対価は、この件を解決することだ」

「!」


 それは──金銭でも品物でもなく、覚悟を試すような要求だった。


「別に構わないが……何故なんだ? 王族がどうなろうが、アンタには関係ないだろ?」


 その問いに、ガルハーンはハッと鼻でせせら笑った。


「裏社会には裏社会なりの秩序がある。俺はそれを乱そうとする連中が許せねぇだけだ」


 睨み合いは数瞬。沈黙を破ったのは白雅のほうだった。


「……なるほどな。そういうことにしといてやるよ」


 ガルハーンの頬がわずかに引き攣った──図星らしい。


「あ? おい、テメェ! 小娘の分際で、なに一丁前にわかったような口利いてやがる」


 口調が一気に乱れたガルハーンに、それまで黙って様子を見守っていた紫闇は呆れたようにため息をついた。


「アンタねぇ……少しは成長したのかと思ったら」

「サリナまでなに言ってやがる。六年前と一緒にすんな」

「紫闇とお呼びと言ってるだろう? アンタにゃ悪党役は無理だね。義侠心がありすぎる」

「む……」


 やり込められたガルハーンは、悔しそうに唇を引き結んだのだった



 酒場からの帰り道。竜神がそれまでの沈黙を破り、白雅に語りかけてきた。


『そなたはまず、先に対価を尋ねよ。話はそれからだ』


 白雅は不思議そうに首をかしげた。


「なんでだ? 璙。先に聞こうが、あとで聞こうが、同じことじゃないか」


 どうせ必要なことなんだし。白雅はそう言って不思議がる。紫闇は白雅に尋ねた。


「璙王はなんて?」

「先に対価を聞けってさ」


 白雅は、人を救いたいという想いが強すぎて、代償を顧みないところがある。やれやれ、とため息をついて、紫闇は白雅の胸を指で突いた。


「アタシも璙王に同感だね。いいかい? 白雅。アンタのその姿勢は間違っちゃいない。でもね、重い対価を引き受けるアンタを、見守ることしかできないアタシらの気持ち、アンタは一度でも考えたことあるのかい?」

「!」


 白雅は思わず目を見開いた。紫闇は続ける。


「大切な相手がつらい選択をするのを見るのも、胸の奥を裂かれるみたいに痛いんだよ」


 紫闇は一旦そこで言葉を切った。


「昔から、アンタのそういうところ……見てるほうがどれだけ怖かったか、わかる?」


 暗に竜神との取引の対価も含めて、紫闇は白雅のやり方を非難する。その双眸には深い哀しみの色が滲んでいた。


「……ごめん。考えたことも、なかった……」


 言葉にしてみると、胸の奥がじんわりと痛んだ。紫闇の言葉は、不意に胸の奥の柔らかいところを掴んできて、白雅は小さく息を呑んだ。自分の選択が、そんなふうに誰かを不安にさせていたことに初めて気づく。


「次からは、先に対価を聞くことにするよ」

「でもアンタ、結局止まらないでしょ。それじゃあ、結果は変わらないじゃない」

「うっ……」


 では、どうすればいいのだろうか。白雅は困惑したように紫闇を見つめる。紫闇はもう一度ため息をついた。


「次からは取引をする前に、もう一度よく考えることだね。アンタが周りの人間を大切にするのと同じくらい、アタシらもアンタのこと、大切に思ってるんだから。自分を粗末にしなさんな」

「……そっか」


 白雅は少し照れたように頬を掻いたのだった。


「だけど、これでだいたい掴めてきたね。次はどうするつもりだい?」

「そのことなんだけど……」


 そこで白雅は一旦言葉を切った。


「王宮でナディル王太子に会おうと思うんだ」


 その名を呼んだだけで、白雅の心のどこかがキュッと締めつけられる。紫闇は小さく息を呑んだ。


「……! 会ってどうするんだい? もしかしたら面会謝絶かもしれないよ?」

「でも、会わなきゃいけない。そんな気がする」


 白雅は十三年前を思い出していた。なんの見返りもなしに白雅を助けてくれた赤鴉。今度は白雅がその恩を周囲に還元していく番だった。


「ねぇ、白雅……」


 紫闇の声が低く沈む。探るような、しかし、どこか哀しみも混じった響きだった。


「アンタがナディル王太子殿下をやたらと気にかけるのは、どうしてだい? このローラン国の民のためかい? それとも──赤鴉のためかい?」

「……わからない」


 白雅は視線を伏せた。胸の奥が、理由のわからない痛みでじくりと熱くなる。


「赤鴉から話を聞いているだけで、この国の王太子と私は面識がない。それでも……赤鴉の友人なら助けたい……そう思ってしまうんだ。その思いがどこから来るのかまでは、私には……」


 そう言って口をつぐんでしまった白雅に、紫闇はため息をひとつついた。


「……そう。アンタは昔からそうさね。困った子だよ、本当に。でも、王宮に行くんなら、アタシも連れて行きな。アンタ一人で突っ走られたらたまらないよ」


 白雅はその言葉に、胸の奥でふっと灯りがともるのを感じた。紫闇は肩を竦めて言う。


「アンタは『助けたい』だけで動くんだろうけど、王宮ってのはそれじゃ通らない場所さ。アタシが横にいなきゃ交渉もできないよ」


 紫闇の言葉に、白雅はようやく自分の口元が緩むのを感じた。


「……それもそうだな。紫闇がいないと始まらない。三人で行こう」


 その言葉を口にすると、白雅は胸の奥がわずかに軽くなった気がした。


 夜明けまであと少し。今は一刻も早く宿に戻って休み、明日に備えるべきだった。


 冷たい夜気の向こうで、薄明かりが世界を染め始めていた。それは嵐の前触れのようにも、希望の兆しのようにも見えた。


 白雅の胸の奥で、なにかが静かに目を覚まし始めていた。

2025/12/15

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