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告白と追憶

『貴女が好きだ』


 あぁ、やっぱり──。そう思った自分に、違っていてほしかったという甘い期待が、胸の奥の傷口にそっと牙を立てた。胸の奥が、グシャリと乱れた。


 紫闇はひとつ深呼吸をすると、首を横に振った。


「……悪いけど、断るよ。アンタはこの国の次期王様だろ? 一方のアタシは流れの呪術師。身分や立場が違いすぎる」


 だが、ナディルはそれしきのことで諦めたりしなかった。


「貴女の身元については私が責任を持つ。教養も、行儀作法も……貴女なら充分に務まる。王妃として『装う』のではない。貴女自身でいい」

「装うって、アンタねぇ……」


 呆れたように苦笑する紫闇は、一拍だけ考えて、すぐにまた頭を振った。


「……やっぱり、断る。アタシは恋愛しないって決めてんだ」


 言葉にすれば簡単だが、胸の奥では今も整理のつかない感情が暴れていた。拒むことで自分を守ろうとしているのか、それとも彼を傷つけたくないのか──紫闇自身、まだわかっていなかった。


「何故?」


 ナディルの朝焼け色の瞳は真摯で、どんな嘘や誤魔化しも通用しそうにない。なにより紫闇自身が彼に対して誠実でありたいと望んでいた。


 紫闇はナディルから視線を逸らし、窓の外へと向けた。太陽の光が降り注ぐ窓からは、懐かしい日向の匂いがした。


 口を開くまでに、紫闇の喉がひくりと震えた。言葉にすれば、きっともう戻れない──そんな予感が胸の奥で鈍く疼き、吐き出す息にわずかな震えが混じった。


「こんなこと、アンタに言うのもなんだけど……アタシさ、赤鴉のこと、好きだった時期があるのよね」

「!」


 ナディルに軽い衝撃が走る。赤鴉の名前を口にした瞬間、胸の奥の古傷がじくりと疼いた。紫闇の話は続く。


「でも……赤鴉はアタシを、仲間としてしか見てくれなくて。隣に立っていても、彼の視線の先にいるのはいつも白雅だった……その顔を見るたびに、自分が透明になっていくみたいで、胸がズキズキしたわけよ」


 紫闇は一旦そこで話を切った。ナディルは黙って話を聞いてくれている。


 当時の自分は若くて愚かで、求めるばかりで相手の心を測ることもできなかった。思い返すたび、あの痛みはまだ少し形を残している。


「それに気づいてからかな? ……アタシは恋をしなくなった。アタシに恋愛なんか必要ない。仕事に生きるんだって、呪術師の道を極めるんだって……そう考えるようになってた」


 紫闇は自嘲気味に呟いた。あの頃の自分は、彼のほんのひと言に浮かれ、ただ視線が自分を通り過ぎるだけで胸が沈んだ。叶わない恋ほど人を縛るものはないと知ったのも、あの痛みを経てからだった。


 恋は怖い。期待してしまう自分が怖い。拒まれたら、壊れてしまう気がする。だから先に、自分から閉ざしてきた。


「アタシはさ……全然お綺麗な人間じゃないの。

養い子に嫉妬して、でも放っておけなくて……好きと嫌いがごちゃ混ぜで、自分でも嫌になるくらい、面倒くさい女さ」

「そうは思わない。人間ならば自然な気持ちだ」


 ナディルの言葉に、紫闇は弾かれたように彼を見た。


「でも……」

「少なくとも、私は貴女の心を醜いとは思わない。愛する者を、己の身を削ってでも救おうとした貴女は、なによりも尊く美しかった」


 貴女の笑顔が好きなのだ、とナディルは言う。


「貴女がかつて恋愛に傷つき、恋することに疲れたというならば、私は待とう。返事を急かすつもりはない。私は、貴女がどれほど心を閉ざしていようと、待てる。ただ……貴女を諦める未来だけは想像できない」


 その誠実でありながらも、どこか押しの強さを滲ませる言葉に、紫闇はつい憎まれ口を叩いた。


「……アタシのこと、なにも知らないくせに」


 だが、ナディルには『柳に風』だった。


「だからこそ、知りたいと思っている。まずは、そうだな……訊いてもいいか?」

「なに?」


 紫闇が小首をかしげる。その仕草がどこかあどけなく感じられて、ナディルは彼女を可愛いと思った。


「私のことは嫌いではないのか?」

「まさか」


 即答した紫闇に、ナディルは嬉しそうに微笑んだ。


「では、私のことは好きか?」


 ほんのわずかに、ナディルの声が震えた。自信家の王子が、まるで少年のような眼差しで答えを待っている。


 途端に紫闇の顔が真っ赤に染まった。うつむいてゴニョゴニョと返事をする。


「……今それを訊くのは狡いでしょ」

「そうだな。少なくとも避けられてはいないし、男として意識されているのはわかった。だったら問題ない。私は待つ」


 短い沈黙が、やけに長く感じられた。互いの心音だけが部屋に満ち、逃げ場のない熱が二人の間に漂い続けていた。


 もう断る理由はない。でも、旅をやめるわけにもいかなくて、紫闇はフンとそっぽを向いた。


「……勝手にしな。アタシは知らないから」


 そんな彼女の手を、ナディルはそっと取った。心底嬉しそうで、そして穏やかな笑みを浮かべて。


「ありがとう。今は、それだけで充分だ」


 その手の温もりに、紫闇はまたしても己の鼓動が高鳴った。壊れるのが怖いのに、抗えない。頬が熱を帯びたのを自覚した。


(……こんなはずじゃなかったのに……)


 紫闇は胸の奥の熱を、まだ持て余していた。


***


 一方その頃、王宮の中庭では。


「お兄様ったら、上手くやっているかしら?」


 ソワソワと気を揉むライラに、白雅は苦笑を隠せなかった。あれだけ紫闇に嫉妬していたというのに、どういう風の吹き回しやら。


「安心しなよ。あれでナディル殿下は行動派だから、たぶん大丈夫だろ」

「そ……そうよね。あのお兄様が、ヘタレなわけないわよね」


 おっと危ない。もし白雅の予想が間違っていたら、ナディルがヘタレ認定されてしまうところだった。


 ライラは指先で庭の葉を弄びながら、落ち着かない様子で視線をさまよわせた。兄に幸せになってほしいと思う一方で、自分だけが取り残されるような不安が胸の奥で小さく疼いていた。

 喜びと寂しさの境目が曖昧になり、胸の奥で小さく揺れるその感情に、ライラは自分ですら名前をつけられなかった。


「うーん……成功してほしいような、してほしくないような……」


 独り言のようなライラの呟きに、白雅はつい笑ってしまう。


「なー。あんだけ嫉妬してたし」

「ち……違うわよ! あれは……」


 慌てて否定するライラの言葉を、白雅は優しく肯定した。


「わかってるって。家族を奪われてしまうみたいで寂しいもんな」

「ハクガ様……」


 しばしの沈黙が降りた。それが苦痛ではない、心地のよい距離感。


「もし……」

「?」

「もし、お兄様の告白が成功して、シアン様がこの国に残ると言ったら、ハクガ様はどうするの?」


 ライラの質問に、白雅は軽く肩を竦めた。


「紫闇の意思を尊重するさ。私だってもう子供じゃない。子供は成長したら、いつか親元を巣立つ。それだけのことだろう?」


 まぁ、少し寂しい気はするけどな。そうまとめた白雅に、今度はライラが苦笑する番だった。


「ハクガ様は、本当にシアン様がお好きなのね」

「家族だからな」


 紫闇には幸せになってほしい。それが家族としての白雅の願いだった。


 しんとした中庭に、風が落ち葉を転がす音だけが残った。



 後日、白雅と紫闇は闇市の情報屋・ガルハーンの元を訪ねた。


 粗末な布を張っただけの小屋の中は外よりも薄暗く、油灯の明かりが紙束の影を揺らしていた。香辛料の香りに混じって、古い羊皮紙の乾いた匂いが鼻をくすぐる。


 小屋の奥には読みかけの羊皮紙が山のように積まれ、油灯の淡い明かりに照らされては、まるで砂漠の夜風に揺れる影の群れのように揺らめいていた。


 紫闇はこの独特の空気を懐かしく感じ、白雅はわずかに肩を竦めた。


 情報の対価の支払いが完了したと伝えるためだった。だが──。


「おう、砂漠の風より早ぇ噂が届いてるぜ。お二人さん、ずいぶん派手に暴れたらしいな? お陰で腐りきった長老会がほぼ丸ごと入れ替えになったって聞いたぞ」


 二人を見るなりガルハーンはそう言ったのだ。


「相変わらず耳が早いねぇ、アンタは……」

「当ったり前だろ。それが情報屋ってもんだ」


 どこか得意げにしているガルハーンに、紫闇は呆れたように苦笑した。


「それより、なぁ、サリナ」

「紫闇とお呼びって言っただろ?」

「いいじゃねぇか。今更」

「よくないよ……全然よくない」


 どうあっても呼び名を改める気のないガルハーンに、紫闇も半ば諦めていた。


「……で、なんだい?」

「お前、アリサに会いに行ったらしいな。アイツ、元気にしてたか?」

「……アタシに訊かなくても知ってんだろ?」


 そのお得意の情報網でさ。紫闇はそう皮肉った。だがガルハーンには通じなかったようだ。


「お前の口から聞きたいのさ。なんたって俺たち三人は幼馴染だからな」

「え? そうなのか?」


 白雅は瞬きを忘れた。紫闇とアリサとガルハーン──この三人が幼馴染? 想像もしなかった組み合わせに、思考が一瞬止まった。


 ガルハーンは不思議そうに紫闇を見る。


「なんだ、話してなかったのか?」

「えーっと……うん、アリサは元気だったわよ」


 紫闇は耳の後ろを掻きながら視線を泳がせる。あからさまに話を逸らした紫闇に、ガルハーンはなんとなく事情を察してニヤリと笑った。


「ハクガ、お前さんもアリサに会ったんだよな?」

「え? ……あぁ。なんか会うなり揉みくちゃにされたけど」

「だと思ったぜ。羨ましいなぁ、おい!」


 自分のこと以外には敏い白雅はすぐに納得した。


「……羨ましい? って、あぁ……そういうことか」

「そういうこと。てんで相手にされてないのよねぇ? ガルハーン」


 ここぞとばかりに嫌味を口にする紫闇だったが、ガルハーンには大して効いていないようだった。


「うるせぇよ。まぁ、それはいいんだ。じゃあ、ハクガ、昔話とか興味あるんじゃねぇのか?」

「あるにはあるが……どうせ対価を取るんだろ?」


 今回はきちんと用心した白雅に、ガルハーンは声をあげて笑った。


「上出来だ。お前さんからはちょいと対価を貰いすぎたからな。ただで教えてやる」

「……いいのか?」


 思わず身を乗り出す白雅に、ガルハーンはニッと歯を見せた。


「おうよ」

「ちょいと、アンタたち!」

「いいから少し黙ってろ、サリナ」


 ガルハーンが油灯の火をひとつ指で弾いて、明かりがわずかに揺れた。彼は懐かしい思い出を胸の奥で転がすように、ゆっくり昔話を始めた。


「サリナは元々、この国の裕福な家の生まれでな。いいところのお嬢さんだったが、市井に興味津々で、たびたび家を抜け出しては俺やアリサとつるんでいたってわけよ」

「へぇ……そうだったのか」


 確かに紫闇ならさもありなん。白雅は頷いた。


「まぁ、それもサリナとアリサが砂狼の神殿の巫女候補に選ばれるまでの話でな。俺はそのあと持ち前の人脈を活かして情報屋を始めたんだが……まぁ、その話はどうでもいい」

「紫闇って巫女候補だったのか。凄いな」


 初めて聞く紫闇の昔話に、白雅は目を輝かせた。


「……ったく、もう好きにしな!」


 ついに諦めたらしい紫闇に、ガルハーンは苦笑した。


「まぁ、巫女候補ってヤツは窮屈な生活を強いられるんだ。朝起きてから寝るまで、祈祷や儀式、教養や礼儀作法、薬草の知識、巫女になったら必要なもん、全部叩き込まれるのさ。その間、神殿を出ることすら許されねぇ」


 ガルハーンが言うと、紫闇は黙って肩を竦めた。


 まずは一日三回の祈祷。それから神殿の食事は薄味の上に量も種類も少なく、娯楽の類は一切禁止。廊下は無言で歩かなければならなかった。


 朝の冷えた石床に膝をついたまま、無言で祈り続ける少女たちの姿。紫闇は、まぶたの裏で今でもその光景を思い出せる。


 朝露の冷たさが残る石床は、冬でも夏でも容赦なく体温を奪った。祈祷の声が静かに反響する神殿の廊下は、どれも同じ形で、どれも冷たく広く、少女だった紫闇には世界そのものが灰色に見えたものだ。


「ひぇ……」


 自分では考えられない境遇に、白雅は思わずブルリと震えた。よく紫闇が我慢したものだ。


「俺もそこは同感だ。サリナとアリサはよく耐えたよ。そして、巫女選定の儀式の日がやってきた」


 その結果、アリサが選ばれ、紫闇は選ばれなかった。だが、ここからが紫闇の凄いところだった。


「神殿での厳しい巫女修行中に、呪術師としての適性を自覚したサリナは、神殿を出されたあと、どういう心境の変化か実家を出て、呪術師見習いとして働き始めたんだ」


 ガルハーンの説明に、白雅は首をかしげた。


「どうして実家を出たんだ? 紫闇」


 紫闇は観念したかのように口を開いた。


「きっかけは……巫女選定の儀式前に、当時まだ下っ端文官だったラフィーク殿に出会ったことさね」

「!」


 思わぬ名前に、白雅は目を丸くした。今まで断片的だった紫闇の過去が、すべてつながった気がした。


「ラフィーク殿は当時から今みたいな感じでね。とにかく穏やかで優しかった。厳しい修行に疲れていたアタシに、彼はいわゆる『庶民的な優しさ』を思い出させてくれたのさ」


 紫闇が修行で泣かされた夜、こっそり外回り中のラフィークが差し入れてくれたハーブティー。湯気に乗って広がったハーブの香りは、石壁にこびりついた冷気よりも確かに温かかった。


 ひと口飲んだ瞬間、張り詰めていた胸の奥がふっとほどけた。あの夜の味は、今でも忘れられない。誰かが自分を気遣ってくれたという事実。ラフィークには昔も今も助けられてばかりだ。


 だから紫闇は実家を出た。限られた狭い世界ではなく、もっと広い世界を見たかった。神殿の壁に閉じ込められた未来を思うと、息が詰まりそうだった。だからこそ、世界のどこかにいる『まだ出会っていない自分』を探したかった。


「まぁ、ここからの話は短ぇが濃いぜ」


 ガルハーンはニヤリと笑った。


「そっからのサリナの快進撃は凄かった。あれよあれよという間に呪術師としての才能を開花させ、この王都・ザハラで一番の呪術師になっちまったんだ。ま、俺に言わせりゃ、才能だけじゃなく不断の努力の賜物だな」

「……」


 まぁ、神殿の厳しい戒律の反動で、ザハラで一番の賭博師にもなっちまったがな。ガルハーンは苦笑しながらそう補足した。


 紫闇は酒杯を指でいじりながら、目線を落とした。その仕草は、強がりと恥ずかしさと、それでも誇らしい気持ちが入り混じっていた。


「へぇー。さすがだな、紫闇」


 ガルハーンの説明に、白雅は素直に尊敬の眼差しを紫闇に向けたが、紫闇はいたたまれなかった。


「……アタシが赤鴉に出会ったのは、その頃さ。アシュマール族に弟子入りしに押しかけたのもね。そのあとのことはアンタも知る通り。ねぇ、もういいだろ?」


 いたたまれなさすぎて、自分で穴を掘ってでも埋まってしまいたい気分だった。


「あぁ。貰いすぎた対価の差額分としては充分だな。ちょいと話しすぎた気もするが……サリナをこの国に連れてきてくれたことでチャラにしてやるよ」


 今、白雅はなんとなく理解していた。ガルハーンが紫闇に嫌がられながらも、白雅に昔話をしてくれた、その理由を。


 白雅は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。紫闇の過去を聞くにつれ、白雅の胸の奥にあった『距離』が静かに溶けていった。


「……アンタたちにとっても紫闇は大切な存在なんだな」


 白雅のしみじみと実感したような言葉に、ガルハーンはニッと、これまでで一番いい笑顔を見せた。


「当ったり前だろ。これからもサリナのこと、頼んだぜ」

「あぁ……任された」


 アリサに会ったときに感じた疎外感はもうない。ここにいるのは、ただ紫闇を大切に思う『同志』のような存在だった。

2025/12/26

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