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静けさの裏側で

 白雅の言葉が落ちた瞬間、客間の空気がヒヤリと冷えたように張りつめた。ナディルも、ラフィークも、衝撃を受けたような顔をしている。


 張りつめた空気の中、窓の外から吹き込んだかすかな風が、卓上の布片を揺らした。その揺れさえ、誰も言葉にしない緊張を際立たせた。


 長老会──王国の基盤を担うはずの者たちが、裏では毒の研究と密売に関わっている。その確証を掴むこと自体が容易ではない。


 ナディルは組織の中心にいながら、逆に最も動きづらい立場でもあった。


「囮捜査、だと? なにをするつもりなのだ?」


 ナディルの問いに、白雅は直接は答えず、逆に質問で返した。


「その長老会とやらが、砂哭に関する『次の動き』を見せるとしたら、どの場面だと思う?」


 ナディルは白雅の無礼を咎めることなく、顎に手を当てて考え込んだ。


「ふむ……完成した砂哭を『どこかへ送る』ときだな」

「その通り。一つ目──既に『試作品』は完成している。二つ目──使うにせよ売るにせよ、必ず『運ぶ』必要がある。その瞬間、物資の流れが生じる」


 ナディルは深く頷いた。


「つまり、『砂毒の輸送経路』に目星をつけ、ヤツらが動いた瞬間を押さえる……そういうことか?」

「あぁ。ただし、問題がひとつある」


 白雅は、卓の上に置かれた布片──双月と蛇の紋章を見やる。


「長老会は、証拠を隠すのが上手い。兵が単独で動いても、それが『長老会の命令』だったという証明が難しい」


 確かに、とラフィークが頷き、ナディルが静かに口を開く。


「長老会は……自分たちの影が一滴でも漏れれば、平気で実行犯を切り捨てる連中だ」


 ナディルの声は低かった。


「証拠を残さないためなら、兵を『処分』することすらためらわん」


 その言葉は、薄暗い客間の中に重く沈んだ。誰もすぐに口を開けず、ただ砂が落ちるような静寂だけが流れた。


 白雅は唇を引き結んだ。返事をしたのは意外な人物だった。


「……だからこそ、誘導して確実な場面で尻尾を掴む必要があるのさ」


 客間の外で、ふわりと布の擦れる気配がした。振り向けば、紫闇がぐっすり眠ったライラ王女を抱いて立っていた。


 紫闇はそっと侍従に王女を引き渡すと、卓に戻りながら、ニヤリと口端を吊りあげた。


「誘導?」


 ナディルが眉を跳ねあげた。


「そうさね。ヤツらが『喉から手が出るほど欲しい情報』を、こっちからチラつかせてやるのさ」


 紫闇は指を二本立て、クルリと回した。


「簡単に言えば──『餌』をまくって話だよ」

「餌……?」


 ラフィークが瞬きをする。


「『砂哭の解毒薬の完成情報』、これほど魅力的な餌があるかい?」


 紫闇は真剣な目で三人を見渡す。


「長老会の目的が砂哭の独占と研究なら、解毒薬が完成したとなれば、ヤツらは黙っていられない。民に解毒薬が行き渡れば、砂哭の価値が暴落しちまうからねぇ」

「あぁ。ヤツらにとっては致命的だ」


 白雅も頷く。ラフィークが尋ねた。


「では、『完成した解毒薬を王都に運び込む』という偽の情報を流せば……?」

「動く。必ずね」


 紫闇の口調は確信に満ちていた。


「しかも、ヤツらが使うのは『長老会直属の兵』。そこを押さえれば、命令系統も炙り出せる」

「……囮捜査、か」


 ナディルが呟くと、竜神の声が白雅の頭に響いた。


『悪くない策だ。だが気をつけよ、白雅。そなたが囮の中心になるのだぞ』

「わかってる。けど──やる価値はある」


 白雅は迷いなく答えた。


「砂哭で死にかけたナディル殿下を助けられたのは、本当に運が良かっただけだ。次は、誰かが死ぬかもしれない。だったら……止めるべきだろう?」


 白雅は言葉にした瞬間、自分でも気づかぬうちに積もっていた『焦り』が、胸の奥でゆっくり形を持ち始めたのを感じた。砂哭によって倒れたナディルの姿が、まぶたの裏に焼きついたまま離れない。


 もし次に倒れるのが誰か名も知らぬ民だったとしても──きっと同じ後悔をする。


 ナディルはゆっくりと目を閉じ、それから深く頷いた。


「……シアン殿。ハクガ殿。ラフィーク。私も腹を括ろう」


 ラフィークもまた静かに胸に手を当てる。


「殿下が行動を起こすのなら、私もお供いたします」

「決まりだね」


 紫闇が座り直す。


「じゃあ──まずは『偽の輸送ルート』を作るところからだよ」

「実行役はもちろん──」


 白雅の言葉に、紫闇は不敵に笑った。


「アタシとアンタが動くのさ。璙王も一緒にね」

『ふむ、面白いことになってきたな』


 竜神の声に、白雅は苦笑しながらも胸の奥にしっかりと決意を宿した。


 長老会は、国の黒い根。正面から挑めば潰される。ならば、逆に──こちらから影を踏みに行く。


「長老会を炙り出す……必ず成功させよう」


 白雅のその言葉に、客間の空気が、再び静かに燃え始めた。


***


 議論は白熱し、囮捜査の準備はその日のうちに進められた。


 紫闇は王都の薬師や行商のうち、『噂に敏いが信用はできる』数名を選び、あえて尾ひれをつけた『匂わせ話』を落としていった。


 それは、長老会が最も敏感に反応する種類の情報だった。


 ラフィークは白雅とともに、薬草と水を『それらしく見えるよう』丁寧に箱に詰めていく。その手つきは、まるで本物の薬を扱うかのように正確だった。箱の中には乾いた木の匂いが満ちていた。


 彼は水袋の重さを慎重に量り、薬草の色味まで細かく調整していた。


「本物に見せるためには、匂いも必要です」


 そう言いながら、香気の弱い葉を一枚だけ忍ばせる。白雅は箱の縄を結び直しながら何度も強度を確かめた。


「……ここを雑にすると、運搬慣れした兵に怪しまれます」


 ラフィークの細やかな指摘に、白雅は素直に頷いた。


 背後に積みあがりつつある偽の荷を振り返り、白雅は複雑な表情で小さく呟いた。


「これを運ぶふりをするだけで、襲撃が起きるんだな……」


 木箱を持ちあげるたび、底で砂がさらりと鳴った。縄を締める白雅の指先には、汗の膜が薄く浮いている。


 ラフィークは横から箱の蓋を軽く叩き、音を確かめるように耳を澄ませた。


「隙間の音が違いますね。もう少し詰めたほうが自然です」

「わかった」


 ナディルは王城の信頼できる兵を、『表向きは通常巡回』という形を取りつつ、長老会兵の侵入経路が限られるよう配置を調整した。


 細かい調整が終わり、四人と竜神が再び一堂に会したとき、すでに時刻は日没間近だった。


「囮として動くのは、白雅とアタシ。璙王は見張り」


 紫闇がそう締める。


『うむ。そなたら人の目で追えぬ動きは、我が見張ろう。怪しい動きがあればすぐ知らせる……ただし、白雅、そなたは自分が狙われる前提で動け』

「了解。いつものことだよ」


 白雅は肩を竦めたが、その目は冴えていた。



──作戦決行一日目の夜


 白雅は砂丘の影──昼間でも人が滅多に通らぬ細道のくぼみに身を潜めながら、じっと夜風を聞いていた。遠くで獣が鳴いたが、追跡者の足音ではない。


 夜は深まるにつれて冷え込み、白雅の頬を掠める風もどこか乾いていた。


 頭上には濃い群青の空が広がり、星々は砂粒のように瞬いている。


 遠くを駆ける砂の音が、まるで誰かが忍び寄る足音のように錯覚させた。


 じっと身を潜めていると、膝の裏がじんわりと痺れ、指先には砂の冷たさが滲んだ。瞬きすると暗闇が揺れ、どこまでが影でどこからが風なのか、白雅には判別がつかなくなる。


『気を張りすぎるな、人の身では夜目も鈍る』


 竜神の声に、白雅は苦笑した。


「鈍るから気を張るんじゃないか……」


 念の為、指定の『偽輸送経路』でひと晩待機していたが、襲撃はなかった。


「また明日以降だな」

「そうだねぇ。帰ってひと眠りしたいとこだわ」


 白雅と紫闇は、その日は宿に戻った。眠りに落ちかけるたび、白雅の首筋を冷たい視線が掠めた。気のせいかもしれない。だが、胸の奥が静かに警鐘を鳴らす。


 まだ動かない──だが、必ず来る。そんな確信だけが胸の奥で静かに燃えていた。


──翌日


 王宮に報告へ向かった白雅と紫闇は、ライラ王女にまとわりつかれているナディル王太子の姿を目撃した。


「ナディル殿下」


 呼びかけると彼がこちらに気づいた。


「来たか。客間に移動しよう」


 歩くたびに、ナディルの足音はわずかに重く廊下に響いた。目の下に影が落ち、昨夜どれほど神経を張り詰めていたかがひと目でわかる。


 紫闇はそれに気づいて眉根を寄せた。


「殿下、眠れてないでしょ?」

「……まぁな。妹の相手をしつつ、長老会の動きも見張らねばならん。やるべきことは多い」


 ため息をついてナディルは妹に向き直った。


「すまない、ライラ。今から仕事だ」

「えー!? お兄様、今日は私と弓の練習をするって約束だったのに……」


 ムーッとむくれるライラに、ナディルは困った表情で諭すように告げた。


「ライラ、あとでな。今はシアン殿と──」

「またシアン殿、シアン殿……! 最近、お兄様ったらシアン様の話ばかりじゃない……そんなにシアン様が大事なの?」


 上衣の裾をギュッと握りしめてライラはうつむいた。本当はわかっているのだ。兄が国のためにどれほど忙しく、どれほど疲れているかということも、そして、紫闇が悪くないことも。それでも胸の奥に広がる寂しさまでは、理屈で押し潰せない──それはライラにも持て余す感情だった。


 打ち合わせなどで頻繁に会うため、仕方ないといえば仕方がないのだが。ライラに付き添っていた侍従たちが苦笑し、紫闇は気まずそうに目を逸らす。


 白雅は場を和ませるために、苦笑しながらわざと背を屈めてライラの顔をヒョイと覗き込んだ。


「おや、一応私もいるんだがな」


 ライラが目を丸くした。


「ハクガ様」

「こんにちは、ライラ殿下。弓なら私や紫闇でも教えられるぞ。どうする?」

「……シアン様に習います」


 ライラは悔しそうにうつむき、そう呟いた。兄と紫闇を二人っきりにさせるより、白雅のほうがまだマシだと思っているのだろう。


「うん。紫闇はああ見えて弓の名手だ。学ぶことは多いと思うぞ」

「ああ見えては余計だよ、白雅」


 ひと言釘を刺して、紫闇はライラと一緒に練武場へと向かった。


 王宮の練武場は、砂除けの高い壁、日射しを遮る天幕がはためき、遠くでは訓練兵の掛け声が響く。


「王女としてじゃなくて、『ライラ』として教えるよ。怒ったりしないから、怖かったら言いな」


 的を並べて、紫闇は練習用の弓矢を手にした。


「とりあえずやってみせるから、よく見てて」


 紫闇が弓に矢をつがえると、練武場から音がすっと引いた。風の揺らぎさえ止まったように思えた。


 ライラは、まるで世界に自分と紫闇だけが取り残されたみたいだ、と思った。


 ヒュッ! と風切り音が鳴り、矢は的の中央に当たった。


「す……凄い……」


 兄より上手い──そう思った瞬間、ライラは慌てて首を振った。あの兄より優れた者などいるわけがない、と。


「さぁ、まずは構えてみてごらん」


 紫闇は弓をライラの手に渡し、少し距離を取ってから、すぐ背後に回って腕と肩の位置を軽く触れて修正する。肌越しにわかる緊張の硬さに、紫闇は小さく息をつく。


「肩が固いと、弓は言うことを聞かないよ」


 風が天幕を揺らし、かすかな衣擦れが二人の呼吸と重なる。


「肘を張りすぎ。肩の力も抜いて。ほら……こう」


 手は決して強引に引かない。


「引く前に息を整えな。焦って射った矢は、砂嵐みたいに迷うだけさ」


 紫闇の弓の教え方は、戦闘技術というより『集中の導き』であった。


「吸って……止めて……はい、今」


 紫闇自身が背後で同じリズムで呼吸し、ライラがそのリズムを真似る。


 ヒュッと音がして放たれた矢は、いつもより的の中央に近いところへ当たった。


「!」

「ほら、できた。いい調子じゃないか。続けてもう二、三回やってみな」


 天幕越しの光は揺らぎ、足元では細かな砂が風に運ばれて線を描く。遠くでは訓練兵たちが掛け声を響かせ、その音がときおり風に途切れた。


 ライラはヒュッと矢を放つ。しかし、次の矢は的に当たらなかった。


「風に流されたのかしら……?」


 ライラが首をかしげていると、紫闇が「違うね」と言った。


「外れたのは風のせいじゃない。今のは、狙う前に手首が揺れたから」

「!」


 確かにそうだったかもしれない。紫闇の指摘は的確だった。


「弓ってのはね、薬と同じさ。素直で、嘘をつかない。だから扱う側の心が乱れりゃ、必ず矢に出る」


 紫闇は決して『感覚で覚えろ』とは言わない。彼女は元来、薬草や調合を理詰めで理解するタイプだからだ。


「……わかったわ」


 ライラは弓を引きながら、ふと兄の姿を思い浮かべた。いつも毅然としていて、どんな敵にも怯まないあの背中。


 兄の背を追いかけたい気持ちと、届かない怖さがライラの胸の奥で絡み合った。


(……置いていかれたくない……)


 胸の奥がキュッと縮む。子供扱いされたくないのに、守ってほしいと思う自分もいる。


(……わたくしも、少しでも近づきたい……!)


 その思いが強すぎたのか、手首がわずかに震え、矢は的を外れた。


「ほらね。欲張ると力む。力むと矢は逃げる」


 紫闇は細い指でライラの肩を軽く叩いた。


「まずは『ひと呼吸』からだよ」


 ライラは弓を構えた。矢をつがえて、呼吸を整えて──次の矢は当たった。最初の矢と近い位置だ。


「やるじゃないか! 今の一射、悪くなかったよ」


 今の感覚を忘れないうちに、とライラは焦った。だが、焦れば焦るほど、矢は的から遠ざかっていく。


 弓を握るライラの指先は汗ばみ、緊張で呼吸が浅くなるのが紫闇にもわかった。


「なんで……? 悔しい……!」


 唇を噛んでうつむくライラに、紫闇は優しく声をかけた。


「ねぇ、ライラ」

「……?」

「できないことは恥じゃないよ。できるようになったら、その瞬間が『アンタの強さ』になるんだ」

「!」


 そのどこまでもまっすぐな言葉が、ライラの胸に刺さる。だが、素直に受け止めきれなくて、つい憎まれ口を叩いてしまった。


「そ……そんなこと、シアン様に言われなくても……わかってるわよ……」


 ライラの声は途中で震え、風にでも吹かれれば消えそうだった。


 紫闇は急かさず、ただその気持ちが落ち着くのを待っていた。


「そうかい。それならいいんだ。それからねぇ」

「?」


 まだなにか言うことがあるのだろうか。そう思ったライラに、紫闇は意外なことを言った。


「アンタのお兄さんは、アンタを本当に大切にしてるよ。そして、そんなナディル殿下を一番理解してるのは、きっとアンタさ。だから胸を張りな」

「──!」


 そう言われて、余計にどうしていいかわからず真っ赤になるライラを、紫闇は微笑ましい気持ちで見つめていた。


「そんじゃ、最後の一射は一緒にやってみるとしようかねぇ」

「え?」

「え? じゃないよ。さっさと構えな」


 紫闇は弓を構えたライラの背中にそっと手を添え、同時に弓を引かせる。


「大丈夫。アタシがついてる。ほら……心を静かに」


 顔をあげ、集中して呼吸を整える。二人が放った矢は的のほぼ真ん中に刺さった。ライラの顔がパアッと明るくなった。


 その頃、城外の砂陰に、複数の気配が潜んでいた。その影は砂と同化するように、一切の息遣いすら漏らさず──獲物を待つ獣のように、『偽輸送経路』を凝視していた。


 それを白雅も紫闇も、まだ知らない。

2025/12/23

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