表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/18

王宮に揺れる影

 世話になったアシュマール族に別れを告げ、白雅と紫闇は再び王都に向けて旅立った。途中で紫闇の提案により神殿を経由する。


「なぁ、紫闇。なんで神殿に寄るんだ?」

「アンタに会わせたい人がいるのさ。なんせお世話になったからねぇ。大事な人なんだよ」


 紫闇は詳しく語りたがらなかった。会えばわかる、ということだろうか。


 王都・ザハラにほど近い小さなオアシスのほとりに、その神殿は建っていた。初めて見る異国の聖地に、白雅は目を輝かせる。


「砂漠にこんなところがあったんだな……」

「用がなければ、わざわざここまでは来ないからねぇ。あ、いたいた」


 神殿の扉を開けると、祭壇の前で祈りを捧げている巫女が一人。その神聖な空気に、白雅は思わず息を呑んだ。


 石壁には淡い陽光が差し込み、香の煙が細く揺れていた。砂漠の乾いた空気とは違う、どこか清らかな湿り気が白雅の頬を撫で、胸の奥まで静けさが沁み込んでくるようだった。


 巫女は最後に胸に手を当て、砂狼の紋を描くように空へ指を滑らせた。祈りが済むと、巫女は立ち上がり、こちらを振り向いた。


「騒がしいですわよ、サリナ」

「だからアンタはお堅いのよ、アリサ」


 二人のやりとりは、長い年月をともにした者ならではの、肩の力が抜けた親密さを帯びていた。


 その気配に触れた瞬間──白雅の胸に、小さな痛みが走った。輪の外に立つ感覚は、忘れたつもりでも身体のどこかに残っている。拒まれた経験が、反射のように彼女を硬くする。思わず手を伸ばして紫闇の外套を掴んでしまった。


「ん? どうしたのさ、白雅」

「え……? いや、なんでも……」


 けれど紫闇がさりげなく近寄った気配に、白雅は自分が一人ではないことを思い出し、胸の奥でほどけるものを感じた。


 アリサと呼ばれた巫女が小首をかしげた。


「サリナ、もしかしてその子が……?」

「あぁ、そうさ。アタシの自慢の娘、白雅さ」


 紫闇は片手を伸ばして白雅の肩を抱いた。その顔は本当に誇らしげだった。


「そう……ハクガ、でよろしいのかしら? 私はアリサですわ」

「あ……あぁ、よろしく」


 戸惑う白雅を紫闇が茶化した。


「やぁねぇ、柄にもなく緊張しちゃって」

「してない」

「アラ、ヤダ。反抗期かしら?」

「違う!」


 その賑やかなやりとりに、アリサが、ふっと吹き出す。しばらくクスクスと笑ってから、アリサは穏やかに告げた。


「いい関係性ですわね。ハクガ、よく顔を見せてくれませんこと?」


 白雅は頭巾に手をかけて、一瞬ためらったが、紫闇を信じて一気に頭巾を脱いだ。アリサの視線が痛いほど突き刺さる。


「まぁ……!」


 あぁ、やはり。予想通りの反応に白雅の胸が重く沈む。他の誰にどんな反応をされても慣れているが、紫闇の大切な人に嫌悪されたら、さすがにいたたまれない。


 しかし次の瞬間、アリサは思いもよらない行動に出た。なんとものすごい勢いで白雅に歩み寄ったかと思うと、いきなりギュッと抱きしめてきたのだ。


「まぁ、まぁ、まぁ! なんてこと! サリナ、よくこんな可愛い子に出会えましたわね!?」

「だろ? 絶対にアリサの好みだと思ったんだよねぇ。だから、今まで会わせなかったんだけどさ」


 突然の抱擁に、白雅の視界が一瞬ぐらりと揺れた。鼻先を掠めた香の匂いまで、妙に鮮やかに感じられる。


 紫闇以外の誰かの体温がこんなにも近く、息遣いが耳元を掠める状況に、どう反応していいのかわからない。


 胸の奥で鼓動がひと際強く跳ね、肩口に回された腕の温度がじわりと染み込んでくる。身体はぎこちなく固まったままだが、逃げたい気持ちは不思議と浮かばなかった。


「可愛いですわ〜! ねぇ、ハクガ。サリナじゃなくて私の娘になりませんこと?」

「ちょっと! なに勝手なこと言ってんだい!」


 アタシの娘だよ! と怒鳴る紫闇に、アリサは唇を尖らせるようにして抗議した。


「サリナばっかり狡いですわ! 私だってこんな可愛い子を独占したいですのに!」

「あぁ、もう! だから本当は会わせたくなかったんだよ!」


 触れられることに慣れていない白雅の心は、混乱と警戒で一瞬ざわめいたが、アリサからは驚くほど雑味のない、まっすぐな好意だけが伝わってくる。


 拒絶を覚悟していた心が、思わぬ温度に触れてたじろぎ、どうしていいかわからないくせに、安堵に似た息が漏れそうになる。自分が抱え込んでいた孤独の影が、彼女の無邪気さに照らされて少し薄れたように感じた。


 紫闇がこっそりと白雅に耳打ちしたことには、アリサは物凄く面食いで、とにかく美しいものに目がないとのこと。特に年下の女子供に弱いらしい。


「……まんま紫闇じゃないか」

「なんですって!? 一緒にするんじゃないよ」


 疎外感はとっくの昔にどこかに行ってしまった。気づけば白雅は声をあげて笑っていたのだった。


「ようやく笑ってくれましたのね。改めまして、サリナの幼馴染のアリサですわ。この砂狼の神殿の巫女を務めておりますの」


 幼馴染。そのひと言に白雅の目が思わず丸くなったのは言うまでもなかった。



 王宮への道のりを白雅は駱駝に揺られながら、ぶつくさ文句を垂れていた。


「幼馴染なら、そう言ってくれればよかったのに……大事な人とか言うから、てっきり……」

「だから、ごめんって。でも、幼馴染って言ったらどんな人かも話さなきゃいけなくなる。そしたらアンタ、一緒に来ないだろ?」

「うっ……」


 図星なので反論できない。昔からそうだ。褒められれば褒められるほど、胸のどこかがざわついて落ち着かなくなる。


 駱駝の歩みに揺られながら、白雅は先ほどの出来事を何度も反芻していた。


 紫闇には、あんなふうに自分を迎えてくれる幼馴染がいたのだと気づき、胸の奥にわずかな羨望が灯る。アリサの明るい気配も、不思議と嫌ではなかった。むしろ、彼女の言葉や笑顔が、白雅の中で長い間沈んだままだった記憶の水面をわずかに揺らしている。


 自分が知らない紫闇の幼い日々を思い浮かべ、そんな過去ごと彼女を理解していきたい、と静かに願う気持ちが芽生えていた。


 駱駝の足音に合わせて、乾いた砂がさらさらと流れていく。遠くで陽炎が揺れ、淡い金色の風が白雅の衣を掠めた。沈みかけた陽光が、砂の海をゆっくりと赤く染め始めている。


『いろんな意味で凄い人間だったな、あのアリサという巫女は』


 竜神の言葉に、白雅は首をかしげた。


「どういう意味だ? 璙」

『あの巫女、シャフラールに相当気に入られておるようだ』

「砂狼神に?」


 補足したのは紫闇だった。


「当たり前さね。砂狼の巫女って一人しかなれないんだよ。前の代が逝くと、候補の中から砂狼神が次代の巫女を選ぶのさ」

「へぇ、そんなに特別なのか」


 思わず感心した様子の白雅に、紫闇は昔を思い出すように目を細めた。


「特別どころじゃないよ。アリサはね──『選ばれた』娘なんだ」

「そうなのか……って、紫闇。璙の言葉、聞こえてるのか?」


 うん、と紫闇が頷く。これまで竜神の声が聞こえるのは白雅だけだった。それなのに、どうして急に。


『紫闇にも我の声が届くように調整した』

「は? いつの間に!?」


 竜神の説明に、白雅は驚き呆れてしまう。


「なるほど、便利なもんだねぇ。ってことは、少しはアタシを認めてくれたってことかい? 璙王」


 茶化すように尋ねる紫闇に、竜神は鷹揚に返した。


『無論。そなたは此度、それだけの働きをした。誉めて遣わそう』

「ムカッ、上から……」


 まぁ、神様なので当たり前ではあるのだが、なんとなく釈然としない思いで、紫闇はむくれた。白雅が苦笑してとりなす。


「まぁまぁ……それよりも、会話できるようになってよかったよな、璙」

『うむ。こういうやりとりも楽しいものだ』


 その言葉に、紫闇はようやく気づいた。竜神の態度が親しみやすいものに変化してきているのだと。


(まぁ、いい傾向か……)


 そう思って、紫闇も機嫌を直したのだった。



 王宮では、すっかり顔馴染みになった紫闇はもちろん、白雅も歓迎された。


 以前に訪れたときと同じ香木の匂いが漂い、どこかほっとする温度が胸に広がる。人々の表情にも落ち着きが戻っていて、白雅はようやく『帰ってきた』と実感した。


 客間に通された白雅たちを出迎えたのはナディル王太子だった。


「よく来た、シアン殿、ハクガ殿」

「ナディル殿下、元気そうでなによりだ」


 完全に回復して元気になったナディルに再会して、白雅は心から安堵した。


「体調はいかがですか、ハクガ殿」


 相変わらず穏やかな声がして、気づけばラフィークが茶器を用意して入室していた。


「ラフィーク殿。お陰様でもうすっかり元気だ」

「それはようございました。王太子殿下の件、本当に感謝してもしきれません。ありがとうございました」


 丁寧に頭をさげるラフィークに、白雅は慌てて頭をあげさせた。


「いいんだ。私も助けてもらったのだから」

「そう言っていただけてなによりです」


 手際よく紅茶を淹れていくラフィークに、紫闇が釘を刺す。


「おっと、今回は砂糖はいらないよ」

「かしこまりました」


 微笑んでラフィークは紅茶の注がれた茶器を配っていく。客間には、香木の匂いと控えめな湯気だけが満ちていた。


 全員が卓についた、そのときだった。


「お兄様!」


 突如として明るい声が響き、客間の扉が勢いよく開け放たれた。そこにいたのは夜の砂漠を思わせる青黒の艷やかな髪に褐色の肌、砂金色の瞳をした小柄な少女だった。


 その背後では、彼女を止めようとして失敗したと思しき侍従が、頭を抱えている。


「……ライラ、今は客が来ているのだが」


 やれやれ、と口を開いたのはナディルだった。白雅と紫闇にラフィークがこっそり耳打ちする。


「ナディル殿下の御妹君でライラ王女殿下です」

「……ずいぶんと歳が離れているんだな」

「……白雅より年下に見えるわ」


 ラフィークはさらに声をひそめた。


「ライラ殿下は御歳十三になられます」

「……なるほどな」

「……ボウヤと同じ歳じゃない」


 紫闇がボウヤと呼ぶのは、去年出会った桜花国の王太子・忉李である。あれから一年経ったので確かに同じ歳だった。


 誰もが「また王女殿下が……」という顔をしている。どうやらライラ王女は日頃から宮廷を振り回しているらしく、近衛の一人などは、眉間を押さえながらため息を漏らしていた。


 ナディルも小さく眉根を寄せて呟く。


「これで何度目だ……」


 白雅は騒がしい空気の中で、ここが『王宮の日常』なのだと、少しおかしさを覚えた。


 ライラ王女はナディルの態度などものともせずに、客間に足を踏み入れ兄に駆け寄ると、無邪気に甘えた。


「お兄様、せっかくご病気から回復したのだから、お仕事なんてせずに、わたくしと遊んでくださいな」

「……」


 ナディルは頭痛をこらえるかのように顔をしかめている。それでも駄目だと即答しない、あるいは、即答できないところを見ると、彼は歳の離れたこの妹姫を、ことのほか大切にしているのだろう。


「ライラ、頼むからそう我儘を言うものではない。大切な客なのだ」

「……駄目なの?」

「……」


 ウルウルと見上げてくるその澄んだ小動物的な瞳に、ナディルは撃沈した。さて、どうしたものか。


「アタシが相手しようか? ナディル殿下」

「……いいのか? シアン殿」


 差し伸べられた救いの手に、ナディルが顔をあげた。


「いいんだよ。白雅を育てた経験もあるし、なによりアタシは子供好きなのさ」


 紫闇は立ち上がってライラに近寄ると、膝を折って視線を合わせた。


「はじめまして、ライラ殿下。アタシは紫闇。今、ナディル殿下は大切な話をしようとしているのさ。少しの間、アタシと中庭で遊んで待つことにしないかい?」

「……」


 しかし、ライラの視線はプイッと逸らされた。あれ? と皆が肩透かしを食らう。


「えーっと……ライラ殿下?」


 プイッ。


「殿下?」


 またプイッ。


(このガキんちょ……)


 だんだんと紫闇の笑顔が引き攣ってきたことに気づいた白雅は、見かねて口を挟んだ。


「なんなら逆でもいいじゃないか、紫闇。私が王女殿下の相手をするよ。紫闇はナディル殿下と話を続けてくれ」

「シアン様と遊びます」


 間髪入れずにライラが答えた。思わずその場にいる全員が呆気に取られてしまう。


「ほら、シアン様。中庭で遊んでくれるのでしょう? 早く行きましょ」


 ライラが紫闇の手をグイッと引いた。紫闇はなんとなく王女の行動の理由に察しがついてしまい、やれやれと苦笑して王女と二人、客間から出て行ったのだった。


「……申し訳ない。ライラは、その……」

「あぁ。お兄ちゃん大好きなんだな、彼女」


 歯に衣着せぬ白雅の物言いに、ナディルはもう一度頭を抱えた。


「……そうなのだ。父母もライラに甘いし、私もその、歳が二十近く離れていると、どう接してよいのかわからなくてな。ついつい甘やかしてしまう」


 それが良くないとわかっていながら、つい顔がほころんでしまうのだ。


「まぁ、気持ちはわかる。しかし、駄目なことは駄目と言うべきだと私は思うぞ」

「……面目ない。今後は気をつけよう」


 ようやく静かになったところで、白雅は本題に入った。


「この紋章に見覚えはあるか?」


 差し出された布切れに施された精緻な刺繍に、ナディルとラフィークは思わず息を呑んだ。


 藍の布に、白い双月。そしてその中心を貫くように、とぐろを巻いた砂色の蛇が刺繍されている。


 客間の空気が、わずかに冷えたように白雅は感じた。目に見えないなにかが、この場に落ちてきた。


「これは……」


 ナディルの声が低く落ちた。室内の空気がパタリと止まる。誰も言葉を発していないのに、沈黙だけが重く積もっていく。


 ラフィークの指先がわずかに震え、視線が紋章へと吸い寄せられて離れない。ナディルもまた、なにかを飲み込むように一度だけ深く息をついた。


 その変化が痛いほど伝わってきて、白雅の胸にも緊張が走る。そこにあるのはただの布切れなのに、まるで過去の影が立ち上がったかのようだった。


 ラフィークが先に手を伸ばし、布片をつまみあげる。指先に触れた刺繍糸の硬さに、彼の表情が一瞬だけ揺らいだ。


「双月に……蛇──長老会の紋章だ」

「……ハクガ殿、どこでこれを手に入れたのですか?」


 ラフィークの問いに、白雅は淡々と答えた。


「アシュマール族の集落を襲撃したヤツらが身につけていた。確か……胸元にあったと思う」


 白雅の言葉にナディルが頷いた。


「……間違いないな。そいつらは長老会直属の兵だ。だが、何故アシュマール族を襲った?」


 白雅は静かに頭を振った。


「狙われたのは、おそらく私たちだ。実は、この国に来た初日にちょっとした事故があって、『アズラの民』の首領・アズハルに顔を見られていたんだ」

「!」


 驚く二人をよそに、白雅は淡々と告げた。


「毒使い『アズラの民』と長老会のつながりは、アズハルの発言からも明らかなんだが……」

「証拠が足りない、か……」

「その通り」


 息ぴったりのナディルと白雅に、ラフィークは首をかしげた。


「この刺繍では駄目なのですか?」


 ナディルは首を横に振った。


「誰かの落とし物から入手したのだろう、と言い逃れされて終わりだな」

「そんな……」


 絶句するラフィークに、白雅も頷いた。


「もしヤツらを追い詰めるつもりならば、現場を押さえるべきだ」

「現場か。しかし……長老会がそう簡単に尻尾を出すとは思えない」


 ナディルは悔しげに表情を歪めた。


「だったら……こっちから尻尾を出させてやればいい」

「どうやってですか?」


 こともなげに言う白雅に、ラフィークが尋ねる。


「囮捜査と行こうじゃないか」


 そう告げた白雅の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。

2025/12/22

公開しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ