嬉々として、ざまぁ
「短い間でしたがお世話になりました、王妃様」
私が頭を下げると、豪奢な椅子に座った王妃様は眉を曇らせた。
「インディラみたいなよくできた侍女は滅多にいないのに、残念だわ。でも、結婚するなら仕方ないわね」
王妃様は私の肩にポンと手を置く。
「幸せになってね。……大丈夫よ。あなたは優秀だから、誰とでも仲良くなれるだろうし、どこへ行っても上手くやれるわ」
「ありがとうございます」
最後にもう一度礼をして、私は王妃様の部屋から退室する。廊下に出ると、仕事仲間の三人組が、クスクスと笑っているのが目に留まった。
「あんた、借金の形に売られるんですってねえ」
目玉模様の派手な扇を口元に当てた侍女が、プッと吹き出した。
「あの成り上がり者の金貸し男のところへ行くんでしょう? 旧家の令嬢も落ちぶれたものだわ」
面長で鼻の穴が大きい侍女が、わざとらしく眉をひそめる。
「いい気味! 王妃様にちょっと目をかけられてるからって、調子に乗った罰よ!」
三人目の侍女が、普通の人の二倍は長い首を挑発するようにゆらゆらと揺らした。
私は彼女たちを睨みつける。だが、三人は涼しい顔で「実は、私たちから退職祝いがあるの」と言った。
「はい、どうぞ!」
首の長い侍女が、後ろ手に持っていたバケツの中身を私に向かってぶちまける。……げっ、泥水だわ!
「キャハハハ! 濡れた廊下、ちゃんと掃除しておきなさいよ!」
甲高い声で笑いながら、三人はどこかへ行ってしまった。汚い水を服の裾からしたたらせながら、私は歯を食いしばる。
王城勤めの最後の日までこんなふうだなんて最悪だわ!
****
私が王妃様の侍女になったのは三年前、十七歳の時だった。
王族に仕えるのだからと、私は一生懸命に仕事に取り組んだ。その努力が伝わったのか、王妃様は何かあるとすぐに私を呼ぶようになり、相談事がある時も真っ先に声をかけてくれるようになる。
けれど、そんな状況を快く思わなかった者たちがいた。私の同僚である。
彼女たちから、私は様々な嫌がらせを受けてきた。
悪口を言われるのは日常茶飯事だし、ドレスを破かれたり、飲み物に下剤を入れられたりしたこともある。
おっとりした王妃様は、自分の周囲でいじめが起きているのにまるで気づいていなかった。私もわざわざそんなことを耳に入れて、あの方の心労を増やしたくはなかったから、黙っていた。
でも、侍女をやめることになったから、そんな日々とはもうさよならだ。
といっても、今後はこれまでとは別の苦労が待っているだろうけれど。
「初めまして、トレヴァーさん」
王城勤めを辞してから一カ月後。私はある貴族家の応接室のソファーに腰かけ、目付きの悪い黒髪の青年と向き合っていた。
「今日からあなたの妻になりました、インディラと申します。どうぞ、末永くよろしくお願いいたします」
私は精一杯の笑顔を作ったけれど、トレヴァーさんは無反応だった。値踏みするように、黙ってこちらを上から下まで観察している。
そんなことしなくても、私の値段なんてとっくに知ってるくせに。
トレヴァーさんが顎の下に手を当てる。
「親父が俺のために花嫁を買ったと言っていた。てっきり、何かの冗談だと思っていたが」
残念ながら冗談ではございません。簡単な書類を出して結婚しただけとはいえ、私は正真正銘、あなたの妻です。
「親父の考えは分かっている。うちの爵位は祖父の代で金で手に入れたもの。そのせいで、ほかの貴族にはバカにされっぱなしだ。だから旧家から嫁をもらって、家名に箔をつけようとしたんだろう。で、目をつけたのがうちに借金があったお前というわけだ」
「私が借金をしたわけじゃありませんよ。賭博好きの叔父が急死したから、父が仕方なくその負債を肩代わりして……」
「詳細はどうでもいい」
トレヴァーさんが立ち上がる。「どちらへ?」と私は問いかけた。
「仕事だ」
「だったら私も一緒に……」
「ダメだ。大体、何をしに行くか知らないだろう」
「誰かにお金を貸すんでしょう?」
何を当然な、と私はきょとんとする。
トレヴァーさんの実家の家業といえば、高利貸しだ。有名な話である。
「今回は取り立てだ」
トレヴァーさんはぶっきらぼうに言い捨てて、応接室から出ていこうとする。私は慌てて彼の上着の裾をつかんだ。
「置いていかないでください! 私もお供したいです!」
「離せ! 何をそんなに必死になっているんだ!」
そりゃあ、あなたはお金で買われたことがないから分からないでしょうね!
――インディラ、こんなことになって本当に申し訳ないと思っているが、どうかトレヴァー殿に気に入られるように努めてくれ。
私が嫁入りする直前。日夜金策に奔走して、すっかりやつれてしまったお父様はそう言った。
――インディラが追い返されれば、お前の嫁入りと引き換えに清算した借金を返済しなければならなくなる。屋敷と領地を抵当に入れても、間に合わんだろう。我が家は破産だ!
憑かれたようなお父様の表情には、最悪の場合は一家心中もやむなしと書いてあった。
そんなこと、絶対にさせるわけにはいかない。そのためにも、私は何が何でもトレヴァーさんの歓心を買わなければならないのだ。
「俺の仕事は荒っぽいんだぞ」
私をズルズルと引きずりながら、トレヴァーさんがぎこちない仕草で歩く。
「お前は俺の肩にも届かないくらいの身長だし、顔立ちも儚げというか、いかにもひ弱そうというか……。とにかく、相手にナメられやすい見た目をしている。そういう奴は、借金取りには向かん」
「そんなの、やってみないと分からないじゃないですか!」
あれ? いつの間にか私も借金の取り立てに参加する流れになってる?
私はただ、トレヴァーさんの仕事っぷりを後ろのほうで眺めるだけのつもりだったんだけど……。
「強情だな。服が伸びたじゃないか」
正面玄関を抜けて、屋敷の庭に出ても私はまだトレヴァーさんにくっついていた。さすがの彼も音を上げたのか、ようやく立ち止まる。
「いいだろう。その根性に免じて、特別に同行を許してやる。ただし、何が起きてもピィピィ泣き喚くなよ。うるさくしたら、すぐにつまみ出すからな」
「大丈夫です!」
私は王城勤めの屈強な騎士たちを真似て、ビシッと敬礼してみせる。トレヴァーさんは乱れた服装を整えながら、庭の向こうへ声をかけた。
「全員集合! 仕事だ!」
呼びかけに反応してやって来た集団を見て、私は目を剥く。
「オレたちの出番ですかい、坊ちゃん」
「相手が誰だろうと関係ねえ! グチャグチャにしてやるよ!」
「血ぃ! 血が足りねえよぉ! 早くあの真っ赤な液体を浴びたいぜぇ!」
な、なんて人相の悪い殿方たちなのかしら! トレヴァーさんも悪人面だけど、彼らはその比じゃないわ! 全員が刑務所から脱獄してきたばかりの凶悪犯罪者に見える……!
しかも、皆、縦にも横にもすごく大きい。そして、ゴミバケツの蓋みたいな無骨な手には、太い麺棒を握っている。
でも、お菓子職人というわけじゃなさそうね。こね回すのは生地じゃなくて、負債者ということかしら?
人数は、軽く見積もっても三十人はいるだろう。こんなに強面の男性ばかり、どうやって集めたのかしら? 畑で栽培でもしているの?
「俺の頼れる仕事仲間だ。彼らとは馬が合いそうにないというなら、ついてこなくて結構だが」
トレヴァーさんが片眉を上げる。我に返った私は「まさか!」と首を振った。
「こんなに立派な紳士の皆さんは見たことがありません。いつか午後のお茶に招待したいわ。来てくださるわよね?」
「血ぃ! 血が飲みてえよぉ!」
「光栄です、若奥様、ですって? まあ、嬉しい。さあ、張り切って取り立てに行きましょうか!」
私は颯爽と庭を横切って、車庫を目指す。後ろから、「坊ちゃん。あのお嬢さん、なかなかのタマですぜ」と言う声が聞こえてきた。
****
「もうすぐ到着っす」
それから数日後。馬車に乗った私たちに、御者がそう声をかけた。
トレヴァーさんと一緒に車内にいた私は、小窓の外を眺める。
「そういえば、目的地をまだ聞いていませんでしたね。ここはどこですか?」
「ピーコック家の領地だ」
「ピーコック家!?」
私は素っ頓狂な声を上げる。トレヴァーさんが「どうした?」と不審そうな顔をした。
「ピーコック家の令嬢は、かつての私の同僚だったものですから……」
「ああ、あの家の長女は王妃の侍女をしているんだったな。知り合い相手ではさぞやりにくいだろう。だが、情けは無用だ」
「ええ、分かっています」
情け? そんなもの、かけるわけないじゃない!
――あんた、借金の形に売られるんですってねえ。
目玉模様の派手な扇を愛用している令嬢の意地悪な顔を思い出し、私は眉根を寄せた。
彼女の実家、トレヴァーさんのところから借金をしていたのね。これは思う存分取り立ててやらないと!
馬車が止まったのは、大きな城館の前だった。借金があるくせに、随分といいお家に住んでいるのね!
「一体何事だ!?」
突然現われた人相の悪い集団を見て、建物の中から中年男性がまっ青になって出てきた。身なりからして、ピーコック家の当主だろう。
トレヴァーさんが率いる紳士の皆さんが、当主をぐるりと取り囲む。私もその一団に加わった。
「な、何だ、お前たちは! ひとの家に勝手に押し入ってきて! 責任者を出せ! しかるべきところへ訴えてやる!」
「訴える? どの口が言っているんだ」
紳士たちに道を空けてもらったトレヴァーさんが前に進み出る。懐から証文を出して、当主の鼻先に突きつけた。
「おたくが借りた金の返済期限は、もうとっくに過ぎているんだぞ。12万ゴールド、今すぐに返してもらおうか」
わあ! 12万ゴールドですって?
私の侍女時代の年収が1万ゴールドくらいだったから、かなりの金額だ。
当主は目を丸くして抗議を始めた。
「じゅ、12万だって!? 私が借りたのは6万ゴールドだったはずだ!」
「利子という言葉を知らないのか。あとは延滞金だ。ここにちゃんと書いてあるだろう」
トレヴァーさんは証文の下のほうに虫眼鏡をかざす。当主は顔を引きつらせた。
「こんな小さな字、読めるわけないだろう! 12万ゴールドなんて、私は絶対に払わんぞ!」
トレヴァーさんと当主は睨み合ったまま動かなくなってしまった。
悪人面のトレヴァーさんにすごまれているだけでなく、立派な紳士方にも囲まれているのに一歩も引かないとは、ピーコック家の当主もなかなかやるものだ。
「これはちょいとばかし時間がかかりそうですぜ、お嬢さん」
私の隣にいた紳士が、コソッと教えてくれた。
「それなら、ここは私の出番ですね。それ、貸してくださる?」
私は紳士から麺棒を拝借すると、ピーコック家の当主にずんずんと大股で歩み寄った。
「なんだ、お前は」
当主は私を見るなり、小バカにしたような表情になる。さすが親子。娘とそっくりな顔をするのね。
当主が私を怖がらない原因は分かっている。小柄で華奢な女性なんて、ちっとも迫力がないもの。
でも、油断してると痛い目見るわよ?
「借りたもんはさっさと返しやがれ! この老いぼれが!」
私はドスの利いた声を出しながら、傍にあった庭木に思い切り麺棒を叩きつける。無残にも庭木は真っ二つになり、当主はポカンと口を開けた。
「次はてめえがこうなる番だ! 分かってんのか!」
「し、しかし……」
「しかしも茶菓子もねえんだよ! 言うこと聞かねえと、てめえの娘を売り飛ばすぞ!」
「なんてことを言うんだ! うちの子に手を出すんじゃない!」
先ほどまでの余裕はどこへやら。顔色を変えた当主は震え上がっている。
「分かった。12万だろうが13万だろうが、金は返す! すぐに用意するから少し待っていろ!」
当主は館の中へ駆け戻っていった。
それから数時間後。ピーコック家から引き揚げる私たちの馬車の中は、札束を満載した袋でいっぱいになっていた。
「全額回収できましたね」
私はお金の入った袋をホクホク顔で持ち上げる。
今回のことは当主を通して、彼の娘にも伝わるだろう。彼女の愕然とする顔が目に浮かび、私は愉快な気分になる。
「どうです? 私、意外と役に立ったでしょう?」
「……お前、前にも借金の取り立てをしたことがあるのか?」
私の向かい側に座っているトレヴァーさんが、呆然とした表情で尋ねてくる。私が当主と「交渉」した時から、彼はずっとこんな顔のままだった。
私は「今日が初めてですよ」と言う。
「紳士の皆さんの様子を観察して、こんな感じにすればいいのかなと思っただけです。上手くできてよかった。仕事を覚えるのが早いって、王妃様にもよく褒められていたんですよ」
「そうか……なるほど……。……ふっ、ははははは!」
トレヴァーさんは急に大声で笑い出した。今度は私が呆気に取られる番だ。
「どうしました、トレヴァーさん。面白いものでも見ましたか?」
「面白いもの? 俺の目の前に座っているが?」
トレヴァーさんは笑いすぎて涙目になっていた。
「名家の令嬢なんて、血筋しか取り柄のない役立たずだと思っていたが、お前は違うらしいな。ほかの奴らもお前を褒めていたぞ。やるじゃないか、インディラ」
今、名前を呼んでくれた? それって、私の実力を認めたってことかしら? なんだか誇らしい気持ちになる。
「今回の成功を祝って、次に金を取り立てる家は、インディラが決めていいぞ。ほら、負債者のリストがあるからこっちに来い」
私はトレヴァーさんの隣の席に移った。
札束の入った袋のせいで車内はいつもより狭くなっている。長々としたリストを一緒に覗き込んでいることもあって、私とトレヴァーさんは自然と寄り添う形になっていた。
「どこにするんだ?」
すぐ近くからトレヴァーさんの声が聞こえてきて、私は少しドギマギした。こんな距離感で男性と話したことがなかったのだ。
けれど、淡いときめきはある名前をリストの中に発見した瞬間に吹き飛んでしまった。
「リトルホース家! リトルホース家にします!」
――旧家の令嬢も落ちぶれたものだわ。
リトルホース家の令嬢も、私に嫌がらせをしていた同僚の一人だった。これはぜひとも借金を取り立てて、吠え面をかかせてやらないと!
「よし、分かった。リトルホース家へ向かってくれ」
トレヴァーさんが御者に頼む。御者は、「それならさっきの道を左っすね」と言って、馬にピシリと鞭を当てた。
急に方向転換をしたために、馬車がガクンと大きく揺れる。その拍子に、私はトレヴァーさんの膝の上に転がり落ちてしまった。
「危ないぞ。しっかりつかまっていろ」
そう言って、トレヴァーさんが私を抱き起こした。馬車の揺れがおさまるまで、肩を抱いてくれる。
その間中、私は不自然に速くなっていく鼓動を持て余していた。夫に触れられると、こういう感覚がするのね。トレヴァーさんの妻として、まだまだ勉強しないといけないことだらけだわ……!
****
「実は、うちには財産がほとんどなくてですね……」
一週間後。私たち一行は、リトルホース家の当主と応接室で話し合っていた。
「我が家の収入源は、領地の大部分を占める牧場です。ですが、半年ほど前から伝染病で家畜がバタバタと死んでいって……」
娘にそっくりな馬面に浮かんだ汗をハンカチで拭きながら、当主は必死に状況を説明した。
「かなりの赤字だな」
当主から差し出された帳簿を眺めながら、トレヴァーさんが顔をしかめている。……というか、こんなものを部外者に見せていいの?
「私も経営を立て直そうと必死なのです。その資金を少しでも工面するため、先祖伝来の家具を売り払い、使用人にも暇を出し……。お陰で館がガランとしてしまいました」
当主の言うとおり、リトルホース家の城館は必要最低限の調度類しか置いていない。人の気配もほとんどしないので、どこか寂しい雰囲気が漂っていた。
「そうだな……。借金の形にこの家を持っていくとしても、貸した100万ゴールドには到底届かないだろうし……」
トレヴァーさんはどうするか思案しているようだが、ふと何かを思いついたように、ソファーの隣に座る私を見る。
「インディラならこういう時、どうする?」
「あら、私にお任せくださるのですか?」
トレヴァーさんの目がキラリと光る。ひょっとして、私の腕を見せてほしいってこと?
よし、それなら、旦那様の期待に応えますか!
「私だったら、この館をいただきます」
「だが、それでは貸した金を全額回収はできないぞ。先ほどもそう言っただろう?」
トレヴァーさんはふいっと視線をそらしかける。待って! 失望するのはまだ早いわ!
「では、地下室の突き当たりの壁の、上から十三番目、右から四番目のレンガを押しますね」
「な、何だって!?」
リトルホース家の当主が、元から目立つ鼻の穴をさらに大きく膨らませる。トレヴァーさんが怪訝そうな顔になった。
「地下室のレンガ? それを押すとどうなるんだ?」
「隠し部屋が現われます。そこには、貴重な宝石類がたくさん保管されているんですよ」
「お、お前、なぜそのことを知っている!」
当主は唇をワナワナと震わせた。私はニヤリと笑う。
「あなたのお子さんがしょっちゅう自慢していましたから。『あたしのパパ、宝石コレクターなのよ。地下の秘密の部屋に、100万ゴールドはするコレクションを隠してるの。その部屋へ行くにはね……』という具合に」
「あのバカ娘……!」
当主はいきり立ったが、トレヴァーさんの後ろに控えていた紳士たちにぐるりと囲まれ、一瞬で血の気が引いた顔になった。トレヴァーさんがソファーにふんぞり返る。
「100万ゴールドのコレクションか。決まりだな。それを渡せば借金は帳消しだ」
「い、嫌だ。あれは私が生涯をかけて集めた宝石だ! 誰にもやらんぞ!」
当主は応接室から逃げ出そうとした。だが、紳士に襟首をむんずとつかまれ、強制的にソファーの上に押し戻される。
「まあ、落ち着いて。ゆっくり考えて結論を出したらいい」
トレヴァーさんがうさんくさい笑みを浮かべた。
「俺たちは何時間でも待つからな。幸いにも、この館は居心地がいい。そうだろう、お前たち」
「へへへ、坊ちゃんの言うとおりでさ」
「けどよ、ぼんやりしてるのも体がなまっていけねえや。広い家だし、団体で室内遊戯でも楽しむとするか。壁や窓に穴が空いても勘弁な」
「血ぃ! 血が見てぇ! こいつ、早くヤっちまおうぜぇ!」
「ひえぇっ……お、お助けを……!」
麺棒を片手にジリジリと詰め寄ってくる紳士を相手に当主が粘れたのは、せいぜい三十分ほどだった。
ほどなくして馬車に100万ゴールド分の宝石コレクションを積み込んだ私たちは、リトルホース家を出発する。
「大したものだ」
トレヴァーさんは、今やすっかり私に感心しているようだった。
「インディラの情報収集能力は目を見張るものがあるな。宝石コレクションの存在なんて、俺でも知らなかったぞ」
「夫を支えるのが妻の役目ですから」
私は控えめに首を振る。「ありがとう」とトレヴァーさんが微笑んだ。
「次の取り立てが終わったら、家に帰ろう。インディラともっとゆっくり過ごしたくなってきた」
「はい!」
想像していた以上に明るい声が出た。このお仕事にも慣れてきたけど、夫とのんびりするのも素敵なことだと思えたのだ。
****
私たちが最後に向かったのは、ジュラフ家だった。今回も私のリクエストである。
――王妃様にちょっと目をかけられてるからって、調子に乗った罰よ!
別れ際にああ言っていた同僚の侍女。今度はあなたの家が、お金を返さない罰を受ける番よ! さあ、あなたの父親をたっぷりと脅してやるんだから!
……と意気込んでいたのに、ジュラフ家の当主は従順だった。私たちを応接室に通すと、物腰も柔らかに話を始める。
「わざわざご足労いただき、ありがとうございます。お借りしたお金に利息をつけて……確か180万ゴールドでしたね? すぐにお返しいたしますとも」
やけに素直ねえ。ひょっとして、ニセ札でもつかませる気?
私は険しい目で当主を睨みつけたけれど、彼は取り澄ました顔を崩さない。
何でこんなに余裕なのかしら? お金をきちんと用意しているから?
でも、お菓子職人でもないのに麺棒を持った紳士たちと借金取りが訪問してきたら、普通はもっと焦るんじゃないの?
けれど、トレヴァーさんは何もおかしいと思っていないようだ。こんなふうに肝の据わった負債者をこれまでに何度か見ているからだろうか。特別に図太い人ってたまにいるものね。
「お茶をお持ちいたしました」
ノックの音がして、ワゴンを押した使用人が入ってくる。当主は、「せっかくだから、一杯飲んでいってください」と言った。使用人を下がらせ、手ずからトレヴァーさんのカップに紅茶を注ぎ込む。
媚びなんか売っちゃってみっともない……と思っていた私は息を呑んだ。当主がトレヴァーさんのカップに、手のひらの中に隠していた何かを入れたのが見えたのだ。
「ダメ!」
私は紅茶を飲もうとしたトレヴァーさんの手から、カップを叩き落とした。熱々の紅茶をもろにかぶってしまったトレヴァーさんが仰天する。
「熱っ! インディラ、これは一体……」
「誰か! この人を取り押さえて身体検査を!」
私がジュラフ家の当主を指差すと、紳士が素早く彼を組み伏せた。
「何をするのですか!」
ジタバタと暴れる当主の服の袖から、空になった小瓶が転がり落ちた。私はそれを拾う。
「私、あなたの娘に下剤を盛られたことがあるんですよ。でも、これはそんなかわいらしいお薬じゃなさそうですね」
「し、知りません! きっと誰かの陰謀だ! 何者かが私を陥れようとして……うぐっ」
トレヴァーさんが当主の髪をつかんで強制的に上を向かせる。負債者は痛みに顔をしかめた。
「借金、今すぐに返してもらおうか。300万ゴールドだ」
「さ、300万……!? 返済額は180万のはずだ! 話が違いますぞ!」
「120万ゴールドは追加費用だ。内訳は、紅茶で汚れた服の洗濯費と、俺に一服盛ろうとした賠償金。それに、あんなに熱い茶がかかって無事とは思えないから、火傷の治療費だな」
ひゃあ! 随分とふっかけたわね!
私が感心していると、トレヴァーさんが「そうだ、忘れるところだった」と言った。
「おたくの娘が俺の妻に嫌がらせをした分の慰謝料も付け加えておかなければ。……というわけで、返済額は500万ゴールドだ」
私のために200万ゴールドも上乗せしてくれるの!? なんていい旦那様なのかしら!
感動する私とは対照的に、当主は「ごひゃく……」と魂が抜けた顔になっている。
「ジュラフさんよぉ、オレたちの坊ちゃんとアネゴをひどい目に遭わせたんだから、それくらいは当然だろう?」
「安心しなって。金がねぇなら、すぐに稼げる仕事、紹介してやるからさぁ」
「血ぃ! 血をくれぇ!」
もはやどうにもならないと悟ったのか、当主はがっくりと頭を垂れる。いくら娘を王妃の侍女にできるくらいの名家とはいえ、500万ゴールドは大金だ。工面する方法を思いつかず、気力が尽きてしまったのだろう。
その後、私たちは当主にいくつかの書類にサインをさせてジュラフ家を出た。
これからジュラフ家には、法律ギリギリの……ひょっとしたら爪の先くらいは一線を越えるような仕事をしてもらうことになる。
でも、心配は無用だ。何かあっても、トレヴァーさんの実家は一切関係なくて、ジュラフ家が勝手にやったことだと言い切れるだけの証拠は揃えるつもりだから。
こうして一仕事終えた私たちは、久方ぶりに家に帰ることになったのだった。
****
家に帰った私が真っ先に行ったのは、午後のお茶会を開くことだった。
晴れた庭にいくつもの華奢な丸テーブルを並べ、美味しいお菓子と淹れたての紅茶を振る舞う。
参加者は私とトレヴァーさん。そして、仕事仲間の紳士の皆さん方だ。
「こういう穏やかなのも、意外といいっすね」
「そのケーキ、オレにも切り分けてくれよ」
「茶ぁ! 茶ぁ美味ぇ!」
紳士たちは、今日は無骨な手に麺棒ではなく小さな紅茶のカップを握って談笑している。
その様子をトレヴァーさんが目を細めて見ていた。
「まさか奴らと茶会に参加する日が来るとはな」
トレヴァーさんがおかしそうに言う。
「今日の彼らはいつもより上品で、まるで本物の紳士じゃないか。荒くれ者をあんなふうにしてしまうなんて、インディラも大したものだ。仕事もよくできるし、お前は才能の塊だな」
「それほどでもありませんよ」
私はろくろを回すように、手のひらでカップをもてあそぶ。「謙虚だな」とトレヴァーさんが笑った。
「お前が変えた『荒くれ者』の中には俺も入っているんだぞ」
「え、トレヴァーさんが?」
「俺は初め、お前には大して興味がなかった。だが、今は大切な妻だと思っている。インディラが俺のところに来てくれてよかった、と」
トレヴァーさんが熱のこもった瞳で私を見つめる。体温が一気に上昇するのを感じた。
気がついた時には、私はトレヴァーさんの頬に口づけている。
ちょっと大胆すぎたかしら……? と心配していると、彼はからかうような笑みを浮かべた。
「惜しいな」
今度はトレヴァーさんのほうからキスをしてくれた。しかも、私の唇に。
ああ、これが正解だったのね。
「やっぱり私、まだまだ学ぶことばかりですね」
「俺の傍にいれば、自然と身についていくさ。インディラは仕事を覚えるのが早いんだろう?」
「ええ、そうですね。早く完璧な妻になってみせます」
「もうなってるだろ」
トレヴァーさんが意味深長な視線を寄越してくる。先ほど見たばかりの眼差しと同じだ。
これは、もう一度キスしてほしいという合図ね。よし、ちゃんと覚えたわ!
私は夫の望みを叶えてあげた。
それと同時に、ピューと指笛の音がする。
周りを見れば、紳士たちがこちらを興味津々な目で眺めていた。「仲のよろしいことで!」と囃す声も聞こえてくる。
もう! 仕方のない人たちね!
でも、こんなに素敵な夫と仕事仲間に囲まれて、今の私って、すごく幸せじゃないかしら?
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
少しでも作品がお気に召しましたら、下の☆☆☆☆☆を★★★★★にしていただけると嬉しいです。




