第70話 遠くの声、近くの想い
現在
あの夜、12月24日は、これまでの中で一番大切な夜だった。
今日は、リョウコには会えない。兄たちと一緒にアメリカへ行き、家族でクリスマスを過ごすことになっているからだ。
彼女は「本当は行きたくない」と話していた。でも、間違いなく僕と一緒にいたいと思ってくれていた。
それでも、僕たちと違って、母さんはまた父さんに付き添って国外の会議に出かけることになっていて、今年は三人だけで過ごすことになった。
美翔はそのことを知っていた。こんなことは初めてで……彼女は何度も急な予定変更を謝ってくれたけれど、僕たちはそれが仕方のないことだと理解していた。ただ、受け入れるしかなかったのだ。
今、僕は横になって考え事をしていた。
まるで、これまでの人生を振り返るような、そんな瞬間だった。
今年ももうすぐ終わる。ついこの前まで9月だった気がするのに、もう12月の終わりだ。
未来から過去を眺めるようにすると、時間はあっという間に過ぎ去ってしまったように感じる。
今日はなぜか身体が重かった。まるで、家を出たくないかのように。
することもなかった。宿題は昨日終わらせたし、今は本当に何もない。
ストレスからだろう、ため息をついた。その直後、隣に置いてあったスマートフォンが震えた。
着信に出ようとすると、以前にもこの番号から着信があったことに気づいた。
けれど今は、その名前も番号も、誰のものか思い出せなかった。
少し考えてから、僕はその電話に出た。
電話の向こう側はしばらく沈黙していたが、やがて小さな声が聞こえてきた。
「もしもし、佐々木ミナミさんでしょうか?」
その声にはすぐに聞き覚えがあった。
真面目だけど、どこか子どもっぽさを感じさせる――そんな声を、僕は以前に聞いたことがある。
「はい、佐々木ミナミです。もしかして、春陽さんですか?」
「正解。あなたの彼女に頼まれたのよ」
「リョウコが? 何のために?」
春陽さんは、くすっとやさしく笑った。
「それは言えないわ。自分で見て、そして待っていて」
「そうですか……じゃあ、教えてくれてありがとう。切りますね」
耳からスマートフォンを離し、切ろうとしたその瞬間、春陽さんが再び声を上げた。
「待って、待って、ちょっと待って!」
「……はい。どうかしましたか?」
「聞きたいことがあるの。答えてくれると嬉しい」
そのときの声色は、先ほどとは違っていた。
しっかりとした、真剣な調子で……その言葉からは、重たく張り詰めた空気さえ感じた。
「はい、どうぞ。何の話ですか?」
彼女は深く息を吸い、それからまるで爆弾を落とすかのように言った。
「……私の妹の、どこが好きになったのか、教えてくれない?」
そんなこと、一度も考えたことがなかった。正直、理由なんて考えたこともない。
「今までそんなこと考えたことなかったし……説明できるか分からないけど……全部が好きって言えると思う」
自分の口からそんな言葉が出た瞬間、少し恥ずかしくなって顔をスマホと反対側に向けた。
すると、スマホ越しに恥ずかしそうなリョウコの声が小さく聞こえた。
「ミナミくんのバカ……そんな簡単に言っちゃダメだよ……そしたら私、どうすればいいか分からなくなる……」
リョウコ? どうして……?
「もしかして、リョウコ……聞いてたの?」
そう尋ねたが、代わりに聞こえてきたのは、また春陽さんの声だった。
「ふふっ、本当にラブラブだね。リョウコなんて真っ赤になって、言葉も出ないみたい」
そんなからかうような声の後、再びリョウコの恥ずかしげな声が聞こえてきた。
「ねえさん、もうやめてよ……二人の前でそんなことするの、なんか変な気分だよ……」
その声と雰囲気から察するに、リョウコが春陽さんからスマホを奪おうとしているのが伝わってきた。
だが、その後また春陽さんがスマホを取り返したようだった。
「じゃあ……次は……リョウコ。佐々木くんの、どこが好きなの?」
一瞬、通話の向こう側が静まり返った。
「……それは、ミナミくんにだけ言いたい。彼だけに聞いてほしいの……」
「分かったわ。どうぞ言って。きっと彼も知りたいと思ってるから」
そう春陽さんが穏やかに言い、スマホをリョウコに渡す音がした。
その後、リョウコが少し離れていくような小さな足音が聞こえた。
「ミナミくん……一度だけ言うから、ちゃんと聞いてくれる?」
頷きながら、かすかに「うん」と答えた。
スマホを耳にしっかり近づけると、彼女はそっと囁いた。
「私も……ミナミくんの全部が好きだよ……」
その声は甘くて恥ずかしげで、心に直接触れてくるような破壊力があった。
言葉が出なかった。でも、彼女があのとき感じた気持ちが少しだけ分かった気がした。
「……そっか。言ってくれてありがとう、リョウコ。たとえ一度だけでも、すごく嬉しいよ」
その衝撃は、震える声ににじんでいた。それに気づいたのか、彼女も少し照れていた。
気まずさはあったけど、どこか心地よい空気だった。
しばらくして、彼女も同じように返してくれた。まるで、私に向き合おうとしているかのように。
本当は無理しなくてもいいのに、それでも受け止めるしかなかった。たとえ恥ずかしくても。
やがて彼女は春陽さんのもとへ歩いて戻り、スマホを返したようだった。
春陽さんは、何かを悟ったかのようなイタズラっぽい笑みを浮かべていた。
スマホを受け取り、リョウコがそばにいるのを感じた瞬間、春陽さんがからかうような声で話し始めた。
「いや〜、うちの妹も立派になったね。あとは「女」になるだけかな〜」
「ね、ねえさんっ、そんなこと言わないでよ……ミナミくんの前で、恥ずかしいから……お願いだからやめて……」
それはリョウコの悲鳴のような言葉だった。
声だけでも、それが本気でやめてほしいと思っているのが伝わってきた。
けれど、春陽さんはまだやめる気配がなかった——少なくとも、そのときはそう思えた。
そして、リョウコを少しからかった後、ハルヒさんはどうやら電話を切るつもりになったようだった。
「まあまあ、そろそろ切るわね。話せて楽しかったわ。きっと二人はお互いを幸せにできると思うわ。佐々木くん、いや……「ミナミ」って呼んだほうがいいかしら。」
その口調はまるで生死に関わるような、真剣そのものだった。
しかも、今まで「佐々木くん」と呼んでいたのに、名前で呼ぶようになったことに驚いた。けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、それだけ信頼してくれている証のように感じられた。
「……ええ、何かあったんですか?」と、少し戸惑いながらも、自然と真面目な声で返した。
しばらく足音が聞こえた後、その音がピタリと止まった。
「いま、あなたの家の前にいるの。開けてくれない?」
と、どこか無邪気で、ちょっとだけからかうような声で言った。
ハルヒさんは、どんなに空気が重くてもそれを和ませようとするタイプの人間らしい。
でも……今のは冗談?
だって、たしか二人は海外に旅行に行ったはずじゃ……?
わからない、本当に……それとも——




