第67話 初めての買い物とちょっとした発見
タクシーの中で、マリーは後部座席の窓から外の景色を驚いたように見つめていた。助手席には、相変わらず無表情の山田さんが座っていた。
しばらくして、真っ白な大きな邸宅の前でタクシーが止まり、マリーはその場で立ち尽くした。一方で、山田さんは何も言わず、まるで「さっさと終わらせましょう」とでも言うかのように、すたすたと歩き出した。
少し遅れてマリーも我に返り、小走りで彼女に追いついた。
「ここが……私がこれから住む場所なの?」
驚きの混じった声でマリーがそう言うと、山田さんはあっさりと答えた。
「そう、ここよ。まずは荷物を部屋に置いて、それから外に出ましょう。見せたいものがあるの」
「はい、了解です」
そう言いながらも、マリーはまだ建物をじっと見つめていた。
中に入り、三階まで上がると、二人は部屋を探し始めた。すると山田さんが、87番と書かれた扉の前で立ち止まった。
マリーは彼女の様子を不思議そうに見つめた後、ふといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「どうかしたんですか? ねぇ、山田さん。知ってる? あなたの名前、『山田』って、スペイン語の『電話』と同じ音なんだよ~」
茶化すような口調でそう言い、さらに何か言おうとしたその時、山田さんが背を向けたまま口を開いた。
「昨日も言ってたわよ、それ」
マリーは目を見開いた。
「えっ……覚えてたの? てっきり完全にスルーされたと思ってた!」
山田さんは少しだけ顔を横に向け、ほとんど聞き取れないほどの小さなため息を漏らした。
「無視するには、ちょっとうるさいから」
マリーは嬉しそうに笑った。
「それ、山田さんにしては褒め言葉だよね!」
山田さんは受付でもらった鍵を使い、扉を開けた。マリーもその横にぴったりと寄ってくる。
「さあ、入って。荷物を置いて、お風呂に入りなさい。リビングで待ってるわ」
「わぁ……ほんとにここ、私の部屋になるの? すごく広いし、高そう……こんなの払えないよ~」
「安心して、費用はエージェンシーが出すって契約に書いてあったはずよ。ちゃんと読んだでしょ?」
「う、うん、読んだ……でも、こんなに広いなんて思わなかったよ。スペースもいっぱいだし、大きな家具に、でっかいテレビ、それに窓からの景色まで!」
「まあ、初めてだから驚くのも無理はないわね。詳しく見るのはあとにして、今はとにかくお風呂に入りなさい。長旅だったんだから、リフレッシュしなきゃ」
マリーはまるで憧れの場所に来た子どものように、ひとつひとつの部屋を見ては歓声を上げていた。
そんな彼女の様子を、山田さんは特に気にすることもなく、静かにソファに腰を下ろし、ほっとため息をついた。
「じゃあ、わかった。お風呂に入るね。そのほうが山田さんも安心するでしょ? でもその前に、荷物を部屋に運んじゃう」
「いいわよ、その間にお風呂を沸かしておくわ」
「うん、ありがと、山田さん」
少しして、マリーは自分の部屋に荷物を置いたあと、浴室へと向かった。そして数分後、以前とはまるで印象の違う格好で姿を現した。
今回は、どこかヒップホップ系の雰囲気を漂わせるスタイルだった。白いキャップにサングラス、白と黒のデザインが入ったシャツと、少しダボっとした白のパンツ。それに合わせて、白と黒のスポーツシューズを履いていた。
リビングでスマートフォンを見ていた山田さんの前に立ち、マリーはにこにこと笑いながらポーズを決めた。
「ねぇ、山田さん、山田さん! どう? 似合ってるでしょ?」
山田さんはゆっくりと視線を上げ、マリーをじっと見つめてから、淡々と答えた。
「よく似合ってるけど……もっと普通の服、なかったの?」
「普通って何? この服のどこが変なの?」
マリーは少し困惑したように、自分の服を見下ろしながら小さく首をかしげた。
「変ってわけじゃないけど、こっちではあんまり見かけないスタイルなのよ。……そうね、私が服を選んであげる。ついてきて」
そう言って山田さんは玄関の方へ向かい、ドアの前で立ち止まった。
「行きましょう、私が払うわ」
「え〜、ほんと? ありがとう、山田さん!」
マリーはいつものいたずらっぽい笑みを浮かべながら、嬉しそうに山田さんの後を追った。
***
しばらくして、二人は大型のファッションモールの前に立っていた。中にはさまざまな服が並び、数多くの女性客たちがショッピングを楽しんでいる。
ついさっきまでマリーの隣にいたはずの山田さんの姿が、ふとした瞬間に見当たらなくなっていた。
「……え?」
前方に目を向けると、山田さんはすでにいくつかのドレスを手に取っていた。どうやらマリーのために選んでいるらしい。
マリーは一瞬、店の外に留まろうかと迷った。というのも、外には何人かの男子たちがいて、彼女を見るなりひそひそと話し始めたのだ。その視線が気になり、マリーは店内へ入る決心をした。
山田さんは表情一つ変えず、口ずさみながら次々と服を手に取っていた。
マリーはそっと近づき、不安げな声で話しかけた。
「……山田さん、何してるんですか?」
山田さんは即座に答えた。
「あなたに似合いそうな服を探してるの。任せて。絶対に似合うものを選んであげる」
マリーはその言葉に一瞬驚いて動けなくなったが、すぐに山田さんがこちらを振り返り、両手に抱えた服を差し出してきた。
「はい、これ。試着してきて。私はここで待ってるから」
「……え?」
マリーが何か言いかけた瞬間、山田さんは無言で彼女の背中を押し、強引に試着室の方へと連れて行った。
「さ、遅くなる前に行ってらっしゃい」
「わ、わかったよ、行くから、山田さん……!」
やや不満そうな表情を浮かべながらも、マリーはしぶしぶ試着室に入っていった。
中に入って山田さんが選んだ服を改めて見てみると、それはドレスだけではなく、シャツやスカート、さらには下着までしっかり揃っていた。
「……本気すぎない?」
マリーは苦笑しつつ、まずは下着のサイズを確認するように身体に軽く当ててみた。まだ着替える前だったが、その時ふと、あることを思い出したように手を止めた。
「そうだ……」
彼女はゆっくりと両手を前に出し、指先をスッと滑らせるように動かした。
──ヴン……
空間に淡い光を帯びた透明な画面が現れた。彼女がこの世界で一度使った、あの仮想マップだ。
表示された地図には、彼女自身を示す赤い点のすぐ近くに──青い点がぽつんと光っていた。
距離にして、約一キロ。
だが、マリーにはすぐに分かった。
──あれは、ハグキだ。
この世界に来た本当の理由。ずっと探していた相手。
ついに、その存在を感知したのだ。




