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第41話 引用

文化祭が終わってから数日が経った。リョウコは少しだけ明るくなったように見えるが、彼女はまだ何が起こったのかを知らない。彼がもう近づいてこなくなったからだ。

 一日でこんなに変わるのは不自然かもしれないが、どうしようもなかった。


 怪しまれることもなかったし、気にすることはないだろう。手がかりも与えていないから、今のところはこのままでいいはずだ。


 今日は、彼女とデートの約束をしている。この日を決めたときのこと、そしてその後の出来事を今でも忘れられない。


 今、俺は前回会った場所にいる。今回は東京タワーに行く予定だった。そう、今いるのは忠犬ハチ公像のそば。秋が深まり、街を行き交う人々の服装も厚手になってきた。俺も目立たないように、カジュアルで適度に暖かい服装を選んでいた。


 突然、背後から優しい声が聞こえた。


「待たせちゃった?」


 振り向くと、そこにはリョウコがいた。彼女は美しかった。まっすぐに整えられた髪が、普段よりも深い波を描きながら肩にかかり、彼女の魅力を引き立てていた。

 青いブラウスに白いバッグを合わせ、体のラインを引き立てるスリムなパンツを履いていた。その姿は、より一層エレガントに見えた。


 俺が思わず見惚れてしまったのを察したのか、リョウコは少し気まずそうに視線を逸らしながら尋ねた。


「……変じゃない?」


 どこまで意識してのことなのかわからなかったが、その照れた表情がまた可愛らしかった。


「いや……すごく、可愛いよ」


 そう言うと、リョウコはふわりと笑いながら俺に近づいてきた。俺の言葉が嬉しかったのか、彼女の頬はほんのりと赤く染まっていた。まるで、俺の一言が彼女の心に直接届いたかのように——。


「じゃあ、行こっか?」


 そう言って、俺たちは歩き出した。


 今こうして並んで歩いていると、東京タワーを最後の目的地にしたくなる気持ちもある。でも、今日の予定はそこだけだったから、それでいいのかもしれない。


 目的地までは4.3km。徒歩では遠すぎるが、途中で適当な移動手段を見つけられるだろう。


 いつも通り、今日も街には多くの人が行き交っていた。でも、それが問題ではなかった。これだけ人がいれば、リョウコを見失う可能性もある——。そう思った俺は、そっと彼女の右手を握った。冷たくて、繊細な手だった。


 リョウコは特に嫌がる様子もなく、そのまま俺の隣を歩いていた。それが少しだけ安心につながる。


 そして、俺たちは周囲の視線など気にせず、まるで世界に二人だけしかいないかのように歩き続けた。


 ——しばらくして、静かな街の中に小さなお腹の音が響いた。


 彼女はゆっくりと足を止め、気まずそうに、そして恥ずかしそうに俺に微笑んだ。だが、すぐに俺は理解した。まずは何か食べに行くべきだと。


 だから、今回は俺の方から誘うことにした。


「カフェで何か食べないか?」


 その言葉を聞いた瞬間、リョウコの表情が驚きに変わった。まるで、俺がそんなことを言うとは思ってもいなかったかのように。


 彼女は少し考えるように左手を口元に添え、迷っている様子を見せた。


「いいけど…でも…」


 彼女の言葉の続きを察した俺は、なぜかその迷いに少し疑問を感じた。


「心配しなくていいよ。俺が奢るから」


「いや、実はそういうことじゃなくて……まあ、半分はそうだけど…」


 そう言いながら、リョウコは少し視線を落とし、またしても恥ずかしそうな仕草を見せた。


「半分…?」


「うん……その……こういうとき、つい普段よりもたくさん食べちゃうの」


 それなら特に問題ない。俺の財布にはまだ余裕があるし。


「気にしなくていいよ。それでも俺が払うから」


 彼女は少し戸惑いながらも頷き、そして俺たちは再び歩き出した。数メートル進んだところで、リョウコが近くのカフェを指さした。ちょうど目の前にあったし、迷うことなくそこに入ることにした。


 店内に入り、右側にある茶色のソファ席に座る。柔らかい座り心地が心地よかった。


 しばらくすると、ウェイトレスが注文を取りにやってきた。先に口を開いたのはリョウコだった。


「リンゴジュース、サンドイッチを二つ、カレー一つ、それとラーメンください」


 すでにメニューに目を通していたようだが、注文の内容をあっという間に言い終えた。その記憶力の良さも驚きだったが、それ以上に注文の量に驚いた。彼女はにこやかに微笑んでいたが、俺はしばらく固まってしまった。


 だが、すぐに我に返り、自分の注文を告げた。


「俺はコーヒーとサンドイッチを二つで」


 ウェイトレスがメモを取り終えると、すぐに注文を伝えに行った。


 その瞬間、リョウコは少し身を縮め、気まずそうに俺を見た。


「やっぱり……頼みすぎちゃったよね?」


「いや、全然大丈夫だよ。お腹が空いてるんだろ? 気にせず食べればいい」


「そ、そう? じゃあ……そうする……」


 一瞬、妙な沈黙が流れた。彼女の張り詰めた空気のせいかもしれない。まるで、何かを考えているような——しかも、それが少し気まずいことであるかのような雰囲気を感じた。


 俺は特に気にせず、ただ窓の外を眺めていた。多くの人々が忙しそうに行き交っている。


 ——そのとき、不意にリョウコのスマホが鳴った。


 彼女は急いでバッグの中を探り、震えているスマホを取り出した。


 着信を確認すると、リョウコの表情が変わった。普段、他人に見せるあの冷たく無関心な顔だ。


 そして、そのまま通話ボタンを押し、応じる。


「もしもし、姉さん。何かあった?」


「へぇ~、名前で呼んでるんだ? ってことは、やっぱり本当なんだね。ふふ、じゃあ彼によろしく伝えておいて?」


「……ミナミくんのこと?」


 電話の向こうから、くすくすと楽しそうな笑い声が聞こえた。


『へぇ~、名前で呼んじゃうんだ? ってことは、やっぱり本当なんだね。ふふっ、じゃあ彼によろしく伝えておいて?』


「……わかった、伝えておく」


 リョウコはそう言って通話を切ったが、その直前までハルヒはまだ何か話したそうだった。しかし、そのタイミングでちょうど俺たちの注文が運ばれてきた。


 テーブルには、リョウコが頼んだ料理がずらりと並ぶ。一方、俺の前にはサンドイッチが二つとコーヒーだけ。リョウコは満足そうに手を合わせ、最初にカレーに手をつけた。


「いただきます」


 そう言って、勢いよく食べ始める。その食べっぷりを見ていると、少し気まずくなりそうだったが、俺が気にしたら彼女のほうが恥ずかしくなるかもしれない。だから、特に気にせず、自分の食事をとりながらスマホをチェックすることにした。今日は何か買い物をする予定だったことを思い出す。


 しかし、ふと視線を上げた瞬間、俺の目の前にスプーンが差し出されていた。


 カレーとライスがのったスプーンが、まるで「はい、あーん」と言わんばかりにこちらに向けられている。


 ……え?


 俺が戸惑っていると、リョウコは視線をそらしながら、小さく言った。


「ほら……美味しいから、食べてみて」


 俺はそのまま促されるままに、そっと口を開けてスプーンの中身を受け入れた。


 口の中に広がるカレーの風味。確かに美味い。だが、それどころではなかった。


 俺はそっと視線を落とす。


 ——今のって……間接キス、だよな?


 リョウコも、そのことを意識していたのだろうか。いや、きっと分かっているはずだ。だからこそ、目を合わせなかったのかもしれない。


 気まずい沈黙が流れたが、こういう時は何も言わないほうがいい。とにかく食事を済ませることに集中する。


 そして、すべての料理が片付き、会計を済ませる頃には、合計金額は5,300円になっていた。


 リョウコは、自分が頼んだものをしっかり全部食べきった。それを見て、俺は自然と満足感を覚え、約束通り支払いを済ませた。



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