第108話 絶対に失敗できないデート
バレンタインデーから数日が経った。
あの日、リョウコが僕たちの関係のためにどれほど頑張ってくれたのか、改めて気づかされた。
きっと、あのプレゼントを用意するのに、たくさん時間をかけてくれたんだと思う。
だからこそ、僕はあの小さな箱を一日中、何度も眺めていた。
中に残っていたのは、ほんの数粒のチョコだけだったけど――
そこに込められた想いの重さは、何よりも大きかった。
僕は、それをもったいない気持ちで、少しずつ味わって食べた。
まるで、大切なものが終わってしまうのを、必死で引き止めようとするかのように。
そして翌朝、目を覚ましたときに心を決めた。
週末、リョウコをデートに誘おうって。
何かお返しがしたい。
ホワイトデーまでにはまだ一か月近くあるけれど、待ちきれなかった。
こんな気持ちになれる瞬間が、またやって来るとは限らないから。
今のうちに、この気持ちをちゃんと伝えたいと思った。
目標ははっきりしていた。
――今年初めてのデート。
しかも、恋人としての「正式な」初デート。
だからこそ、心に刻まれるデートにしたかった。
…問題は、「どうやって」だった。
というわけで、僕が最初にとった行動は、SNSでの情報収集。
――結果、大失敗。
1時間以上も読み漁ったけど、出てくるのは見事に真逆のアドバイスばかり。
花を喜ぶ子もいれば、花を嫌う子もいる。
シンプルがいいという子もいれば、派手じゃなきゃイヤという子もいる。
中には「ディズニーに連れて行ってくれない男は価値なし」とまで書いてある始末。
…正直、頭がおかしくなりそうだった。
リョウコの昔からの友達、ユメさんに聞こうかとも思ったけど、
今はちょうどテスト期間中で、返事を期待するのも悪い気がした。
――残された選択肢は、ミナミ妹二人。
美翔と茜。
「…くそっ、ユメさん、なんで今に限って真面目モードなんだよ…」
リョウコ本人に直接聞こうかとも考えたけど、
驚かせたかったから、その案は即却下。
うつ伏せでベッドに沈み、枕に顔を埋めたまま、
僕は小さくつぶやいた。
「…俺、一体どうすればいいんだ…」
そのときだった。
ふと、部屋のドアがガチャッと音を立てて、少しだけ開いた。
隙間から、好奇心に満ちた二つの目が、こちらをじっと覗いていた。
「お兄ちゃん、なんか相談があるの?」
美翔だった。
あの、すでに全部お見通しって顔で、いたずらっぽく笑っている。
「美翔…? どうした?」
「晩ごはんできたって呼びに来ただけだけど? それより、さっき何かブツブツ言ってたよね?」
僕は何も答えず、ベッドから降りて、足を引きずるようにドアの方へ向かった。
「あとで話すよ。先にごはん行こう。」
彼女の横をすり抜けるとき、美翔はじっと僕を見上げていた。
言葉にはしなかったけど、その目には「気になって仕方ない」って書いてあった。
…分かってる。
どうせすぐに聞いてくるんだろうな。
案の定、晩ごはん中の彼女はどこか上の空だった。
箸を手にしたまま指でいじったり、料理をじっと見つめたり、
そして時折、鋭い視線を僕に投げかけてくる。
一方、茜はといえば、どれだけ大きな一口で白ごはんを食べられるか挑戦中。
箸で山盛りのごはんを口に運びながら、むしゃむしゃと豪快に食べていた。
美翔の想像が膨らみ始める前に――
そして、僕の胃が緊張でキリキリする前に――
ついに僕は口を開いた。
「…茜、美翔。ちょっと頼みがある。今日、手伝ってほしいことがあるんだ。」
二人は顔を見合わせると、すでに何かを察したようないたずらっぽい笑みを浮かべ、同時にこちらを見つめてきた。
「これってさ、リョウコ姉のことだよね?」と茜がニヤリと笑う。その笑みは、からかい半分の、どこか危険な香りすら感じさせるものだった。
「やっぱりそうだよね! 二人の間に、なにかあったの?」と美翔が身を乗り出してきた。
「……実は、そうなんだ。でも心配しないで。ケンカとかじゃない。ただ……今週末、デートに誘ったんだ。」
茜が鼻で笑った。それが笑いなのか、呆れなのか、判別がつかない。美翔は口元を押さえ、吹き出すのを必死でこらえている。
「それで……付き合ってから初めての、ちゃんとしたデートなんだ。だから……どうしたらいいのか、全然わからなくてさ。」
そこからは、もう二人とも遠慮なしに大笑いだった。思いきり、声を上げて。
僕はちゃぶ台に座ったまま、じわじわと沈んでいった。畳が、まるで底なしの沼のように感じられた。
「ごめんね、お兄ちゃん!」と美翔が笑いながら言った。「でも、なんか新鮮っていうか……ほんと、変わったよね。」
「別に悪いことじゃないだろ? ていうか、そんなに変わったか?」
「うん、すっごく変わった」と茜は即答した。「でも、それはいい意味でね。たまにまだバカなとこもあるけど……リョウコ姉と一緒にいると、それがすっごく伝わってくるんだよ。」
……そんなに分かりやすいのか。
「でさ、手伝ってくれるの? それとも笑って終わり?」
「もちろん手伝うよ!」と美翔が勢いよく答えた。「ね、茜お姉ちゃん?」
「当たり前でしょ。もう、リョウコ姉は家族みたいなもんだし。そんな彼女とのデートで、失敗なんてさせないよ。……このドジ兄のせいで。」
……最後の一言は、まるで心臓に突き刺さる槍のようだった。容赦なし。
でも、彼女の言うとおりだった。これまでの僕のデートは、ほとんどが行き当たりばったり。ちゃんと計画して、準備して――そんなこと、東京タワーのときくらいしかやったことがない。
でも今回は――絶対に、失敗できない。




