第105話 考えるべきいくつかのこと
まるでアニメみたい……。主人公たちが転生して、別の人生でもまた出会い、お互いにとって特別な存在になるなんて――
とってもロマンチック。ふふっ。
私も……私のこと、思い出してくれたらいいのに。少しでも、覚えてくれていたら嬉しいのに。
沢渡さんは、前世とよく似ている。あのときは、今より少し背が高かったような気もするけど。
でも……お兄様は、全然違う。前の姿と比べても、まるで別人みたい。
――ま、そもそも「死んだ」とも言い切れないから、簡単に比較できることでもないんだけど。
考え事をしながら、私は楽屋の鏡の前に座っていた。
膝上丈のピンクのワンピースを着て、スタッフさんが丁寧に髪を整えてくれている。その指先は慣れていて、軽やかで――まるで舞台の前の静けさのようだった。
そのとき、ドアがノックされ、山田さんが入ってきた。
相変わらず大人っぽい、どこか退屈そうな表情。だけどそれは、逆に“問題は何もない”というサイン。私は自然と微笑んだ。
「高宮さん、まもなく開演です」
彼女の言葉に、私はお決まりの「はーいっ!」と元気よく手を挙げた。
その仕草だけで、私が準備万端だと伝わったらしく、山田さんは一言もなく部屋を出ていった。
今日がその日――お兄様と沢渡さんを招待した、特別な日。
……沢渡さんのこと、「涼子さん」って呼んでもよさそうだけど、今の彼女は私のことをまだあまり知らない。そう、今の人生では。
すべての準備は整った。
カーテンの隙間から、二人の姿が遠くに見える。ちゃんと来てくれたんだ……。
「……ほんとに来てくれたんだね、ふふっ」
なら、ちゃんと魅せなくちゃ。
深呼吸。胸の前に両手を重ね、鼓動を落ち着ける。
――さあ、いよいよだよ。
ステージに立った瞬間、会場のライトが落ち、代わりに無数のペンライトが輝き出す。
まるで星の海のように、目の前に広がっていた。
音楽が流れ、私の歌が始まった。
観客の表情は見えない。でも、その光の数だけ、そこに誰かがいて、私を見てくれている――そう思えるだけで、心が震えた。
お兄様が……見てる。こんな私を、ちゃんと。
信じられない。けど、夢じゃない。
私はここにいて、彼も、彼女も……この場所にいる。
今、私の世界は完璧。これ以上、何も望まない。
***
コンサートが終わったあと、私はすぐに会場を出た。
お兄様とは会えなかった。まあ、仕方ないよね。沢渡さんが一緒でも、私たちが話しているのを見られたら、いろんな問題が起きるかもしれない。
……そんなの、絶対に避けたい。
結局、帰りは山田さんと一緒に車へ。
後部座席に倒れ込むように横になって、まるで切り倒された木みたい。体中が鉛のように重くて、何も考えられなかった。
「お疲れさま、高宮さん。帰るまで少し休んでください」
その声すら、まるで遠くに聞こえるみたい。返事もできなかった。
こんなに出し切ったのは、今日が初めてかもしれない。
しばらくして、車がコンビニの前で停まった。
「ちょっと水を買ってきます。すぐ戻りますね」
そう言って山田さんがシートベルトを外し、車を降りた。
私はただ、こくんと頷いた。言葉を発する気力さえなかった。
そのとき――携帯に通知音が鳴った。
お兄様からのメッセージだった。
『誘ってくれてありがとう。とても楽しかったよ。』
……え?
疲労が一瞬で吹き飛んだ。思わず携帯を掴んで、メッセージを何度も読み返す。
目の奥が熱くなって――でも、またストンと元に戻る。
笑みがこぼれた。力の入らない指で、そっと返信を打つ。
『ううん、大したことないよ。大事なのは、二人が楽しんでくれたってことだし。』
スマホを閉じて、隣にそっと置いたそのとき、山田さんが戻ってきた。
手には約束の水のボトルと、もう片方にはブラックコーヒーの缶。
彼女は静かに車に戻り、私の前に水を差し出した。
数秒遅れて、それを手に取った。
「ありがとう、山田さん」
私は身体を起こして、キャップをひねり、一口含む。
ちょうどそのタイミングで、山田さんはドアを閉め、コーヒーの残りを飲み干しながら車を再発進させた。
冷たい水が喉を通っていく感覚――それだけで、体に力が戻ってくる気がした。
スタジオで少しは飲んだけど、やっぱりあの時とは違う。
この一口は、まるで命を吹き返したみたいだった。
まだまだ元気、というわけではなかったけど、自宅まで一人で辿り着けるくらいの体力は戻っていた。
それでも、またシートに背を預ける。
こんなふうにリラックスしていれば、もう少し回復するかも……そう思った矢先に、瞼が重くなってきた。
――また、眠気が戻ってきた。
***
「高宮さん、起きてください。もう到着しましたよ」
誰かに優しく揺すられて、私は意識を取り戻した。
その声は聞き慣れていて、目を開ける前から誰なのか分かった。
気がつけば、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
今度は眠気が残りすぎて、逆に体を動かすのが億劫だったけれど、何とか身体を起こして、車から降りた。
山田さんがビルの入口まで付き添ってくれる。
本当はそこまで必要じゃないかもしれないけど、私の影響力を考えると、ファンが近くに現れる可能性はゼロではない。
……正直、そんなこと滅多にないと思ってるけど。
エレベーターの前で「お疲れさまでした」と軽く会釈して、彼女と別れた。
ビルの中に入ると、冷気が肌を刺す。
防寒対策はしていたけど、それでも足元から這い上がるような冷たさには、いまだ慣れない。
エレベーターの扉が開き、数歩だけ進めば、私の部屋の前。
もうすぐ、休める。
玄関のドアを開けると、静寂が全身を包み込んだ。
あまりにも広くて静かな空間に、一瞬、呼吸が止まりそうになる。
――最近知ったばかりだった。白鳥さんや圭君が、前の時間軸と同じことをしようとしていたこと。
やっと私を見つけた、そのすぐ後で。
***
お風呂に入って、ようやく全身の力が抜けたころ。
スマホが音を立てて震えた。
ピンクのルームウェア――薄手の長袖ブラウスと、やや短めのショートパンツ。
お気に入りの柔らかな素材に包まれて、私はベッドに腰を下ろしていた。
バイブの余韻が消えるまで少し待ってから、スマホを手に取る。
登録されていない番号。でも、なんとなく予感はあった。
「もしもし、マリーゃん。今晩は。今日のライブ、素晴らしかったよ」
……やっぱり。
「えっ……見てたんですか?」
「ううん。現地には行ってないよ。遠くから見られる人を代わりに送ったの。うち、家の決まりが厳しくて、そういうことで外出するなんて到底無理だから。」
「そうなんだ……だから、お兄様と涼子さんがまた一緒にいるんだね。行くべきだったかどうか、正直わからないけど。」
理音の驚いた声が電話越しに響いた。
「えっ、ちょ、ちょっと待って!二人って、また付き合ってるの?それっていつから?」
……嘘だって、すぐわかった。
最初に出会った時から、すでにそれとなく気づいてた。
でも、もしかしたら今回は「本当に付き合ってる」って意味なのかもしれない。
「知らないよ。そんなの聞いてないし。ただ偶然再会して、コンサートに誘っただけだから。」
「くそっ、僕も行きたかったなぁ。そしたら、絶対聞き出せたのに。でも、まぁ、あと数ヶ月で僕も近くに行けるし。」
「“あと数ヶ月”って……もしかして、あなた……」
「うん。近くに行くよ。それが一番現実的な手段だったし。それに、昔から親との間で決めてたことでもあるんだ。」
彼の声には、どこか誇らしげな響きがあった。
大事な何かに向かって、確かな歩みを進めているような……そんな音。
でも、私にも私の計画がある。
彼にはまだ話せない。準備が整うまでは、きっと無理。
「よかったね。ようやく二人のそばにいられるようになるんだ。特に……お兄様の。」
お兄様が誰にとっても特別な存在であることは、私も痛いほど分かってる。
再会できたことが、どれほどの救いだったか――それは、私自身が一番感じている。
お兄様がいなければ、私は……ただの“何もない私”になってしまう。
「へえ?嫉妬しないの?」
ふざけたようなその口調が少しだけ癇に障ったけど、私は笑ってごまかすことも、怒ることもしなかった。
だって、私には“彼には想像もできない計画”があるから。
そう、まだ誰にも話してないけど――私は、絶対に負けるつもりはない。
だから、彼の挑発にはこう返した。
「別に、嫉妬なんてしないよ。だって、二人を見つけたのは私の方が先だし。……じゃあね、今日はこの辺で切るね。」
電話の向こうで、彼はちょっと諦めたように笑って言った。
「うん、また話そうね〜」
私は通話を切り、そのまま寝室へ向かった。
ベッドに倒れ込んで、天井を見上げながら、これからの計画を反芻する。
まだ確定ではないけれど、少なくとも一つだけはっきりしていることがある。
それは――どんな形であっても、私はまた彼らに会えるということ。
最近だって、何度もそうだった。
すべてが、私の思いどおりに動いてる。
昔と変わらない、そのままの彼に――本当の体を持っていたあの頃と同じ、あの雰囲気のままで。
一瞬だけ、不安になりそうになった。
でも――ここまでの出来事を振り返れば、不安なんて感情、今さら持つ意味なんてない。
私は、窓の外の夜空を見上げながら、そっと目を閉じた。
心配も、疑いも、全てが霧のように消えていく。
そう、これが私。
いい時も、悪い時も――何も恐れずに、前だけを見る。
そんな私で、今もこれからもいたいと思った。




