第6話 マイルーム、3人で〇〇〇
時計の針は頂点をまわり、日付が新しくなった。しかし一日はまだ終わっていない。
俺の私室は戦場と化していた。敵はもちろん春休みの課題。驚くなかれ、試験ビリっけつコンビである我々はまったく手をつけてなかったのだ。なぜ休み明けの考査が終わったのに指が痛くなるまで鉛筆を握らないといけないのか。
「カエデ教官、もう限界です……」
「シオン二等兵! 目を閉じるな! 死ぬぞ!」
「へっ、相棒…… じゃあな……」
くらりと船をこぎ出すシオンの額に消しゴムが飛ぶ。カエデだ。
「二等兵。ここが地獄よ、目覚めなさい。そして罪を償うのです、怠惰という大罪を」
「教官……」
俺はとんでもなくでかい欠伸をなんとかこらえて伸びをする。
「こっちは覚悟を決めたぜ。魔法の言葉を教えてやる。やったけど持ってくるのを忘れました、だ」
俺の頭に消しゴムが飛んでくる。もちろん鋭い目つきのカエデから。
「変なことを教えないで」
「それ、素敵な言葉だなあ。わたし気に入っちゃった。毎日言いたいくらい」
「変なことを覚えないで」
「なあカエデ。睡眠量保存の法則って知ってるか。今日徹夜して失われた睡眠はどこで補填されると思う? もちろん明日の授業中だ」
「……何が言いたいのかしら?」
俺は指を立てた。
「今は寝て、明日の授業中に課題を片付ける。それで世界の均衡が保たれる。そうせずに睡眠量保存の法則が破られるとどうなるか……分かる人はいるか?」
シオンが元気に手を上げる。
「エンピロートーが増大し、世界が内側から弾け飛んで崩壊します! 我々は世界を救うという崇高な使命を背負っています!」
「その通り。つまり俺が言いたいのは――眠たいってことだ。不思議だよな、ゲームやってたら朝まで起きてられるのに、紙と鉛筆じゃ小学生みたいに眠くなっちまう」
カエデは目を瞑って鼻から息を吐き出した。
「分かったわ。じゃあこうしましょう。あと二時間だけ頑張る。終わらなかった分は先生に正直に申告して、授業はきちんと受ける。そして課題は明日の放課後に終わらせる」
シオンは「教官~」と声を震わせてカエデに抱き着いた。「大好きだよ~」と鼻先をぐりぐり押し付ければ、カエデは恥ずかしそうに顔を背けて雑に頭を撫でる。
この2人は仲が良い。たぶん俺とカエデの仲よりも、俺とシオンの仲よりも、この2人の仲の方がずっと深いものだと思う。俺と彼女らの間には男女の情愛が入り交じるが、2人の間にあるのは純粋な友愛だ。
シオンが立ち上がって胸を叩く。
「じゃあわたしお夜食作ってくるから! 5分だけ待ってて。――やっぱり10分。いや15分かな?」
「時間を稼ごうとしないで」
「えへへ。ばれちゃった。……大急ぎで作ってきます!」
シオンの作る飯はうまい。ちなみに基本を教えたのは俺だ。彼女はすでに俺の腕をはるかに超えた高みに到達しているが、俺はいまだに師匠面をやめずにあれこれと口を出すことにしている。なぜってその方が気持ちいいからだ。
シオンは部屋を出ていく。俺とカエデだけが取り残された。
「さて、休憩だ。少しだけ休憩するぞー!」
ベッドに座る。ついでに体も横たえる。枕の上に頭を置いて、布団を引っ張り上げてみる。カエデの刺すような視線が痛いが……小動物のように目を潤ませて慈悲を乞う。
「それは何の顔?」
「見ての通り、ヘビに命乞いする赤ちゃんウサギの顔だ」
「スポンジボブにしか見えなかったわ」
「すごい悪口だな」
「あなたの方こそ。スポンジボブは可愛らしくて人気のあるキャラクターですけど。褒め言葉と受け取るべきなのに、悪口と断定するのは非常に失礼な――――こら。目を閉じて寝ようとしないの」
「寝ようとはしていない。ただし俺の意思に関係なく目蓋がおちてしまうことはあるかもしれない。人体の構造的に仕方のないことだよな」
「なら私が眠気覚ましに鼻毛を抜いてあげる」
……本気じゃないよな。俺は断固死守を決意した。そんな脅し文句じゃ布団の中から出ないぞ。しかし指は鼻に向かって伸びてくる。まじで鼻毛を抜く気なのか?
「待て。女子高校生にあるまじき起こし方はやめるんだ」
「はあ? あなたねえ、私が毎朝毎朝どれほど苦労しながらあなたを起こしているか分かってる? 可愛らしく肩を揺すって起きるのだったら私だってそうしてる」
「ははは、大袈裟だな。たしかに俺は朝に弱くて、気が付いたら学校にいるなんてこともしばしばあるけど」
「今度動画に撮ってあげる、あの暴れっぷりを。私はコウを学校に連れていくためにこの十六年と少しの人生でありとあらゆる起こし方を試してきたの。女子らしいとか気にしていられないわ」
「ありがとうございます。大変助かっております」
「ていうか、そろそろこの世界にアラームというものが存在していることを知りなさい」
「アラームは知ってるよ。起きれないからつけないだけで」
カエデは寝そべる俺の横、ベッドに腰掛けた。どこか陰のある横顔を眺める。
「……ねえ、ほんとにもう寝るの? あんまり不真面目だと留年になることもあるのよ。特に英語の山田先生は情け容赦ないことで有名だし。今日は英語だけでも終わらせましょ」
私だけ3年生になるのは嫌だから。そういった寂しさを言葉の端に滲ませている。昨年度は本当にギリギリだったのだ。
我が五月雨学園はかなりの進学校で要求される学力のレベルは高い。なぜ俺とシオンがこんな高校に入学できたかというと……俺たちの名字は五月雨である。つまりそういうことだ。
それでも利く融通と利かない融通がある。留年できるかどうかの判断は利かない融通だ。理事長の親族だからといってなんでも許すわけじゃないと通告は受けている。――だからDIOは試験で俺を助けてくれたのかもしれない。
「いつもありがとな」
「……どうしたの急に?」
「日頃の感謝を伝えとかないとなと思って。お前がいなけりゃとっくに退学してる。俺にはもったいない、可愛くて優しい最高の幼馴染だ」
俯いたカエデが俺の手をぺしりと叩く。痛くはない。そして叩いたまま重なった手からじわりとした熱が伝わる。
「そういうところが、ほんとに……クズね」
「……なんで罵られた?」
「自分で考えなさい。――私、シオンを手伝ってくるから」
カエデは顔を見せないまま部屋を出ていった。一人になるとまじで寝そうだ。……俺もちょっかいかけにキッチン行くか。
夜食を食べて栄養を補給した我々ビリッケツ小隊は2時間に激闘の果てに勝利を掴んだ。
シオンは眠そうなカエデを「今から女子会ね」と自室へ連行した。いまや2人の上下関係は逆転し、カエデがシオンの喋りを無視して寝落ちするまでどのくらい時間がかかるだろうか。
俺は1人静かなマイルームで日課のエロサイト巡回を行った。
このときの俺はまだ知らない。
翌日、DIOによるイタズラが加速してとんでもないことになることを。