第23話 八王子カエデの追憶3
私、八王子カエデの朝は早い。
なぜか。
毎朝化け物と戦っているからだ。その化け物の名は五月雨コウ。決して独力で目覚めようとはしないクズである。
なぜ自分は週に5回もこんな男を起こしているのか。何度も自問自答しているが答えは見つからない。強いていうなら物心ついた時からそうしていたから、だ。
私がコウを起こすようになってはや10年が経つ。始まりは小学校1年生のころだった。
コウの親が再婚する前、つまりコウに母親しかいないころ。
彼の母親は朝早くに仕事に出かけてしまうので、「コウを学校に連れて行ってあげて」と頼まれたのだ。
幼稚園でも最も多くの時間を共有した幼馴染。「頼まれなくても一緒に行きますとも」と考えていた小1女子はピカピカのランドセルを背負って、五月雨家の玄関前でコウを待っていた。
しかし約束した時間になっても五月雨コウは現れず、心配になった私はポストの中に隠されている合鍵を使って五月雨家に侵入した。
そこで見つけたのだ。
鳴り響く計7つのアラーム。そしてその中心に横たわるコウ。死んでいるのかと思った。
すぐに駆け寄り肩をゆすった。「コウ!? だいじょうぶ? 病気なの?」
まんまるな頬が可愛らしいコウは目を閉じたまま言い放つ。「うるせえ! まだ寝かせろ!」
衝撃だった。そんな口調でものを言われたのは初めてだった。親にも友だちにもコウにも怒鳴られたことはなかった。
私はぽろぽろ涙がこぼれるのを止められなかった。
しかし、八王子カエデはそこで決意したのだ!
私が、私こそがこの小さき怪獣に人の心を取り戻させ、学校に連れていき、授業を受けさせるのだ、と。
私は思い付くあらゆる手段でコウを目覚めさせようと試みた。水、ビンタ、耳元で絶叫。しかしどれも通じない。
結局その日はコウを起こすことができなかった。途方に暮れて呆然としていたところ、コウは自然と目覚めて言ったのだ。「あれ? もうこんな時間じゃん。学校始まってる。カエデは何してんの?」
黄色い帽子は怒りに震えた。そして掴みかかる。取っ組み合いのケンカが始まり、私の勝利で終わった。
そして学校からの電話を受けた私の母親によって、二人は車に乗せられて学校へと向かうことと相成ったのだ。
みなが着席している中で教室に入り奇異の視線を浴びながら自席を探すあの恥ずかしさを、いまだに覚えている。そして「気にすんなよ」とほざいた憎たらしい幼馴染の顔も。
八王子家の女は根に持つタイプ。祖母の言葉だ。
翌日、私は本来出発すべき時間の1時間も前に五月雨家を訪れた。
玄関を開けてすぐ鼓膜が破れるようなアラームの音が聞こえてきて、カエデは今日も戦いが始まることを悟った。
▼△▼
その戦いは高校2年生の今でも続いている。
玄関扉に合鍵を突っ込み、回した。
「カエデちゃん、おはよー」
「おはよう」
ふわわ〜と欠伸するシオンを横目に見ながら2階へ。
彼女も朝には弱いが、それでも自分で目覚めて2人分の朝食を作っている。兄とは雲泥の差だ。ただし寝起きのシオンではあのケダモノに対抗することはできない。
私はあの化け物に打ち勝てる人類唯一の存在として世界中からの期待と希望を背負っている。というのは誇張したが、まあそれくらいの責任感と矜持をもってこの戦いに挑んでいた。
「今日もコウくんをお願い」
「任せなさい」
2人目の幼馴染――というには出会うのが遅すぎたかもしれないが――の声を背中に受けて階段を上る。
我が家かと錯覚するほど慣れ親しんだ家、慣れ親しんだ階段、慣れ親しんだ廊下、そして蹴破りたいほど憎々しい扉。
はやる気持ちを抑えながらドアノブを回す。
アラームの音はしない。なぜか。寝ぼけたコウが壊すからだ。私は犠牲者の数を100まで数えていたが、そこでコウの母は新しい目覚まし時計を買うのをやめた。
扉を後ろ手で閉めた。これは神聖な戦いであるので、シオンに邪魔されるわけにはいかない。
鞄をどさりと床に落とし、ベッドへと近づく。
そこにはふにゃけた口元の幼馴染が幸せそうに眠っていた。
よく鑑賞する。いつにもまして愛らしいので、写真を撮っておこう。シオンの気配が1階にあることを確認し、パシャリ。スマホの中身の半分はこの男の寝顔であることは、墓場まで持っていこうと思う。
ベッドに座ってまた鑑賞する。
昨日はキスをしてしまった。コウは夜遅くまで色々思い悩んだことだろう。そういう男だ。
「起きて」
頬をぺしりと叩く。こんなもので起きるわけはないと知っているが、なぜか毎日こうしてしまう。
「起きて」
頬をつまむ。ふるふると動かしてみる。
そう、この時だけ私はコウの体を好き放題にする権利があるのだ。その権利を行使しているだけ。
そして、コウの体に触るべきという理由もある。なぜならばコウを起こさないといけないから。理由ある行動を誰が責められようか。
「起きてってば」
コウの唇に触れてみる。指2本をそっと押し当てるように。
そしてその指を、今度は自分自身の唇に触れさせてみる。
「……ねえ、コウ、今間接キスしたのよ」
その呟きを聞く者はいない。
しばらくの間そのゴツゴツした手を握ったり、自分にはない筋肉の形を確かめたりする。これはいわば触診である。幼馴染の健康を管理するのは当然の責務であるからして。
「起きてー」
「うるせえ!」
コウが目を瞑ったまま怒鳴る。これで眠っているのだ。なんという男だろうか。
こいつを起こすには少々面倒な手順を踏まなくてはならない。無理やり起こそうとするのはダメだ。手痛い反撃を食らうことになる。
まず布団をひっぺがす。次にカーテンを開き、差し込む朝日を浴びさせる。こうするとコウは目を腕で隠す。
そう、問題となるのはこの腕である。この腕をどかすことができれば、やがて目覚めるのだ。目を隠し光を遮る以上に魅力的なものを、この手に与えなければいけない。
私はコウの上に乗っかった。なんだか恥ずかしい姿勢なので、シオンには見せられない。
コウの両腕をそっと持ち上げ、私の太ももの上にのっける。さわさわと動いた。くすぐったくて声が漏れそうになるが、我慢する。
コウは眠ったまま私の体を触り続ける。ふにゃふにゃ嬉しそうな顔には日の光が降りそそいでいるので、まぶたを閉じていても眩しいだろう。
十数分もこうしていればじきに目覚めるはずだ。それでも寝ぼけたままであるが。
私はその毎朝の幼馴染とのちょっと刺激的なふれあいを楽しもうとコウにもたれかかったのだが――
気づけば私は押し倒されていた。お腹に……すごく固いものがあたっている。
コウが突然叫んだ。
「うおおーーーん」




