第22話 リビング、シオンと〇〇〇
夢見心地のまま残りの授業を受け、俺はまっすぐに家へと帰ってきた。あれからカエデと話していない。目も合わせていない。
まだ唇に感触が残っている。
ソファに重く沈み込んで、面白くもないテレビ番組を聞き流す。
カエデは「それを言ったら後戻りできなくなる」なんて話したが、言わなくたって後戻りできないだろう。少なくとも俺は、今までのように接していくことはできない。
「……いや」
しかしカエデは今まで通りを望んでいるのだ。ならそうしてやるしかないのでは?
今まで通りに軽く言い争って、勉強を教えてもらって、休日は連れ回して、そしてたまにいちゃつく日常。
「それにキスが追加されただけだ」
言い聞かせるように口に出してみる。
「キスだけだ」
だが、心の底からそう思えそうにはない。
"だけ"なんて評価をくだすには、さっきのキスは幸せすぎた。愛が膨張して自我を失いかけるほどに。
例えばこんなことを想像してみよう。部屋で二人きり、勉強を教えてもらっています。ふと、どちらからかキスをします。次にはどうなる?
間違いなくヤる。自信がある。自信というには少々ただれているだろうか。ともかく俺は間違いなく押し倒し、欲望のままに動くだろう。そしてそうなれば、たぶんカエデは拒まない。
それでいいのか?
曖昧な関係のまま、セックスだけする。それはセフレというのでは? そして万が一にも妊娠なんてすることがあれば俺はカエデに堕胎を強要するのか?
だめだ。ありえない。
もしそうなれば結婚しよう。俺は学校を辞めて働くんだ。もちろんカエデが望めばだが。それはそれで幸せな人生だろうけど……
でもカエデの描く人生設計は大きく狂うことになる。やっぱりナシ。セックスはなしだ。それにつながるキスもなし。
そこさえ守れば、俺はいつも通りやっていけるだろう。
ガチャリ、と玄関が開いた。
「ただいまー」
呑気な声。シオンだ。それにカエデのお邪魔しますの挨拶が続くかと身構えたのだが――
シオンは一人だった。
「どうしたのそんな顔して。……あ、カエデちゃん? カエデちゃんは家に帰ったよ。心を落ち着ける時間が必要だってさ」
シオンは鞄をドサリと床に落とした。ブレザーを脱ぎ散らかしてリボンも引っこ抜き、ボタンを一つ緩める。
そして俺の横に座った。
からかうようにニヤニヤ頬を緩めている。
「ちゅーしたんだってね。カエデちゃんから聞きました〜 惚気まくって大変だったんだから」
脇腹をつついてくる。
「感想教えてよ。どんな気持ちなの?」
「言葉にはできませんが、天にものぼる心地とだけ」
「わあ、初キスを経てコウくんが詩人になっちゃった」
そう言ってコロコロ笑うシオンの距離は、いつもより少しだけ遠い。普段なら体をくっつけて頬ずりしてきてもおかしくないはずなのに。
やはり……今まで通りにはいかないのだろうか。
「推しカプがデキてわたしも嬉しい。カエデちゃん、きっと告白されるの待ってるよ」
「どうだろう。分かんねえな」
「絶対待ってるって。カエデちゃんは告るより告られたいタイプって前に話してたし」
「…………」
シオンの笑顔が少し強張っていて、作り物のように見えるのは気のせいだろうか。
「シオンはそれでいいのか?」
口に出してから思う。俺は何を聞いているのだろうか。そしてどんな答えを求めているというのか。
シオンはきょとんとした顔になった。
「なにが?」
「……なんでもない」
こいつはこういう女だ。無邪気なふりをして本心を隠している。いつもヘラヘラしているが、本音なのかいつも俺には区別がつかない。
その日、シオンはいつもと同じように話していつもと同じように笑っていた。でもベタベタと甘えてこなかった。
夕食中、そのあとの時間、俺は普段通りに振る舞えていただろうか。
眠る前にスマホが鳴った。カエデからだ。
――シオンとはどんな感じ?
俺はかなりの時間悩んでその真意を測ろうとしたが、どれだけ頭を捻っても出てこずに、事実だけを送信した。
――いつも通り、かな。
――様子はどうだった?
――少しぎこちなかったかも。俺にはもうなんにも分からん・
――そう。明日私が話しておくから。
モヤモヤを抱えたまま俺は眠りについた。
なかなか眠れなかったが、俺はあることをすっかり失念していた。
カエデとのキスが衝撃的すぎて、催眠の効果が翌日の朝から現れるなんてことは頭から抜け落ちていたのだ。
翌朝、俺は獣になった。
「うおおーーーん」




