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8.挑戦

 気にし過ぎなのかもしれないが、日に日にカトリーヌとグラムエルの関係が深まっていくように感じてしまう。そうすると私の心はどんどん重くなっていき、心の奥に潜んだ痛みは回数が増え痛みは増していく。それは二人が毎日帰ってくるたびに漂うワインの香りが私を襲うからだ。


 そんな日々に堪えながら迎えたとある休日、カトリーヌが私に声をかけてきた。


「バーバラ、今日は一緒にディナーを作らない? 夜は三人でおいしいものを食べておしゃべりしましょうよ」その申し出に裏がないことはわかっているのだが、どうにも乗り気になれず返事に困っていた。


「どうしたの? あまり元気がないようだけど? それなら私に任せておいて、とっておきのおいしくて元気の出る料理を作ってあげるわ」カトリーヌの気遣いが心にしみる。しかも家で食事をするなんて今まで出始めてだ。これまでは休みの日でも外へ出て食べに行っていた。


 もちろん私も誘われるのだが、残念なことに私は人が大勢いるところでは食事ができないたちなのだ。苦手意識なのか何なのか、雑沓の中にいるとどうしても足がすくみ体が震えてしまう。そのせいでいつも断る羽目になり、誘ってくれた相手を落胆させてしまうのだ。


 だがそんな私に気を使ってくれたカトリーヌは、家でみんなで食べようと言ってくれた。これは今までにない最高の喜びである。


「ねえカトリーヌ、大したことは出来そうにないけど何か手伝えるかしら? 私は料理がまったくできないけど、それでも力になりたいわ」ダメでもともとと思って申し出てみるが、あちこちを見回したカトリーヌが苦笑いして何もないと返してきた。


 それならばテーブルの用意をしながら待とうとクロスを交換し、綺麗な色のマットを三人分用意した。後はグラスを用意しておけばとりあえずはいいだろう。外はもうすっかり夜だしグラムエルもそろそろ帰ってくるころだ。


 やがてグラムエルが帰ってくると夕食が始まった。結婚してから始めて家で一緒に食べる食事である。だが私の心の中は複雑な感情が渦巻いていた。夫とカトリーヌは同じ物を食べ同じワインを飲み、そして同じところで笑いあうのだ。


 もちろん私に邪魔だとかどこかへ行けとは言わない。一緒にテーブルを囲むことは許してくれているが、何の話をしているのかは全く分からず疎外されているようにしか感じられなかった。せめてもの抵抗でその場にとどまっている気さえしてくる。


「バーバラも一緒にワインを飲めばいいのに」とグラムエルが知ってて冗談を言うが彼なりの気遣いなのだろう。だかその優しさが却って私を苦しめる。


「私はお酒が飲めないから……」と仕方なく苦笑いを浮かべて断ると、グラムエルは知ってるけどまったく進めないのも邪魔にしているようで気が引けるんだ、と優しい言葉をかけてくれた。


「でもぶどう自体は食べられるのよね? そこが不思議だわ。どういう理由なんだろう。ためしに飲んでみたら大丈夫だったりしてね。いつから飲んでないの?」カトリーヌが気楽に聞いて来たがいつだったかはっきりと覚えていない。でも相当前、まだ若い頃の体験だったのは間違いない。


「多分に十代前半くらいかしら。星降り祭りの時に飲んだエールで倒れてしまって、それ以来お酒は飲んだことはないのよ」記憶を頼りにそう答えた。するとカトリーヌが笑いながら大丈夫だと言ってきた。


「もう十年近く前なんでしょ? そんなのもうわからないよ。それにエールとワインは全然違うじゃない? ためしに飲んでみたらいいわ。倒れても私たちがいるんだから大丈夫」確かにひとりでは試せないが、介抱してくれる人がいるのだから試してみるなら今しかないかもしれない。


 それにもしワインが飲めたならあの香りに悩まされず、一緒に楽しむことだってできるだろう。もしそんなことになったなら嬉しさのあまり飲みすぎてしまいそうである。


「じゃあ試してみようかしら。もし何かあっても本当に助けてくれる?」まさか見捨てるはずがないとわかっていても不安は不安だ。念のためにもう一度聞いてみる。すると今度はグラムエルも心配ないと言ってくれたのだ。


 二人がいるならきっと大丈夫だろう。それに飲んだってなにも起きないかもしれない。南畝十年近く前のことだ。あの時はコップに入ったエールを一気に飲み干した背でもあったかもしれない。ゆっくりチビチビと香りを楽しむ程度から始めてみよう。


「では本当に飲んでみるわよ? 信じているから二人ともお願いよ?」


 真っ赤なワインが入ったグラスが目の前におかれた。これで見た目だけは三人同じである。まだ飲んでもいないのに、疎外感で寂しかった気持ちが軽くなっていくのを感じた。それだけでも少しだけ幸せな気分になってくる。


 私はグラスを持ち上げて鼻へと近づけた。すると例の嫌で仕方なかった香りが漂ってくる。しかし今は嫌な気持ちにはならず楽しみでワクワクするほどだ。一口舐めてみると舌の上がカァっと熱くなった。次に少しだけ口の中へ含んでみる。すると口内へあの香りが充満していき、何とも言えない満足感に包まれた。


「なんだ、意外となんともないわ。それに香りが良くておいしい気がする。ではもう少し――」いちいち子供のようにはしゃぐのは恥ずかしいが。不安をかき消すためにも喋っていないと落ち着かない。


「とてもおいしいわ、これがワインの味と香りなのね。もっと早くに知っておけばよかったわ。二人がこんな素晴らしいものを知っていたなんて羨ましいわ」私は興奮しながらさらに一口飲み二口飲み、とうとうグラスを空にした。


「なんだ、飲めるじゃないか。これなら毎晩でも一緒に楽しめそうだな」グラムエルの言葉が私を嬉しい気持ちにしてくれる。


「ホントね。こんな事を習もっと早く誘っておけばよかったわ」カトリーヌのおどけた言い回しが心地よい。


「自分でも意外だったわ。いつの間にか飲めるようになってたなんて。これならいつ勧められても平気ね。いつでも――」だが私は最後まで言葉を続けることができなかった。


 視界が一瞬でぼやけてくる。二人の顔がゆがむ。そして重くなるまぶたに抵抗できなくなり、私は意識を失った。


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