5.愛満ちて
「がっかりだよ」彼は一言つぶやいた。そしてくりかえす。
「本当にがっかりだ、僕はキミになんでも与えて来たよね? 住まいから食事から着るものまで全部。不自由をさせたことは一度もなかったはずさ。もちろん働かなくても良かったんだから時間もたくさんあっただろう? それを愛ではないと? 愛の無い相手にそれほど潤沢に捧げるなんてことがあると思うのかい?」
「それは…… 確かにあなたの言う通りだわ……」
「ではなぜそれを疑ったんだい? 不満があるのだろう? それとも僕ではない誰かを求めているんじゃないだろうね?」
「違う、絶対にそんなことはないわ! お願い、私がおかしなことを言ったのが悪かったのよ。間違っているのは私だったの、だから許して、お願いだから!」
「許すというのは何に対して請うているんだ? 僕はキミを愛し続けてきた。しかしキミはその気持ちに気付かなかった。それだけでなく不足であると言ったのだよ? それくらいはわかるだろう?」この言葉にはぐうの音も出ない。はなから言い負かそうだなんて思ってはいないが、せめて謝罪を受け入れてくれるよう誠意を見せるだけだ。
「本当にごめんなさい、私は与えられているものを見ずに余計に欲しがってしまったのだと思う。きっとあなたのことを傷つけたのでしょう。でもわかってほしいのよ。私は一言でいいから愛していると言って欲しいし、一度でいいから手を握って欲しかったの」
「なるほど、つまりキミは僕に足りない点があると言いたいわけだ。そしてそのことを僕たち夫婦以外のものへ吹聴してしまったのだろう? ああわかっているからなにも言わなくていい。言い訳を聞く趣味は無いんだ」
『ああカトリーヌ、なぜあなたはそんな酷いことを。友達だと思っていたのにまさか裏切られるなんて……』私は心の中で呟いたのだが、それを察したのだろうか、グラムエルは先回りして私に釘を刺した。
「言っておくが、カトリーヌはキミから聞いたことを言いふらしたりはしていないよ? あくまで正義感で僕へ進言してきただけなのだ。しかしその友人に対し、君は疑惑を向けたのだろう? 何事にも自己中心的で考えなしではないかい?」
まさしくその通りで返す言葉は何もない。なぜここまで言い当てられてしまうのだろうか。これが生まれついての家柄や教育の差だとでも言うのだろうか。友人のカトリーヌを疑ってしまったことで私はさらに精神を打ち砕かれた気分になっている。もはや自分自身を許すこともできない。
「もう許してもらえるとは思っていないわ。でも謝罪したいと言う気持ちは本当にあるの。あなたのために何かできることがあるのなら死ぬ前に教えてください。出来ることならそれを果たしてからこの世を去りましょう」
「死んで何かが償えると言うのは甘えだよ。生きて働くことで償いはできるだろうがね? だがあいにく僕はそんなことをしてもらいたいと思ってはいない。今まで通りここで暮らしていてくれるだけで構わないさ。許すも何も起こっているわけでは何のだからね」
「でもさっきはあれほど……」
「そうだよ、がっかりしたと言ったんだ。つまり落胆したのさ。もっと賢い女性だと思っていたからね。それなりの学問を身に着けて立場を覆したほどのキミが、何年も無駄な時間を過ごすとは思っていなかったよ」
確かに結婚してからは何もせず怠惰な生活をしていた。甘やかされるがままに怠け放題で何もせずに暮らしていたのだから。それなのに一方的に愛されたいだなんてどれだけずうずうしいのか。自らの考え方を恥じるばかりである。
「あなたの言う通りだわ。私は怠け者のろくでなしでした。今後は反省しあなたのために生きていきます。だからここへ置いて下さい。追い出さないで下さい」
「うむ、だから今まで通りに暮らせばいいと言ったじゃないか。本当に怒ってはいないんだよ。これからどうするのか、何がしなたいのか、じっくり考えていくといいさ」まさかそんな優しい言葉をかけてもらえるなんて思ってもいなかった。やはり私は愛されている。これは間違い用のない事実だったんだ。
私は安堵と感謝の想いがあふれて泣き出してしまった。迷惑だと思っていても涙を止めることができない。グラムエルはそんな私を見ながら優しく微笑むだけだった。ああ、こんなに愛されて幸せだったのになにも見えていなかったなんて恥ずべきこと、そう考えると余計に涙があふれ出てくるのだった。
「そうは言っても今までと全く同じというのも難しいだろう。キミが色々と考えすぎてしまっていたことにも気付けなかったのだから僕にも責任がある。それについては明日までに何か考えることにするよ。心配しないで僕に任せておきなさい」
そうだ、グラムエルは最初に声をかけてくれた三年前から今の今までずっと私に優しいままである。なにも不安に思わずすべて任せておけばいい、そう考えてこの日は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。
◇◇◇
翌日の晩、グラムエルが仕事から帰ってきた。やはり食事は外で済ませて来ているが、これも私に用意をさせまいとしてくれているのだろう。おかげで水仕事も料理もせずに爪をきれいに手入れしたままにしておけるのだ。
「グラムエル、おかえりなさい、なんだか機嫌が良さそうね。いい事でもあったのかしら?」私は自然に口から出た言葉を紡いだ。心のつかえがとれたと言うのはこれほど気持ちを軽くするのだ。
「ああ、喜んでくれ、君のためにいい案を思いついたんだ。いつも一人で家にいるのは寂しいだろう? だから今日から一緒に住んでもらうことにしたよ」
夫に続いて入ってきたのはカトリーヌだった。