表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
孤高の彼女  作者: 赤虎
8/45

ラーメンデビュー

1


「意外と早く終わっちゃたね」

「さて、どうしようかな・・・遅くなると思って、今朝、お父さんに晩御飯いらないって言っちゃたし・・・」


水曜日の午後は何故か選択すべき講義がなく、本来ぽっかり空いている。当然、皆は部活やバイトに精を出すのであるが、紗希は時間がもったいないと本来2年生の必須科目である実習を統括教授にねじ込んで登録してしまった。だけど、2人以上のグループを構成しないと実習に参加できないので、私も引きずり込まれというわけ。今日の実習は普通2年生が4時間程度費やすレベルのものだが、紗希の手際の良さもあって、私達は2時間で終わらせてしまった。


「まだ3時過ぎだよ。電話すれば?」

「お父さんはお父さんで予定組んだかもしれないしね・・・そうだ!図書館でレポート書いて時間潰して、ラーメン食べに行こうか?」

「ちょっと、ラーメンって、1杯で1日の塩分許容量容易に突破するでしょ!学食ですら食事しない紗希が何言ってんの?」

「ところが、私でも食べられるラーメンがあるんだな、これが」

「何処のラーメン屋さんよ、それ」

「この近くに生稲亭ってあるでしょ?」

「知ってる!行列が絶えないって有名なとこでしょ!入ったことないけど」

「そこにね、醤油ラーメン菊地紗希スペシャルっていう裏メニューがあるんだ」

「何それ?」

「注文すれば分かるよ」


紗希の御弁当を食べたことがあるけど、味が薄いを通り越して味がしない、ってか正直不味かった。醤油ラーメン菊地紗希スペシャルも味がしない不味いラーメンだろうけど、生稲亭のラーメンはすごく気になる。私は紗希と生稲亭に行くことにした。


6時半、私にとっては少し早めだけど、図書館を出て生稲亭に向かった。1917亭と書いて生稲亭か・・・案の定、すごい行列だ。


「紗希、別の機会にしない?これじゃ早くても30分以上待たないと・・・」

「大丈夫だって」


紗希は行列を無視して店の中に入っていく。


「紗希、ちょっと!あっ、すみません」

「大将!上がるよ!」

「よう、紗希ちゃん!遠慮なく上がりな!おっ、今日は友達も一緒かい?」

「そう!今日は2人ね!」

「あいよ!」


紗希は店主に軽く挨拶すると、店の奥に上がり込んだ。私は唖然としつつも紗希の後を付いて行った。


2


店の奥には、6人掛けのテーブルがあり、そこには箸と調味料、メニューがあった。紗希は椅子に座るとスマホを取り出し、何やら入力している。


「座んなよ。何にする?お父さんのお勧めは特製チャーシュー麵だけど」

「じゃ、私はそれで・・・」

「特製チャーシュー麺、と・・・」

「何してんの?」

「LINEで女将さんに注文したんだ。声出すと横入りしたのがバレるからね」

「ってか、どういうこと、これ」

「此処はね、古くからの常連さん専用席なんだ。SNSで湧いて出た有象無象のせいで常連さんが長時間並ぶのは忍びないって大将の計らいなんだよ。お父さんは30年通っているからね、この店に」

「なるほど・・・」


暫くすると、醤油ラーメン菊地紗希スペシャルと特製チャーシュー麵が運ばれてきた。案の定、醤油ラーメン菊地紗希スペシャルは醤油系のタレを一切使わない乳白色の出汁に麺を入れただけのものだ。


「特製チャーシュー麵、美味しいでしょ?」

「すごく美味しい!これだけで東京に来た価値あるわ!・・・でもそれ、美味しいの?」

「美味しいよ」


食べなくても味の見当はつく。こんなのを美味しいという紗希の味覚だけはどうしても信じられない。


「大将、邪魔するぜ!」

「青木の旦那!遠慮なく上がってくれ!」


常連さんが来たようだ。


「よう!紗希ちゃんも来てたのかい?」

「青木のおじさん、こんばんは」

「紗希ちゃん、こんばんは」


40歳台の夫婦が上がってきた。紗希とは知り合いらしい。


「こちら、桜町駅の商店街で自転車屋さんしている青木さんと奥さんの啓子さん。彼女は友達のハチ、じゃない、八屋恵」

「宜しくな、嬢ちゃん!」

「宜しくね」

「わ、私こそ宜しくお願いします!」

「さてと、俺は野菜山盛タンメンにすっから注文してな」


私達は既に8割程度食べ終えていたので、雑談が始まった。


「そう言えば紗希ちゃん、紗希ちゃんがモデルデビューしたあの何とか言う雑誌、もう店頭にないんだよな。買いそびれちまった」

「あんたみたいなおじさんも買おうとするから、売り切れたんでしょ、きっと。でも変よね。あの雑誌、何時もは発売から2~3日は店頭にあるのに、今回は1日で売り切れるなんて・・・」

「お父さんも昨日の晩に買おうとしたら、既に売り切れていたって言ってた」

「まぁ、紗希ちゃんのデビューを飾った雑誌だからな。仕方ないけど悔しいぜ!」

「あの・・・これでよろしかったどうぞ・・・」


私はデイパックから件の雑誌を出した。


「いいのかい?俺が貰っちまったら嬢ちゃんの分が無くなっちまうけど?」

「いいんです、家に沢山ありますから・・・あっ」

「えっ?」


紗希が反応した。バレたかも・・・


「沢山ってどういうこと?」

「えっと・・・」

「大量に買い占めてネットで売り捌いている輩がいるって、昼間に事務所から連絡があったんだけど、ハチ、お前が犯人か!」

「ごめんなさい!」

「何冊買ったの!」

「100冊・・・」

「売ったの?」

「まだ・・・」

「どうして?」

「もっと値が吊り上がると・・・」

「嬢ちゃん、そいつはいけねぇな。何事にもルールってもんがある。それを無視して自分だけ儲けようなんざ、お天道様に顔向けできねぇよ」

「・・・ごめんなさい・・・」

「もう・・・やっちまったことは取り返せないから・・・そうだ、青木さん、お店に雑誌置いて、欲しい人に売ったらどうですか?その代金をハチに戻せば帳尻合うと思いますけど・・・」

「そいつは名案だ!そうしよう!」

「赤字が出てもハチが悪かったということで、いいよね、ハチ!」

「はい・・・」

「じゃ、明日中に青木さんのお店に100冊送ってよ、ハチ!」

「はい・・・」


あの雑誌で紗希がモデルデビューし、表紙も紗希の写真になることは少し前に紗希からゲラを見せてもらっているので知っていた。だから、ネットである程度値が吊り上がった時点で転売して小遣稼ぎしようとインサイダーと知りつつも私は軽いノリで100冊も事前予約してしまったのだ。今となっては、こんな自分が恥ずかしい・・・


「さてと、食べ終えたし、帰ろうか、ハチ」

「はい・・・」


紗希はテーブルに置かれた箱に醤油ラーメン菊地紗希スペシャルの代金を入れた。なるほど、こういうシステムか・・・私も特製チャーシュー麵の代金を箱に入れた。


「先に返りますね。ごゆっくりどうぞ」

「おう、またな!」

「靴持って付いてきて」

「?」


更に家の奥に進むと、玄関に至った。紗希は郵便受にある鍵を手にすると靴を履き外に出る。私も外に出たら紗希は玄関に鍵をかけ、その鍵を郵便受に戻した。


「こうすれば横入りしたことがバレないでしょ?」

「・・・」

「私はこっちだから。そうそう、表通りは歩かないでね。また明日!」

「お休み・・・」


何か釈然としない。だけど、議論仕掛けても今の私には紗希に勝てる自信がないし、今晩はその気力すらない。追い越せないまでも、どうしたら紗希に追いつくことができるのだろう。そうなれば私も自信が持てるのに・・・そんなことを考えながら、私は隠れるようにコソコソと裏道を通りアパートに帰った。


3


「青木サイクル・・・どこだろ?紗希は桜町商店街に行けば簡単に見つかる、って言っていたけど・・・」


私は自炊を始めることにした。そのためには買い出し用の、一定以上の荷物が積める自転車が必要になった。動機は紗希と同じことをすれば少しでも紗希に追いつけるかもしれないという、そんな淡い期待に過ぎないのだが・・・そんな私の日曜日は、青木サイクルを見つけることから始まった。


「あった!意外と大きいじゃん!3階まで全部自転車売場だ・・・こんにちは!」

「よう!ハチの嬢ちゃん!」

「・・・」

「今日は何用だい?雑誌は全部売れたから、週明けには嬢ちゃんの銀行口座に振り込むつもりだけど?」

「今日は自転車を買いに・・・」

「ほう、どんな自転車?」

「買物用です。紗希が使っているような。あれ、1万円だったそうですね?」

「あれね、型落ちで在庫処分みたいなもんだったんだよ。同じ型のはもう生産していないし、在庫もない。後継機種はこれ。2万と1千円」

「倍以上・・・」

「紗希ちゃんの使っている型に拘らなければ、これなんかどう?見た目同じようなもんだし、1万と4千円だよ」

「これいいかも。でも籠が小さいかな・・・」

「じゃ、後ろの荷台に大型の籠付けようか?あれでよければ2,400円。工賃はサービスってことで」

「じゃ、そうします!」

「そんじゃ、籠の取り付けと全体の点検すっから30分程度待てるかな?それとも都合のつく時間に取りに来る?」

「30分ならここで待ちますから、お願いします」


青木のおじさんは作業に取り掛かった。店の中を眺めると賞状とかトロイフィーとかメダルとかが所狭しに飾られている。


「このトロフィーとか、どうされたんですか?」

「俺は競輪選手だったんだ。自慢じゃねぇがトップクラスのね。15年前に競技中に落車して足を壊してしまって、引退したんだ。でも自転車から離れたくなかったから、自転車屋を始めたってわけ」

「そうだったんすか・・・でもそれって、プロ中のプロってことですよね」

「まぁな・・・そうそう、防犯登録しなければならないから、この用紙に必要事項書いといてな。登録料はめんどくせぇからサービスだ」

「ありがとうございます」

「それにしてもよ、神様ってのは残酷だよな」

「えっ?」

「前の紗希ちゃんは、体操と新体操で世界のトップに君臨することが確実視されていたんだよ。なのに、シニアに移行することなく僅か15歳で引退して、18歳で死んじまった・・・自分でとんでもない才能を紗希ちゃんに与えておいて、その才能が開花する前に摘んでしまったんだからな・・・」

「・・・」

「今の紗希ちゃんも、義務教育の記憶すらなかったのに、たった1年ちょっとの勉強で大学の獣医学科に合格したんだから、ある意味天才だろ?神様がどうしようが、俺は前の紗希ちゃんの分まで頑張って欲しいのよ。いい獣医さんとしてさ」

「えっ?紗希に記憶がないって・・・」

「あれ?知らなかったの?今の紗希ちゃんは2年前に保護されたんだけど、保護される前の記憶を全て失っていたんだよ」

「知らなかった・・・紗希は何も話してくれないから・・・」


私は足利の思い出を紗希にべらべら話したけど、紗希に高校生以前のことを聞いても何時も話をはぐらかしていた。話したくない嫌な思い出があるのかなと勝手に解釈していたけど、まさか記憶を失っていたとは・・・紗希は部活も合コンもせずに、与えられた時間の全てを勉強に費やしている。モデルのバイトだって将来必要な資金確保が目的だから、遊びとは関係ない。しかも、今しなくてもいい2年の必須単位まで取ろうとしている。紗希は失った時間を取り戻して、18歳で夭折した菊地紗希の分まで生きようとしているのかもしれない。だから無駄にする時間が彼女にはあり得ないのだ・・・


自転車は30分弱で籠の取り付けと点検が終わった。


「よし、これで大丈夫だ。タイヤの空気圧だけ注意していれば、特に気を遣うことないから。可愛がってくれよ!」

「ありがとうございます。大切に使いますから」

「そうしてやってくれ。じゃな」


私は自転車で颯爽と帰り、早速アパートの近くのスーパーで買い物をした。大きな籠には余裕で様々な物が入る。だけど、何か忘れているような・・・アパートに帰ってから気が付いた。自転車の代金を払っていない・・・まだ12時前だから、御昼御飯食べたら払いに行こう・・・

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ