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孤高の彼女  作者: 赤虎
2/45

新たな日常

1


紗希は個性的な子だった。高いところや狭いところが大好きで、姿が見えなくなり家の中を探していると、布団が収納された押し入れの上段や居間に放置された段ボール箱の中で寝ていた。保育園でも同様で、木に登り枝に横になって寝ていたこともあったそうだ。集団行動を避け、1人で遊んだり絵本を読んだりしている時間が多いという。また、積木に集中いると思っていたら次の瞬間には絵本を読んでいたりと、関心事がコロコロ変わるらしい。しかし、我儘と言うわけではなく、先生の言うことを素直に聞いていた。でも、何かに集中している時や、自分が正しいと信じていることに関しては、頑として受け付けなかった。


そんな紗希も、大した問題もなく小学校に入学した。友達が全くいないのが気がかりではあったが、学力は問題ないし個性的な性格も許容範囲に十分入るので、僕は紗希に過度の干渉をしなかった。


2


(一体何なんだよ、土曜日の昼下がりに・・・)

「・・・はい、菊地です・・・土曜日に何してんですか?・・・えっ、それは昨日説明しましたよね?・・・そんな事、週明けでいいでしょ・・・あっ!」


紗希がブランコから放り出された。勢いよく放り出された紗希は、放物線を描きながら地面に迫っている。しかし、紗希は難なく着地し、別の遊具で遊ぼうとしていた。僕は紗希に走り寄り彼女を捕まえた。


「紗希!危ないことはするなといつも言っているだろ!」


僕は思わず大声を出してしまった。紗希は高いところが大好きだ。木に登ったりジャングルジムの上を走り回ったり高いところから飛び降りたり・・・何度肝を潰されたか分からない。其度に危ないことをするなと叱っていたが、本人は全く反省しなかった。今回も案の定・・・


「何で?大丈夫だよ?私、降りただけだから」

「何だって?」

「だ・か・ら、ブランコから降りたの!」

「・・・」


ブランコから自分の意思で降りたとでも言うのか?あんな高所から・・・だったら、本当に自分の意思で降りたのかどうか、確かめるだけだ。


「紗希・・・」

「何?」

「ごめん。大声を出して・・・紗希、明日さ、もう一度見せてくれないか、ブランコからの着地・・・」

「いいよ!簡単だから!」


翌日の朝、朝食を済ませると僕は紗希を連れて公園に出かけた。朝食と言っても、毎朝紗希が5時に起こすから6時前後には食べ終えてしまう。朝の、まだ人のいない公園で、僕は紗希に話した


「紗希、僕が手を叩いたら、そのタイミングでブランコから降りてくれないか?」

「いいよ!」


紗希が後ろに大きく振れたタイミングで、僕は手を叩いた。意図的にブランコから離れるのであれば、前に振れたタイミングで紗希はブランコから離れるはずだ。


紗希はブランコが前に振れ最高度に達したタイミングでブランコから離れた。即座に着地姿勢を整えると、想定着地地点を凝視しなから降りていく。僕の眼には、紗希の動きはスローモーションの如く映ったが、実際には一瞬の出来事だったろう。紗希は難なく着地すると、僕の元に走ってきた。


「どう?上手でしょ!」

「・・・ああ・・・」

「もう一度する?」

「いいよ、今ので十分だから」

(この子はひょっとして・・・)


公園のベンチに僕達は座った。僕は思い付きで紗希に話した。


「紗希、体操に興味あるか?」

「体操って、跳び箱とかマットとか?」

「オリンピックとかで、床運動とか平均台とかするやつ・・・ああ、そうだ、家に帰ったらWeb観るか?」

「うん!」


家に帰ると、僕は紗希と共に世界体操競技選手権大会、女子個人総合決勝のWebを観た。


「何これ!面白そう!でも、簡単かな・・・」

「簡単って、これ、世界選手権だぞ。世界のトップアスリートだぞ」

「え~、だって、飛んだり跳ねたりしてるだけじゃん!私にもできるよ!」


僕は唖然とした。10歳の子供が、トップアスリートの演技を簡単だと言う。知らぬが仏と言ってしまえばそれまでだが、紗希が僕に見せつけてくれた身体能力を考えればあり得るような気もする。


「じゃさ、来週、体操クラブを見学してみようか?」

「うん!面白そうだね!」


3


体操クラブは家の近所にもあるが、どうせならと僕は都内にある名門クラブ選び、見学の予約を入れた。


当日、受付を済ませ施設や練習内容のレクチャーを受けた後、体操着に着替えさせられた紗希は複数のコーチ達と動き回っていた。その間、僕は事務の人からこのクラブの実績や練習スケジュール、月謝等に関する詳細な説明を受けていた。どういうわけか、見学のつもりが入会を前提に話が進んでいる。商魂逞しい。


紗希の”入会テスト”が終わり、僕に対するレクチャーも終わると、会長が直々に話しに来た。どこかで見たような・・・そうだ、女子新体操で日本選手権6連覇、世界選手権でも4度メダルを獲得したあの・・・名前が出てこない・・・年は取りたくないものだ。


「驚きました・・・紗希ちゃんの柔軟性、瞬発力、バランス感覚は・・・正直、最高レベルです・・・否、私の知る限りここまでの才能を持った選手はいません・・・ここのクラブには、所謂スポーツエリートしか在籍していませんが、彼女等が3ヶ月かけて習得できる技術を1回見ただけで再現できるとは・・・紗希ちゃんは既にシニアのトップレベに達しています・・・」

「それ、ホントですか?」

「はい・・・技術だけに関して言えば、今、シニアの世界選手権に出場しても入賞できるレベルです」


僕は驚愕した。あの、暇さえあれば居間でうたた寝している紗希が、冬になれば炬燵から出てこない紗希が、どうしてこんな能力を・・・でも、僕は紗希の天賦の才を見つけたような気がした。そうであるならば、紗希の、この類稀な能力を塩漬けにするわけにはいかない。僕は紗希の能力を開花させたかった。


「紗希・・・」


僕は紗希を探した。遥か向こうで、紗希はリボンを手にしてクラブ生の練習を真似している。しかし、その動きは正に妖精が舞っているかのようだった。


「先生、あれは・・・」

「信じられない・・・今日初めてリボンを手にした子に、どうしてあんなことが・・・菊地さん!紗希ちゃんを私のクラブに是非!必ず、女王にさせますから!」


しかし、数多の名選手を輩出したこのクラブの月謝は週1回のレッスンで10万円。本格的にしようものなら、20万円以上は確実だ。幸い紗希は学習塾に行かなくても成績優秀なのだが、それでも毎月諸々の支出がある。紗希の能力を開花させたいと言っても、僕の稼ぎじゃ無理だ。スポーツは所詮金持ちの道楽なのか・・・


「ありがとうございます・・・でも、無い袖は振れませんので・・・」

「特待生として無償でも構いません!是非、紗希ちゃんを私のクラブにお願いします!」


どうやら本気らしい。商売抜きで、紗希の才能に惚れ込んだようだ。家から多少遠いものの、僕としては好条件だから悪い気はしない。問題は、紗希の意思だ。


「紗希!」


僕は大声で紗希を呼んだ。紗希は真似事を止めリボンを床に置くと、乱立する器具を器用にすり抜けてトコトコと走ってきた。


「何?」

「紗希、ここで勉強してみないか?」

「いいよ!面白いから!」


4


紗希のレッスンは順調に進んだ、かように見えたが、やはり問題が生じた。


「紗希ちゃんのことですが・・・」

「何でしょう?」

「次回の全日本新体操チャイルド選手権に紗希ちゃんを出場させようと考えています。今の紗希ちゃんの実力なら優勝が確実なのですが・・・」

「何か問題でも?」

「紗希ちゃんの集中力は他者が真似することができない程凄まじいのですが、目的が達成された途端に一気に集中力がなくなるんですね・・・つまり、高度な技術を会得した時点で飽きてしまうと言うか・・・演技にならないんです・・・しかも、チャイルド選手権は高度な技術を駆使できないので、紗希ちゃんは興味ないようで・・・」


やはりというか、紗希の悪癖が出た。紗希の学習能力は極めて高く、学校の小テストは毎回満点だ。しかし、統一テストのような、これ迄の授業で得た知識を総合的に試すテストでは、その時点で知識に対する関心がなくなっているので力が入らず、いつも低迷している。担任はこのギャップに驚いていた。しかし、1回だけ高得点を弾き出し、学年トップになったことがある。


「それはどういうことですか?」

「餌で釣ったんです」

「どんな餌を?」

「刺身です。紗希は幼い時分から魚が好きなんですね。ですから、高得点を取ったら新鮮な刺身を食い放題だって・・・でも、子供を餌で釣るのはよくありませんから、1回しかしていません」

「紗希ちゃんの年頃なら、スイーツとかになりませんか?」

「それが・・・誕生日もケーキじゃなくてお魚が欲しいと言うぐらい、魚に執着していますから・・・」


紗希は保護した時から魚が好きだった。何処で生まれたのか全く分からないが、きっと海辺の町に生まれ、新鮮な魚を毎日食べていたのだろう。そう考えれば、年齢に不釣り合いな極端な魚好きが説明できる。かといって紗希は肉が嫌いなわけじゃない。ハンバーグとか焼肉を避けるから理由を聞いてみたら、ソースとかタレの味が塩辛くて嫌いなのだという。試しに塩胡椒しない肉の素焼きを作ってみたら、嬉しそうに食べていた。僕も付き合いで食べてみたけど、こんな味のしない物の何処が旨いんだというのが率直な感想だ。仕方なく塩を振ったり醤油をかけたりすると4歳の紗希が


「身体に悪いよ」


と言う。これも高血圧症を患う祖父母に育てられたとすれば説明できる。紗希は”塩分が身体に悪い”という言葉を意味も分からず繰り返し聴かされていたに違いない。


「珍しいですね・・・でも、紗希ちゃんに演技させるのはその手しか・・・」

「ちょっと待ってください!先程もお話ししたように、子供を餌で釣るのはよくありません。別の方法を考えましょう」

「ですが、テストで満点取ったらゲームを買い与えるとか、そういう餌でお子さんを釣る親御さんは幾らでもいますよ」

「それでは本当の意味での学習意欲を身に着けることができません。僕は研究者ですけど教育者の端くれでもありますから」

「分かりました・・・では、別の方法で何か妙案でも?」

「そうですね。例えば・・・すみません、即座には・・・」

「私も考えてみます。とにかく、今のままではジュニアになっても同じですから・・・」


5


全日本新体操チャイルド選手権に出場した紗希は、全ての種目で最高得点を叩き出し、圧倒的な強さを見せつけて優勝した。しかも、新体操を始めてから僅か2ヶ月で優勝するというおまけ付きで、瞬く間に新体操の寵児となった。


「これも先生の御指導のおかげです。ありがとうございました」


翌日、僕は体操クラブに出向いて会長に挨拶した。


「でも、あの紗希がよく演技できたもんですね」

「紗希ちゃんを餌で釣る以外に何か効果的な手段がないかと考えていました。考えあぐねたある日、紗希ちゃんに体操を始めたきっかけを聞いてみたんですね、LINEで。そうしたら、紗希ちゃんは、お父さんが喜ぶからだと」

「そんなこと言っていたんですか、紗希は・・・僕には面白そうだとしか・・・」

「はい、確かにそう言っていました。そこで、きちんと演技して大会で優勝したらお父さんはもっと喜ぶんじゃないかな、と話したら、紗希ちゃんは納得したようで、私が精査した規定要素ギリギリの技術で構成された演技を問題なくこなすようになりました。難易度で言えば、今の紗希ちゃんにとって物足りないものでしょうけど・・・」


しまった!紗希がこういう思いでいたとは知らなかった!僕は紗希の才能を開花させようとしていただけだ。そこには僕の自己満足的な要素も入っているから、純粋な意味で紗希のためとは言い難い。でも、紗希は僕のために・・・


「ありがとうございます、先生。これからも紗希を宜しくお願いします」

「こちらこそ!」

「それでは、失礼します」


ふと、刺身を買って帰ろうと思った。今日は紗希を労ってやろう。これからメディアの取材も煩くなるだろうから、奴等への対抗策も考えておかないと。クソな外野から紗希を守らないとな。しなければならないことは沢山あるぞ・・・そんなことを考えながら、僕は紗希の待つ我が家に急いだ。

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