第四話 木曽へ
再び梅雨の鎌倉。
「義高さま、明日は昼前から雨が降りますので外出にはお気をつけて」
「えっ、雲ひとつ無い良い天気ですが」
「降りますよ、必ず」
今回のわたしは、義高さまと出会った日から猫をかぶっている。
鎌倉のおてんば姫とは言わせない。わたしは淑女なのです。
「明日はあの辺りに犬の形をした雲が浮かんでいます」
「……天気だけでなく形までわかりますか」
「あと明後日の朝、海野どのは野良犬におしっこをかけられます」
そして毎日のように、翌日の空模様や出来事を予言しては軽く微笑んで去る。
「義高さま、明日は大漁な様です。義高さまの下へもアユのおすそ分けがたくさん来るでしょう」
「さすがに漁師や魚の未来までは……」
「まだわたしの言うことが信じられませんか」
「……義高様ぁ、この姫様こわいです。この前も本当に犬のしょんべんかけられたし」
この繰り返し。繰り返し繰り返し繰り返し。
まるでカルトに入信させるための洗脳みたい。
でも、しかたないね。短期間で義高さまにわたしの事を信じてもらうにはこれしかない。
「そう言えば、この前……やっぱり何でもありません」
「いやいやいや、含ませるのやめてくださいよ。大姫様がそういう態度取ると怖いんですから!」
「いえ、またお父さまが範頼さまを影で、あんな男は弟でも何でもないと……身分の低い女から生まれた者が源氏を名乗ることすら烏滸がましいなどと」
「…………ごくり」
ついでに、父・頼朝の悪名を高めるべくあることないこと吹き込んでおく。
対話や逃走ほう助を目的としていた前回までと違って、今回は義仲さまを源氏の勝者に導かねばならない。
それには食料不足の京へ準備をせず攻め込んだ時点で失敗となる。略奪なしには次の行動を起こせなくなるからだ。
義仲さまが平家を追放して入京を果たす七月末までに、その行動を大きく変えさせなければならない。
さらに、鎌倉から脱出するには義高さまも一緒でなければ意味がない。
わたしの言うことを信じさせて鎌倉脱出に賛同してもらわなければならない。信心深い平安の風習を利用して、わたしを特別な女子だと思わせてからお願いする計画だ。
「それから御所で義経さまが……」
「まだあるのですか!?」
大物の名前を出すと、義高さまは瞳を大きく開いてわたしから視線を外せなくなる。
「ええ、あの人は頭の中に槍と弓しか置いていないようで、こともあろうに義高さまは頼朝お父さまを暗殺しに来た偽物だー!などと周囲に吹聴していました」
「……私が暗殺者ですってッ!?」
功に焦るニートも流石にそんなことはしていないのだけど、これも仕方のないこと。
義高さま達には鎌倉に対して猜疑心を持ってもらわないと困る。いつ誰に殺されるかわからないと偏執病にかかってしまうくらいでなければ、お父さまの目を盗んで鎌倉から逃げようなどとは考えてくれないはずだし。
「大丈夫です」
義高さまの震える手をそっと握る。
「義高さまはこの一幡が守りますから」
「一幡……まさか、それは大姫様の……」
「はい、わたしの名です」
この時代、本名は忌み名と呼ばれ、言霊によって名を呼ばれると魂を支配されるだとか縛られるだとか呪術的な信仰がある。
女性の名は特に扱いが厳しく、親族の中でも一部の者にしか呼ぶことを許されていない。知られること自体がまずいので人前で呼ぶことも本来は禁止である。
しかし、自ら名を明かした効果はあったようだ。重ねていた義高さまの手から震えが収まっていく。
「一幡様……」
ああ、義高さまがわたしを見てる。
わたしだけを。
源頼朝の支配する鎌倉で、本気で頼れるのはわたしだけだと思いはじめている。
騙しているのは心苦しい反面、義高さまが日々わたしに依存していく様子は快か……げふんげふん、計画の進捗を教えてくれる。
「それから近く大きな出来事がありますので、それに備えて義高さまと海野どのの衣服を少し譲っていただけますか」
手を放すと義高さまが少し不安げな表情を見せる。
でも我慢。鎌倉から逃げるとなれば、他にも準備が忙しいからね。いちゃいちゃするのは木曽に着いてからだ!
* * * * *
「鎌倉から逃げる? 正気ですか、それもこんな突然!」
「目的は言わなかったが私が支度を進めていたことはお前達も察していただろう」
「そんなものっ、義高様を殺す口実を作ろうとしているに決まっています。どうか考え直してください!!」
いきなりもたらされた鎌倉脱出案に、義高さまの郎党たちが断固として異を唱えていた。
「しかしな、一幡さ……大姫様が我らを騙す理由がない。その気になれば頼朝殿は私を殺す理由など後からいくらでもつけられる」
この二週間、何度もやり直している間に手に入れた御家人のスキャンダルを各所でばらまいてやったから、鎌倉はギスギスした空気が蔓延していた。
純粋で幼い子供が自ら作り話を流しているとは思われないもので、わたしがどこかで聞いたと言えばたちまち噂好きな女中たちから鎌倉中に広がっていく。
おかげで義高さまの見張りも連絡が上手く取れていないのか隙ができているのは理解しているはずだけど、まだ抵抗があるらしい。
「どうして大姫様が義高様を救うのですか!」
「嫁として当然の務めを果たしているまでですけど?」
「嫁だなんてものは義高様を鎌倉へ呼び寄せる口実でしょうが! そもそも大姫様には聞いていません!!」
そんな怒鳴るなよ海野。
はじめて会った時と同じだ、わたしを敵だと思ってるね。
今回のわたしはおかしな予言を繰り返す不思議ちゃんなので、怖がられている面もあるかも。強い口調で反論しながら、海野の鼻には汗がぽつぽつと浮かんでいた。
「でも……今逃げないとお父さまは義高さまを暗殺しますよ」
「だからその鎌倉殿の娘に言われたところで――」
「ちなみに、近く武田信義さまの嫡男である忠頼さまもお父さまに暗殺されます。内通している次男の信光さまに駿河を継がせる確約を与え、忠頼さま暗殺に協力させる話が出ています」
「………………は?」
「ついでに言うと、先にあった信光さまの娘と義高さまの婚姻が認められていれば、いづれ信濃は鎌倉の下へつくことになり、鎌倉と信濃の争いを避けることもできたのですが、わたし達の婚約が成った時点で源氏同士の戦争は避けられなくなりましたし……」
「そ、それはどうしてですか」
「お父さまは自分の“下”につかない源氏は一人たりとも認めませんから、例え親兄弟であっても」
物騒な話を矢継ぎ早に言う。
さすがにここまで言えば軽々しく否定はできないだろう。冗談でしたで済む内容じゃない。いくら鎌倉のお姫さまであるわたしでも、間違いなく幽閉コースだ。
「……む? なんの声だ?」
急に屋敷の外がうるさくなってきた。
「火が出たのでしょう……比企谷の方で」
最初から知っていた風なわたしに、みんながギョッとした顔で唇だけをパクパクと動かす。
「ま、まさか知って……いえ、この火は大姫様が……?」
わたしは意味深に口角を上げる。
ひびの入った壺から漏れた水が、おがくずを敷き詰めた床に油皿を落とす簡単な時限発火装置だけど狙い通りいったようだ。
「いやいやいや、待ってください! たしかに火事は大事ですけど、それだけで――」
「比企の館にはわたしの弟・万寿がいます」
遮る形でそう言うと、ついに全員納得したか重い腰を上げた。
これでもまだ文句を言うようなら、放火は海野がやったとお母さまに密告するという脅しが火を噴くところだった。
木曽の武士は知らないだろうけど、お父さまは過去に一度息子を失っている。それが無くても比企に預けられている万寿は現在唯一の源氏後継者だ。
わたしが女中経由でばらまいた噂話の中には、謀反の企てや汚いやり方をするお父さまへの不満も含んでいる。たかが近所の空き家で起こった小さな火事でも、慌てふためいて部下たちを鎌倉の東側へ集結させるはず。
「大姫様……私のためにそこまで……」
義高さまが涙ぐんだ瞳をわたしに向ける。
でもなんだろう、この熱い視線は。
婚約者に向けるものではないような……仕込みが効きすぎたかな?
このままだとわたしの考える夫婦像と違う未来が見えそうな気がするけど……まずは二人で生き伸びることが最優先だ、進路修正は後で考えよっと。
「木曽へはわたしも一緒に行きますので、道中なにかあれば人質にしてください」
「大姫様も? そこまでは私も聞いていませんでしたが」
「言ってませんでしたっけ?」
「これ、姫、誘拐……さすがに、予想が……ぃ…………」
今度は海野が白目を剥いてひっくり返った。
わたしの知る海野は覚悟を決めた武士だったはずだけど、案外もろい男なのかな。足手まといにはならないでよね!
* * * * *
「ここが義高さまの故郷!」
生い茂る深い山々と緑がかった輝石の転がる美しい川の清流を越え、わたしは義高さまの故郷にやってきた。
ほとんど背負われての旅だったけど体中が悲鳴を上げてる……うっ、あの強行軍、思い出すだけでまた吐きそう。ここまでの旅路は素晴らしい景色だったけど、しばらく思い出すのはやめよう。
「ははっ、鎌倉ほど煌びやかではありませんが良いところです。まずは私の家で休みましょう」
町と呼ぶには質素な家が並ぶ村、どうやらここに義高さまの母親と弟が隠れ住んでいるらしい。隠れ里と言っても依田のお城はそこまで遠くないけどね。
「……わたしの矢でかたきをとる。この矢でひとりでも多く、ちちうえに平家をたおしてもらうのだ」
村で一番大きな屋敷の庭では、ひとりの少年が枝を削っていた。
手には自作らしき石刀、木曽の川で見た緑がかった石の刀だ。端には大量の鳥の羽と紐が積んである。
年はわたしと同じくらいかな。物騒な言葉を呟く危ない男の子のようだけど……と、その姿を見た義高さまは満面の笑みで手を上げた。
「あれが弟の朝日次郎です。おーい! おい次郎、こっちだ!」
小さな危険人物は義高さまの弟だった!?
「だれだっ、わたしを気安くよぶものは!」
「息災そうだな、と言っても一月しか経っておらぬか」
「そのお声は……あにうえ!?」
義高さまを見て瞳に涙を浮かべる未来の我が義弟、朝日次郎。
そのまま兄弟の感動の再会――かと思ったけど違ったみたい。両腕を広げる義高さまを余所に、次郎くんは青ざめた顔で家に飛び込んでいった。
「ははうえー! あにうえがヨリトモにころされたー!!」
「何を言うのです縁起でもないッ!」
「だってそこにバケてでたもの!」
中からは女性の怒鳴り声と少年が抗議する声が聞こえてくる。
どうしたものかと義高さまと顔を見合わせる。二、三分して静かになり、頭にこぶをこさえた次郎くんと若い女性が出てきた。
「ほら~、いるでしょう、あにうえのゆうれい」
「義高? ほ、本当に……義高、なの、ですか?」
「母上!」
「ああっ、義高っ!」
女性が大粒の涙を流しながら義高さまを抱きしめた。義高さまもわずかに声が震えている。
せっかくの再会を邪魔してはいけないとしばらく無言で待っていると、女性がわたしに気づいた。
「ところで義高、そちらは……」
おっと、ようやくご挨拶をする機会がきたみたいだぞ。
相手はわたしの姑になる人だ、抜かりは許されない。すべてが上手くいった暁には、わたしは木曽で暮らすことになるのだから。
「源一幡と申します。鎌倉よりご挨拶に参りました、義母さま」
「そなた、名を……いえ、それより……みなもと?」
「まあ……そのまさかと申しますか……なんと説明したらよいかわかりませぬが……鎌倉殿の娘で間違いありません」
「…………はぁぁ」
義母さまが倒れちゃった!?
翌日、隣の布団では義母さまがまだうなされていた。起きる様子はない。
ずっと続いていた心配に、最愛の息子と再会できた喜びからの仮想敵国の姫を誘拐という心労を重ねて与えてしまったダメージが予想以上に大きかったらしい。
「次郎、父上がどこにいるか分かるか」
「もうじきあたかに着くころではないかと聞いております」
安宅というと源義経と弁慶が源頼朝の追討から逃げる時の話が舞台になったりして有名だけど……今はまだ1183年だから関係ないか。
「どうしますか、大姫様」
義仲軍は燧ヶ城の戦いの後、一度北東の越後国府に向かう。そこで戦力の強化と秘密兵器・皇位継承権を持つ北陸宮さまの安否を確認してから北陸道に出る。
地元僧兵を含む源氏軍は平家に押されるも、義仲本軍は般若野、俱利伽羅峠、志保山、篠原の戦いと連勝するわけだが……俱利伽羅峠の戦いで平家本軍に勝つと大きく勢いづき、そのまま京へ入ってしまう。
そうすれば、京で略奪から朝廷への反逆まで直行のバッドエンドだ。
「……義仲さまと至急話さなければならないことがあります。このまま飛騨を突っ切りましょう」
義母さまとのご挨拶はまた今度だね。
* * * * *
「大姫様、父のいる陣営はこちらで……大姫様?」
「青い顔してどうなさったんですかね?」
「…………あああああ! 遅かったぁー!!」
突然、頭を抱えて叫んだわたしに、義高さま達が驚いて一歩下がる。
しまった。今回のわたしは淑女風巫女的なキャラを作っていたんだった。
でもそれどころじゃない。
悲鳴を上げる体を押して山越えしてきたのに、越中の着いたらすでに義仲軍は戦勝ムードで祝勝会をやっていた。
「……計画、全部パーじゃんか」
本来ならば越中で二つやるべき作戦があった。
ひとつはわたしの助言で勝利に導くこと。
先に加賀から砺波山へ登りはじめた平家に気づいた義仲軍は、まず越中側の平野に陣を広く張った。馬や牛、農民まで使い、かがり火の動きなどで実際よりも数がいる様に見せかけ、伸びた戦列が整うまで平家軍を砺波山の中に留まらせた。
これにより平地にはめっぽう強い平家軍は機動力を封じられる。そこにもともと山岳部での戦いに慣れている北陸武士が夜間に奇襲をかければ――あら不思議、2倍近く差のあった兵力がひっくり返っちゃった、という流れだったはず。
誰が発案したかは知らないけどこの作戦を事前に奪うことで、わたしを予言の神通力があると思わせる予定だったのに……。
そしてもうひとつは、源行家に将をやらせないことだ。
俱利伽羅峠の戦いで義仲軍本隊は平家に勝ったが、この間、行家軍は砺波山の北にある志保山で別の平家軍と戦いボコボコにやられている。
「どうしよ……? やり直す?」
今回の旅でわかったことだけど、わたしが死ぬことでもタイムリープは発動する。
しかし何度計算しても、鎌倉から最短ルートで再度チャレンジしたとしても、目標だった俱利伽羅峠の戦いにわたしが干渉するには間に合わない。
ここまで旅程が狂うとは計算外だった。やっぱり車と電車のない世界は大変だ。また別のプランを考えなくては。
まぁなにはともあれ、これからわたしが騙す相手と会わない事には始まらないか。
木曽義仲――
礼儀作法は苦手な田舎の乱暴者。お父さまよりは遥かに人情がある。源氏の守り神・八幡神は信仰しているけど、あまり信心深い性格ではないようだ。
後世に伝わる歴史からはこのくらいしかわからない。あとは実物に会ってどういう方法で説得できるか考えよう。
大将のいる陣深くまで案内される。義高さまの顔には大粒の汗がいくつも流れていた。
今度こそ、次郎くんの時にはなかった感動の再会が見られると思ったけど……この伝わってくる異常な緊張はなんだろう。
「……義高殿、どうぞ中へ」
天幕の奥から出てきた武士は、わたしを見て不思議そうな表情を浮かべたが、そのまま中に招き入れた。真ん中には立派な鎧をきた大男。筋骨隆々で強面だが顔の部分部分で見れば義高さまに似ている気がする。
「義高」
鎧の大男がのそりと立ち上がった。そして、
「ち、父う――」
「どうして貴様がここにいるのだあああぁぁ!!!」
一言も発する間もなく、義高さまが殴り飛ばされた。
「わたしの義高さまに何をするぅ!!?」
即座に義仲さまへ掴みかかる。
一瞬で頭に血が上り、これから交渉しなければならない相手だということは完全に意識から消し飛んでいた。
「…………なんだぁ、この童は」
「こんにゃろ! はなせぇ!」
何発か鎧にこぶしをぶつけたところで捕まってしまった。首根っこを押さえられネコのように持ち上げられる。
「ガブッ」
「痛てぇ!?」
なんの警戒もなく顔に近づけてきた手を噛んで抜け出す。再度伸びてきた手をくぐり抜けて義高さまの下へ駆け寄った。
「義高さま! 大丈夫!?」
「あ、あー平気ですよ、いつものことなので……ちょっと星が見えますけど」
すぐに「慣れっこです」みたいな笑顔を返してくれるけど、こどもに激アマな我が家では考えられない仕打ちだ。こんな人質として囚われていた息子が命からがら逃げてきたのにいきなり殴り飛ばすなんて信じられない。
「義高、ソレが本当に頼朝の娘か。まるで木曽の猿だな」
「ソレとはなんだ! わたしには源一幡という名前がある! 女子に直接名を聞くこともできないくせに偉そうにするなぁ!」
「お、大姫様、抑えてください! 父は女子でも容赦なく手を上げますよ!」
「でもアイツ義高さまをっ!」
「あいつではなく父です!」
義高さまになだめられて少しずつ冷静さが戻ってきた。
ちらりと周囲を見回してみる。すると義仲さまの重鎮たちが目を丸くして大口を開けたままわたしを見ていた。
やっちゃった!? かと思ったけど敵意は感じない。いきなり自分たちの大将に殴りかかったのだからヤバい立場になるはずが……ただただあっけに取られている。
「……義高、二人で話をしたい。巴、山吹、鎌倉の姫はお前達に任せる」
激高するわたしに部下と一緒になって呆けていた義仲さまだったけど、我を取り戻すと傍に侍らしていた女武者にわたしを引き渡した。
「心配しなくていいのですよ」
「ええ、あんなに機嫌の良い義仲様は何年ぶりかしら」
二人は顔をしかめるわたしに笑顔で言った。これが木曽義仲の下にいたという女武者、巴御前と山吹御前か。
「私達の顔に何かついてますか?」
巴御前――木曽義仲の最後まで付き従い戦ったという女武者。この時代は地域によって女子にも武術を教え戦場に出すことがある。鎌倉では見てないけど。
山吹御前――同じく木曽義仲の下にいた女武者だが、こちらは病にかかり京で途中離脱したんだったかな。
まあとりあえず気になるのは……。
「……美人」
「あらあら、聞きましたか巴様。鎌倉者にしては見る眼がありますよこの子」
「さりげなく鎌倉をバカにするのはやめなさい山吹」
身分の高い女性は屋敷で食っちゃ寝してるぽっちゃり系が美人とされる平安時代において、二人は珍しいスラリとしたスタイルのいい未来的な美人だった。当然、体だけでなく顔も引き締まっている。
「うわきもの……むかつくぅ」
そう、気に食わないのは義仲さまだ。
二人とも美人なだけじゃない。身なりや立ち振る舞いで良家の出身だとわかるし、武術の心得があるのもわかる。
だけど、ここはわざわざ女武士を重鎮として器用しなければならないような人手不足な軍だっただろうか。はっきり言って情婦を連れ歩いているようにしか見えない。義父さまとは仲良くできないかも!
「大姫様、父上がお会いになるそうです」
幕の外から義高さまの声がかかった。
「義高から聞いた。俺が頼朝の策に嵌っているだと?」
人払いを済ませた天幕で三人きりになった。
こんなに早く再度話し合いの場を持てるとは、義高さまが余程上手く説明してくれたか、それとも……ん? このおじさん、目が赤くなってない?
「ほんとは息子の無事を確認できて泣いてました?」
「うるさい! 俺が質問しているのだ、話を逸らすな!」
と、言いながら義仲さまは赤くなった顔を逸らす。
ちょっとかわいいかも。
「義父さまのこと、すこし好きになれそう」
「父はがさつですが誰よりも愛情深く器が大きい人ですよ」
「俺の前でひそひそ話すな!!」
「では話を戻しましょう」
急に真面目な態度をすると、これにも義仲さまがムッとした顔をした。一体わたしにどうしろっていうんだ、めんどくさいおじさんだなぁ。
「清盛入道の死によって起きた平家の不和、一昨年の飢饉のせいで滞納されている年貢による京の弱体化により、源氏と和睦を求める一派が出現しました」
「平家に裏切り者? そのような人物がいるのか……?」
「平頼盛殿です」
「清盛の異母弟か!?」
「平治の政変で捕縛されたお父さまが、処刑されず伊豆へ配流される運びとなった恩人でもあります」
この時点で源頼朝と平頼盛が通じていることはない。だけど情報が遮断されている信濃や北陸では、その真偽がわかるまい。
「だからお父さまは知っているのです。京へ攻め入っても、平家が安徳天皇と後白河法皇、三種の神器を持ち逃げして福原へ遷都を考えた場合……追討するには兵糧が足りない。天皇の民が住まう京で略奪を行うしかありません」
「……我らが敗ければ弱った平家に追い打ちをかけ、我らが勝てば京での狼藉を建前に背中から斬りかかる……頼朝の小僧が考えそうな狡い手だな」
まぁ奥州藤原や常陸佐竹に攻められる恐れがあるし、年貢の米以前に兵糧もまだ全然溜まってないから、鎌倉も軍事行動できないのが実情なんですけどね。
「だがな、すぐさま次の進軍を始めることはできない」
なんで?
食糧を温存するために、戦勝会をだらだらやっていないで追い打ちをかけろ、というわたしの言いたかったことが却下された。
「傷病者の手当てもある。せっかく大勝したのに少しも祝わぬでは士気も下がる。そして平家は十万もの大軍だというではないか」
「その情報は敵が流した嘘ですよ。ほとんどが農民の寄せ集めですし、大将が富士川で戦わずに恐れをなして逃げ出した維盛だから、自分と同じ様に相手を怖がらせようと話を大きくしたのでしょう」
「だが鎌倉の姫の話を信じる理由がない」
結局そこなのよね。
義仲さまは破天荒に見えて武将としてはリアリストだ。息子の義高さまがどれだけわたしの言葉を信じて説得しようとしても聞きやしない。
だから今回の戦を利用して、わたしには子供離れした軍事の知識と未来を見通す力があるって騙す必要があったんだけど……しかたない、切り札を出しますか。
「じゃあ、今後義仲さまにとって最大の武器になる、北陸宮さまを天皇に据える計画について話ましょうか」
最初に平家追討を掲げ、真っ先に討たれた以仁王の遺児こと北陸宮さま。
義仲さまは平家の魔の手からその北陸宮さまを救出して囲っている。
そして北陸宮さまを最大限に活かすのは、皇族である彼を次の天皇にすることだ。平清盛が孫の安徳天皇を利用して中枢権力を握ったように。
義仲さまは、この情報を幼いわたしに言い当てられたことが信じられないといった顔だ。
「……お前の話に考えるところがあるのは事実だ。実の父親を裏切ってまで義高を救おうとしてくれたことにも礼を言う」
「自分から人質になりに来たことにもですか?」
「くくっ、そうだ。お前がいる限り、お前の危惧する通りになっても頼朝がこちらを攻めることはない。猶予はできたのだ。今日はもう休め」
だけど、義仲さまはわたしの言葉を信じている様子はない。
謁見は終わり、天幕を追い出されてしまった。
なんとかして義仲さまの行動を変えないといけないんだけどなぁ……。
* * * * *
「宮さま~、準備できましたか~」
「いつでもよいぞ」
ぽこん、と蹴鞠が足の甲で跳ねる。
義仲さまとお会いしてからもうじき二ヵ月が経つ中、わたしは越中の宮崎城で“宮さま”こと北陸宮さまとお留守番をしていた。
当たり前だけど、幼女のわたしでは行軍についていけませんので。
「だから足を曲げるのも膝や踵を使うのも反則だと言うておろう」
返ってきた蹴鞠をヒザでリフティングするといつもの注意が飛んでくる。
「でもぉーわたしすごくないですかー?」
「確かにそなたの様な奇怪な技術を持つ者は知らなんだが」
わたしをかわいそうな人質と勘違いして、なぐさめようと話かけてきた北陸宮さま。今ではすっかり仲良しの蹴鞠フレンズだ。
北陸宮さま――ほぼ軟禁状態で対等に話せる相手もいなかった反動か、打ち解けたらかなりフランクなお兄さんになった。
皇族に対する礼儀なんてまったく知らなかったから、仲良くなれたのはわたしが子供で助かった部分もあるだろうけど。
「しかし、そなたも女子なら蹴鞠より好きな歌の一つでも見つけるべきではないか」
「バカにしないでください。好きな歌ぐらいありますよ!」
「言うてみぃ」
「君がため 惜しからざりし 命さえ 長くもがなと 思いけるか~なッと」
歌を詠みながら空高く蹴り上げた蹴鞠を背中でキャッチする。
周囲を固める護衛の武士から拍手が上がった。どもどもー。
「藤原義孝だな」
「そう、義高さまと名前が同じなのです! ヨ・シ・タ・カ!」
「またそれか、そなたは義高殿のことばかりだな」
義高さまの名を出すと宮さまが溜め息を吐いた。
毎日毎日、暇だ暇だと言うからわたし達の鎌倉逃走劇を聞かせてあげたのに、なんという態度だ! 宮さまと言えど許せません! まだ幼い義高さまが鎌倉でどれほど凛々しかったか感動したところから語って差し上げよう!
ああ、だけど、義高さまが恋しい。
義仲軍が平家追撃に出発した日の朝を思い出すと今でも引き留められなかった後悔が湧き出てくる――
* * * * *
「がははははっ、元服しておいてよかったな義高ァ! 戦場に出られるぞ!」
「はい、父上っ!!!」
いやいや、違うだろバカ親父。
義高さまも嬉しそうに「はい!」じゃねえし。
源平合戦中に若武者として有名になった「人間50年~」とかいう能の“敦盛”だって16か17歳だったっつうのに、この親父ときたら、まだ11歳の義高さまを戦場へつれて行くと言い出した。
「無理です! 危ないです! 義高さまは行ったらダーメーでーすー!!」
「心配してくださるのはありがたいのですが私は武士なのです。どうか見送ってください」
「ダメー! ダメったらダメなんですぅ!!」
「ここで箔を付ければ、今後、義高がどんな役職につこうと誰も文句を言えなくなる。畳の上でぬくぬく育った小娘はすっこんでいろ!」
……だもんな~。
ちなみに鎌倉でも畳は貴重で、わたしも寝床に使わしてもらえるようになったのはつい最近だったぞ。イカつい顔でスゴめばわたしが黙ると思うなよ、なめんな。
* * * * *
と、その後もいろいろ文句をつけたけど……結局、義高さま自身が望んだため、引き留めることはできなかった。
「はぁ……早く会いたい。というか無事か気になる」
そろそろ蹴鞠を引き上げて午後の食事に行こうかというところで、突然城内が騒がしくなってきた。騒ぎの内容を聞いた御家人が走ってくる。
「義仲様が上洛を果たしたと! それからっ、北陸宮様と大姫様を至急、京までお連れするように使者が来ているそうです!」
報告を聞いて、城内同様にみんなが一斉に沸き立った。
確かにこの報せだけなら、源氏の勝利に聞こえる。
しかし、わたしはこれが破滅への序章だと知っている。
歴史が変わって義仲軍が敗北したなんてことにならなかったのはよかったけど、わたしの計画がどうなっているのかは確認しなければ。
「じゃあじゃあ、どの道から都入りしたかわかります?」
「かねてよりの計画通り、琵琶湖の東を通って北から入ったと聞いております」
「西側はッ!?」
「はっ? いえ、逆方向ですし、包囲する余裕はなかったかと」
ぐあー、ダメだったか。
義仲さまの心を動かせなかったようだ。超常の力を信じさせるのは難しい。
肝心の流れは史実通り。またここから逆転の手を考えなきゃ――
* * * * *
「おっと……大姫様、走ると危ないですよ」
二ヵ月ぶりに再会した義高さまの胸に飛び込んだ。
「長旅お疲れさまでした。お怪我はありませんね」
「それはこっちの台詞だよぉ~」
抱き着きながら義高さまの全身をチェックする。
怪我はないな! 傷痕もない――よしッ!
見るからに脳筋な義仲さまも子供の義高さまを戦前に出す無謀はしなかったらしい。一安心して義高さまの胸に顔をうずめる。
「皆が見ております」
「見せつけてるのー!」
義高さまってば、照れちゃって。
でも、上洛後、歴史通りなら貴族とのパイプを強くするため、義仲さまはここですぐに新しい嫁を貰う――今回は義高さまも京にいるから、木曽義仲という勝ち馬に乗るには、その息子も篭絡しようとしてくるはず。
そんなバカげた企みはわたしが許さない。
アホ貴族と京のババアどもには分からせてやらねばならない。
義高さまには、このわたしがいるってね!!!
「すりすり」
「あの……父上が早急に話したいことがあると呼んでいるのですが……」
義仲さまから話があると聞いて体が固まった。
わたしの頭を撫でる義高さまの顔がこわばっている……やっぱり安徳天皇と三種の神器は奪われてしまったみたい。
平家がわたしの予言通りの動きを取ったことで、義仲さまもようやくわたしの神通力を信じたか。手遅れだけど。
「義高さま、すぐに軍を出してください!」
「戦は終わったばかりですが」
「お父さまは朝廷に取り入るため、すぐにでも官物を送ってくるはずです。それを奪ってやれば逆転大勝利ですよ! ついでに京の食料不足を知っているのなら、織物や刀でなく米と馬を送ってこいバカ野郎と言ってやりましょう!」
京への道すがらずっと考えていた。
ここから逆転するにはどうしたらいいか。
それには、鎌倉を罠にハメてやればいい。
京で略奪を繰り返して義仲軍が逆賊扱いされる前に、鎌倉を朝廷の敵にしてしまえばいいのだ。
「落ち着いてください。先にやるべき儀があるのですよ」
「今は平家を追うよりお父さまを――へ? 儀? なんの儀式ですか?」
「それは……父上から聞いてください」
戦功授与は8月の上旬には終わっているはず。
となれば、尊成親王、つまり後鳥羽天皇の仮即位式かも。
もうじき九月だから歴史とも合う。でも三種の神器なしで仮の式なんてすぐやるモノなのかな。
なんにせよ詳しい話を聞かないとわからない。義仲さまが待つ館へ急ぐ。
奥では義仲さまが一人で待っていた。護衛の武士もつけず。いつも侍らしている愛妾の巴御前も山吹御前もいない。大夫房覚明とかいうご意見番のお坊さんすら姿がない。
義高さまと並んで言葉を待つが、義仲さまはなかなか口を開かない。
わたしにこれからどうすればいいのか予言を求めてきたんじゃないの?
なにやらわたしが予想していた展開とは違うっぽい雰囲気。
まさかわたしの予言通りなったから、焦って歴史通りの行動を前倒しで実行したとか?
「法皇さま、幽閉しちゃいましたか……他に手がないのもその通りなんですけど」
前天皇である高倉天皇の皇子がまだ二人いても、後白河法皇さえ封じてしまえば上院の命令を無視して宮さまを即位させられる――と考えたのだけど、義仲さまは静かに首を振った。
「わたしの言った通りになったから、後白河法皇を幽閉して北陸宮さまを即位させようとしてるんじゃ……?」
「いや、その必要はなかった。そもそも鎌倉の姫の予言通りにはなっていない」
歴史通りに進軍したのに、わたしの予言が外れた?
なんで、わたしの行動は平家には影響を与えていないはず。なにが起こってるの?
「え? えっと……どこから?」
「平宗盛も、安徳天皇も、三種の神器も、京から逃がしてはいない」
「……んん? でもそれって……」
義仲さまの完全勝利じゃない?
平家のボスを倒して、京を奪還して……あとは西にいる平家の残党を倒せば、終わりだよね。安徳天皇と三種の神器が手元にあるなら、朝廷も急いで追撃しろなんて命令は出せないだろうし。無茶をする必要がないなら、今すぐ鎌倉と敵対する理由もできない。
…………うん、なにも問題ない。
なんだよぉ義仲さま、わたしのこと信じて上手くやってくれたんじゃーん!
これでハッピーエンドだねっ!!
でも、義仲さまと義高さまに喜びの色は浮かんでいない。なんで?
「あのー、ほんとになにがあったんですか」
「う……む」
「言ってくれないとわかりませんよ!」
いつまでも煮え切らない態度の義仲さまについ怒鳴ってしまう。
だいたいわたしは家族よりも義高さまを選んで鎌倉を脱出したんだ。家族と戦う可能性だって当然考えている。
わたしの決意を感じ取ったか、義仲さまがさらに表情を硬くした。
「実はな……………………」
これだけ押しても尚、言いにくそうな態度にこちらまで緊張が伝わり唾を飲む。
「実は……」
「はい」
「後白河法皇が、崩御なされた」
「はいぃィィィ!?」
一体ナニやらかしたの、この人ぉ!?!?!?
* * * * *
源氏には日本史上最悪な類の疫病神がいた。
その名も源行家。
わたしの大叔父である。
自らが将として参加した戦では、ことごとく大敗する。
一度でも彼と親しくした武将は、ことごとく悲惨な死を迎える。
しかし、数々の敗戦を重ねるも自分だけは生き残り、都会育ちの教養と口八丁手八丁で上手いこと強者の懐へと潜り込み、いい役職をもらい続ける。
この疫病神と縁を切ったからこそ、お父さまだけは源氏でありながら平安末期で大成できたのかもしれない。
「囲め囲めぇぇ!! 中にいるのは平安の世に呪詛を振り撒く源氏の悪鬼! 必ず討ち取るのだァ!!!」
牛車の中にまで野太い男達の声が聞こえてくる。
待ち伏せしていた比叡山延暦寺の僧兵たちだ。
「よ、義高さま……わたし達、どうなるの……」
「だいじょうです、一幡様、だいじょうぶ」
自分も怖いはずなのに、みじんも弱いところを見せず震えるわたしを抱きしめてくれる。
でも……たぶんもうどうにもならない。義高さまの優しい声に集中しようとしても、外からわたしを殺そう押し寄せる男達の怒号が心を萎縮させる。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
原因はやっぱり、あの疫病神か。
義仲さまはわたしの話を聞いたあと、念のため保険をかけておいたらしい。それが源行家だ。
平家が義仲軍から敗走して逃げようとする際、安徳天皇と三種の神器を持ち出して逃げること。そして後白河法皇は僧兵の守る比叡山へ身を寄せ、人質にされることを拒否する、とわたしは予言していた。
京の事情に明るい行家は義仲さまから、これを防ぐにはどうすればいいか任され、三種の神器を最優先したそうだ。
三種の神器は天皇の即位に必要な物。
安徳天皇と後白河法皇は、北陸宮さまを即位させたい義仲さまにとって邪魔者。
まあ納得できる考えだけど、やり方が悪辣だった。
行家は絶妙なタイミングで方々へ情報をリークし、結果、京の町で避難直前の後白河法皇率いる比叡山勢力と法皇を攫いに来た平家が衝突。法皇さまを含め多くの死人を出しながら三種の神器だけは確保された。
その後、多くの死者を出させた予言の主がわたしであると知った比叡山が敵対している。
「この車はもうダメだ! 一幡様、走れますか!?」
目の前では源氏と長刀を持った僧兵たちが殺し合いをしている。
恐怖で足がすくむ。過呼吸になってよろけるわたしの手を取って、義高さまが走り出した。
でも、どこに逃げられるというのだろう。
どこもかしこも死体だらけだった。街中だというのに……。
「わたしは走れません。どうか、義高さまだけでも逃げ――――っ」
「一幡さまぁ!」
互いに繋がれた手だけは、最後まで離さなかった。