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第二話 大姫と義高・下

「お母さまッ! お母さまはどこなのッ!?」


 わたしは朝から御所で大声を上げていた。


「何です大声ではしたない」

「お母さまッッッ!!」

「誰かと思えば大ひ――っ!?」


 ようやく見つけたお母さまに怒鳴り声で質問を投げつけようと――しかし、お母さまはひどく驚いた顔をして足早に背を向けた。


 初めてだ。

 お母さまがわたしを見て逃げた。

 声には出せていなかったが、唇が「一体どこで?」と言っていた。

 気づいたのだろう、わたしが何をしに来たのかを。目が合った瞬間、お母さまがうろたえると同時に、わたしの目に怒りと拭えない疑いが宿ったことに。


「お母さま……本当なの……」


 お母さまは明らかに恐れていた。

 娘と向き合うことを。


 これで疑念が確信に変わってしまった。

 今日、わざわざここに来たのは、大倉御所で働く侍女からとある件で密告があったからだ。それを確認するためにやって来た。


「……本当に、義高くんを……」


 殺すつもりなの? お父さまは。


 聞いた時は信じられなかった。お母さまはずっとわたしの味方をして、どうすればいいのか教えてくれていたし、お父さまも義高くんを認めていると言っていたから。

 でも、不安になって直接確認しに来たら、お母さまのあの態度だ。


「知ってるんだ、お母さまも……そうなんだ、お父さまだけじゃない。お母さまも、義高くんの、敵なんだ…………痛っ」


 口に入れた指を出す。赤い液体と白くて硬い欠片がついていた。歯が欠けるほど強く噛みしめていたらしい。

 念のため再度確認しようと御所の奥に入ろうとするも、御家人の武士たちが出てきて力づくで家に連れ戻されてしまう。


 あれから三ヵ月も経っていないというのに、二人とも変わってしまった。いつだってわたしの味方になってくれたお母さまが敵になってしまった。お父さまはわたしに会いに来なくなってた。

 説得しようにも、わたしとは話をする気すらないらしい。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。


「お母さまを頼れないなら……わたしが、なんとかしなくちゃ……」


 源氏の家がなんだ。わたしの心はもう義高くんに奪われてるんだ。

 娘の人生をなんとも思ってない……とは言わないけど、娘の結婚相手を殺そうとする親の考えなんて知ったことか。


 だけど、どうすれば……相手はこの鎌倉を支配するお父さまだ。

 正直、家族には甘い人だとわかっていても、本気で逆らおうと考えるだけで体が震える。


 本当に説得は無理?

 お父さまに強く意見できる人は他にいない?


 政子お母さまがすでに陥落しているなら北条家は無理そう。

 時政おじいさまは誰もが知る腹黒ジジイ、計算高い性格をしている。頭は回るし野心もある、何をするかわからない妖怪みたいな人だ。


 お父さまの信頼の厚い御家人だと……比企ひき家もダメだろうな。

 他の源氏の血が騒乱の種になるという考えは今のお父さまと同じ。義高くんの味方をする理由がない。


 弟の範頼おじさんは――小心者でお父さまに逆らえる人じゃない。

 実は兄弟の中で一番お父さまから信頼されているっぽい全成ぜんじょうさま――すぐ助けを求められる距離にいない。


 末っ子の義経さまは……京から帰ってきたって聞いてない。帰っていれば報せが届いているはず。平家とはまだ戦ってる途中だし大将としてあっちに残っているのかも。




 ……ダメじゃん、頼れる人がひとりもいない。説得は無理だ。

 なんなんだこの鎌倉って場所は、みんな義高くんの敵なのか。

 こうなると大倉御所に行ったのは失敗だった。わたしが暗殺計画を知っているとお母さまには伝わっただろう。

 せめてお母さまがさっきのことを黙っていてくれたなら、まだ少しだけ時間はあるけど……もしお父さまに話していたら、どこかに幽閉されるかもしれない。


 時間がない。とにかく急いで義高くんと話をしなくちゃ。

 わたしは侍女に協力させてどうにかお母さまの館を抜け出した。



 * * * * *



「ま、まことなのですか、その話は」

「義高様、逃げましょう」


 義高くんの浪人の中で、真っ先に反応したのは海野だった。


「しかし鎌倉は閉じられた町だ、どこから逃げる」

「だからこそです。関所を避けて山の中を逃げれば追っ手を振り切れます」

「簡単に言うてくれるが海野、山賊はどうする。関所から離れればそれだけ道は険しく危険は増える」

「望月殿もあまり甘やかしてくれるな。私も木曽の武士だぞ」


 生まれてこの方、伊豆から鎌倉に移動してきただけで土地の歩き方などろくに知らないわたしは会話に入れず黙って聞くしかない。

 ただ、逃げるしかないと断言する海野には同意見だった。


「見張りはどうする。暗殺うんぬんを置いても、鎌倉に来た日からずっと見張られているのは知っているだろう」


 ……そうだったんだ。本当に最初の最初から、義高くんには自由なんて与えられてなかったのか。お父さま……初めてわたしに義高さまを紹介した時から、こうするつもりだったのかな。


 みんなと一緒に頭を悩ませていると、おまけに連れてきた侍女が目についた。いかにも、自分は関係ない、巻き込まれないように早くこの場から逃げ出したいという顔だ。

 そんな侍女を見ていたら逃げる方法を思いついた。


「義高さまには侍女さんたちに紛れてここから離れてもらおう」


 わたしも義高くんの屋敷まで来るのに、庶民と同じボロを着て、顔を隠すように頭の上に荷物を乗せながら歩いてきたけど多分バレてない。

 それに時刻はもうじき夕暮れだ。薄暗い中、仕事を終えて自分の家に帰る侍女さんたちの中に隠れていけばやり過ごせるかもしれない。


「どうやって紛れるというのですか、人垣を作れるほどの人数はいませんし、不自然な行動を取れば怪しまれます」

「それはもちろん……女装して?」


 義高くんが露骨に嫌そうな表情を浮かべる。

 女顔だから女装も似合うはずなんだけど、何気にプライド高いからなぁ。


「義高さま……わたしは義高さまに生きてほしいです」


 だけどのんびり他の方法を考えている時間はない。計画に穴があろうが、成功する確率が低かろうが、行動しなければ殺されてしまうのだから。

 義高くんの服を力いっぱい掴むと、こぼれかけた涙を誤魔化すようにその胸に顔を沈めた。


「そうです義高様、生きてこそです。貴方はこんなところで死んではなりません」

「だが、私がいなければすぐに怪しまれるぞ」

「背格好の近い私が義高様の代わりを演じれば、明日の昼までは時を稼げるでしょう」

「それではお前が……」

「私は貴方に仕えるために鎌倉まで来たのですよ。それに…………俺の方が年上だぞ。ガキが気を遣うな」

「年上って、ひとつしか違わぬではないか……」


 海野が兄貴分のような態度で陽気に笑ってみせた。

 これがわたしの前では見せない、鎌倉に来る前の二人の関係だったのだろう。

 生意気なクソガキだと思っていた海野がこれほどまで義高くんのことを考え、覚悟を持った武士だったと気づかされ、また義高くんの胸を濡らしてしまう。


「今ここのいると思われている女子は、大姫様と大姫様の連れ、元からここにいた者で四人。顔を見られないようにし、来た時と別の方角から帰れば逃亡が露見するのは遅くなるだろう」

「はい。ですので望月殿、小さい大姫様を何か荷物にでも隠して、御台所様の館に帰して差し上げてくださいますか」


 そう言って、わたしは義高くんから引きはがされた。

 死ぬ覚悟ができたせいか、いつも以上におざなりな扱いだ。見逃してやるのは今日だけだからな海野。


「義高さま、どうかご無事で」

「大姫様………………ありがとうございます」


 義高くんはいろんなものを飲み込んだ後、感謝の言葉だけを返してくれた。

 たとえ気休めでも「また会いましょう」とか「いつか迎えに来る」とか言って欲しかったけど、こんな状況じゃしょうがないね。

 たった一言だったけど、義高くんがどれだけ気持ち込めた言葉だったのか、ちゃんと伝わったよ。


 わたしは武士たちに見つからないよう、鎌倉から離れる義高くんの背中を静かに見送った。



 * * * * *



「んん……頭がぼーっとする……」


 目を覚ますとわたしは夜の社で倒れていた。

 怖いほど大きく眩しい不思議な月が地面を照らしている。

 見覚えがあるようでない黒い鳥居の下で辺りを見回してみる。


「黒い鳥居なんて鎌倉にないし……夢?」


 思いついたのは以前からたまに見るおかしな夢だ。


「夢なら……あの人がいるかも」


 なんとなく誰かに会いたくなって、いそうな人を探す。

 境内を歩いていると気づく。

 ここは、たぶん鶴岡八幡宮だ。


 わたしが知る鶴岡八幡宮とはところどころ違っている。鳥居は真っ黒だし、生えてる植物も見たことがないし、建物の古さが平安の鎌倉とも未来の鎌倉とも違う。

 でもわかる、ここは鎌倉の鶴岡八幡宮で間違いない。


 境内の階段を上がっていくと、少女にも大人にも見える暗い雰囲気の着物姿の女性がいた。

 夢に出てくる女性。今まで気づかなかったけどこの顔にこの声、そこはかとなく漂う陰気……お母さまに似ている。


「あの~」

「………………………………」


 女性に声をかけるも、さびしげな表情でじっと下の方を眺めている。

 しかし、わたしが近づくと女性はおもむろに言葉を発した。


「どうして源氏同士で争うのでしょう。範頼様も義経様も、お父様に反意など抱いていなかったはずなのに……」


 わたしに話しかけている様子はない。

 女性はひとりで後悔を口にしているようだ。


「確かに義仲様とは対立する理由がありました。けれど義高様が鎌倉に来たあの日、お父様はもう義高様は木曽ではなく鎌倉の子だと言ってくださったのに……」


 女性が歩きはじめた。

 とりあえず後をついて行く。

 元来た道を戻り源平池の前まで来た。源氏の繁栄と平家の滅亡を表した二つの池だ。


 月明りの下、暗闇に目を凝らすと紫陽花と蓮の花が咲き乱れている。枝垂桜がないから、どちらかというと未来ではなく平安の鶴岡八幡宮に似ているか。


 他にも周囲を見渡そうと――しかし、どうにも紫陽花と蓮に目を引かれる。

 花の色が違う、鎌倉の青い紫陽花じゃない。源氏の色を表した白い蓮もない。どちらも怖いくらいに鮮やかな朱だ。源平池には源氏と平家の旗の色から取った紅白の蓮を浮かべていたはずなのに、まるで血の池のように朱に染めてしまっている。

 違うのは花の色だけじゃない、花弁の数もおかしい、何枚も重なっている八重咲きになっていた。見知らぬ奇形が不気味さを際立たせる。


「…………ひっ」


 朱い蓮の間に、白い物がぽつぽつと浮かんできた。

 源氏しろの蓮を見落としていただけかと思ったが――浮かんできたのは髑髏だ。

 蓮と共に、池の水面に白い頭蓋骨が並んでいる。

 ガイコツの虚無な眼窩がわたしを見ている。


「……あれは平家の無念」


 十二単の女性がようやくわたしに話かけてきた。


「い、今まで無視してたわけ?」

「改めて自分に話かけるのも滑稽でしょう?」


 女性の言葉が理解できずに首を捻る。


「私は貴方で、貴方は私…………忘れることなんてできないはず」


 女性は、お母さまがよく怒られてふてくされるわたしにやるように、頬を手で包み瞳を覗かせた。髑髏の眼窩よりも深い漆黒の瞳に魅入られると、夢の世界に来る前の記憶が蘇ってくる。


「そう、だ、あれから、わたし、は…………義高さまは……」


 義高くんを鎌倉から逃がしてから一ヵ月ほど経った日の朝、わたしはお母さまに呼び出された。

 しばらく口も利きたくなかったけど、「本当は黙っているつもりだった」と悲しそうにする顔を見て、聞かなければならない話だと悟った。そして――


「義高さまが……武蔵国で死んだって……」


 わたしはその後、急に目の前が暗くなって、何もわからなくなって、気がついたらこの夢の中にいたんだ。


「わたしは……救えなかった。毎日義高さまの無事を祈るだけで、結局なんの力にもなれなかった……」

「そう、義高様は殺された。それからずっと、私は許せなかった。お父さまも、お母さまも、源氏も、平家も、私自身も、なにもかも」


 女性の瞳が暗い理由がわかった。

 憎悪で濁っているのだ。


「だから利用することにしたの。あいつ等の呪いを」


 女性の瞳が源平池に浮かぶ髑髏に向けられる。


「お父さまに頼んで平家に従っていた陰陽師も処刑してもらったのが効いたのかしら。まさか本当に別の未来と行き来できるなんて」

「……わたしの前世が、あなた?」

「正確には前世どころじゃないけど……義高様を助けるため、そのために私は平家の呪いを利用して、義高様を救えるだけの力を、知識を求めた」


 やっとすべて思い出せた。

 呪詛を吐いているこの異常なほど陰気な女はわたしだ。

 義高さまを失ってから十年以上、世界を呪って呪って呪い続けて衰弱死したわたし。


「ようやく未来の日ノ本に転生できたと思ったら、まさか大して準備もできない内に事故で死んでしまうとは思わなかったけど……でも、まだ失敗じゃない」


 ぎょろりと大きな漆黒の闇がわたしを捉えた。

 源頼朝と北条政子の娘なだけあるな、わたしの前世、怖い。

 今では嫌っている両親の特徴を、弟の万寿よりも、その後に生まれてくる弟や妹たちよりも、わたしが最も色濃く受け継いでいるのだと複雑な気分になる。


「たとえ記憶の残滓でも、貴方は私、私は貴方、本質は変わらない。だからわかる……義高様を諦められないこの気持ちも変わらない」


 大人の私が頷いてみせる。

 わたしの考えはすべて理解されているのだろう。

 そして、わたしも理解している。


「これは……祈りじゃなくて呪い?」

「だから悲願を叶えるまで貴方は解放されない。私も許されない。私達は無限に同じ生を繰り返す」

「起きたらわたしはどうなるの?」

「またどこかの時点からやり直しね」


 それは、また義高くんを失う苦しみを味わうということか。

 でもまだ終わりじゃない。

 必ずあるはずだった義高さまの未来を取り戻してみせる。

 何度だってやり直してみせる。

 わたしは決意を込めて拳を握った。

 それを見て、これまで暗く不気味な笑顔しか見せなかった“私”が嬉しそうに笑った。

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