正体
鳥の鳴き声が冷たい空気を伝って、耳に入り込む。
暗くじめじめした空間では、耳が覚醒するものだ。
小さな鉄格子の窓から流れる海風、石壁を伝る水滴、近づいてくる衛兵の足音、遠くから聞こえてくる鐘の音。すべてが、四感を伝って全身に響く。
(バコォォォォン!)
目を勢いよく開けた男は、全身を使って正面の鉄格子に大きな蹴りを一発撃った。
重い一撃は、牢を抜け出すには十分だった。
音を聞きつけた衛兵は一斉に集まってくる。
それを物ともせず、男は手のひらで一撃を食らわせた。
「貴様!おとなしく戻れ!」
兵の威嚇にも反応を示さず、狭い廊下での戦闘は長武器を持った兵には見るからに不利という形で繰り広げられている。それは一瞬にして終わりを迎えた。
「エミリア・・・」
****
「王妃!気を確かに!」
その出来事は宮殿中を駆け巡る。
「早く止血だ!急げ!」
大慌てで王妃のもとに駆け寄り、傷の手当を始める。
どうやら、両手首から血を流して倒れている様であった。
「王妃!しっかり・・・」
かすれるような声で、安否を心配する第一の側近バッフェルト。
すでに彼の目には涙を浮かべ、王妃を抱きかかえるように泣き崩れている。
王宮が総出で静まりかえったと同時に、外野が慌ただしくなった。
「貴様!何者だ!」
外で倒れこんだ衛兵に気づいたのか、テーブルに置いてある血のこびり付いたナイフを手に取り、すに、臨戦態勢を取り始めた。
突然、白髪の男が部屋に飛び込み、バッフェルトは上からのナイフをブラフとした溝にかけての先制攻撃を仕掛ける。
それをまともに食らった男は引き下がると、男が次の一手を繰り出す間もなくバッフェルトは、狼狽えた男の頭に花瓶を一撃お見舞いした。
しかしながら、それを寸前で避け、二人は硬直状態になる。
「貴様は・・・何者だっ!」
「貴様こそっ、只者ではないなっ」
両者のにらみ合いは、ある一言で終わった。
「そこまでです!お二人とも!」
部屋に現れたのは、白色のドレスに身を包んだ女性。
それと同時に、二人の間合いは無くなった。
「お兄様。おやめください。その方は王妃の息子に当たるエイデンベルグ様になります。この方の無礼をお詫び申し上げます」
立て続けに話が先行する事態に従者の頭は一杯だ。
「待て待て待て。こいつがあのエイデンなのか?」
「はいそうです」
「じゃあなんだ?なんでこいつが・・・」
「これには深い訳があります」
緊張が解け、徐に座り込んでしまうエイデンと、信じられない顔つきで彼をにらむフェル、その中をなだめる様に見守る女性。
****
「母上は無事か?」
開口一番にそのことを口に出すエイデン。
「おい、席についてそれかよ・・・」
すると、フェルの横に座った女性が彼に囁く。
「お兄様っ!」
「ん”ん”っっ」
咳払いをして、一旦話をなかったことにする。
「お前は変わってないな・・・」
「俺は、てっきりお前は死んだかと思ってたよ。あの惨事を目の前にして、死んだと思わなかったら可笑しい」
軽く死んだことにされてしまった事にエイデンは何を思ったのか口をつむんでしまう。
それを見かねた女性は彼に助け舟を出した。
「どこで何をして居られたのですか?」
「俺のことをどのように聞いている?」
「どのようにって・・・散々な言われようですね。北方では隻眼の狩人。南方では死神の眼。エルフ国では鬼才と呼ばれているそうです」
「・・・」
「かつての面影がお前には一ミリの感じられん。どこで何をしようが構わないが、手紙くらいよこせ」
面目なさそうに下を見つめるエイデンに対し、フェルは違う切り口で攻めてきた。
「それはそうと、なぜここへ来た。何か用があったんだろ?勇者か?」
エイデンはハッとしたように顔を上げるとフェルに問いかける。
「俺は勇者を殺を殺さなくてはいけない」