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姉は詳しく話してはくれなかった。

 姉は詳しく話してはくれなかった。

 綸のこと自分のこと、どうして座敷牢に閉じこめられているのか、自殺をしたふりをしたのか、ここに閉じこめられている人たちはいったいなんなのかとか。なにも教えてはくれなかった。

 ただしばらく僕たちはお互いの指を絡め合って時を過ごした。天井近くにある窓が薄暗い光を差し込み始めたのに最初に気づいたのは、姉だった。

「もうここから出た方が良いわ。綸に見つかってしまう」

「いやだよ、せったく会えたのに。ねぇ、一緒に家に帰ろうよ」

「仕方ないのよ」

 姉は哀しげに俯いた。

「姉さん?」

「仕方ないの。あたしはもう、ここから出てゆくことはできないの。もう家には帰れない。榛名と一緒にはいられないのよ」

 僕はその言葉に大きな衝撃を受けた。

「ど、どうして? どうしてだよ、姉さん! 姉さんは生きているんだ、だったら家に帰るべきだろう? どうして帰れないんだよ? まさか綸のせいなのか? 綸が姉さんになにかしたのか? ねぇ、なんで何も教えてくれないんだよ?」

「榛名……」

「警察に行こう。ううん、姉さんがここから出られないのなら、僕が警察に通報するよ。こんなに人が捕らわれているんだ。綸はすぐに警察に捕まるよ。ね、そうしたら大丈夫だろ?」

 しかし、姉は哀しげに首を振った。「ダメよ」と小さな声で呟く。僕には何が「ダメ」なのかわからない。姉を含め多くの人がここに閉じこめられている。中にはどう見ても親の保護が必要な幼い少女までいる。誘拐だ。綸はこんな所に人を閉じこめていったい何をしていたのか。姉を閉じこめて何をしようとしていたのか。考えただけで、吐き気がして身の毛がよだつ。

 僕はあらん限りの力を使って、格子をひっぺがそうとした。だが、頑丈な牢はぴくりとも動かずがたりとも音を立てなかった。

 格子の向こう側で憐れむように姉が僕を見ている。その視線に気付いて、僕はよけい苛立って地団駄を踏んだ。姉が本気でここから逃げようとしていないことが、わかったからだ。

「姉さん、姉さん、ねぇ。柚香姉さん」

 僕は繰り返し、辛抱強く姉の名を呼んだ。

 せっかく会えたのに、せっかく生きているとわかったのに、どうして離ればなれにならなきゃいけないのだろう。いったい誰が僕らを引き離す権利がある? 友達にも学校の先生にも親にも、そして綸にも、そんな権利はないはずだ。僕らはお互いを掛けが得なく思っている。なら、一緒にいるべきだ。

 姉の瞳がぐらついているのがわかった。心底つらそうに唇を噛み締め、ついには俯いてしまった。彼女の顔が隠れてしまったので、僕は牢の細い隙間から手を伸ばし、髪を掻き上げてやった。

「……榛名は、あたしのことが好き?」

 小さな声だったが、音の少ない土蔵の中ではくっきりと響いた。姉の髪を撫でていた手を止め、僕は彼女を見つめた。

「姉さん?」

「榛名はあたしが好き? 誰よりも好き? あたしの側にずっといたいって思ってくれる?」

 くいっと頭を上げて僕を見た姉の目は、今にも怒り出しそうにも泣き出しそうにも見えて、複雑な感情がごちゃごちゃと絡まり合っているようだった。こんな顔をしている姉を見るのは、小学生以来だった。姉のことをライバル視していた女の子が、姉の大のお気に入りのリボンを泥の中に落としてぐちゃぐちゃに踏みつけてしまったのを、僕と二人で目撃したとき以来だ。姉は負けまいとして必死で涙を堪えていたが、変わりに僕はその女の子の頬を思いっきりぶってやったのだ。

 僕はにこりと笑った。

「当たり前だよ」

 姉も笑った。泣き笑いだった。

「嬉しい。じゃあ、あたしの側にずっといてちょうだい。片時も離れないと約束してくれるわね?」

 姉が差し出した小指に、僕も小指を絡ませて、誓った。僕らは再び、キスをした。

 唇を離した姉は、すぐに真剣な顔をして僕の耳に小さな声で話しかけた。

「真夜中に、ここへ来れる?」

 僕は姉をまじまじと見つめたあと、こくりと頷いた。

「大丈夫。この家は広いくせにたった二人しか住んでいないし、僕の泊まっている部屋は綸とも千祇ちゃんとも離れていいるから、二人に気付かれずにここまで来れるよ」

 姉も頷いた。

「後悔しない?」

「逃げ出すんだね?」

「あたしはあんたを誰よりも愛してる。だから、誰の手にも榛名を渡したくないの。だけど、あたし達には障害がありすぎる。きっと母さんも父さんも他の誰もあたしたちのことを許してはくれないわ。だから、逃げ出すの」

 僕は少しだけ、考えた。頭の中に両親のこと家族のこと友達のことが次々浮かんだ。だけど、それらを振り切るように僕は強く頷いた。

「姉さんの方が僕には大事だ」

 姉は花が綻ぶような明るく嬉しそうな顔をした。僕は、笑っている姉にまたキスしたくなった。

「もう、ここを出た方が良いわ」

 姉が再び言った。窓から射し込む光は、琥珀色に染まっている。そろそろ千祇が夕食の用意が出来たと呼びに来る頃だろうし、綸が帰ってくるころだろう。僕は頷いた。

 だけど、離れぎわ、僕たちはもう一度腕を伸ばして抱きしめ会った。姉をこんな狭く暗く陰惨な場所に一人残してゆかなければならないかと思うと、身が捩れるような思いがした。

 そのとき、こそりと彼女は僕に向かって囁いた。

「綸は自分が気に入った子を、モデルにすると嘘を付いて近づくの。屋敷へと連れ込んで、こんなふうに閉じこめてしまうのよ。榛名も、気を付けなさい」

「大丈夫だよ、姉さん。僕らは今夜ここを出てゆくんだから。綸が僕を牢に閉じこめてしまう前に、僕らは遠い空の下だ」



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