この家に僕と同じ年ぐらいの柚子という名前の女の子がいないか?
綸が帰ってくるなり、僕は咳き込むように「この家に僕と同じ年ぐらいの柚子という名前の女の子がいないか?」と問うた。しかし、彼は怪訝そうな顔で僕を見て「いない」と答えた。僕は信じられない気持ちで、綸を見つめ返した。しかし、彼の顔は嘘を付いているようには見えなかった。
実はこれと同じ質問を先に千祇にしていたのだが、彼女も同じような答えを返したのである。「そんな子はいないし、この家で暮らしているのは自分と綸だけだ」と丁寧な口調で教えてくれた。
「でも、僕は会ったんだ。冬の棟で。土蔵のすぐ側で」
土蔵という言葉に、彼はすぐに反応して顔を顰めた。
「まさか中に入ったのかい?」
「違う! 土蔵のすぐ側で、女の子を見たんだ。姉さんにそっくりだった。少し若かったけど、彼女は土蔵の中で暮らしていると言ったんだ」
「そんなことあるはずがない」
綸は一蹴した。
「あそこは僕の人形置き場の一つだよ。榛名、きっと君は見間違いをしたか、それとも誰かの悪戯にあったんだよ」
気の毒そうな声で、彼は僕を見た。
「悪戯?」
「ときどき、塀の破れ目から忍び込んでくる奴がいるんだ。近所の悪戯っ子だったり、観光客が間違って迷い込んでくることもある」
「でも、そんな……彼女は確かに土蔵で暮らしていると言ったんだ。どうしてそんな嘘を僕に付く必要がある? それにどうして彼女はあんなにも姉さんにそっくりだったんだ?」
彼はゆっくりとした言い聞かせる発音をした。
「君の姉さんは亡くなったんだろう?」
しかし、僕は首を振った。
「でも、あんなに姉さんにそっくりだったんだ!」
「他人のそら似とか?」
「違う、だって――――」
僕は息を詰めた。だって、指輪は。指輪のことはどうなるのだろう。
綸は困ったように眉根を寄せて、僕を見た。そのとき、不意に彼は何かを思いついたようで、僕の方へ身を乗り出してきた。彼の体から焚きしめた香のような甘い匂いがした。
「いや、もしかしたら本当に柚香さんを見たのかも」
出し抜けに綸が言ったので僕は間抜けな顔で「へ?」と聞き返してしまった。
「榛名くんが見たのは本当はお姉さんの魂だったのかもしれないよ?」
僕は目を瞬かせる。彼の綺麗に整った顔が、まるで水晶の向こうで予言をする占い師のように見えた。
「幽霊ってこと?」
「違う。幽霊よりももっと強力な存在だ。だってその人そのものって意味なんだから。幽霊って言うのは死んだ人間の妄執がこの世に残ったものを言うんだよ。すなわ、残り滓だね。だけど、魂は違う。肉体は失ったけれど、本人そのものが目に見えない形で地上に留まっているんだ」
「綸?」
「今でこそ玩具や観賞用として扱われているけれど、本来人形は形代と呼ばれて霊的な目的で遣われていた呪物だったんだ。例えば人間の身代わりとなって穢れや病気、災厄なんかを人形が引き受け、川や海に流してあの世に送り出したりする。雛祭りなんかはまさにその行事だ。それ以外にも、人形には神や精霊を招来する依り代の能力や、死んだ人間の借宿としての機能もあったとされている。事実、僕は死んだ娘の魂を呼び戻すためにという依頼で、娘さんそっくりの人形を作ったこともあるよ」
彼は微笑んで、僕から離れた。
僕と彼との間には広いテーブルがあって、テーブルの上には千祇が用意してくれた夕飯のデザートの桃が薄水色の硝子椀の中に盛られている。綸も僕も桃にはひとつも手を付けず、ソーダー水で薄く割られたお酒を飲んでいた。アルコール度がほとんど0に近いからと言われて、ときどき夕食後にすすめられるのだ。
キンと冷えたお酒は、グラスの縁に水滴をたまらせる。柔らかな木肌のテーブルに小さな水たまりが広がっていた。綸はそれに指を浸し、ぐるぐると意味のない図形を作って指遊びをしていた。僕は、どこかぼんやりとした心地で、それを眺めている。
頭の中では、先ほどの彼の声が木霊していた。
現実感はすでに遠い。姉が死んだときから、僕の現実は崩れたままだった。
柚子は、姉の魂なのだろうか。もし綸の言葉が真実なら、姉の魂はあの綸が作った人形の中へと戻ろうとしているのだろうか。