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夜風は肌に気持ち良いぐらいに涼しかった。

 夜風は肌に気持ち良いぐらいに涼しかった。姉は昼間と同じ着物姿だったが、彼女が若く見えるのはそのせいなのかもしれないと僕は推察した。月光の下で見る姉はとても綺麗だった。

「指輪を取り戻したい」

 土蔵を出るなり、姉が言った。僕は慌てた。てっきりすぐに逃げ出す物だと思っていたからだ。

「今度別の指輪を買ってくるよ」

「ダメよ。あれは榛名がバイトして貯めてくれたお金で買ったものでしょ。とても大切なものなの」

「でも……」

 僕は一刻も早くこの屋敷の敷地内から出たい気分だった。しかし、姉は頑として譲らなかった。ぐずる姉を宥めてもダメだった。むしろ、あんまりに必死な様子に僕は頷くしかない。

 姉にそっくりの人形がある部屋は、母屋の一室にある。冬の棟から縁側へ上がり、僕らはぎしぎしと鳴る廊下に注意しながら歩いた。廊下の天井からは吊り燈篭が下がり、いつまでも炎を揺らしている。オレンジの明かりは木肌を美しく見せるのだと、この屋敷へ来てから僕は知った。しかし、小さな明かりは闇をいっそう濃くする。

 僕らはずっとお互いの手を繋いだままだった。

 不意に姉が囁き声で話しかけてきた。

「ねぇ、覚えてる?」

 姉は僕の背に向かってしゃべる。

「小さな頃、あたしがとても気に入っていた赤と緑のチェックのリボンを台無しにした女の子がいたでしょう?」

「うん?」

「あの子、本当は榛名の事が好きだったのよ。知ってた?」

 僕は一瞬足を止めて姉を振り返った。姉の顔は闇に沈んでいて、よく見えなかった。

「知らなかった」

 僕はまた歩きだした。

「榛名って、鈍いのよ。あんた自分がどんなにいい男なのかわかっていないの。あたしの友達が榛名のこと格好いいって噂してたわ」

 そんなことは本当に初耳だった。

「榛名はいつも姉さん姉さんってあたしの事ばかり見るていたからきっと、気づきもしなかったのでしょうね。ほんの少し余所見をすれば、たくさんのかわいい女の子達が、あなたを見てたのよ」

 姉の声は静かで、少し楽しんでいる響がした。

「だから、あたしはいつだって榛名を引き留めるために一生懸命だった」

 僕は姉を振り返った。彼女はにこりと笑い、僕を追い越して、手前の部屋の障子を開けた。

 暗い部屋だ。何もないがらんとした座敷。だけど、部屋の中央にぽつんと椅子が置いてあり、そこに人形が腰掛けている。月光が障子越しに差し込み、部屋の中は濃紺に染まっていた。葉の影が床で踊っている。

「姉さん?」

「約束、よね、榛名。ずっとあたしの側にいてくれるって」

 自分の人形の側まで来ると、姉は人形の手から指輪を抜き取った。それを僕に向かって差し出す。僕は姉が何を望んでいるのか、すぐにわかった。

 指輪を受け取り、僕は姉と向かい合った。笑っている姉を見て、思う。

 姉はつねに多くの人に囲まれていた。多くの友人、多くの男たちに。それらの輪の中で艶やかに笑っている彼女を、僕はいつも苦しいような悔しいような誇らしいような気持ちで見ていた。

「――――良きときも悪しきときも、富めるときも貧しきときも」

 僕たちはこつりとお互いの額をくっきあわせた。僕が笑うと、姉も小さく笑い声をたてた。

「健やかなるときも病めるときも、つねに互いを愛し敬い慰め助け」

 僕は姉の左手を取った。薬指に指輪を差し込む。

「命のある限り変わることのない愛を貫くと誓いますか?」

「「誓います」」

 僕らは瞳を閉じてキスをした。

 ――――――次の瞬間、僕の胸にどすんとした衝撃が走った。


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