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7:夜の学舎の遭遇者

「自分の生まれた意味なんかまともに考えたことはないですけれどもね」ロハノはぶつぶつと言いながら正門をくぐった。


「少なくとも幽霊退治のためでないってことだけは確かですよ」


 深夜のクィクヒールは日が沈む前の狂騒ぶりからは連想し得ないほどの静寂のただなかにあり、たとえいかなる賢者と言えども昼のクィクヒールしか知らないものにこのしじまを説明し納得させることは不可能かと思われるほどだった。


 太陽の支配下にあってはかまびすしく言い交わしながら学生が徘徊する校庭も、いまはいつどこから首無の騎手が同じく首のない馬を駆って登場したとて何ら違和感のない不気味さに包まれていた。


「あー。ほんとに」ロハノは身震いした。「ぞっとしない」


 ロハノは自分が人より怖がりだとか、恐怖への耐性が低いなどという自覚があるわけではなかった。


 恐怖への耐性が低いものは夜の街道でばたりと下級の幽霊に出くわしただけでも耐えられずばったり倒れてしまうものだが、少なくともそこまでではないだろうと思っていた。


 とはいえ、幽霊をこちらから積極的に見つけにいき、やあやあ仲良くやろうぜ兄弟今度そっち行くときは六文銭でも持ってってやるぜ待ってろよ、と手を上げて歓迎するほどでもなかった。


 しかも今はソロであり、真夜中であり、古城である。食傷気味なくらいの好条件の重なりは、しかしおとぎ話ならまだしも、現実に体感するロハノとしては十分に新鮮味があり、つまりは冷汗三斗なのだった。


 ロハノに限らず、この世界の生者はほとんどがそのような態度を幽霊に対してとっていた。これは何も精神的な躊躇というばかりではなく、実際の実入りの少なさにも起因するものだった。


「幽霊退治と言ったら幼なじみの同伴が欠かせんでしょうが」


 ロハノはできるだけ下を向き見えなくてもよいものが見えないようにしながら歩いていた。自分の影がこんなにも憎たらしく思えたのは初めてだった。


「あ。でもわたし、異性どころか同性の幼なじみもひとりとしていないのでした。あははは。はは。は」


 幽霊が出没するのは死んだ生物がいるような場所であり、つまりは世界のどこにでもいるのだった。


 そのため幽霊を退治してくれ追っ払ってくれ浄化してくれ成仏させてくれ未練を断ってくれ代わりに告白してくれという依頼、クエストは世界の大陸のどこの地方のどんなにへんぴな村のどれほど寂れにさびれまくったギルドに設置されたいかにぼろぼろな掲示板であろうと、必ずひとつ、ふたつは張り出されているものだった。

 

 しかしよほどの物好きか、なんらかの事情でもない限り、一般的な冒険者たち、それどころか公的な組織ですら、なかなかその依頼を引き受けようとはしなかった。

 

「あ。う。なんか。げ。足音が」ロハノは足を止めた。すると足音も聞こえなくなった。


「くそ。自分の足音まで憎たらしくなってきたぞ」ちょうど墓石の林立する広場付近を歩いていたため、精神が一層過敏になっていた。


 幽霊が嫌がられる理由のひとつにはその倒しづらさがあった。当然ながら彼らに物理的な攻撃は意味を成さないのである。


 それに物理的な攻撃が通用しないということは、物理的な肉体を持たないということであって、つまりは苦労して倒したところで、なにか換金できたり加工に用いたりできるような素材をなにひとつドロップしないことを意味していた。


 複雑さを欠き、腕っぷしさえあれば誰にでもできるような、単純な生態・特性のモンスターの討伐依頼の報酬ときては、とかくしょっぱいとされるのが共通認識だった。


 初心者が苦労してゴブリン2、3匹をやっつけ、意気揚々と達成を報告したその後に渡された報酬の少なさに愕然とするのは、半ば通過儀礼でもあるのだ。


 それでもそうしたクエストを受注する個人、パーティーが後を絶たないのは、依頼主が約束した報酬に留まらないうまみ、つまり討伐対象から得られる素材があるためだった。


 それがあるからこそ少ない報酬でも冒険者達は喜んで任地に赴くのだ。


 幽霊にはそれがない。厳密に言えばないことはなかったが、たいていの冒険者はそのことを知らないし、知ったとしても容易く手に入るものではなかった。


 熟練したネクロマンサーなどの同伴が必須であり、その上で複雑な過程を経なければならないためである。


 かくして幽霊退治の依頼はいつまでも掲示板に残り、それはどこのギルドに行っても同じことで、その放置されていた期間の長さは、依頼主の悲痛な筆跡を記したその紙の劣化具合からうかがい知ることができるのだった。


「だからってわたしに押し付けなくてもいいでしょうが」


 ロハノは不気味さをまぎらわそうと、怒りでもなんでも激しい感情をなんとか胸に宿そうとやっきになっていたが、いまいち気分は乗らず、むしろ今度は自分の声に不気味さを覚え始めていた。


 昼間はあんなに、もうゴキブリかネズミかと思われるほどあふれにあふれまくっていた学生や教職員がみんな寮に帰ってしまったあとの大学は、もはや大学ではなく、近頃は長らく不在の学長が買い取る以前の、吸血鬼の古城でしかなかった。


 ロハノが伝え聞いたところによると、吸血鬼時代のこの古城は、周辺の土地から多くの子供たちをさらって監禁しては、もはや行方も知れぬ城主が満月ごとに十人ずつ血を吸うその悲鳴と嘆きに満ちみちていたという……


「あ。しまった。思い出さなくていいことを思い出しちまった」


 ロハノは自分の頭をぶん殴りたくなった。しかし自分で自分を殴るのは混乱したもののやることだ。できれば他の誰かにやってほしいのだが。


「えいっ」


 ぽかり。ロハノの頭に軽い衝撃が走った。彼がやったのではなかった。


「や。どうもどうも。求めているものが求めている時に与えられるっていうのはやっぱり最高の心地で……」


 ロハノはそこまでお礼を言いかけてから凍りついた。まるで<一晩の冬眠>の魔法をまともに食らったかのようだった。


ちなみにこの魔法は対象を氷に包んで閉じ込めるという魔法で、ロハノはこれを特に信じがたいほど暑い夏の季節に重宝していた。難点として、たまに永眠しかけてしまうことはあったものの。


「いえいえお礼なんてそんなあ。人のお役に立つのも同じくらいいい気持ちです」明るい声が聞こえてきた。「たとえ死んだ後であっても」


 声は明らかに背後から聞こえているし、ヤバいポーションをやった覚えもないから、どうも幻聴という素敵な可能性も排除されているようだった。


 観念して彼は、見事な悲鳴でも喉を痛めないように首を入念にまわしてから、全身が石でできているためにかたつむり以下の機動性しか持たないというストーンゴーレム以上のぎこちない動作で後ろを振り向いた。


 まるで魔物大全の挿絵からそのまま抜け出たような、お手本のごとき半透明さの少女の幽霊が、地に足をつけて生きるものにはありえない天井近くの高度から、ふわふわと彼を見下ろしていた。


「えっと。あの。どうしよ」ロハノはひとまず訊ねてみた。「悲鳴を上げたほうがよいですか」


「お好きにどうぞ」幽霊は面白そう笑って言った。現在のロハノにとって最も共感からほど遠い感情である。


「友達のなかにはちゃんと上げてくれほうがいいって子もいるし、だから本気で怖がらせようって子もいるんだけど、わたしはどっちでも」


「あ。そう。じゃあやめときます」ロハノはひとまず深呼吸しようとしたが彼女の言葉に引っかかりを感じ失敗して呼吸困難に陥った。


「か。かはっ。と。友達?」


「そうだよ」少女幽霊はくるりと後ろを振り向いて叫んだ。「おーい。こっちこち」


 なにがこっちこっちだあなたには目の前にいるこの中年教授の顔色の青白さがわからないのですかとロハノが戦慄していると、対して霊感の強くない、というか強くないと信じ込もうとしてきた彼にも肌で感じられるほどの霊力が、今立っている廊下の向こう側から集まってくるのがわかった。


 わからなければよかったのにと彼は思った。


 廊下の奥から銀色の津波のようなものが押し寄せ、ああきっと誰かが水魔法の練習をこんな夜中に必死で練習しているのだなあ感心感心と思いたい彼の希望も接近につれはかなく崩れ去りついには潰えて塵へと還る。


「ねーどうしたのー」


「あれ。もう春休みは終わったんじゃないの?」


「なになに。また追い払いにきたの?」


「ありゃっ? あのでぶと違うみたい」


「いつもと違う人」


「ねえねえ。この人だれー?」


「あれえ珍しい」


「わあっ。お客さんだ」


「掃除をしているんですか?」


「もう授業は始まったんじゃないんですか?」


「ねえ。わたしたち追い払われちゃうの?」


「今って何時くらいかなあ」


「まだ月があんなに高いから、心配しなくてもいいんじゃない」


「春は夜が長くていいよねえ」


「まだまだ時間はたっぷり」


「で」


「で」


「で」


「あなただれ?」


「起きたら教えよう」ロハノは高らかに宣言し、そして気絶した。 



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