13:嵐の収穫
エムナープ草は順調に育っていった。適切な管理を心がけたために、通常なら一月を待たなければならない成長が、たったの五日で実現していた。
見る人の心を手ひどく落ち込ませる負の波長を放つ暗い色の芽も、ロハノにとっては嬉しい便りであったにちがいない。
毎日の世話は決して楽なものではなかった。特にロハノのような体力に自信のない職業に就いているものにとってはなおさらそうだった。
雑草を引っこ抜くだけで一日が過ぎていったり、深夜の12時になると気絶するように倒れ込んだりしてしまい、次の日も絶好調時の半分ほどしか体力が回復していないと感じられることがざらにあった。
ある夜、また雑草取りだけで時間と体力とを使い果たし、ロハノが畑の真ん中でメデューサに睨まれた犠牲者のように突っ立っていると、哀れに思った月が祝福の妖精を遣いによこし、恵みの光をエムナープ畑の上に降らせた。
太陽に押しつぶされるという理不尽な悪夢で翌朝目を覚ましたロハノは、周囲を見て首をかしげた。
昨日までは土からわずかに芽をのぞかせる程度の発育だったエムナープ草が、刈り入れを待つかのように見事な成熟を遂げているのだった。
「うーん。初めての栽培だとは思えないな……」アンチハッシ氏は仰天して一面が鬱色になった畑を見た。
「あなた本当に未経験者ですか」
「わたしの祈りが豊穣の神に届いたのでしょう」ロハノは珍妙な足取りで畑のまわりを終わりなく周回しながら言った。
「これが、儀式のダンス」
彼の踊りがそれ以上成長を促進させることはなかったが、あとはただ完全に生育するのを待つのみかと思われた。
いつの間にか春は終わり、夏が来て、それとともに大竜巻も来た。
大竜巻はクィクヒールの南側で発生し、気象学を教える教授たちが寄り集まって議論したところによると、このままの進路ならばまず間違いなく直撃すると予想された。
大竜巻は暴走した風のエレメントの産物だった。邪悪な「眼」を持ち、その視線に捉えられたものは大地も雲も家も人も象も例外なく吹き飛ばされてしまうのだった。
大竜巻が通った後には深くえぐられた大地や原型をとどめぬ建物や生き物ばかりが残るため、生きとし生けるものは例外なくこの災厄を恐れていた。
エレメントであるため、当然どんなに力が強くとも物理的な方法では止めることができなかった。
世にも稀な、数少ない、真の魔力を操ることのできる一握りの魔術師のみが、この大竜巻の「眼」を射抜き、それ以上の暴威を阻止することができるのだった。
しかし間が悪いことに、たまたまこの地方のいくらか望みがあると思われる程度の実力を持つ魔術師たちは全員が年に一度北の大陸で開かれる聖賢会議のために出払っており、唯一の希望が欠席中の町々や村々はあえなく吹き飛ばされていった。
クィクヒール大学の屋上からでもそれを見ることはできた。こちらに近づくにつれて大竜巻の色は次第しだいに真紅に近づいていった。
風に切り刻まれた犠牲者の血と肉が、この災厄に力を与え、より凶悪な力を増さしめるのだった。
副学長は大竜巻出現の報を聞いてからすぐ自分の講義を休講にし、誰にも何も言わず地下奥深くに設えさせた自分専用の防風壕に立てこもった。
時々、食堂にまで青い小妖精を飛ばし、食事を持ってこさせる以外、決して外と連絡を取ろうともしなかった。
デーデンスクは自分も副学長の防風壕にかくまってもらうつもりでいたため、もう副学長がお隠れになりましたとの連絡を受けると顔色を変え、誰かれ構わずつかまえてはあの大竜巻をなんとかするようわめき立てていた。
メミョルポンやブルーノは自分の講義の最後で大竜巻について触れ、とにかくふっ飛ばされないように注意せよと教えた。
「眼」に近づくほど風の刃の鋭利さは増し、その切れ味は名前のみが現代に伝わっているかの妖刀むらまさにも劣らないとのことだった。
次第にクィクヒールの上空も暗くなり、雲があまりにも迅速に飛んでいくため、見ているだけで気持ちが悪くなってくるほどだった。風も吹き始め、沈黙鉱で作られた寮のなかですらその音が嫌でも耳に入った。
アンチハッシ氏は持てる力の全力を注ぎ込み、成長途中にある植物のいくつかを半ば強制的に収穫可能なレベルにまで持っていき、少しでも大竜巻によって吹き飛ばされる量を減らそうとしていた。
温室は古城よりも別館よりもさらに小さく、突発的に強い風が吹き付けるたび吊り橋のようにがたがた揺れた。
ミナラコは今日はやけに地上の足音がうるさいなと思っていた。
エルゼランは恐慌をきたした同僚を見て呆れたようにため息をつくと、自分の研究室でいつもの通りコーヒーを飲んでいた。耳にはろうを詰めていた。彼女はこの世でただひとつ、雷だけがどうしても苦手なのだった。
koocはさっさと厨房の全員を避難させたかったが、副学長が切れ目なく面倒くさい注文を小妖精を通して伝えてくるために、それができないでいた。
バームヘイクは大竜巻の「眼」にトウガラシをぶっかけてやるなどと息巻いて無謀にも外へ飛び出しかねなかったため同僚によって簀巻きにされ氷室に突っ込まれていた。
降雨が始まった。校庭はたちまち水びたしになり、建物同士を行き来するためにカヌーを出さなければならないほどだった。
雷が落ちるたび黄金色に輝き、触れれば焼け焦げてしまうにちがいない電撃の水しぶきを散布していた。
pppppとその哀れな歌唱隊たちはこんな天気でも歌の練習をしていた。雨に負けじと半ば命を諦めたやけくそ気味の絶叫が校庭を寄る辺なくただよういかだの上から聞こえてきた。
古城のなかではあちこちの壁から水が漏れ、部屋が自分の身長を超える水位に達したとビート板をかついで廊下を走る学生もいた。
凶悪な風は窓のわずかな瑕疵すら見逃そうとはせず、少しの傷もこじ開け、屋内も屋外も変わらないような混沌へと導いた。
皿、棚、植木鉢、シャンデリア、燭台、ろうそく、教科書、小人、妖精、ナイフ、フォーク、茶葉、冷凍肉、杖、供物、剣、ボール、斧、バスケット、鎌、鎧、太刀、パン、槍、毛糸、爆弾などが城のなかを風に急かされて飛びまわり、さらに被害を拡大させていった。
そのうち城の中ですら船を使わずには移動できない有様となった。
副学長の食事を届ける使命を負わされた職員たちは恨みがましい目を水面に向けつつも料理が満載されたカヌーをル・ゲがいる地下まで漕ぐのだった。
これでもまだ大竜巻はクィクヒールに到達してはいなかった。今はちょうど最も大学に近い街にいて、千の家を壊し、二千の住民を殺していた。
リーシュアは言われたとおり、研究室の留守を守り、決して扉を開かないようにしていた。
それさえ行えば、かけられた開かずの呪文が破られることはなく、それは邪悪な風とて例外ではないのだと教えられていた。
ロハノは屋上に立っていた。白衣はずぶ濡れで、髪はぐしゃぐしゃであったが、しっかりと目を見開き、幾万の瓦礫が飛ぶ南の方角を見据えていた。
大竜巻の発生はあまりにも急であるため、たとえ彼であろうと予測のしようはなかった。
わずかな大気の乱れが観測されたかと思いきや、もう殺戮の嵐が吹き荒れているのだった。
そのため準備が後手になってしまい、ようやくすべてを終えてここに立つまでにもたらされていた被害はどうすることもできなかった。
ロハノの手には<嵐断ちの大弓>が握られていた。
とっくに失われたとされるこれを見つけ出すため、ロハノは大竜巻が発生したと知らされた時から世界中をかけずりまわったその挙げ句、忘れられたある遺跡の最深部にこれを発見したのだった。
一応、守護者らしきものはいたが、あまりにも年老いていたため、ロハノがその存在に気づき驚いてあげたぎゃっという声でショックを起こし死んでしまった。
この弓には矢ではなく魔力をつがえる必要があり、それも膨大な量が必要だった。
しかし彼にとってはむしろこの弓を担ぐ筋力とスタミナの方こそが大問題なのであり、無限からいくら差し引いても一向差支えのないように、コストについては問題にしていなかった。
一瞬、すべての風や雨や雷が止まった。聞こえるのは歌唱隊のもはや悲鳴としか思えぬ歌のみだった。
ロハノは南の地平の空高く、原色の赤に紛れて浮かぶ、邪悪な「眼」を確かに見た。すかさず大弓を構え、その眼のど真ん中に狙いを定める。
ロハノの存在に気づいたのか、大竜巻の「眼」には雷の充血が走った。
尋常の生物ならばとうてい直視し得ないほどの邪念をまともにロハノへ叩きつけ、今一度、万象を塵と化してしまうあの風を巻き起こそうと体を膨らませた。
ロハノは目をそらさなかった。しかしあまりにも不気味で胸が悪くような光景であるため、これ以上は見ていたくないと思った。さっさと片を付けてしまおうと決心した。
「何見てんだ」
ロハノは悪態をつくと、曇天を射抜くような輝かんばかりの白い魔力の矢を、真っ直ぐに「眼」目掛けて放った。それはこの世の何者にも目視することの不可能な速度で、大竜巻とて例外ではなかった。
致命的な一矢を受けた大竜巻は、たちまち体を維持し続けることができなくなり、見るみるうちに形を崩していき、ついには雲散霧消した。
古城に戻ると、大竜巻の突然の消失に安心した教授たちが、先ほどまで恐慌していたことはすっかり忘れてしまったようで、ロハノを見つけ出すと難詰した。
「この大変な時にお前はどこへ行っていたのだ?」
「学生を放ったらかしにしていたのか?」
ロハノはそのような難詰にけろりとして答えた。
「てるてる坊主をこさえておりました」




