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1:首の宣告

 9人もの大観衆を前にした講義を終えてすぐ、教室の入口から小妖精がロハノの元へと飛んできた。青い小妖精だった。ロハノの顔も青くなった。

 

 小妖精はロハノの腕を軽く叩き、手を差し出して欲しいようだった。彼がそうすると、丸みを帯びた尻尾の先端で、手のひらをなぞって文字を描いた。


「い、ま、す、ぐ、こ、い……」


 小妖精は悪戯好きの種族ではあるものの、わざわざこうした方法を選んだのは、なにも茶目っ気のためのみではないのだった。


「また舌を抜かれたのかい」ロハノは一言も発しない小妖精を見て憤慨する。「ひどいことするよなあ」

 

 外見からでは男か女かわからず、しかしその声を聞けばすぐかわいらしい娘のそれであることに気づけるのだが、いまは心無い主人の折檻のため、声が出せないでいるにちがいなかった。


 ル・ゲ副学長は自分の使い魔に名前ひとつ与えようとせず、だからロハノも他の教職員も、この青い小妖精のことは青い小妖精としか呼ぶことができなかった。


 あの副学長の人非人ぶりは有名で、もちろん父親が神である半神だから、もともとまったくの人間でもないのだが、それにしたってひどすぎると誰しもがうんざりしていた。

 

 彼は自分の使い魔が少しでも気に障ることを言うたび、半神特有のきちがいじみた怪力で、そのいたいけな口から舌を引っこ抜いてしまうのだった。地獄でこいつこそが自分の舌を綱引きの綱にでも使われちまえと思うものは少なくない。


「でも心配しすぎないように。妖精というのは押しなべて自然回復の能力が高いから、たぶん明日になればもう新しい舌が生えてますよ」ロハノは慰め、しかしあの人はひどい、と改めて確信した。


 そのひどい人から彼は呼び出されたのだった。


 9人もの大観衆を後にして教室を出たロハノは、廊下を駆けまわるケンタウロスの学生や、階段の奇数段に花を植えようとするドリアードや、習ったばかりのスキルをところかまわずぶっ放す学生をくぐり抜けて校庭に出た。


 今年度新しく結成された歌唱隊がppppp教授の指導で、今日もわけのわからぬ歌唱に励んでいた。


「&$!#*::#S733○▲×▽???!!!!×○×%$#&×……先生。どうしてもこの歌を練習するんですか」途方に暮れた歌唱隊が泣き言を言った。


「今に必要になります」教授はそっけなく答えた。


 しばしば大迷宮に例えられる校舎の無限に分岐するルートを苦労してたどり、ロハノはお目当てというにはあまりにも気乗りのしない部屋の前に立った。気絶しないように深呼吸をしてからドアを叩く。


「入りなさい」


 不機嫌そうな声にロハノは震えた。おおかたカジノでスっちまったってところだろうか、負けるのは勝手だが、八つ当たりとして教職員を血祭りにあげるのはやめてもらいものだ、などと心中では思いながら顔にはおくびにも出さずロハノは部屋に入る。


「こちらロハノ。ただいま参上つかまつりました。いやあどうもどうも」


 ロハノの声にル・ゲ副学長は一層不機嫌そうになる。彼はロハノを嫌っており、そのことを隠そうともしないのだった。


 半神であるため、少なく見積もってもとっくに数千年は生きているはずであるが、未だに五歳児並みのかんしゃくを起こすことも少なくないのがロハノにはふしぎでしかたなかった。


 副学長に限ったことではないが、半神たちのそうした醜態を見るにつけ、年の功とやらはいよいよおとぎ話に思えてくるのだった。


「ロハノ君」


「はい」


「今年度でクビだ」


「はい」ロハノは反射的にうなずくも、しかし、ちょっと間を置いて問い返す。「はい?」


「悪いがな、申し訳ないがな、今年度でやめてもらうことになった」悪いとも申し訳ないとも思っていないことが明らかな口ぶりで副学長は繰り返した。


「納得できません。なぜですかなぜですかなぜですか」ロハノは副学長のどぎつい魔物じみた体臭を吸い込まずに済む限界の範囲まで詰め寄った。


「履修生が少ないからだ!」怒号でもってル・ゲはロハノを壁まで吹き飛ばした。半神の声はしばしば殺傷力を持つというのに、この大学にはそれを十分に自覚し気を配る半神の教授がほとんどいないのだった。


「少ない……?」ロハノは直前の講義を思い出す。9人。


「ま。そうですね。大観衆とまでは言えないかもしれませんが、少ないとも言い切れないのではないでしょうか。そもそも多い少ないというのは我々が勝手に世界に持ち込んだ曖昧かつ無根拠の基準でありましてね……」


「いーや絶対に少ないぞ。これを見てみろ!」副学長はロハノに今年度の履修登録の一覧表を突きつけた。ロハノは受け取ってじっくりと見る。


「それを見ればわかるだろう」副学長はせせら笑う。


「ええ。まあ。なんとなく」ロハノは紙の端についている油のしみを指差した。「昨日の夕食は焼肉かなにかですね」


「お前の講義が一番不人気だってことだ!!!」もう一度ロハノは壁際までぶっ飛ばされた。これはひょっとしたら労災が降りるのでなかろうかとふらつく頭で彼は思う。だがどうせ握りつぶされてしまうだろうと諦める。


 一覧表には今年度の開講科目、その担当教員、その履修生の数がずらりと縦に並んでいた。


 最も多いのは副学長自らが担当する「神々の武器について」であるが、これは唯一の必須科目なので当然だった。むしろ彼が自分の講義を全員に受けさせるため必須科目と定めたのではないかとロハノは疑っていた。


 ちなみにロハノが受け持つ「総合魔術論」はリストの一番下の下。欄外にあり、履修生は10。


「ダントツで最下位ですね。あははははは」


「これでクビが納得できたか? うん?」副学長が意地悪く尋ねる。「お前の講義は誰も求めちゃおらんのだ。需要皆無。意義不明。存続不可能。こんなものにこれ以上大学の貴重な予算を割くわけにはいかんのだ。わかるな?」


「予算」ロハノは目を白黒させた。「あの。でも。わたしが頂いている予算は全体のほんのわずかで。ゴブリンの脳みそより少なくて。どちらかというと予算のほとんどは一部の教員の不可解な」


「あー! うるさいうるさい。黙れ! 一教授ごときが大学運営に口を挟むな!」凄まじい大声で副学長が遮った。


「しかし。わたしがいなくなると」ロハノは中空に視線をさまよわせた。「魔法を教える人が誰もいなくなります」


「おー、そうだな」副学長はのんきそうに言った。


「いいのですか」


「『いいのですか』。ふん。いいんだ」副学長は鼻で笑う。


「もう誰もウォーロックになんぞなりたがらん。募集するギルドもめっきり減ったしな。わたしに言わせれば、もっと早く皆気づくべきだったと思うがな、魔法が無価値であると……そうは思わんか?」


「思いません」ロハノはきっぱりと言った。しかし副学長は聞いていないようだった。


「致命的な威力不足、耐性を持つ魔物の多さ、魔力なしには何もできず、雑魚戦じゃもっぱらパーティーのお荷物。おまけに大物相手でも、仲間への誤爆に気をつけてみみっちく援護射撃に徹するしかない……」


 副学長は部屋を歩き回りながら彼が思う魔法の欠点を列挙し、いちいちロハノを見てはその反応を楽しもうとしていた。


 ル・ゲの下卑た喜びに加担してやることはないと、ロハノはただ黙って魂を抜かれた人形のように突っ立っていた。


 実際、敵として戦うと人形というのは割と頑丈で次々に呪いをかけてくる厄介な相手なのだが、魂を抜き出す術さえ心得ておけば、あっという間に無力化することが可能だった。


 今の彼もちょうど、そうして動かなくなった人形の恰好である。


「……マナを回復させるポーションはたいてい回復薬より高くつくし、詠唱のスキの大きさといったら論外だ。それにそれにそれにそれに……」


「あのう。いいですか」ロハノは大声をあげて副学長の言葉を遮った。「魔法が不人気だというのは、ええ、元々わかってます。ですが、()()()()のことはどうするのですか。わたしがいなくなったらだれが()()を」


「お前なんかがいなくとも、いくらでも代わりはおるわ」ル・ゲは吐き捨てるように言った。「石コロのお守りくらいででかい顔をするな」


「石コロ」あれほどのものを石コロと呼ばわる副学長の非常識に彼は深呼吸の甲斐なく卒倒しかかった。なぜわざわざ封印しているのかをさっぱり理解していないらしい。


「……あんまり馬鹿にできないものだと心得ておりますが」


「いや、いい。もういい。もういい」副学長は疲れたという様子で手を振った。


「ご苦労。もう帰っていいぞ。ま、せいぜい最終年度、頑張ってくれたまえ。はい。さようなら。ばいばい」


 ロハノは部屋を追い出された。途方に暮れて校庭まで帰り、ゆっくりと沈む日を見ていた。今日は太陽神の機嫌が悪いようで、太陽の色も赤が優勢だった。


 そうした夕日を見ていると、ロハノの内側にも怒りがこみ上げてきて、今さらながらはらわたが煮えくり返った。


 歴史に残る争いが始まった日も、たいてい夕日がこのような色に染まっていたのだった。天体が生物の感情に及ぼす影響は大きかった。


 懐から包丁を取り出し、人目もはばからず校庭の縁石で研ぎ始め、あの野郎め、見るがいい、失うもののない人間の恐ろしさを鮮血でもって思い知らせてやる、あははははははとロハノが大笑いをしていると声をかけられた。


「おいロハノ。何をしておるのじゃ」


 見た目はどう見てもティーンエイジにも関わらず180歳を自称する同僚の教授、メミョルポンだった。






 

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