第二話 長峰 禅二郎の語るところによれば。
「俺の前世は、日本という国のクズだった」
長峰 禅二郎は幼少期から常々こう語り、時折り常識では考えられないことを行った。
こんな逸話が残っている。
禅二郎が五歳の頃だ。
父の重兵衛に連れられて
そこで禅二郎は商人にある一つの玩具を売り払った。
厚紙を丸く切り抜いた駒を作り、その駒の片面を黒く塗り、そしてその駒の数と同じだけのマスを描いた盤を持って花札屋に出向くと、花札屋の店主に駒と盤を持ち込んでその玩具を買ってくれるように持ち掛けた。
「二目返しって遊びだ。これはいずれ世界中の人々が遊ぶ遊びになるから、できるだけ高く買ってくれ」
禅二郎は花札屋の店主を見つけるなり、玩具を片手にそう話を持ち掛けたそうだが、その花札屋の店主は、子供が持ち込んだ遊び道具という事で話を聞く耳を持たず、当時偶々花札屋に遊びに来ていた近所のタバコ屋の看板娘に禅二郎をあしらわせた。
当初は、単なる子供のあしらい目的で禅二郎とその遊びを遊んだそのタバコ屋の看板娘だったが、禅二郎の言い値の三十円を出して禅二郎からその玩具を買い取り、たばこと一緒に禅二郎の考案した玩具を店頭で売りだし、大きく売り上げたという。
当時の三十円と言えば、今の値段換算で六十万円になるだろう。それを女の身の上で言い値で買い取る度胸もなかなかのものだが、それ以上に拙い手つきで作った子供のおもちゃを、そんな値段で売りつける禅二郎はなかなか太いガキだったとも言える。
その娘の名を二階 房江といった。
後年、このことで房江は禅二郎のことをよくからかっていたが、そのたびにいつもは鷹揚な態度を取る禅二郎は申し訳なさそう身を縮こめると、
「あの時は、花札屋のおやじが無駄にデカい態度をとるものだから、腹立たしくてな。房江姉ちゃんが買うといったのも、俺をからかっていると思ってわざとデカいことを言ったんだ」
そう言って頬を掻いたという。
その際、お約束のようにこう付け足した。
「前世じゃ、リバーシって言ってな。暇つぶしの為の遊びだったんだ。こっちでも売れるかもと思ってみたんだが、予想以上に小遣いになったな。パクろうと思えば、誰でもパクれる思い付きだ。そもそも、こんなもん前世なんかなくてもいつか誰かが作ってたよ」
そんな禅二郎は、幼少期から多趣味で知られていたが、特に読書を好んだという。
剣術や柔術を学ぶ半面、数学や自然科学の本をよく読み、特に魔導科学に関連する書物は、余りにも読み漁りすぎて本の装丁が崩れてバラバラになってしまい、和綴じの様に自分でひもを通したという話が伝わっている。
また、論語や経典などの宗教的な本も好んで読み漁っており、後に漢学者であり僧侶でもある今井邦順などは、彼の意外なまでの博学ぶりと博識ぶりに舌を巻いたという。
そんな禅二郎は口癖のようによくこう言っていたという。
「俺が今世に生まれて後悔していることの一つは、金が無ければ何も知ることができないという事だ。俺の前世は、知りたいと望めば何でも知ることができた。
それこそ、地球の裏側で仔犬と子猫が喧嘩したことから、宇宙に空いた穴の形まで。それどころか、敵国の情勢から、世界の流行、下手すりゃ大学の講義だって一から十まで知ろうと思うだけでいくらでも知ることができたんだ。
そんなたわいないことの一つ一つが、この世じゃ金塊を積んでも知れるかどうかわからないと来たもんだ。今の内に知れることは何でも知っておきたいと思っている」
彼のこれ等の言動がどこまで本気であったのかは、余人には分らない。
ただ、禅二郎の言う「前世の俺はこうだった」という言葉は、常々彼の口から出ては、彼の人生における重要な時期に、重大な役割を果たしていた事だけは確かである。