公務
セジブナル国のお城ーー即ち今回の公務の目的地に着く頃には日も沈み、辺りは薄暗くなっていた。観光を楽しみ過ぎてしまったみたい。お城に到着後すぐにセジブナル国王達の所へ赴き、招待を感謝する旨を伝え自室へと案内された私は、フットベンチに座って軽く息を吐いた。
しばらくフットベンチで待っていると、「ご案内します」と薄い微笑みをはりつけた執事のような人に声をかけられ、その背中に着いていくのであった。案内された所はもちろん、絢爛豪華な調度品ばかりで埋め尽くされており、なんだか申し訳ないような気までしてきた…いや、私も一応、一国の皇子としてきたからそれが普通なのかもしれないけど…。案内された部屋に入ってすぐに待ち構えていた侍女さんたち、その数は4人。それだけでもすごいが、部屋の奥に進むとすでに沸いているお風呂まである。その近くにはバスローブから始まり、アメニティーグッズの品揃えの良さ…さらに極めつけはベットの上には花びらが散りばめられていた…。と、とにかくすごく歓迎されている。きっと旅の疲れを癒してほしいという向こうの温かい思いやりからなのだろうけど…こちらも事情が事情なのだ。そんな先方の気持ちを無下にしてしまうのもよく分かるし、それは本当に申し訳ないけれどやはりこの"変装"を解くことはできない。…なにせ1度解いてナルーシェに戻ってしまうとまた1から全てやり直しだから。それにサナリアがいない。そんな中で湯に浸かることはしないというか…できないのだ。もし何か手違いで着替えなんかを見せてしまったらそれこそ、国を巻き込んだ大事件になってしまう。とにかくのところ、「ゆっくりしたいから」と私に宛がわれた侍女さん達が指命されているであろう私の世話をやんわりお断りしその代わりに、リュンとシュタ達を同室にしてもらうのだった。
「うわあ~なんだよ風呂まで沸いてるぜ、しかもでっけぇ!」
「リュン、長旅だっただろう。甘えてもいいぞ」
「本当に?ありがとうございます!ニルギーシェ様!」
「いや、いいんだ。シュタはどうする?」
「大丈夫です。ニルギーシェ様を一人にするわけには行けませんので、こちらでご一緒させてください」
「んじゃあ、一緒にお茶でもするか。俺が直々にいれてやろう」
「感謝いたします。」
「じゃあっ俺はお風呂~!」
リュンをお風呂へ見送り、その足であらかじめ用意をされていたティーポットの細い取っ手を手に取り茶葉を浮かせ、ティーカップに注ぐ。注がれた茶色いお茶はすこし赤っぽくもみえて透き通る水面には私の姿が1部映っていた。私だってお茶くらい淹れられるのに少しでもカチッと食器の当たる音がすれば心配して手伝おうと近寄って来るシュタを何とかとどまらせる。…そんなに私が心配なのかと思うけど。まあきっと彼の中の私は腰元まで届いていなかった時の私なのかもしれない。…紅茶くらい入れられるけどね!
「はい、完成。…なんだその顔は」
「…ニルギーシェ様、その…お怪我とかは…」
「ない」
「それじゃあ、毒などは…いや…見た目は普通の紅茶…」
「…シュタァ…おまえなあ?」
「すみません。まさかニルギーシェ様がこんなことをしてくださるとは…いやはや…これはひと波乱…」
「…起きませんが?…お茶はいいんだよ、それよりも今後の流れを話したい」
「…は、はい…流れッ…そうですね。」
私を小馬鹿にしていたシュタも、今後のことを話すと言えば空気感も変わる。私たちはここに遊びにきた訳ではないのだから。頭に入れなきゃ行けないことはたくさんある。会場のつくり、敵対国の有無、友好国の長への挨拶…本当ならば頭に叩き込んでからの出発が普通だけど期間が足りずまたうろ覚えの所もある、それをいまの時間で完璧にしないといけないのだ。
「今回の公務はおそらく、セジブナル国第一皇子、ならびに皇女様のお相手探しとでも言いましょうか?そちらを探すための会と言っても過言ではないと思われます」
「そうだな。そういう時期だしな」
「友好国として呼ばれたからにはご挨拶は避けては通れないかと」
「…この顔は社交界では得が多い。あまり余計なことをしないようにしないといけないな」
「それが一番でございます。まあ、私も近くにおりますが…」
「ああ、よろしく頼むぞ。」
「かしこまりました」
どうなるかは分からないが、今回の成すべきことはパーティへの参加でしかない、お兄様も私も恐らく恋愛結婚なんてことはないと思うからこそ、どう転がってもいいように私は外面のニルギーシェすればいい。…憂鬱だ。憂鬱。
少し冷めてしまった紅茶をすすってため息をついた。
◇◇◇
大きな扉をドアマンに開けてもらうと一気に視線が私に降り注ぐ適当な飲み物をシュタが受け取った後にシュタからそれを私が受け取る。後ろには剣を腰に提げたリュンが立っている。天井からは大きなシャンデリアが3つほど下がっていて会場の大きさを物語っている。奥に歩く度に私のことについて話す声が聞こえる。
「はぁ、だから嫌なんだ」
「ニルギーシェ様」
分かってるってば、と声には出さず返事の代わりにまたため息をついて足を止める。少し一息ついてから挨拶まわりに行こうと留まっていると小鳥の囀ずりのような高い声が私を呼ぶ。その声の方へと体を向けると、髪の毛をふわりと揺らした女性が此方に向かってきていた。
「ニルギーシェ様、ごきげんよう」
「ああ、ヤハニャ様じゃないですか。今日も素敵なお召し物を召されておりますね」
「そ、そうでしょうか?…ニルギーシェ様にそう言っていただけると嬉しいですわ」
「そんなご謙遜を…」
「ニルギーシェ様!」
「ああっ、…呼ばれてしまいましたね、それではまた」
「ああっ…」
もっと話したいという意味か媚びを売りたいと言うことかわからないけど寂しそうな声をあげた一国の令嬢ヤハニャ様をよそに私は呼んだ方へ振り返った。その後も私を呼ぶ声は止まない。話しては離れ、離れては新しい人と話す、それが大分つづく、だがそれに比例して疲れも溜まっていることは否定は出来なかった。休める所々でため息をついていると、状況を見計らってシュタが私を人目につかないところに誘導してくれる。それが唯一の救いだ。それだけではない、私の護衛の為にいてくれるリュンも休んでる私を外野に見られないように壁となり隠してくれているため、この瞬間だけは私が私でいられるのだ。
「……はあ……ごめんね。」
「大丈夫ですか?お飲み物は普通の物をお持ちしています」
「あぁ。……助かる。ありがとな」
「いやあ、ニルギーシェ様も大変だな」
「うん。まあね。リュンも壁になってくれてありがとう」
「いいえ~。」
「はぁ…。さっさと挨拶を済ませて帰ろう。疲れるし、胸は苦しいし…」
「苦しくなるほど絞めるものはないと思いますけど」
「おいシュタ、帰ったら覚えてろよ」
「…どうでしょうかねぇ?」
「はぁぁ…!こんな時にもかよ…本当仲いいよな~お前ら」
「…………もう少しニルギーシェ様のおふざけに付き合っていたいとろですが、そうもいかないようです」
「お!ふざけぇ!?…………ああ。登場の様だな」
「ああ、今回の主役のご登場ってことねぇ~」
「そう。私をこのパーティに招待したセジブナル国王のご子息のお二人、ガナッシュ皇子とベルネット皇女ね」
口を付けていたグラスをシュタに預け、肩を軽く回す。はあっと大きく息をついて歩きだした。本来の目的にたどり着いたというわけだ。もはやこれはボス戦と言える。王様宛でなくお兄様に手紙が直々に届いたと言うことは結局のところ兄をそういう対象、ようは婚約者として前向きに考えているということなのはよく分かる。普通のパーティならば王を招待するはずなのであるから…兄へ直々ということは、そう言うことなのだ。本当ならばお兄様が来るべきはず、このまま婚期を逃してしまえばいいとさえ思ってるわ。とはいっても単なるパーティだったら行きたいとも思わない城でシュタ達と過ごす方が何倍も楽しい。けれども、ここで関係を崩してしまうのはバストレール国にも大きく関わる話だからこそ、話は進めず、関係性は続ける。それが私の仕事である。私は、ニルギーシェ。そう私はニルギーシェなのだ。
「ベルネット皇女、お久しぶりです」
「ニニニ、ニルギーシェ様ッ!あの、えっとお久しぶりで、ございます」
「はははっ、相変わらず素敵ですね。ベルネット皇女」
「あっ、え……こ、光栄です……」
「よぉ~~!ニルギーシェ!」
「ああっ、ガナッシュさんもお久しぶりです。ははっ変わらない」
「そういうお前こそ、変わらないじゃないか!」
海の男を象徴する焼けた肌と、大きな背丈に身体の方々を纏う筋肉。その風貌はこのパーティ会場でも一際は目立っていた。私なんか片手で持ち上げられてしまうんだろうなと思えるガナッシュ皇子の強靭な肉体は私でも少し惚れ惚れしてしまうところがある。性格もとても朗らかで情にあつく、正義感強いお方だ。一方の、ベルネット皇女はガナッシュ皇子とは全く正反対の性格をしている。余り自己主張を得意としないのかいつも吃りながら話しているイメージが強い。それに飾り気のないドレスに自然な髪は先程挨拶をしていた女性達とは違い、顔の両サイドに緩く編み込まれていた。そしてベルネット皇女の特徴と言えばあの顔を隠すような大きな丸眼鏡ってところだろうか。どちらにせよ、両極端な彼らが私の"会わなければならない"二人であった。
「ニルギーシェ、今日は妹君は来てないのか?」
「ああ、今日は不在ですね」
「なんだ?身体を壊したりはしてないか?手紙に書いておいただろう、久しぶりに」
「手紙に書いてッ!?………あ、あぁ、妹は少し空咳がでてしまって…お二人に会えず残念がっていたよ」
「そうか…なら仕方ないな」
あんのバカ兄貴!!!手紙に私の名前が書いてあることなんて一言も言ってなかったぞ!突然のとんできた私への言葉に思わず嘘をついてしまったじゃないか。……もう、本当に!いつもそうだ、お兄様は大事なことを私に相談してくれないし見切り発進で物事を始めようとするからその尻拭いをさせられる。
「ベルネットももう少し話したらどうだ」
「ひぃっ!……あの、」
「ははは、ゆっくりでいいですよ。ちゃんと待ってますから」
眼鏡の奥で視線をゆらゆらと揺らしながら何かを話そうとしているベルネット皇女をに微笑みながら待ってると遠くの方からカツカツとヒールの音を鳴らしながらこちらに向かってくる足音。
「あの……ニ、ニルギーシェさ……っ」
「ごきげんよう!ニルギーシェ様ぁ!あの宜しければ、そんな娘おいておいて彼方でお話しいたしませんこと?」
「なっ……!」
ハイヒールを鳴らし私に近付いてきた女は何を考えたか、このパーティの主催者であるセジブナル国のお二人のうちの一人に放っておけなんて言ったのだ。確かに、あまりベルネット皇女はあまり前にでるタイプではないが、主催者だ主催者。この人は命知らずなのか。
「すみません、お言葉は嬉しいのですが、今はこの方とお話しておりますので」
「そんなあ!その娘、ガナッシュ様とお話しされているじゃないですかあ」
「おい、」
「お、にい……やめて……!……あのニルギーシェ様行っていいです……」
「ほらぁ!この娘もそう言ってるし、行きましょう。……大体、格好のつかない身なりの子、ニルギーシェ様には相応しくないです」
そんな…。物事には言って良いことと悪いことがある。下を向いているベルネット皇女の表情はみえない。わざと傷つけるようなあの礼儀知らずの女のやり方はこういう社交界にはありがちな牽制手段だが私は好きではない、むしろ心の奥底に沸き上がるイライラを感じていた。
「ニルギーシェ様、ここは落ち着いて」
さすがというところだろうか、私の性格を知っているシュタは私を落ち着かせようと声をかける。
「大丈夫だシュタ。…お言葉ですが、彼女は素敵ですよ。自分の美しさを理解し、それを生かしたドレスアップ。細かな刺繍が素敵じゃないですか。…それにあの大きな丸眼鏡の奥……その下にどんな瞳が揺れているのか気になるではないか。私も男の様だな」
「ニルギーシェ様っ……」
「ということだから、今は邪魔をしないでくれるかな?……素直で真っ直ぐな彼女といたいんだ」
「な、っ……!!ニルギーシェ様」
「ベルネット皇女、行きましょう。ああ、もちろんガナッシュ皇子も」
「あ、ああ。」
沸き上がるイライラを押さえつけ私に話しかけてきたあの礼儀知らずにそう伝えると、その女は私に無下に扱われたということが周りに見られたことが恥ずかしいのか顔を赤くして目をつり上げながらいなくなってしまったのだった。
「ニルギーシェ、我が妹のためにありがとう」
「いえいえ、素敵な方を蔑むことは好みませんから。」
「…………」
「なあ…ニルギーシェ、いま思いついたんだが、我が妹を娶ってはくれぬか」
「お、お兄様!!?」
「そしてナルーシェ皇女は俺が娶る!」
「はぃ!?……失礼。ガナッシュ皇子、私がベルネット皇女を、我が妹をガナッシュ皇子がと言うことですか……はははは!ガナッシュ皇子は面白いお方だ」
「冗談ではないぞ?」
「ははは、そうですね。でもナルーシェがどういうか…なあ?シュタ」
「左様でございますね。ナルーシェ様はああ見えてじゃじゃ馬ですからね」
「………………だそうだ。」
「ははは、それも楽しみじゃないか。女に振り回されるのも悪くないと俺は思うからな」
「ははは、ご冗談を」
娶る、娶らないとかなにを突然思い付いたのかガナッシュ皇子は…。…さっきから私が口説かれているような気がして内心、心が早く鼓動が打っていた。ただそれは誰にもばれていなそうで安心した。はぁ…分かってはいたけど、もうそんな事を考えさせられる歳になったのか。シュタに片手を見せるとすぐに私の考えていることを当て、グラスを持ってきてくれる。ノンアルコールシャンパンだろうか舌がピリピリと痛んだ。その後、デリケートな話になることもなくセジブナル国の伝統な魚料理の話やらを談笑していた時、セジブナル国、国王付きのバッチを付けた使用人たちが私たちを探し声を荒げているのが耳につき、急いでそちらまで向かう。
「騒ぐなっ、どうした」
「ニルギーシェ様!帰国命令です」
「なに!?…シュタ聞いているか?」
「申し訳ありません!私には何も」
「勅命は、ナルーシェ様でございます。お早めにお帰りくださいませ!!」
「ナルーシェだと…?…シュタ、リュン、すぐ戻るぞ。リュン、悪いがよろしく頼む」
「畏まりました」
「…お二方、ご無礼をお許しください。」
「俺達はいい。早く戻れ」
「……またお会いしましょう、ニルギーシェ様」
「ええ。」
そう言って、ガナッシュ皇子とベルネット皇女に会釈をしてすぐに会場をでる。セジブナル国王から借りていた部屋の荷物の整理はいつのまにかいなくなっていたシュタが予め終えてくれたらしい。ナルーシェという私の名前を使い勅命まで使って戻れという指示をだしたということはバストレールに何があったのだろうか。小走りで馬車に乗り込み馬車の中の窓にたて肘を着きながら、月を見上げる。小さい月だ。まるで、私たちが大きく感じるほど。
「はぁ…」
「ナルーシェ、落ち着つけ。今は休んでいろ」
「うん…ありがとうシュタ。……はぁ」
「どうしたんだよ」
「実は嫌な予感がしてたの」
「嫌な予感?」
「そう。セジブナルに行く前にね…」
来るときよりも早く動く馬車の中でふと思い出す。…あの時…セジブナル国に出発する前、心のどこかで感じていた嫌な予感があったと。なんでこんな時に思い出すのか…あの時の予感が予感では無くなってしまう気がしていた。
大分期間が空いてしまいましたが、見てくださっている方が一定数いらっしゃるようで嬉しいです。まだまだ続きますのでお時間があるときにお読みくださいね。
王子と皇子の表記、修正していきますのでスルーしてやってください。