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文化祭が近づくにつれ、文化祭実行委員の二人は放課後の時間を使って、準備をすることが多くなっていた。教室の飾り付けやモノマネ大会の特設ステージの設置など、準備することは山ほどあった。二人だけではとても準備が捗らないので、時間の持て余しているクラスの連中が何人か協力した。
俊にとっては面倒なことだったが、嬉しいことだった。桜庭と率先して共同作業をする時間がなによりも楽しかった。たわいない話をして笑って時間を過ごしたり、共同作業で一緒に汗を流したり、俊にとっては最高の時間だ。
しかし、桜庭には部活があった。彼女が部活に行っているとき、俊はいつも物足りなさを感じてしまう。桜庭がいてこそ、文化祭の準備の遣り甲斐があると感じていた。だがそんなときでも、俊は腐ることなく率先して準備に励んだ。
クラスの連中はいつも手伝ってくれるというわけではなかった。俊と桜庭の二人だけという日も、何日かあった。そのときは、俊はいつも以上に準備に励んでいた。
文化祭を数日後に控えたある日、俊と桜庭が二人だけで準備をしているときだった。学習室は本番に向け、だいぶと準備が整ってきていた。壁は色紙などで飾りつけが施されており、机や椅子などは必要な数だけを残し、ほかは既に別の教室に移してある。
さらにモノマネ大会の優勝者への商品として、担任教師が用意した豪華商品も既に用意されていた。豪華と言えるのかどうか、微妙なものなのだが。
高根が胸を張って豪華商品と言ったのが、カップラーメン三十個だ。段ボール箱二つ分に詰め込まれている。その段ボール箱は、モノマネ大会専用に用意された特設ステージの隣に二つ積まれている。
準備を始めてだいぶ時間が経っていたので、今日は誰も来ることはないだろうと俊は思っていた。が、その思いを打ち砕くように、勢いよく学習室の扉が開けられた。
教室に入ってきたのは、春樹と藤崎だった。珍しい顔ぶれだった。
藤崎も桜庭と同じくバレー部に所属しているが、身長は桜庭ほど高くない。それでも女子生徒の中では比較的高いほうになるだろう。肩にかかるくらいの髪をポニーテールにし、ほっそりとした身体をしている。
この二人は部活が忙しかったということもあり、滅多に準備の手伝いに来なかった。それなのに今日に限っては、二人揃って顔を出したのだ。
「結構進んでるようだな」
春樹が教室をぐるりと見回して言った。
「なんでここに?」
俊が尋ねた。
「麻由に呼ばれたんだよ。今日はバレー部も部活ないからね」
藤崎が答えた。
「桜庭が……」
「手伝ってもらおうと思ってね。それで千春と織田くんを呼んだの」
「そういうことだ」
にっと笑みを浮かべた春樹は、俊のほうに歩み寄った。そして俊に顔を近づけると、
「悪いね、二人だけの時間を邪魔して」
と彼女たちに聞こえないように、声を押し殺してからかうような口調で言った。
「別に……」
俊は素っ気無く返した。正直なところ、二人が来て残念だという思いはあった。それを顔に出さないように装うとしたが、無理だったようだ。
「そうむっとするなって。情報仕入れてきてやったから、教えてやるよ」
「情報?」
「俊にとっては朗報とは言えないけどな。知りたいか?」
俊は少し考えた末に頷いた。
「じゃ、外で話そう」
俊と春樹は彼女たちを教室に残し、廊下に出た。どうやら彼女たちに聞かれてはまずい話らしく、春樹は学習室から離れるように廊下を歩き出した。俊はその後をついていった。しばらく歩いたところで春樹は足を止めた。
「で、情報ってなに?」
「桜庭に関わることだ」
春樹は窓の外に目を向け言った。
「桜庭に関わること?」
俊は繰り返した。一体、桜庭に関わることとで自分に悪い情報とはなんだろうか、と思考を巡らせてみたが思い当たる節は一つしかなかった。
「実は、瓜生も桜庭のことが好きらしいんだ。で、あいつはそのうち桜庭に告白するかもしれない。本人が言っていたから確かだ」
「ふうん、情報ってそれだけか」
「それだけ……って」
春樹は俊のほうに顔を向け睨んだ。
「このままで本当にいいのか。俊が告白しなければ、桜庭は瓜生と付き合うことになるかもしれない。後から後悔したって遅いんだぞ」
春樹の語気は強かった。
俊はそれでもいいかもしれないと思った。もし、桜庭が誰かと付き合うようなことになれば、彼女をきっぱり諦めることができるかもしれない。どうせいつかは捨てなければならない感情なのだ。そのきっかけが必要だった。
「付き合うかどうかは桜庭が決めることだろ。多分それはないと思うけど」
「どうして?」
「桜庭には好きな人がいるようだし」
「好きな人って誰?」
「さあ、わからない。でも、遠くはなくて、すごく近い人だって言ってたけど……」
春樹はため息をつき、呆れた顔で俊の顔を見た。
「それってさ、俊のことなんじゃないの?」
「えっ!」
春樹の思わぬ言葉に、俊は目を見張った。一方的な片想いで、桜庭が自分に好意を持つなど少し期待しただけで、それも即座に否定した。いや、そう思いたくなかっただけなのかもしれない、と冷静に分析してみた。
恋愛感情はいずれ捨て去らなければならない感情、と考えると一方的な片想いだと思い込んでいたほうがよっぽど安全だ。両想いかもしれないと期待を膨らませてしまえば、恋愛感情を捨て去る覚悟ができなくなってしまう恐れがある。それを避けるため、両想いという可能性は拭い去ることにした。
それに両想いだとしたら、お互いが傷つく結果となってしまうだけだ。叶わぬ恋なんて、恋することさえ禁じ手なのだが、片想いならばまだ傷も浅くてすむ。自分自身の問題で、決着をつけるのも自分次第だ。
遠くはなくて、すごく近い存知の人――言葉だけを当てはめてみると、そうかもしれないと俊は思った。だがそんなことはない、とすぐに自分の中で否定した。肯定してしまえば、引き返すことができなくなってしまうかもしれない。
「告白するかどうかは俊の自由だから、これ以上は言わない。悪かったな」
春樹はため息混じりに言った。
二人は無言のまま学習室へと戻った。学習室の扉からは、彼女たちの談笑が漏れていた。
教室に入ると、既に仕上がった看板が俊の目に飛び込んできた。先ほどまでは何も書かれていなかった看板だったが、二人が話をしている間に出来上がったようだ。綺麗なポップ体の字で『ユトリとワライの空間』と書かれていた。その周りには、色紙で折られた花で綺麗に装飾が施されていた。
「そういえば、メイド服のほうはどうなってるの?」
ふと思い出したというような顔で、桜庭が春樹に訊いた。
「それなら大丈夫だ。ちゃんと人数分用意できている」
それを聞いて、桜庭は残念そうな顔をした。
「足りなかったら、あたしは着なくて済んだのに……」
桜庭はぽつりと呟いた。
桜庭もメイド服を着ることになっているのだ。最初は嫌だと否定していたのだが、藤崎に文化祭実行委員なのだから、と推されて渋々着ることになった。それはクラスの男子にとっては嬉しいことに違いない。誰もが彼女のメイド姿を見てみたいと思っているだろう。もちろん、俊も例外ではない。桜庭のメイド姿を拝めると思うと心が弾んだ。
「残念だったな。桜庭のメイド姿を、男子の誰もが期待しているんじゃないかな」
にやにやとした顔つきで春樹が言った。桜庭は小さくため息をついた。
「私のメイド姿には期待してないわけ」
藤崎もメイド姿で接客を任されている一人だ。
「桜庭に比べたら、足許にも及ばないだろ」
「ひっどーい」
藤崎はむっと頬を膨らませた。
「うそだよ。千春のメイド姿にも期待してるって」
春樹はにっこりと笑った。藤崎は少し頬を赤らめ、うつむき加減で、
「本当に?」
と確認するように言った。
「ああ、俺はな。だけど、クラスの連中はどう思っているか知らないけど」
桜庭はそんな二人のやり取りを楽しむように、表情を緩ませ眺めていた。このとき、俊は二人の間に確信めいたものを感じた。
その後の準備のほうは、春樹と藤崎の手伝いのおかげで、だいぶと仕上がった。二人の手伝いがなければ、間に合わなかったかもしれないなと俊は思った。
四人が学校を出た頃にはすっかり陽が落ちていた。十月中旬の夜ともなれば、だいぶと気温も下がり肌寒くなっていた。