変調の兆し
ここぞとばかりに着飾った令嬢たちから大量のハートアタックを受けながら、どことなく逃げ腰の氷の皇帝。ユフィリアさんの視線の先にあるのは、間違いなくそのゼノ様だ。
「ユフィリアさん……、ゼノ様が好きなんですか? 」
「――っ 」
試しに口にしてみれば、ユフィリアさんは黙って俯いた。けれど、彼女の頬が薄紅色に染まっているのが、何よりも証拠だ。
これが、商会のためなら手段を選ばない「ザ・仕事命」のユフィリアさん? きゅっと眉を引き寄せ、切なげに唇を引き結ぶ彼女の姿に衝撃を受けながらも、私は頭の片隅で納得をしていた。
ユフィの相手をするのは俺の役目だったと、ゼノ様も言っていたではないか。
執務室ですこし話しただけでも、ゼノ様がユフィリアさんのことを気にかけ、大事にしてきたのがよくわかった。そんなゼノ様に、心を許すようになるのは当然だ。
なんて、なんて胸がきゅんと鳴る二人だろう。
「今みたいに、もっと素直になればいいのに」
「え? 」
自分のアレコレを思い返せば、私が威張っていえる義理はまったくない。それでも、とろりとした目を向けるユフィリアさんに、私は向き直った。
「ゼノ様も、ユフィリアさんはいつも自分のことは二の次だっていっていました。そんなところが、心配だとも」
「あの方は、また勝手にそんなことを……」
「勝手じゃありません。図星じゃないですか! 本当に好きな人がいるのに、家のために婚約者を選ぶなんて」
そう指摘すると、ユフィリアさんの目が泳いだ。
「――ええ、そうです。けど、それが何になりますの? 血縁といえど、あの方は王族。住む世界が違いますの。どうせ届かない想いならば、囚われるだけ時間の無駄ですの」
辛辣な口調だけに、却って軋む心の痛みが伝わってくる。
ユフィリアさんは、本当にゼノ様が好きなんだ。いくら鉄仮面で気持を押し込めていたって、完全に捨て去ることなどできないくらいに。
「――っ! 」
ユフィリアさんを倣って、細いグラスに揺れる琥珀色の液体を、くいっと全て飲み干した。口から鼻にかけてふわりと花の香りが広がり、ほのかな甘さが心地よく体を潤す。
目を丸くするユフィリアさんに、タンッとグラスを置いて私は身を乗り出した。
「届けようともせず、届かないと決めつけているのは、ユフィリアさんです! 」
「それは、あの方が王族だから……」
「それだけで捨てられる気持だったら、とっくに消えています。だけど、そうじゃない。どんなに目を逸らしても諦められないなら、それは本物ということでしょう? 」
利発そうなきりりとした目元が、今は不安げに揺れている。その背中を押したくて、私は彼女の瞳を懸命に見つめた。
きっと、私とユフィリアさんは似ている。そりゃあ、類まれない才気を持つ『やり手のお嬢様』と自分が同じというのは、ちょっぴり厚かましいかもしれない。
けど、私たちは同じように欲張りなんだ。受け継いでいきたい仕事があって、歩んでいきたい未来があった、おまけに一緒に生きていきたい人がいる。全部が大切で、全部を捨てることができない。
「お商売と同じですよ」にこりと笑って言えば、ユフィリアさんの目が大きく開かれた。
「心から手に入れたいものがあるなら、知略を尽くして、商機を待って、そうやって手を伸ばすんです。アーカード商会のお嬢様に、それが出来ないとは言わせませんよ? 」
「……これは、一本とられましたの」
ユフィリアさんはゆっくりと瞬きをしてから、ふっと肩の力を抜いた。次に顔を上げたとき、長年よどんでいたが落ちたように晴れやかな表情をしていた。
「わかりました。見習ってみますの。ミア様、あなたを」
「本当ですか! 」
うれしくて、声が上ずる。すると、ユフィリアさんは照れ臭そうに眉を下げた。
「しかし、困りましたの。恋の分野において、わたくしは新参者。なにから手を出せばよいのやら……」
「それなら、私が相談役になります」
とんと胸をたたいて、私は微笑んだ。――うん、あんたじゃ頼りにならないでしょ、とアンナの突っ込みが頭に浮かぶようだ。けどけど、力になりたいんだもの。
「目標は少々大きいですが、一緒にがんばりましょう」
「――はい! 」
差し出した手を、白い綺麗な手で握られたその時。
慌ただしく扉が開かれ、管弦楽団は音楽を奏でる手を止め、踊っていた人も会話を楽しんでいた人も中断して何事かと扉を見つめた。もちろん、私たちもだ。
音を立てた張本人の騎士は、軽く目礼をしてからつかつかと歩みをすすめ、まっすぐにゼノ様のところに行った。目を凝らして、その騎士がディートハルトさんだと気づいた。
何か起きたんだろうか。ディートハルトさんに耳打ちされたゼノ様が、切れ長の瞳を鋭く窓の外へ走らせる。素早く集まったほかの王子たちも、話を聞くうちにどんどん表情が険しくなっていく。
王子たちの様子に集まった人々の間にも不安が浮かぶ中、柔らかな金髪を揺らして第一王子が代表して一歩踏み出して手を掲げた。しんと静まりかえる中、毅然とした声が会場の空気を震わせた。
「お集まりの皆さま方。現在、城郭外でモンスターの異常発生が確認されています。これより王宮騎士団が事態に当たりますが、住民の避難のため、王宮も非情対応として門を開きます。お集まりの皆さまも、事態が落ち着くまでこちらでお待ち願います」
あちこちで息をのむ音がして、女性たちが不安そうに連れの男性の顔を見たりした。そんな客人たちに、第一王子は優雅に礼をした。
「ご心配なさらぬよう。我が国が誇る軍師がここにおります。優秀な弟が、モンスターなど蹴散らしてみせましょう」
「お任せを。では兄上、俺はこれで」
第一王子の美しい所作に安堵の空気が流れる中、ゼノ様はマントを翻し、ディートハルトさんを従えて大扉を出ていった。その後を追いかけて、大柄の体も扉を通っていく。あれは、アーサーさんの背中だ。
「ミア」後ろから肩を引かれ、振り返ると厳しい表情をしたリゲルがいた。「モンスターが相手なら、俺たちエーアガイツ団も後に続く。お前は、ここで大人しくしていろよ」
言っているそばから、他のエーアガイツ団の面々が扉を抜け出していくのが見えた。王立ギルドという立場であり、しかもモンスター相手となれば、エーアガイツ団が動くのは自然なことだ。それでも、きゅっと胸が痛くなる。
「わかった。気をつけてね。……けど、武器は? 」
「大丈夫。ちゃんと、全員持ってきているんだ。準備いいだろ? 」
安心させるように少しだけ笑ってから、リゲルはユフィリアさんに視線を移した。
「ユフィリア、こいつのこと頼んだぞ」
「言われるまでもありませんの。ミア様は、わたくしの大切なお友達ですから」
ユフィリアさんの言葉に、私たちの顔を交互に見て、一瞬リゲルが狐につままれたような顔をした。けれど、すぐに役目を思い出したように駆けだす。
「いいな! 絶対に、指示があるまで王宮から動くんじゃねーぞ! 」
「わかったってば! 」
走り去っていく背中に、私は両手を握りしめた。
戦いの火蓋は、まだ落とされてすらいない。




