魔のモノ
「ミア。起きるんだ、ミア。冒険者たちの出発だぞ」
まだ眠い……。きのう、いってらっしゃいしたから大丈夫だもん。
「だめだぞ。ちゃんと送り出してやらないと、さみしいだろう」
大げさだなぁ。すぐ帰ってくるって、みんないってたよ?
「そのために、見送るんだ。ちゃんと全員、無事に戻ってくるように」
「それだけは欠かしてはダメだぞ。覚えておくんだ、ミア」
☆ ☆ ☆
どれくらい、こうしていたのだろう。
手も足も冷え切った私は、なんとか重い体を起して息をついた。
リーベの花が、そよ風にふわふわと揺れる。エーアガイツ団は、そろそろ緩やかな登り道を終えた頃だろうか。まぶたの裏に、怒っているような、だけど悲しそうなリゲルの顔が浮かんだ。これが、彼にとって初めてのレグルス山への遠征だというのに。
「がっかり、させちゃった」
帰ろう。両手でぱんと頬を叩く。宿に戻ったら、母さんに謝らなくちゃ。そして部屋を綺麗にして、市場にいって食材を仕入れて、次の冒険者さんを迎えるんだ。大丈夫、いつも通りに過ごしていれば、戻ってきたハルさんとも、また話せるようになれる。
立ち上がった私は、そこで異変に気が付いた。
白い花の絨毯を、濃い霧が飲み込んでいく。瞬く間に霧に包まれ、自分がどこに立っているのかすら分からなくなってしまった。周囲の温度が一気に冷え切り、私は両腕を押さえ、身震いした。
さむい。こわい。
昔、父さんが言っていた。時期はずれの霧が出たときは、気をつけなさい。そういう時は、生命の息吹に誘われて、山の奥に住む魔物が降りているのだから。
ひときわ濃い霧の中から、それは音もなく現れた。ずるりとローブを引きづり、頭をすっぽりとフードで覆い、ひどく億劫そうに歩を進める魔物。口があると思しき暗い穴から、空気が抜けるような、かひゅっ、かひゅっとした音がした。
「なっ、なっ……」
それは、まっすぐに私を目指していた。決して早くはない、逃げようとすれば、振り切ることができそうな。それなのに、私は全身が震え、逃げることすらできなかった。
ヴァンデラー。山で死んだ生き物の肉体に宿る魔物。その体か朽ちるまでに、新たな身体を求めて彷徨い続け、獲物の魂を喰らい身体を奪うのだという。布のような物で覆われてはいるが、その下に潜む“身体”は限界なのか軋むような嫌な音がする。一歩一歩、体を引きずり、何かに焦がれるように、私へ近づいてくる。
逃げなくちゃ。分かっているのに、足が動かない。こいつに捕まった先に何があるのか、わかっているのに。ぽっかりと空いた暗い穴の向こうに、小さな目のようなものが光って見えた。喜んでいる。新しい身体に、久しぶりにありつく食事に。
「いや……っ。いやああああ」
「レグルスの神よ、力を貸せ!!!」
一陣の光が、霧を薙ぎ払った。まばゆい光の洪水に、ヴァンデラーの体がぐらりと傾く。輝くレイピアを構える、私を庇う背中は。
「リゲル?!」
「うぉおりゃあああああああ!!!!」
リゲルが振るったレイピアは、綺麗な弧を描き、ヴァンデラーを真っ二つにした。周囲に光が爆発した。純白の光はまるでリーベの花のようで、神々しく、美しい。ヴァンデラーは断末魔をあげると強い光の中で粉々に砕け、光が収まった時、そこには跡形もなくなっていた。
「リゲ……ル……?」
「怪我はねーか?!バカやろう、なんで逃げねーんだよ!!!」
痛いほどの力で肩を掴むのは、やはりリゲルだ。でも、リゲルはとっくに森の奥へ進んでいるはずだ。私の疑問に気づいたのか、リゲルは私に怪我がないのを確認すると、ことのあらましを教えてくれた。
「森の途中で、手負いのモンスターに出くわして、傷の感じからヴァンデラーの仕業ってわかったんだ。驚いたぜ。まさかと思って跡を辿ってきたら、本当に襲われてんだから」
「ミアちゃん!!!」
「ミア坊!!!リゲル、無事か?!」
「あれ?宿のおじょーちゃんじゃん」
リゲルによって霧が払われたおかげで、ハルさんとアーサーさんが木々の間から飛び出してきたのがすぐわかった。二人の焦った表情が、私を見てほっとするのが分かった。
その後ろからも、次々にエーアガイツ団の人が続く。
「おせえぞ、おっさん。見せてやりたかったぜ、俺の天才的な剣さばき!安心しろ、ミアはこの通り……って、なんで泣いてんだよ!」
「泣いてない」
「いや、泣いてるし」
「そんなことない」
涙が止まらなかった。それを見られたくなくて、手近にあったリゲルの肩に顔を埋めた。何やらエーアガイツ団の皆さんがざわついた気がしたが、気のせいだろう。
「ミア……?」
恥ずかしくて、情けなくて、私は顔を上げられなかった。ヴァンデラーは、通常山の奥に生息する魔物だ。Gラインの向こう側、死が隣り合わせの危険区域。冒険者が戦っているのは、そういう場所だ。それなのに、私ときたら。
「ど、どうしたんだよ。やっぱりどっか痛いのか?大丈夫か?」
「……ううん」
「あ、怖かったんだな!そーだよな、そりゃ怖かったよな!」
恐る恐るながら、落ち着かせようとするように、リゲルが背中をさすってくれる。
「ごめんなさい!!!」
思い切って顔を上げると、すぐ近くにリゲルの顔があった。戸惑いながら、心配そうに私を見守ってくれていた。急に目があって驚いたのか、その頬が少しだけ赤くなった。
「なんで謝んだよ」
「わたし、本当に失格だ。いじけて逃げ出して、あげく助けられて。冒険者が万全で戦えるよう、サポートするのが宿屋の役目なのに。ほんとに、ごめんなさい!!」
「それは……、もういいって。俺も、言いすぎたし。悪かった」
「でも」
「あー、もうしつこい!!」
急に、リゲルが私の頬を両手でぐいっとひっぱった。
「ふぁ、ふぁにふふの?!」
「これで終い!もう泣くな!お前に泣かれると、なんか調子狂う!!」
「翻訳すると、ミア坊が笑っている方が、元気が出るって意味だぞ」
いつの間にか近くにいたアーサーさんが、にやりと笑った。すかさず反論しようとするリゲルを片手で制すると、アーサーさんはずいと私の前に立った。
「リゲルだけじゃない。お前が元気でやってると思えば、俺たちも力が湧くんだ。だから、笑え。笑って手を振れ。それが看板娘の誇りだ」
アーサーさんの奥に、ずらりと並ぶエーアガイツ団の皆さんの姿が見えた。その中で、ハルさんと目があった。いつも通りの優しい瞳のハルさんに、私の胸がきゅっと痛む。私は、胸の前で手を握りしめた。
笑え。私は、ミザル・ブルクの看板娘だ。
口角はひきつってないだろうか。完璧に笑えているだろうか。
みんなに、届いているだろうか。
「いって、らっしゃい!」
自分が笑えていたか、自信はない。だけど、ギルドの皆さんは拳を掲げてくれた。
☆ ☆ ☆
「うーん、いい天気!!さぁて、やるぞー!」
すっかり春めいた日差しに大きく伸びをしてから、私は部屋の掃除に取り掛かった。 本日は雲一つない晴天で、レグルス山の上の方もうっすらとだけ見える。
あの後、アーサーさんに付き添われてミザルへ戻った私に、母さんはゲンコツを落とし、それから抱きしめてくれた。他の従業員さんに聞いたら、森に霧が出たと聞いて、ひどく心配していたのだという。母さんにも、申し訳ないことをしてしまった。変わりといってはなんだが、一層、私は宿の仕事に打ち込んでいた。
改めて、私は宿で働くのが好きだ。冒険者を迎え、送り出し、帰りを待つ。そこには、ドラマがある。彼ら冒険者と、私たち宿屋とのドラマが。
「ふふふーん、ふ、ふー……、おっと!」
机にぶつかったせいで傾いた花瓶を、すんでの所で受け止める。あぶない、あぶない。胸をなでおろし、そこにリーベの花をいける。
「ミアー!ミーア、下りといでー!そろそろだよ!」
「はーい、母さん!」
答えて、最後に振り返って部屋を確認する。ベッドメイクも、家具の配置も、空気の入替も完璧だ。後は、宿に人を迎え入れるだけ。
今日、エーアガイツ団が遠征から戻ってくる。
もう、すぐそこまで近づいていることだろう。
ほら、町の人の歓声が聞こえるもの。
「ミーア!!」
「はーい!いまいきまーす!」
ぱたん、と扉を閉じ、私は外に向かって駆け出した。
最高の笑顔で、「おかえり」と言うために。




