ハッピーエンドの、そのまえに
町を凍りつかせた冬の空が過ぎ去り、暖かな日差しがミザルの町を照らす。
ルルが町を去った、その後のこと――。
まず、ゼノ様はアマルノ国の緊張状態解体と、ルルを攫った首謀者のあぶり出しのため奔走し、ほどなくして驚くべき速さで達成していた。
そもそも、神話級のモンスターに手を出すという愚行を犯すほど、あちらの国の内情は混迷を極めており、叩けば埃が舞う状態だったという。そうした『埃』を交渉カードに並べて乗り込んだ若き天才軍師に、民を鑑みず勢力争いにかまけていた愚人たちが敵うわけもなかった。
と、これだけ聞くと、アマルノ国の主権が完全にこちらの国に移ってしまったかに見えるが、実状はそうではない。蓋をあけてみれば、両陣営とも争っていたのは取り巻きの悪臣ばかり。王太子は幼く実権を握るには時期尚早、王弟は賢明だが力が弱く、悪臣に担がれつつも戦争回避のために奔走していたというのだ。
結果として、ゼノ様は王弟とその仲間と手を組んでアマルノ国の膿をあぶり出し、政治の場から追いやった。容赦ない徹底ぶりは、アマルノ国がしばらく人手不足に陥るほどだったという。これが氷の皇帝……、とあちらの国は震えあがったのは余談だ。
ルルを攫うよう指示した主犯である、王太子派の大臣もここで捕えられた。近々、竜の子に手を出すという禁忌を犯した罪で裁かれることになっている。当然、実行犯まで明かにする必要があるが、母竜との誓いはこれで一応は果たされたことになるだろう。
で、誰が王の椅子に座ったかというと、意外なことに王太子が即位したという。王弟はというと摂政位に付き、幼い王太子に代わり政治の実権を握ることになった。まだ不安定ながらも、これでアマルノ国の未来は拓けただろうと、アレクからの手紙に記してあった。
そうそう、アレクたちボルガンだけど、アマルノ国に戻っている。しばらくの間は、形式上は亡命者として王都で保護されつつ、アマルノ国の内情をゼノ様やディートハルトさんに伝えて協力していたらしい。
けれど、王太子が王位に即位してすぐ、彼らは自国に戻ることを選択した。それもそのはず、アレクたちが雇主に背いてまで守ろうとしたのは、彼らの家族なのだから。
家族との再会を果たしたアレクからは、時々、私宛に手紙が来る。手紙によると、アレクたちは傭兵の仕事は休業し、それぞれの里で混乱後の立て直しのため町の人たちと協力して奮闘しているらしい。
おっと、忘れてはいけない。レグルス山についてだけれど。
ルルとお母さんが去ってすぐ、レグルス山の魔力異常が収束した。あの異常現象は、ルルを探して山に辿りついたお母さんの深い悲しみと怒りが魔力となり、山に作用したことで起ったという。とんでもない化け物だよ、とハルさんが肩を竦めて笑っていた。
だけど去り際に、お母さんはちゃんと山を元通りにしていってくれた。山だけじゃない。怪我をした冒険者も、傷ついた大地も、全部癒してくれた。だから、いつかルルとも再会できるかもしれない。私はそう信じている。
こうして、バラバラだった歯車が正しく回りはじめ、私たちは日常を取り戻した。穏やかな夏の日差し、青々とした木々の間を吹く風、光を反射する水面。何もかもが進み始める中、私たちは――。
時は少し遡る。
ルルとお母さんの姿が完全に見えなくなった直後に、リゲルが倒れた。
その時の私は、相当慌てていたと思う。力なく横たわるリゲルに縋りついたのをハルさんたちに宥められ、どうにか冷静さを取り戻した時、リゲルの体から傷が消えていることに気づいた。他の冒険者の怪我も、同様だった。
たぶん、ルルのお母さんのおかげだと、アーサーさんが言っていた。リゲルは特に怪我がひどかったから、傷が癒えても、体の方が休息を欲したのだろうとも。
あれからもう数日たつけれど、リゲルはまだ目を覚まさない。私は湯をはった盆を片手に、リゲルが眠るベッドの隣にかけて溜息をついた。
「そのうち、けろっと目を覚ますさ」とエーアガイツ団は口をそろえて言うけれど、あまりに穏やかな彼の寝顔に、却ってこのまま目を覚まさないのではと不安になる。
窓から柔らかな風が流れ込み、リゲルの前髪を優しく揺らした。夏らしい、青々とした木々の香りが鼻腔をくすぐる。それを感じながら、私は湯にタオルを浸して固く絞り、リゲルの体をそっと拭きはじめた。
額から首、肩の辺りと拭って、もう一度、タオルを絞る。次に腕を拭おうとした時、その細く筋肉質な腕に抱きしめられた感触が蘇り、私は赤面した。
――人の気も知らないで。
どこか場違いな怒りが湧いて、気持ちよさそうに眠るリゲルの顔を恨みがましく見てしまう。もちろん、拗ねても、むくれても意味がないのは分かっている。だけど、それと、私の心が穏便でいられるかは別問題だもの。
私の中でいつの間にか育っていたリゲルへの気持ち。それに一度気づいてしまってからは、もう無視することなどできない。今だって、こうして傍にいるだけで、どれほど自分が彼を好きか思い知らされる。
雪の夜、告白同然に口を滑らせた私を、リゲルは「人を振り回す女」と評した。だけど、それはこっちの台詞だ。優しく髪を撫でたり、本気で私を案じる目をしたり、あんなに強く抱きしめたり。
これでは私、期待してしまうじゃないの。
私は椅子にすわったままベッドの端にうつ伏せた。すぐ近くにリゲルの手があるのを感じながら、私はゆっくり目を閉じた。
誓って言う。いつもの私だったら、冒険者の部屋でさぼるなんてことはしない。仲良くなったとは言え、リゲルは冒険者であり、宿の大事なお客様だ。けれど、リゲルが目を覚まさないという異常事態が、このまま部屋を去りがたくしていた。
別に、傍にいたいから、なんて理由じゃない。
違うったら、違う。
そんな言い訳を一人胸の内で並べているうちに、私の意識は眠りの中に吸い込まれた。




