看板娘の夢
食事がすむと、エーアガイツ団の皆さんは作戦会議をするといって、大広間に集まった。
その隙に、私たち宿屋従業員は、みなさんの部屋が寒くないように各部屋を暖めてまわる。レグルス山のふもとであるミザルは標高が高く、夜は夏であっても結構冷える。大切な冒険の前に、冒険者さんたちが体を壊さないようにするのも、私たち宿場の役目だ。
全ての部屋の窓を閉じ、魔導石を室内暖房にセットをし終えて、私は台所へ向かう途中だった。この後は、明日の仕込みの手伝いをしなくてはならない。肩をぐるぐる回しながら、ふと、大広間から漏れる光に足を止めた。
暖かな暖炉の光に照らされ、皆の中心にアーサーさんが腕を組んで座っている。その隣で、ハルさんが指揮をとっていた。オレンジの光に包まれたハルさんの横顔は、溜息がでるほど素敵だ。ふと夕食の時のことが思い出され、ブレスレットを撫でてしまう。
そこで、リゲルと目があった。すかさず舌を突き出してくる。全く、かちんとくる。まけじと私もやり返してやる。と、指揮を執っていたハルさんが、小さく噴き出した。私は慌てて退散した。あのチビ、覚えていなさい。
☆ ☆ ☆
ハルさんは私が読み書きを覚えたばかりの頃、私の父さんが山で命を落とすずっと前、初めてミザルに現れた。
その時、彼はまだ駆け出しの冒険者で、冒険者らしからぬ細い線と端正な顔立ちで、幼かった私ですら、その美しさに目を奪われた。だけど、冒険者としてはいささか頼りない外見であり、レグルス山入りを危ぶむ声が絶えなかったという。
けれど、すぐにその認識は覆った。ハルさんは鮮やかな剣さばきで、そのギルドの誰よりも功績をあげた。一躍、彼は時の人となった。
ある夜、私は偶然ハルさんを見かけた。宿の中庭、月夜が差し込む林で、ハルさんは一人剣術の練習をしていた。舞のように滑らかで、そのくせ研ぎ澄まされた剣のように鋭く突きつける。
レグルス山の神に愛された天武の才だと、人は言った。
だけど、それだけじゃない。誰よりも努力家で、誰よりも負けず嫌いで、誰よりも山を称えている。それが、ハルさんなんだ。
思えばあの夜から、私はハルさんに淡い恋心を抱いていた。冬になれば、レグルス山は一層厳しくなるため、攻略ギルドはそれぞれの町に戻ってしまう。それを寂しく思い、雪解けを心待ちにした。
ハルさんから見たら私なんか小さな子供だ。それが恨めしかった。早く大きくなって、女の子ではなく、女として、ハルさんに見て欲しい。早く、早く早く、雪が解け春を迎え、成長した自分をみせたかった。
☆ ☆ ☆
ヒュン、と風を切る音がした。
食材をバスケットいっぱいに詰め、倉庫から母屋に戻る途中だった私は、聞き覚えのある音に足を止めた。
ミーティングが終わって、眠りにつくまでの自由な時間。満点の星空の下、鋭く、同時に優雅に剣を振るう者は。
「リゲル……?」
鍛えられたレイピアが、星の光を受けて光を放つ。鋭く突き出した切っ先の向こうで、リゲルは驚いたように動きを止めた。
「こんな時間に何してんだよ」
「明日のご飯の準備…….、ってそっちこそ、こんなところで何してるのよ」
「訓練だよ、訓練。この冒険が、レグルス山では初陣だからな」
大事そうに、リゲルはレイピアを撫でた。微かに白く淡い輝きを放つのは、白き石を鍛えたのだろう。白き石から鍛えられた剣は、山の聖なる力の影響を最も受ける。山へ近づくほど力が強まり、影に住む魔の者を退けるのだ。
「剣術、すごく綺麗なのね」
「お前にわかるのか?ちんちくりん」
「だからそれ、やめてよね。私はミア・ノーム!ミザル・ブルクの看板娘よ。何人も冒険者を見てきたんだから。そう、あなたの剣術はまるで……」
まるで、ハルさんのようだった。
星の光で浮かび上がったシルエットは、滑らかに流れる、美しい舞のようだった。この中庭は、ハルさんがよく練習をしている場所であり、顔が見えるまでは彼だと信じて疑わなかった。
リゲルはレイピアを鞘に戻すと、なぜかこちらをじっと見つめた。
「お前、宿を継ぐの?」
「え?」
突然の問いに、また失礼なことを言うのかと身構えたが、リゲルは真剣だった。
「当然でしょ。私は宿のひとり娘なんだから」
「いやじゃないの?」
「いやって?どうして?」
「どうしてって……新しい世界を見てみたいとか、違う世界に飛び込みたいとか、そういうのだよ」
「もう叶ってるもの」
私が笑って答えると、リゲルはキョトンと首を傾げた。
「リゲルは、どうして冒険者になったの?」
「俺?俺は……」
言いながら、リゲルはどこか遠くを見つめるように、目を細めた。
「俺は六男某で、何をするでも兄弟でビリっけつ、当然、家を継ぐ必要もなくてさ。悔しかったんだ。だから俺は、誰も経験したことないようなすんごい冒険をして、誰よりもデッカくなってやるんだ。それで言ってやる。どうだ!俺が1番だぞ!ってな」
目を輝かせ、リゲルはぐっと拳を突き出した。少年のような無邪気な顔に、私は吹き出した。
「な、なんだよ!笑うなよ!」
「いいじゃない。私、好きよ」
「からかってんじゃねー!」
「からかってない」
暗がりでよく見えないが、リゲルの頬はほんのりと赤い。少しは可愛げもあるではないか。
母屋の窓が、暗がりの中に光を漏れ出す。この窓の光一つ一つに、冒険者の夢があり、人生があるのだ。
「質問に答えるね。私は、宿屋が好き。だって、彼らの冒険に、ほんの少しでも関わることが出来るから。リゲルとも、こうして出会えたでしょ?」
冒険者の数だけ、ドラマがある。皆、リゲルのように、己の夢や欲望を叶えるためにこの街へやってくる。
大志を抱き、足を踏み締め山を行く背中を見送るのが好きだ。
疲れ果て、それでも宿を見つけ、ほっと表情が緩む瞬間を見るのが好きだ。
それが冒険者と共に歩む、この街の、私の日常だ。
呆けたように口を開き、リゲルはしげしげと私を見つめた。
「お前、いい奴だな」
「そう?」
「うん。それに、かっけえよ!」
頭の後ろで腕を組み、リゲルがにかっと大きく笑った。不覚にも、私はどきりとした。
「あ、でも俺のこと、二度とちびとか言うんじゃねーぞ!」
「あんたこそ、ちんちくりんとか呼ばないでよね!」
ほぼ同時に、私たちは笑い出した。その頭上で、こぼれるほど無数の星々が瞬いていた。