看板娘と駆け出しの冒険者
王都アルデバランから北に50キロ、そこには雲被る神聖なる山、レグルス山がある。はるか彼方にそびえる頂は、まるで空へと吸い込まれるように青く霞がかり、荘厳だ。頂を踏んだ者は未だなく、その第一歩を踏むことを夢見て、数々の冒険者が山に挑んできた。
「ふふふん、ふふふん、ふ、ふ、ふーん」
窓を開け放ち、私は勢いよく床を掃いていた。今日はレグルス山の頂点は薄く雲がかかり、その姿を拝むことはできない。
私が生まれたミザルは、レグルス山のふもとにある小さな町だ。この町には、レグルス山を目指す冒険者のために、大小様々な宿場が軒並みを揃えている。
その中でも、一位二位を争う古くから続く宿屋、それが私、ミア・ノームの実家、『ミザル・ブルク』だ。
「ふんふん……、きゃ!!」
気分よく掃除を続けていた私は、勢い余って花瓶にぶつかってしまった。派手な音をたてて、花瓶が粉々に砕け散る。
「こら!!ミア!!!!何個花瓶を割ったら気がすむんだい!!!」
窓の外で、母さんの雷が落ちる。私は肩がすくみ上った。
「ご、ごめんなさーい!!」
そそっかしいのは、父さん譲りだ。割ってしまった置物は数えきれないほどあるし、綺麗にしたばかりの部屋にゴミをぶちまけたこともある。その度に、もう少し女らしかったらとか、おしとやかなら、と母さんに言われている。
それでも、私は、宿屋で働くのが好きだ。
宿屋で、冒険者たちを迎えるのが好きだ。
☆ ☆ ☆
レグルス山に冒険者が向かうのには、理由がある。それは、魔導石。
山の神の力が宿るとされる魔導石は、闇に灯りをともしたり、火をおこしたり、機械を動かす動力となったりと、私たちの生活に欠かせない石だ。
中でもレグルス山、とりわけ標高2000m以上では、強力な魔導石が採れる。強力な石を求め、冒険者は山を登る。その集団が、ギルドだ。
レグルス山へ向かうギルドには二通りある。
まず、魔導石の発掘を専門とする、産業ギルド。
彼らは魔導石が密集している採掘場を発見すると、腰を据え、その場所を採掘する。当然、石は無尽蔵ではないため、やがてなくなってしまう。そうすると、今度は人間に使われ、魔力が消えた石をその場所に“戻す”のだ。こうしておくことで、遠い年月の先に、再び石に神の力が宿ることになる。
もうひとつは、標高2,000m、通称Gライン以上を制する攻略ギルド。Gラインより上でとれる魔導石は、強力な武器となったり、大きな機械を動かす原動力となったりと、たいへん貴重で価値が高い。だが、その分、採掘には危険が伴う。その危険区域を専門とするのが攻略ギルド、冒険者たちである。
さらに言えば、Gラインより上になると、一カ所に集中する魔導石の数がぐっと減る。学者によると、その分、一つの石に宿る神の力が強くなるとのことだ。だが、そのために、攻略ギルドは一度に回収できる量が限られる上、必ず魔導石を見つけられる保障もない。
Gラインより上の世界は、地上とは全く異なる。見たこともないモンスターや恐ろしい魔物がうようよといる上、気候は荒く、山肌はますます厳しくなり、今までだって多くの冒険者が命を落としてきた。そういうわけで、未だ、レグルス山の山頂を踏んだ者はなく、難攻不落の山としてもその名をとどろかしている。
だが、それはかえって、冒険者の心に火を灯す要因となっている。
数えきれないほどの冒険者が、頂上を踏む最初の一人になろうと、胸に夢を宿した。
ミザル・ブルクを訪れる冒険者たちは決まって、暖炉の前に座り、目を輝かせながら山への夢を語りあった。熟練の老人も、年若い青年も、皆が子供のように無邪気な光を目に浮かべるのだ。そうして次の朝には、彼らはその背に夢を背負い、山へ向かっていった。
冒険者の背中を見送り、冒険者の帰りを待つ。幼い頃から、それが普通のことだった。私と、そしてミザルの町の人々の生活に、深く根付いているのだ。
☆ ☆ ☆
リゲルも、ギルドメンバーの一人として、ミザル・ブルクに現れた。
見知った顔もあったが、ギルドそのものは新しかった。なんでも、王都が王国中の冒険者の中から直々に集めたギルドらしく、一団が到着する前からミザルの町を騒がせていた。そのギルドの名は、「エーアガイツ団」という。
一行の中で、リゲルは目立って若かった。年の頃は15歳くらいか。にかっと笑った顔が印象的で、彼がいると他のメンバーの空気が和む、そういう存在だった。とにかく、私とそう歳が変わらない少年が凄腕ギルドに入っているとは、私は驚いた。
「エーアガイツ団の祝福を願って!!」
ギルドの長、アーサーさんがゴブレットを掲げる。食卓に、男たちの声が響き、ゴブレットが重ねられた。
「はーい、みなさんどんっどん、食べてくださいねー!」
自慢の一品、母さん特性、キジのハーブ焼きをどんと置く。香ばしいハーブの香りと滴る肉汁に、男たちの目が輝いた。
「これだよ、これこれ!」
「やっぱ、ミザルに来たらこれは食べていかなきゃねー!」
料理にかぶりつく姿を見ると、なんだか私まで誇らしくなる。男を落とすにはまず胃袋から、なんて母さんは言うが、間違いなく母さんの腕は街一番だ。
「ひさしぶりだね、ミアちゃん。元気にしていた?」
きた!少しだけ前髪を整えてから、待ち焦がれた人物に答えた。
「今日はすこぶる元気です。お待ちしてましたよ、ハルさん!」
「よかったなハル!ミア坊はまだ反抗期じゃなかったな!」
がっはっはと、豪快にアーサーさんが笑う。そのひげ面を一睨みしてやる。
ハルさんとアーサーさんは、ミザル・ブルクの馴染みのお客様だ。二人は10年来の付き合いで、ほぼ毎年レグルス山に来ては、産業ギルドのために新たな採掘場への道を切り開いてきた名コンビだ。
「だめだよ、アーサー。ミア坊だなんて。ミアちゃんは立派なレディなのだから」
ハルさんが、微笑みかけてくれる。
王子様がいるなら、きっとハルさんみたいな人だろう。優しくて、美しくて、気品があって。冒険者として剣を振るう姿は、苛酷な山であっても、見る者を魅了した。
「そうだ。手を出して?」
ハルさんに言われ手を差しだすと、細いブレスレットをそっとかけてくれた。金色の糸で丁寧に結われ、青く透き通る石が通してある。腕を掲げると、光を浴びてきらりと光った。
「きれい……!」
「気に入った?町で見つけて、ミアちゃんにぴったりだと思ったんだ」
嬉しさのあまり、私は声がうわずった。
「もらっていいんですか?!」
「もちろん。気に入ってくれてよかった」
にこりと、ハルさんが笑った。頬が熱くなって、私はそっとブレスレットを撫でた。
「そうだ、ミア坊。紹介するぜ、うちの期待のホープ、リゲルだ」
そういって、料理を口いっぱいに頬張っていたリゲルを、アーサーさんが引き寄せる。リゲルはリスみたいに頬を膨らませたまま、もごもごと何かを言った。
「ふぉふぉふぃふふぁ」
「え、なに??」
「こら、リゲル。飲み込んでからしゃべりなさい。失礼だろう」
「――ぷはっ!おっさんが急にしゃべらすからだろ!」
「お、おっさん……?」
「がっはっは!口のへらねー小僧だ!!」
おっさん呼ばわりされたアーサーさんは、なぜか嬉しそうにリゲルの背中を叩いた。アーサーさんのたくましい腕で叩かれ、リゲルの体ががんがん揺れる。
「やめろ、おっさん!つよい!いてぇ!」
「アーサー、君の力じゃリゲルが飛んで行ってしまうよ。ごめんね、ミアちゃん。この通り騒がしい奴らだけど、今回もよろしくね」
「はははは……」
毎度のことながら、冒険者たちの中でハルさんは異質だ。どうやったら、こんな騒がしい人たちの中で、ハルさんみたいな柔和で上品な人が出来上がるのだろう。
ようやくアーサーさんから解放されたリゲルが、私を指差す。
「で、このちんちくりん、だれっすか?」
「ち、ちんちくりんですって!?」
「だってそーじゃん。胸ねーし、童顔だし」
自分で言うのもなんだが、ここ数年で、街の男の子たちが私を見る目が変わった。ご近所さんも、馴染みのお客さんも、かわいい、綺麗になったと言ってくれる。――ハルさんも、そう言ってくれるかなと、ちょっぴり期待もしていた。なのに、よりによってハルさんの前で、ちんちくりん呼ばわりだと!
「私はミア・ノーム、ミザル・ブルクの看板娘よ。覚えときなさい、このおチビ!」
「チビだぁ?チビっつったなぁ、こいつ!!!」
「そこまでだ、リゲル。悪いのはお前の方だよ」
「失礼働くんじゃねーぞ、小僧。なんたって、俺もハルも、ミア坊がこーんなちっさい時から世話になってんだからな。がっはは」
私がぷいっと顔を逸らすと、リゲルがあっかんべをしてきた。精鋭メンバーに選ばれている同い年の子だと、関心して損した。とんだむかつく奴だ。私はハルさんの見えないところから、べっとやり返してやった。