第八話 紫の化物
「それでは本日の議会を終了します」
しわがれた一声で、円卓についていた人影はまだらに立ち上がった。部屋の人数が次第に減っていく中、シアンは最後に腰を上げた。
公にはされない上層部の人間たち。それが集められた議会はくだらない話をするだけで終わった。確立した貿易ルートの再確認、カンタヌマの現状――これはとある貴族が襲撃されるという面白いものだったが――、毎年春に行われる三部指揮官選出試験の校正。その他、各々の報告。シアンはノワールから聞いた青い傭兵のことを口外などしなかったけれど。
「楽しむのは私ひとりでいいわ」
歌うようにつぶやいて、シアンは暗部にある己の部屋に足を進めようとして、出し抜けに止まった。
そういえば、『あの男』に久しく会いに行っていない。自分だけとはいったものの、コレクションは人に見せてこその価値がある。そしてそれには、見せるべき人材というものがある。適材適所、というやつだ。
一通りの思考を終えると、シアンはあっさりと方向を変えた。
特に楽しそうにするでもなく、ベールを揺らして廊下を進む。やがて大きな柱がむき出しになった中庭に踏み出す頃には、日差しに照らされた。暗いベール越しには太陽の丸が目認できるが、ちっとも綺麗には思えない。整備された魔石の丸より、原石のままの直線が美しかった。シアンはそういう感性を持っていた。
シアンはそのまま柱の影に身を寄せ、黒色を覗き込む。日の真逆の影は部屋の中よりもずいぶんと濃く深い。
「いい仕事もできるのね」
顔を半透明に覆い隠す黒いベールの下で、唇がそれを揺らした。腕をひと振りして、手の下に光を吸いながらも黒を発する狼を引きずり出した。
「少しのお出かけよ、お手伝いを頼めるかしら」
主の手が額に置かれ、狼は鳴いて応えた。シアンは小さく笑う。
「ああ、でも正面から出ると面倒ね。こっそり行かなくちゃ」
その願いにも獣は――彼女の『色』は、『彼女自身』は応えた。ぶるりと毛を震わせると、狼はその身を倍以上の大きさに変化させた。様を眺めていたシアンは狂気の赤と冷徹な青を織り交ぜた表情を浮かべ、日の下へと進んだ。
「さあ、行きましょうか」
従順に屈んだ狼の背に腰掛けると、それらの影は城壁を超えて姿を消した。
第八話 紫の化物
「いらっしゃいませ。貴女を見るのは久方ぶりだ」
「ええ、ライブラリに来たのは久しぶりだもの」
狼を引き連れた女を、シリウスは椅子に座らせた。見とれるほどゆったりと席に落ち着き、腿に狼が乗ってきてから、シアンは懐かしむような眼差しを白衣の男に投げた。今日の彼はパソコンの前ではなく、資料がはみ出るほど詰まった戸棚の整理に当たっていた。
相変わらず、男の部屋は薄く暗かった。
「最近はどう?面白いことはあって?」
「最近、ですか……」
そこで言葉が渋られたことで、等価を強いられていると気づく。
「いくら?」
シリウスは束の間考えてから言った。
「金貨を3枚ほど」
シアンはそれを等価とみなし、懐から金貨を取り出す。半ば投げ出すように机に置かれた金は、ガラスのテーブルと打ち合って耳障りな高音をもたらした。シリウスはそれを確認し、続ける。
「まず、あなたがたが侵攻したカンタヌマですが」
「貴族が潰されたという話?」
「いえ、その襲撃に傭兵が雇われた、ということです」
意図せずともある言葉が連想され、シアンはベールの下で瞬きを繰り返す。
「アセレート?」
「そんなところ、ですかね」
もし誰が雇われたのだと問いかけたら、また金を要求されるだろう。今日の要件は別に金稼ぎでも、アセレートの情報についての粗探しでもないつもりであったから、シアンは黙ったままでいた。ブレートという名のその男も、自分がとうの昔に買った『情報通りの状況』から、おそらくまだ変化はないはずだ。それならば沈黙は金。それにつきた。
「それから……チェンバオがまた領地を広げた、という情報もありますね」
「そう」
「興味はおありではないのですか?」
「チェンバオに『色』がいるのでしょう?でも彼はさほど国政には参加していないそうじゃない」
「よくご存知で」
「チェンバオとはそれなりの仲なのよ」
それ以上は待っても会話は続かなかった。金貨3枚の価値は終了。安いとも高いとも思わないのは、これからのことの方が大切だからである。それはこの男にとってもきっと同じこと。
「ついこの間のことなのだけれど、うちの軍人さんがアセレートと闘ったそうでね」
シリウスと目線がしっかりと重なったのに、シアンは口元を緩めた。その瞳の中には確かにきらめく興味があった。
シリウスという研究者と出会ったのは実に3年前のことであるが、シアンは彼に出会って初めて『人間』というものに快い感情を覚えた。シリウスという名の人間は、シアンにとって初めてこちら側――『色』に対して興味を示した者であったからだ。偏見や差別などの概念を一切無視して、ただ純粋な興味を持った人間。シアンはそれが面白かった。だから協力することにした。
「お金はいらないわ、強いて言うならつけておいてちょうだい」
「……」
「ブレートが元気にやっているようで何よりだったわ。……ああ、こちらの軍人さんはノワールなのだけれど、敵対していても『混色』は起こるのかしら」
特殊な場合における『色』同士の邂逅は、ライブラリにとってどれほどの価値があるのか。
研究者は口を紡ぎ、ファイルを床に音も立てずに置いてはパソコンの前に移動。無言のままにキーボードが叩かれる。敵を作らない普段の愛想笑いは消え、瞳が目まぐるしく画面を追った。
「……本部もまだ手に入れていない情報だ、本当に近い時期の出来事なのですね」
ほう、と感嘆が落ちる。シリウスのものだ。ライブラリは世界中に拠点を持ち、中でもこの男は、シェオルにおけるライブラリ拠点の所長を務める者。本部とやらがどこにあるかなど知ったことではないが、そこにも彼と同じような者がいるのだろうか。我々に、興味を抱き、感嘆を落とすようなやからが。
「もちろんよ。それで、いくらくらいになりそう?」
「まあ……ざっと、金貨15枚といったところでしょうか」
「そんなにも」
魔石がひと握り買える値。シアンは満足げに微笑んだ。
「ありがとう、それはつけておいてちょうだい。私だけの情報じゃないし、また近いうちに遊びに来るわ」
「僕の研究所は遊ぶところではないのですが……」
楽しそうに立ち上がったシアンとは対照的に、シリウスは肩を落とした。翻ったベールがそのまま玄関に向かうものかと思っていたが、女は部屋の隅へと移動していた。資料の山の合間、床に敷き詰められた鉄板の一枚。
「『彼』は元気?」
「……」
「ああ、『アレ』の調子はよくって?」
「大した故障も、今のところは」
シアンはしゃがみこむと、一枚だけにつまむための突起が付いていることを知った。鍵穴こそなかったが、開けるな、触れるなと言わんばかりの重々しい冷気が漂っていた。冷気と言っても機械の保持のための空調程度だが、雰囲気の冷気はちがう。異質。『アレ』はそんなにも貴重か。
「逃げはしないでしょう、こんなにも閉じ込めなくたって」
「逃げられない、に訂正しますがね。出しておくと維持が面倒なんですよ。正直あなたに『使ってしまった』今では、もうほとんど力もない残り滓程度だ」
「それなら是非私がもらい受けたいのだけれど」
「それなりの等価をいただければ」
使い道はなくても価値はあるということ。きっとそれは金貨何枚でも足りない価値。シアンは黙って言葉を殺した。床下にある空間に、ぽつりと生きる確かな肉。『自分の良く知る顔』をした身体。だがそれは知らない名を既に有していて、もはや知らない誰かであった。
久々に揺れる心臓を見ないふりをして、今度こそシアンは出口へと歩きだした。当然のように狼があとをつけていく。
「また動きがあれば伝えに来るわ、あなたは待っていて。あなたたちの使う機械とやらは信用ならないから」
「ふむ、電報は便利ですよ?」
「いいのよ、ほかの誰にも知られたくないもの」
「では待ちます、あなたが楽しんでくれているようで何よりだ」
「ええ、あなたにとっても楽しい物語にしてげるわ」
最後だけ純粋な笑顔に戻って――シリウスはそれに驚いて――、シアンが閉めた扉が重く空気を締め切った。シリウスはそこでようやく軋む腰を上げる。椅子も腰と似たような音を響かせて揺らめいたが、それを押しのけてガラスのテーブルまで静かに歩み寄る。金貨をつまみ上げ、シリウスは口元を下手に歪めた。
「……彼女自身が使われているという考えはないんですかね」
シアン=タンゼという女は、シリウスの描くシナリオを忠実なまでに辿ってくれている。否、彼女は自ら喜んで歯車になろうとしている。それを奇妙と思えるほど自分がまともな正確でないことを自覚していたから、シリウスは金貨を彼女と同じように引き出しの中に乱雑に放り込んだ。
彼女と違って、他の歯車が普通なのだろう。
なぜローマスはアセレートを過度なまでに恨むのか。なぜ若輩であるアセレートが世界にまで名を染み渡らせられたのか。なぜ誰も彼も、奇怪な事件を忘れているのか。ローマスの国民は誰も気付かなかった。中にいる虫虫は全て目の前の網にだけ絡まっていく。気づいたのは、蚊帳の外から綺麗な蝶を見つけた、この自分だけ。
「さて……そろそろ僕たちも調整に入りますか」
自分だけ。
否、否。
机を揺らすほどに引き出しを叩いてしまい込み、壁に並んだ機械のスイッチを上げ、ハンドルを回しコードを繋ぎボタンを押し、ノートを開きペンを抜き取り、並んだスイッチを続けざまに弾き、そして思い切り床の鉄を靴裏で叩いた。
研究所が呼吸を始めるこの瞬間が、シリウスはどうしようもなく嫌いで、思い切り殴りつけたくなるくらいに嫌いであったのに、いつかよりもうまく笑っていた。
「起きていますね?」
つい少し前まで体温が乗っていた床に近づくと、しゃがみこみ、鉄板を壊れたと勘違いするような音とともに引き上げた。空調の違いのためか、少し湿気を含んだ空気が地下の暗闇から流れ出るそこに、逆に声を落とした。三秒ほど己の声が反響するのが聞こえて、それからさらに数秒して、ガタンと打撃音が聞こえた。おそらくは落下音。シリウスは呆れに眉をひそめた。
まっすぐ歩くこともできないのか。
ばたついた衣擦れの音が、シリウスの真下までやってくる。暗くてはっきりとは見えないが、自分以外の息遣いがするのは確認できた。
「ご飯にしましょう、きっとあなたに死なれては、この世で怖い二大女性に僕が殺されかねない」
柔和な命令の言葉に、地下から影がはしごを掴んだ。影というにはあまりにも白い白い肌。
光のない世界で暮らす『それ』は研究者を見上げ、笑うことを忘れた顔をして目を細めた。
城の自室に戻ったシアンは、なれたように護衛を無視して、再び暗部の廊下を歩いた。獣はもう影に戻った。向かうのは先程会議をした王宮の最上階。指揮官であっても、同席した重役たちでも侵入の許されない、絶対の王の間。
薄暗い廊下を進むと、重装備の兵士が二人倒れているのを見つけた。王の護衛だ。少しだけ驚いて傍らに膝をつく。首元に手を添えれば、脈が指先を打った。
『生きている』。すぐさまもう一方も見たが、どちらも気を失っているだけだった。
「……」
シアンは目を細め、最奥にある扉を押した。開ききって見えたのは、無駄に広い、案の定無人の王室だった。
また抜け出した。驚きよりも焦りがあった。
以前にこの部屋の主、国王が脱走した時は、初めてのことであったから純粋に驚いたものである。彼の『色』そして暗部で学んだ術のために護衛を死亡、もしくは重傷に追いやった。緊張か、迷いのせいか。そもそも暗部出身の彼は――ローマスの国王になる者は、必ず三部どれかの中等学校を卒業する義務がある――、手加減を教わらない。教わっていない。教えていない。ならば、まさか。
「自分で学んだ?」
そんな馬鹿な。
シアンは鋭い歯をキィと噛みならした。
二度目の脱走には強い意志があった。シアンは扉を閉めることも忘れ、倒れた兵をかろうじて避けながら、カーペットに荒々しく靴跡を残して、その場を去っていった。