2話 サービス開始少し前
「かー、ますます羨ましいぜ。俺もオープンβ参加したかったが、運だけはどうしようもねぇ」
話をしていると、一人が残念そうに呟いた。アイ、という名でゲームをプレイする、ギルドメンバー最高齢の中年に差し掛かった筋骨隆々のごつい男だ。VRMMOではネカマ(ネットおかま)プレイを楽しみにしていたギルドメンバーの一人である。彼の裏声はそのごつい見た目とは裏腹に可愛らしい女の子そのもので、数々の出会い系ネットゲーマーたちを天国から地獄へ叩き落とした『漢の娘』として有名である。
言葉の通り彼は、今日プレイ開始のファンタジーオンラインのオープンβの抽選に漏れ、2週間後の正式サービス開始まで待たなくてはならないのだ。
ギルドメンバーは12人の内8人がオープンβをプレイする権利を得たが、抽選に漏れた残りの4人は2週間のおあずけを食らうことになってしまった。
「本当にすまん。俺がもっと早く行動を起こしていれば…」
エースが謝る。エース自身、全員揃ってオープンβに参加できなかった事は自分の責任だと思っていた。
「あ、いや、ギルマスに言った訳では…ああ、ギルマスが謝らんで下さいよぅ」
「そうですよ。3ヶ月、4ヶ月待ちは当たり前。今から申し込むと7ヶ月待ちですよ!2週間後の正式サービス初日に参加できるだけでも凄いことなんですから」
アイがしどろもどろにしていると、同じくオープンβの抽選に漏れた一人が助け舟を出す。他にも「アイのあほー」やら「先生、アイ君がエース君を泣かせました」なども聞こえる。
ギルドメンバー全員がオープンβに参加できないと決まってしまった時、エースの落ち込み様は、それはそれは酷いものだった。皆で最初からゲームに参加し、全てを蹂躙する事を夢見ていたからである。そんな傷心のエースをギルドメンバーらが必死に慰め、同時にエースの前でオープンβに参加できないことを悔やむな、という暗黙の了解が存在していた。
「アイは後でお説教ですね。エースも気にしないで下さい」
お説教と聞いてアイはゲッ、という声を漏らした。アイはお説教の声の主より年上であるが、彼には敵う気がしない。彼の名前はエコー。ギルドオールイーターのサブマスターを務め、トップ廃人の揃う人外魔境のギルドで調整役と軍師的役割を担う、冷静沈着な鬼才の持ち主である。
「2週間で皆揃うのですから。本当に凄いことです。確率的にありえません。ええ、絶対に。エース…どんな手を使いました?」
話題を変えるかのようにエコーは尋ねる。オープンβの参加可能人数は5千人までという事は前情報として発表され、興味ある者は皆知っていた。
当時の事である、オープンβの参加可能人数を聞きつけたエースが、
「名案があるからギルドメンバー全員分のVRカプセルベッドの購入は俺に任せてほしい。もちろん、金は後払いでいい。内容は言えないが、全員が確実にオープンβに参加できる方法がある。頼む、信じてくれ」
そんな提案をした。赤の他人からこのように言われたら、間違いなく詐欺だ、と思うだろうが、相手は我らがギルドマスターである。金も後払いでいいと言っていることもあり、ギルドメンバー全員がエースの話を了承した。エースならばサイバーファンタジーワールド社にコネを持っているのではないか、と考える者も何人かいた。結論としてはコネなど持っていなかったが。
数週間が経ち、オープンβの応募が締め切られると、応募人数の発表があった。蓋を開けてみると、応募人数は誰の予想より遥かに多く、オープンβ希望応募者は優に5万人を超えたという。そして、その応募者からランダム抽選でオープンβ参加者を決めるという。あまりの人気ぶりに運営はオープンβから1ヶ月後の正式サービス開始を2週間後に早め、さらにプレイヤーの新規参加人数も2週間ごとに5千人の増員することを発表した。つまりは、2週間毎にプレイヤーが5千人増えていくことになる。
エコーはその情報を聞いた時、苦虫を噛み潰したような表情になった。確率的にオープンβどころか正式サービス開始時も危うい、下手をすると5ヶ月後になる可能性もある、と。
残る希望はエースが話していた、絶対にオープンβに参加できるという話だけだったが、エース自身が皆に「すまない、この人数は想定外だった。厳しくなるかもしれない」と話し、後は天運に任せよう、という結論に至った。皆は万策尽きたか、と嘆いたが、エースを責める者は一人もいなかった。
さて、ネトゲへのオープンβ希望応募者が5万人超、これまでの超有名どころのネトゲから見ればむしろ少ないのかも知れない。だが、VRMMOには大きな問題がある。大金が掛かることだ。サイバーファンタジーワールド社の販売するファンタジーオンライン専用VRカプセルベッド、なんと1台およそ500万円。だが、エコーからしてみれば大した金額では無い。オールイーターの面々も問題ないだろう。ネトゲとは課金の連続。金を持ってない者は廃人とは呼べない。
現にエコーは過去、自分の作った薬品がとある病気の特効薬となることを発見し、特許を申請。今や、寝ていても大金が転がり込む、悠々自適のネットゲーマーだ。エースとビーは株を転がし、大金を稼いでいると聞く。他にも、高級マンションオーナー、大地主、海外の巨額宝くじに当たったという者さえもいる。つまり廃人とは時間と金を溢れんばかり所有することが前提なのだ。しかし、今回の事は…
「甘く見ていた…」
この一言に尽きた。まさか、この金額設定でオープンβ希望応募者が5万人を超えるとは予想もしていなかった。情報を集めてみると正式サービスの購入者も加速度的に増え続けているという。購入者は皆同じように考えていたらしく「何これ、多すぎだろ…」「借金までしたのにオープンβの参加確率10%以下とかワロタwww…ワロタ…」「お前ら何なの?仕事しないの?ニートなの?」「←お前が言うな」などなど、正に阿鼻叫喚といった具合だった。
この問題を解決するため、ギルドオールイーターは何度目かのOFF会を開催。串焼きが絶品なことで有名な、とある居酒屋の個室で緊急会議が始まった。しかし、代表ギルドマスターの珍しい遅刻により、会議は食事会という名の飲み会に変更。アイが酔っぱらって店員に裏声で話しかけ、驚かせるなど、食事会は厳かに進行した。そして、2時間後、真っ青な顔色のエースがギルドメンバーのいる個室に入ってきた。
メンバーの一人がエースに何があったのか聞く前にエースの口が動いた。
「ついさっき、ファンタジーオンラインのオープンβと正式サービス開始時の参加プレイヤーの抽選結果が発表された」
一気にざわめく居酒屋の一部屋。そして、青ざめた自分たちのギルドマスターの顔を見て、とんでもなく悪いニュースを持ってきたのか、もしや誰一人オープンβに参加出来ないのでは、などと思いを巡らし、酔いは吹き飛び、顔を青く染めていくメンバーたち。
しかし、メンバーのそんな不安はエースの一言で解決した。
「すまん、お前ら。オープンβは8人しか取れなかった。本当に、本当にすまん」
頭をこれでもかと下げ、その頭の上でバチッと手を合わせ、勢いよくエースが謝った。
「「「へ?」」」
皆一様に、ぽかん、とした表情で固まった。
「残りの4人は正式サービス開始時だ。全員が確実にオープンβに参加できるなんて大口叩いて、結局4人も参加出来ないなんて…本当に申し訳ない!」
そのままググッと更に頭が下がる。土下座せんばかりの勢いである。
「んん?」「えーと、あれ?」「なん…だと…?」
未だ理解の追いつかないオールイーターの面々。そんな彼らの中から一人が立ち上がり、頭を下げ続けるエースの前に立った。サブマスターのエコーである。エコーはずり落ちたメガネを震える手で元の位置に上げながら、エースに声をかけた。
「つ、つまり、エース。オープンβの参加は8人、その2週間後の正式サービス開始時に残りの4人、という訳ですか?」
先ほどエースが言った内容を復唱しているだけである。鬼才エコーもまた理解が追いついてなかった様だ。
「ああ、そうだ。すまん、エコー。有言不実行なんて、俺はギルマス失格だな…」
頭を下げながら、しょんぼり肩を落とすエース。エコーはその落ちた双肩をガシッと掴み、声を挙げた。
「やった…やったぞ…やったじゃないか、エース!」
いつもは冷静沈着を絵に描いたようなエコーであるが、この時ばかりはまるで、子供のように喜んだ。その姿を見て、他のメンバーたちもようやく理解する。
「すごい、すごいっす!流石エースさんっす!」
「え、マジで?8人も?それマジすげぇぞ、マジで」
「オープンβ8人、正式サービス開始時4人とは…エースさんには今まで散々驚かせられましたが、これは別格ですね」
「よーし、乾杯だ、乾杯。ほら、ギルマス、これ持って!はい、かんぱーい!うひゃー、最高にうめー」
訳の分からない内に無理矢理乾杯させられ、エースは混乱の極みの中にいたが、しばらくして落ち着いたエコーが説明をした。エースと他のギルドメンバーの間には大きな意識の差があった。
エースは当初の約束通り、全員分のオープンβ参加権利を得るつもりだった。最高難易度であるが、彼にとって、それは最低限こなすべき目標だった。一方、ギルドメンバーの面々は、確率的に考え、オープンβと正式サービス開始時合わせて数人が参加出来れば、御の字であると、悲観的に考えていたのである。
その中でのエースの報告は、報告者以外の全員を狂喜させたのだ。
「それでも、それでも俺は、皆と一緒に始めたかった」
誤解が解けた後もエースはうなだれ、そう呟いていた。エースが立ち直るまで時間とギルドメンバーの厚い気遣いを要したが、こうして緊急会議は一応の事案解決の形で締め括られたのだ。
ちなみに、12人の内からオープンβ参加者を8人選ぶことになったが、串焼きに使われていた串を11本用意し、そのうちの7本の串の先を赤く塗り、その部分を隠して串を引き抜く、くじ引き形式で行われた。なぜ11本のうち7本かというと、ギルドマスターの参加は決定していたからである。もちろん、エースは公平に全員でやるべきだ、と主張した。しかし皆に、「あなたは絶対に参加してもらう、拒否権は無い」と頑として断られた。こうして、エースを含む8人のオープンβ参加が決定したのだ。