1話 サービス開始前
とあるマンションの一室。その部屋の中心には巨大なカプセル型のベッドが鎮座する。そのベッドが置かれている部屋の隣ではマイク付きのヘッドホンを装着した青年がパソコンの前でニヤニヤと笑いながら話をしている。
この青年、見た目は普通の成人男性といったところだが、中身は普通とはかけ離れている。この青年こそ数々の有名オンラインゲームをプレイし、ゲーム攻略に人生と大金を賭ける廃人である。ゲーム内では一貫してエースという名を使い、廃人ギルドを率いゲームを蹂躙する事で廃人界では有名である。この廃人ギルドの名はオールイーターという。エースの名と同じくこちらもどのゲームでも同じ名を使うため、廃人界では知らぬものはいないと言われるほどである。
そして今、ギルドマスターのエースはオールイーターのメンバーの面々とボイスチャットで会話をしている。人数はギルドマスターを含め、12人。ボイスチャットで会話をするには多い人数だが、メンバーはいずれも気心知れた仲間たち、会話は滞りなく成立していた。
「サービス開始まで後3時間…待ちきれないぜ。こんなに時間が長く感じるなんて初めてだ。なぁ?」
青年の言うサービスとは、オンラインゲームの事である。ただし、普通のネットオンラインゲームではなく世界初となるVRシステムを搭載したオンラインゲーム、VRMMOの事である。
この春、サイバーファンタジーワールド社という今まで聞いたことのない無名の会社が日本でファンタジーオンラインという捻りの全く無いネーミングのゲームを発表した。そのゲームはなんとVRMMOであるという。最初は半信半疑だったが、多くの業界関係者が先行体験を行い、そして大絶賛の嵐が起きた。エースはその業界関係者の一人から直接話を聞くことができ、その素晴らしさを存分に聞かされた。そこでエース率いるオールイーターは標的をファンタジーオンラインに定め、世界初のVRMMOを食らい尽くしてやろうと画策しているのだ。
「全く、本当っすね。自分なんてここ1週間が1年くらいに感じたっす。ああ、楽しみだなぁ…ちょっと怖いっすけど」
少し若い声が同意の声をあげる。若いといってもこのVRMMOは18歳未満の利用は禁止されているため、少年の声という訳ではない。ゲームではビーと名乗っている。
「怖い?なるほど、ビーはVR世界に入るのは初めてですか?」
ビーの言葉に反応して丁寧で落ち着いた声が疑問を投げかける。声の主の名前はジート。もちろんこの名もゲーム内での名前だ。
「そりゃそっすよ。VR機能の利用は今まで限られていましたし。もしかしてジートさんは入った経験が?」
感覚器官を介さずに脳に直接影響を与えるVR機能は精神病治療などの医学的使用か事件が起きた際に犯人検挙のために使用が許可される刑事事件的使用しか認められてなかった。しかし、近年ようやく娯楽的使用が認められ、遂にゲーマーの夢であったVRゲームが可能となったのだ。規制緩和が施行されたのは最近の事であるので、ビーはどうしてだろうと思い、つい聞いてみた。
「ええ、ありますよ。4、5年ほど前にPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療で利用していました。いやー懐かしい」
「ぴ、PTSDっすか…」
例え、どんなに仲が良いとしても、親しき中にも礼儀ありである。これはさすがに聞いてはいけないことだったかな、とビーは思わず口ごもる。
「ええ、そうです。あ、全然気にしなくていいですよー。もう完治しましたし。VR治療は本当に楽しかったですよ。醒めない夢の世界に居るようでした。怖いことなんてないですよ。私なんてPTSDの治療が終わった後も何かと理由をつけて通ったものです。もちろん、担当のお医者さんにすぐに見破られて大目玉を食らいましたけどね」
ジートのおどけた口調に多くの笑い声が帰ってきた。笑い声と一緒に、「アウトー」「そりゃ駄目っしょー」「一足先にVR中毒とはさすがジートさん」などという笑いを含んだ声も聞こえてくる。ビーもホッとし、一緒に笑い声をあげる。使用制限が厳しく、違法使用で懲役刑の判決が出た事例もある当時において大目玉程度で済むなら御の字であろう。
「実は俺も病院で一回入ったことあるよ」
「マジで?まあ、俺もだけど」
あれよあれよという間に暴露する者が現れる。どうやら特に秘密にしていたという訳でもなく話す機会がないだけだったようだ。しかし、その中の一人、ギルドマスターのエースが暴露すると話題はそちらに傾いた。
「結構多いんだな、入ったことある奴。あれ、初期型のベッド固くて腰痛くなるよな」
「ですよねー、初期型はホント固くて…ってギルマス入ったことあるんですか!?」
他にも、「マジっすかエースさん」「なんてことを」「エースさん信じていたのに」「アイエエエ!ギルマス!?ギルマスナンデ!?」などという驚きの声があがる。
「おいおい、なんで俺の時だけそんな反応なんだよ。そりゃあ俺だって一回くらいはあるぞ」
反論するも、ギルドメンバーは、おいお前が聞けよ、最初に反応したお前が聞くべきだろなどと、ぼそぼそ話し合いをしている。数十秒後、意を決した一人が、「ギルマス、率直に聞きます」と前置きを入れ、口を開いた。
「刑期はどの位でしたか?」
「違法使用じゃねぇよ!?」
ドッと笑いが起こる。
「あ、じゃあ、どんな刑事事件で…」
「事件的使用でもねぇよ!」
さらに笑いが起こる。中には苦しそうに笑いながら息をする音も聞こえる。
「ったくよー。お前らどんな目で俺見てんだよー。俺もちゃんとした病院で使ったからな」
そう文句を言いながらもエースの口元はニヤニヤしている。まるで芸人が漫才で爆笑を取ったような嬉しさに似ている。アドリブだったからそれ以上に嬉しいのかもしれない。
「フヒヒ、サーセン」「ギルマスサーセン」「反省はしているが後悔はしていない」
そんなセリフが帰ってきて軽い笑いがまた起きる。エースもひとしきり笑い、話を続けた。
「実は俺、すげぇどうでもいいことでVR入ったんだよ。大学が決まって、暇な時間が有り余ってな、ネトゲを始めたんだ。それが人生初のネトゲかな」
エースの独白に耳を傾けるオールイーターのメンバーたち。今まで長い間、共にゲームをしながら会話を楽しんできたが、初めて聞く話だった。メンバーの一人はエースの人生初のネトゲと聞いて、「伝説の始まりか…」と感慨深く呟いた。
「そりゃあ、ハマりまくったぜ。世の中にこんな面白いゲームがあるのかと。それこそ文字通り寝食忘れてってやつだ。そんな生活をしていたある日、両親に拉致られてな。病院に叩き込まれた。この子、急に頭がおかしくなったんですってな。MRI撮られたけど、何の異常もないから、VRに入れられて、精神的問題を調査された。そこでネトゲ依存症だって分かって、はいおしまい。ネトゲ依存症にVR治療は適用されないからな。両親も病気じゃないなら別にいいやって人だったから、俺は帰ってまたネトゲを始めた。な、すげぇどうでもいいだろ?」
「ギルマス…」「マスター…」「エースさん…」「エース…」
エースの独白を聞き終え、ギルドメンバーたちはエースを呼ぶ。そして、
『あんたは俺かッ!!』
ビーとジート、そしてエース以外、9人の叫びが重なり、帰ってきた。
「やっぱり、みんなもそんな感じだよな!」
叫びに呼応するようにエースは納得の声を挙げる。
「俺の話かと思ったぜ」
「大学を高校に変えたら完全に俺だ」
「ほとんど俺の事なんだが」
「あれ?今俺が話してた?」
ジートは皆の答えにクスクスと楽しげな笑い声を出し、唯一VRに入ったことのないビーは「皆さん同じことを経験してるんすか、羨ましいっす」と錯乱したことを口走っている。
話を補完するが、本来ならば、一般人がVRに入る機会などほとんどない。それこそジートのように医療用に使う程度だ。使用経験者の割合でいえば、全人口の0.1%以下、数千人に1人、2人程だという。しかし、ギルドオールイーター内での使用経験者は12人の内11人、驚異の90%オーバーである。統計を馬鹿にしているとしか思えない。
それもそのはず、その理由を挙げるとすれば、彼らは一般人などではないからである。彼らは廃人、それも上位の。どこに出しても恥ずかしくない(もちろんゲーム内である。リアル社会に出すなんてとんでもない!)立派な廃人なのである。
サービス開始まで後2時間。長い長い待機時間はまだ続く…