孔明さんの本気は、破滅への道筋となるかもしれません。※
孔明が喬を連れ、いつも通り家に戻ると、何時もなら出迎えに出てくる琉璃が現れなかった。
不思議に思いながら、喬に家を探させ、自分は庭や畑を見回る。
「お父さん!! お母さんが!! 」
走ってくる喬の腕には、書簡が抱えられている。
「琉璃が? どうかしたの!? 」
「お、お父さん!! お母さんが出て行くって!! 厩には、光華がいなかったよ……お父さん、どうしよう……お母さんが、お母さん……」
顔を歪め泣き出した息子を抱き上げ、急いで家に戻ると、喬の抱えていた書簡を広げる。
『旦那様、喬ちゃん……そして、大事な皆さんへ。
今まで本当に、ありがとうございました。光華の上で死を待っていた私を助け介抱し、名前を下さった上に妻に迎えて下さり、家族を、愛情を与えてくれた旦那様。そして皆さん……。沢山与えてくれた愛情に恩をお返し一つも出来ず、喬ちゃんとの約束を果たさぬまま、消えることをお許し下さい。本当に本当に、申し訳ございません。このような恩知らずの事はお忘れ下さいますよう……さようなら。
破鏡』
最後の名前に、孔明は慄然とする。
琉璃の覚悟を……二度と戻ってこないと言う決意を、感じ取ったからである。
「な、何で……何で!! 琉璃……琉璃! 」
叫ぶ。
「どうして……どうして!! あんなに、あんなに……喬の兄弟が欲しいって……」
卓を叩く。
「お父さん……兄弟欲しいって喬がわがまま言ったから、お母さん、怒って出ていったの? 喬のせい? 」
涙をボロボロこぼしながら、喬は問いかける。
「違う!! 違うよ。決して喬のせいじゃない!! 」
孔明は息子を抱き締める。
「絶対違う!! 喬のせいじゃない!! 何か……琉璃がここを去らなければならない事があったんだ!! きっと!! 」
二人は丘を動き回り、琉璃の痕跡がないかと探す。
しかし、そういったものは見当たらず、徒労に終わり言葉もなく家に戻る。
孔明は何も食べたくない気分だったが、疲れ、心を痛めている息子に食事をさせ休ませようと台所に立つと、冷めてはいるがちゃんと晩御飯の支度がされていた。
その様子に再び喬は泣きじゃくり、孔明は黙ったまま汁物を温め直すと二人は黙々と食事をとった。
疲れきる息子を牀で休ませようとするがぐずり、孔明にしがみつく喬の様子にどうしようと考えていると、
「おい、玄関で一応何回か声をかけたんだがな~? 返事がなかったから勝手に入ったぞ!! 」
と、声が響く。
ハッと振り返ると、長身の孔明と背丈は変わらないが筋骨隆々とした髭面の男が立っている。
「なっ!? ど、どうして……こ、こは、月英の作った防犯設備が……」
絶句する孔明に、平然と、
「壊してねぇから安心しろ。元直が設備の停止方法教えてくれたんだよ」
ほーれ、と言いたげに書簡を見せびらかす。
「で、お前が『土竜』だろ? 」
「は? も、もぐら? 」
「そう。お前、『臥竜』って呼ばれてんだろ? お前、全然主を探さねぇ、つまり土に潜ってる竜だから、もぐら。元直が大爆笑してたぞ。お前に聞かせてぇって」
けらけらと笑う顔は、柔らかい。
孔明は、元直の名にわずかに警戒を解き、
「もぐらと呼ばれたのは初めてですが、『臥竜』より私に似合っているかもしれません。改めまして、諸葛孔明と申します。貴方は……元直兄を知っていると言うことは……」
「あぁ、名乗ってなかったな~。俺は、張飛。字が益徳だ。お前の嫁の上官だ」
突然の言葉に目を見開く。
「じ、上官……張益徳どのと言えば、劉皇叔様の義弟で、つまり……」
「お前の嫁の義理の叔父だ。お前の嫁……あぁ、面倒だ。昔、『破鏡』って呼ばれてたお前の嫁の琉璃だっけか? あいつはもう亡くなったが、うちの兄ぃの妾の子で、兄ぃは、あのはっきりした異国の容姿を毛嫌いして、馬乗せて戦場に放り込んだんだよ。で、あいつ、天性の戦上手でな。兄ぃは、早く死ねと思ってたらしいが、昔俺達の兄貴分として軍にいた子竜兄ぃ……趙雲どのが目を掛けて可愛がってた。でも、ある戦で子竜兄ぃが兄ぃ庇って死んだ後、散々な負け戦の最中、あいつに趙子竜を名乗らせて、しんがりを命じて皆でトンズラ」
「なっ!? 」
絶句すると言うより、ほぼ同身長の男を睨み付ける。
「な、貴方は!! 」
「違う違う、俺はその時山賊の頭してて、その戦い、いねえよ。それに一応と言うか、俺は尊敬する子竜兄ぃが可愛がってたあいつに、そこまでひでぇことしねぇよ」
「数を誤魔化すために嘘教えたのは貴方でしょう? 虎叔父が教えてくれたんだと琉璃が言ってましたよ」
「……うわぁ、そんなことまでいってたのか、あいつ」
ガリガリと頭をかく。
「……でも、貴方は想像より馬鹿でもなく、柔軟な考えの持ち主のようですね。益徳どの。所で、今日この時間に来られた訳は? 」
益徳はフッと真顔になる。
「馬家の季常がお前と『鳳雛』を兄ぃに売った。一月前に、お前を藪の中で見てたのは兄ぃに雲長兄貴、俺、季常と幼常だ」
「あ、あの時の!? 」
「気づいてたのか?お前塾に通って、今は時々講師をしてるなまっちょろい奴だと思ってたんだが……違うんだな? 」
「……元直兄か琉璃に聞いていませんか? 私は徐州琅邪郡出身です。15年前……」
益徳は目を見開く。
「えっ!? もしかしてお前、曹孟徳の徐州大虐殺から逃げてきたのか!? 一人で!? 」
「違います。姉二人、弟の4人です。叔父の諸葛玄の元に逃げましたが、叛徒と呼ばれ、叔父共々ここに」
「もしかしてお前、戦場知っていると言うことはねぇよな? 」
「どうして、そんなことを聞くんです? 季常が私を名指しした時点で解っている事でしょう? 」
皮肉げに笑う。
「『臥竜』……あぁ、面倒だもぐら! 今すぐ逃げろ!! 家族を連れて!! 姉二人はどうしようもねぇが、弟やその息子だけ……いや、兄ぃは、馬鹿にされると酷く根にもつ!! 黄承彦どののことを特に今は根に持っている!! とことんまで追い詰めて破滅に導く!! だからお前の嫁は、何もお前に告げずに新谷に来たんだ!! だから早く、他に家族はいねぇのか!? それに、お前、再婚か!? その子供の母親の実家は……!? 」
「失礼ですね。私は再婚などしていませんよ。喬は元は兄夫婦の子供です」
「なら、今すぐ預けろ!! それか二人で逃げろ!! 」
益徳の言葉に、微笑む……その微笑みは益徳が玄徳を見る時に良く目にするような、狂気に満ちたそれに似ていた……。
歴戦の武将であり、先年くびり殺された呂奉先にも恐れず戦いを挑んだ益徳ですら、うすら寒くなる程の殺気がみなぎっている。
「それは出来ません。喬は兄の元に送りますが、私は妻を見捨てて逃げるような男ではありません。自分の血を分けた娘を戦場に送り込み、見捨てる男と同じところに堕ちろと? 侮辱しないで下さい……」
「だがな!? 」
言い募る益徳に、笑みを穏やかなものに変え続ける。
「新谷に出仕するまでは、妻をよろしくお願い致します。益徳どの。貴方の、私たちを心底心配しての忠告は忘れません。もし、貴方に災いが降りかかった時は、必ずお助けすると約束します」
「も、もぐらじゃない、孔明……」
「もぐらで結構ですよ。『臥竜』より気に入りましたから。では、お気をつけて……星を見ると、敬弟が何やら画策してるようです。もし、何をしていたと問いただされた時は、出仕を促したと正直に、正直にお伝え下さい。よろしいですね!? 元直兄にも妻にも同じように!! お願いします!! 」
強く、何度も念を押す孔明の迫力に、益徳は頷く。
「解った。だが、俺は誓う。お前と『鳳雛』と、元直に、お前の嫁は守る!! それだけは信じてくれ!! 」
「……はい、よろしくお願い致します」
孔明は、丁寧な拝礼をする。
それは口約束であったが、二人だけの契約であり誓約……この約束は、守られたのだった。




