西域の民の誇りは、誰にも汚されてはならないのです。※
哀しげな眼差しに、儚げな微笑み……。
父親が兄弟、そして、母親も姉妹……二つ上の雲母は消えそうな印象が強かった。
雲母の母親は、雲母を生んですぐに亡くなったのだと言う。
父親が雲母を育てることはなく、伯母になる母が引き取り、3人の兄たちの妹として育てられることになった。
母は、その後生まれた瑪瑙や、長兄、次兄、三兄と分け隔てはしなかった。
5人兄弟として育った……と自分は思っていたのだが、兄たちは次第に変わっていった。
下の二人が、雲母を妹ではない……いや、女と見るようになり、妾にすると言い出した時に、長兄の孟起が激怒して一気に兄弟仲が険悪になったのだった。
雲母は控えめで大人しい子供だったので、
「け、喧嘩はしないで下さいませ……お兄様。お願いします!!だから……喧嘩だけは……」
「黙ってろ!!雲母!!俺はこの馬鹿共を叩き潰す!!おい、瑪瑙!!雲母と向こうにいってろ!!」
西涼の馬家の次期当主である孟起の言葉は、絶対だったので瑪瑙は従い、雲母と母のいる屋敷に入っていった。
すると、
「何ですって!?貴方!!今何と言ったのです!!」
西涼生まれの強き女武将として結婚する前は、険悪な他部族との争いにも向かっていった母が、父と話しているらしい。
「雲母を、娘を、誰に嫁がせると言うのです!!」
「だ、だから……韓遂の妾として……」
「妾ですって!?私の、貴方の娘ですよ!!雲母は!!それなのに……何を!?」
食って掛かる母に、父の寿成は、
「仕方あるまい。雲母は息子たちの争いの元になりつつある!!馬家を守る為だ!!西涼の部族との争いにも有利に働くのだ。雲母も黙って嫁ぐだろう」
「そんな……妾ではなく、普通に正妻として……」
「あいつは再婚して、跡取りも生まれた。育てもしない娘の事などどうでもいいと言っていた」
瑪瑙は雲母を振り返る。
青ざめてはいるものの、諦念の眼差しに言葉を失う……と、背後から影が落ち、
「あぁそうか~、親父は、雲母をものとして扱うんだな!!」
雲母を抱き寄せ、孟起は部屋に入っていく。
「親父は、自分の嫌いな中央の人間と同じことをするんだな!!雲母を!?」
「なっ!?孟起!!わしを……」
髭を蓄えた、明るい髪の色の男に、孟起は、
「西涼の覇者として、誇りをもて!!この髪と瞳はその誇りの証!!恥をかかされたなら、それを乗り越え、中央に馬首を向けよと、そう言っていたあんたが、娘として、姪である雲母を、義兄弟であるとは言え、同年代の男に妾として差し出す……?これは、恥辱と思わないのか!?」
「孟起!!」
「答えろ!!親父!!返答なしなら、あんたは腐った中央の役人以下だ!!」
食って掛かる孟起の腕にそっと手を置く。
白く抜けた小さな手……。
「御父様……いえ、伯父上……私は馬家の娘として……当主である伯父上のご命令に従います。……孟起お兄様。大丈夫です。ありがとうございます」
微笑んだ雲母は、頭を下げる。
「では、荷を纏めますので……日取りが決まり次第……。では、失礼致します」
「雲母!!おい、待て!!」
「孟起!!」
息子を押さえようと近づいた寿成の腕を振り払い、孟起は怒鳴る!!
「俺は……俺は認めねぇ!!雲母は、ものじゃねぇ!!他の誰が言おうとも、俺にとって雲母は……」
「孟起!!」
「黙れ!!姪を……娘として育てた姪を、妾に差し出す下郎が!!馬家の誇りを打ち捨てて、中央の役人以下に成り下がった男が!!俺のことを、軽々しく呼ぶんじゃねぇ!!」
父親を投げ飛ばし、雲母が去った方に走り出す。
「……見損なったわ。お父様!!」
瑪瑙は父親を睨めつける。
「雲母を!!私の大事な親友であり、姉、同志であり、仲間を売るなんて……許せない!!」
「最初は、お前を指名したんだ!!」
瑪瑙はあぁ……と言いたげに、目をそらし吐き捨てる。
「あの色好み……親友であり義兄弟の娘をそんな目で見ていたのね。最近触ってくるから、馬で追い回して、弓と連弩で脅したから、大人しくなったと思っていたのに……あの時、本気で殺っとくべきだったわね!!」
「な、何を!?瑪瑙!!韓遂は……」
「うるさいわよ!!韓遂、韓遂呼ぶなら、お父様が行きなさいよ!!妾として!!可愛がってくれるわよ!!じゃぁね!!私は、金輪際、お父様を父とは思わない!!二度と会う気もないわ!!……お母様……それでは、私は失礼致します。『再見』!!」
瑪瑙が去った部屋に残った寿成は、呆然と立ち尽くす。
その様子を見つめていた妻……珊瑚は、その色のままの髪を揺らし、哀しげな瞳で呟く。
「……あの頃の貴方は……もっと輝いていたわ。孟起は、あの頃の貴方そっくり……。貴方は…変わってしまったのね」
「さ、珊瑚……わ、わしは……」
「『再見』。昔の貴方だったなら……雲母を、妾として贈るなんて考えなかったでしょう……」
寿成を見上げた珊瑚は手を翻した。
パーン!!
頬を打つ音が響く。
「これで、オシマイ。貴方は……中央にすりよる、西域の誇りを失った哀れな老馬。私はその背に乗るつもりはないわ」
言い置いて、珊瑚は髪飾りや衣を脱ぎ捨てると、髪を一つにまとめる。
そして、中に着込んでいたらしい、西域の衣で駆け出していった。
「さ、珊瑚!!待ってくれ!!珊瑚~!!」
寿成は、叫ぶ。
『美しき深紅の女神』……と呼ばれた、妻であった女性を……呼び続けたのだった。




